崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

植民地研究会

2014年06月16日 05時39分54秒 | 旅行
昨日九州では一番大きい大学の福岡大学で行われた科学研究助成費による研究会に参加した。大連から来られた孫蓮花氏と同行し、博多からの電車内では偶然に西村氏、藤野氏と同席した。福大の正門は地下鉄駅と繋がっているようであり、交通が便利で学生が良く集まるのだろうかと冗談を言ったほど便利である。懐かしい顔、会議は午前10時から午後6時40分まで本当に充実した時間だった。民俗学。人類学から帝国日本(植民地)の「帝国学」のような研究会であった。この研究会は二つの科研グループの共同・連携になっていた。「帝国日本における移動と他者像」(代表植野弘子)「日本を含む外来権力の重層下で形成される歴史認識-台湾と旧南洋群島の人類学的比較(代表三尾裕子)科研研究プロジェクトによる共同研究会だった。
 「戦後アメリカの太平洋戦略とグァム統治」(池上大祐)では日本の占領から脱返し、土地接収と土地収用に関するものであり、私は韓国で米軍による敵産処分と関連して質疑した。植民地による台湾文化の変化、不変、リバイバル(植野)オーラルヒストリーのダイナミック性(三田)、仏教の布教と教育の植民地(松金)、戦後のパラオにおける民族分離(今泉、遠藤)そして三尾代表のまとめと台湾・旧南洋群島の研究報告に対する総合討論が行われた。私は台湾とパラオなどの日本の植民地と朝鮮半島が異なる点、私が大きく気がついたことはパラオなどは以前スペインやドイツなどの植民地を経験していて、朝鮮は初めての異民族による植民地、それがショックであり、反日感情の強い源であると解釈した。従来王朝独立国家説が有力であったが、私はこれが一番妥当ではないかといい、
 今までの植民地研究会の中でもっとも充実したものであった。昼食は孫氏にも弁当が用意されてコーナーで上水流久彦、中村八重、孫蓮花、崔が一緒に食べた。私は皆さんの手前、なんだか照れくさく「派閥を作っているんだよ」と冗談を言った。中村が私の昔のニックネーム啓明マフィアだと言ったことに私は「広島マフィア」だと修正した。疲れは程度を越えて帰宅した。

誰でも簡単に書ける時代

2014年06月15日 05時15分06秒 | 旅行
私は10年間ほぼ毎日、日記のように本欄に投稿している。それは数十年間日記を書く習慣、現地調査のノートを書くようなものである。ブログ、フェイスブック、ツィッターなどにも公開することで日記をそのまま公開するようで時々恐縮している。日記のようなものを公開することはプライベートが少なくなることである。時には良いアイディアを読者と共有することにもなる。そして時には以外な反応を受けることもある。私自身最小限注意することはある。人を傷つけないこと、社会に有益な考え方を提案するなどである。
 誰でも簡単に書ける時代になっている。人によっては無特定な読者に落書き、メモ、侮辱的なことを書いている。特にネチゾンたちは悪口も言いたい放題である。地方の新聞やタウン誌などにはアマチュアー筆者が数年間連載したり作文になっていないものなどネット上も含めて文が氾濫する。出版物も自費出版や自家製も含めると非常に多い。情報が無限に広がる。言葉の乱暴も放任されている。私のものもそう思われるかもしれない。本欄の横には「※こちらからの回答は行っておりませんが、いただいた内容はすべてスタッフが確認しております」と書いてある。。
 先週中国旅行中にはインタネットではFBなどが繋がらなく、大変困った。責任のない放任でも自由が良いと実感した。広島大学時代の留学生であった中国大連理工大学の孫蓮花氏が訪ねてきた。彼女は古希記念論文集に寄稿し、古希祝賀パーティにも中国から参加してくれた。彼女の博士論文は京都の出版社から精選されて発行された。混乱する社会であっても人情と誠意は太く繋がっている。

「地上の生活者」

2014年06月14日 05時55分30秒 | 旅行
講義を終え、絵葉書展の準備のために6時まで大学で作業をした。同僚と学生が手伝ってくれた(写真)。お茶の時間をもって談話した。いつものように世間のメディアなどを批評することになった。傾聴するような二人に「客観的とは如何に重要で難しいか」と力説する結果になった。私は中学校の「生物」の先生の影響があって、それを信じ過ぎたことを憶えている。それによって母とある女性が口論した時、私は母の味方をしなかったことを後悔したこともあった。その後大学を通して研究者になって深く深く客観的に考えてきた。客観性と愛とは対置すること、矛盾することもあって難しさを感じた。しかしそれを貫いてきた。結局はナショナリズムとグローバリズムの対立さえ強く体で感ずるようになった。自分と他者の関係も客観的になることには限界があること、困ることが多い。しかし一貫的に貫いてきているはずである。
 この私の人生観は本欄でも読者は感じてくれると思う。時々日韓についても読者から非難されることはあった。しかし客観性を越えて、民族主義、国粋主義が危険な状況までなり、心配である。中国の飛行機と超近接したというニュースを聞きながら「火遊びが大火事になる」ような危険性を感ずる。民衆の一人が国家を愛する、敵国を非難する力がどこから出るのか。どうし愛国者になるのか。李恢成氏の小説「地上の生活者」の気持で生きる時代になれないのか。愚かな男の愛国者の状況から戦争も辞さないとする危険がある。ニュースなどを聞きながら愛国よりは平和のために普通の生活者が増えてほしい。私はまだ客観性を教育すべきだと覚悟を持つ。昨日の文総理候補についてもその一片を書いたら非礼、侮辱の文が届いた。中には愛弟子から丁寧に私の意見に反対する文もあった。一読を願う。

私の歴史観

2014年06月13日 05時36分14秒 | エッセイ
 今度南京大虐殺記念館を観覧して考えることが多い。本当に『歴史とは何か』What is History、私の歴史観とは何かを深く考えさせられている。不幸な歴史は何か。韓国人は1800年代半ばから朝鮮半島から満州へ多く移住した。当時の状況から不幸な母国を離れて行って、沿海州などへ移り住んだ。その後日本帝国の政策により開拓移民、樺太などへ強制動員され、日本に仕事を求めて移住、戦後独裁政権や戦争の疲弊からアメリカへ移民などが多くなった。それは不幸な歴史であるが、今の国際化やグローバル化に肯定的な結果をもたらしている。極端に言うと刑務所から大統領も生み出すことがある。もちろんその逆もある。大きく考えると歴史は善悪という倫理性のないもののようにも考えられる。
 韓国の新首相候補に指名された文昌克氏(65)が過去に、日本による植民地支配について「神の意思による」などと発言したとして猛反発されている。昨夜KBSテレビ夜9時ニュースのトップで文氏が教会で講演した映像を流しながら非難する報道を見た。韓国は日本の「妄言文化」さえ真似する。人を誹謗中傷しながら真似するという格言にぴったり。彼はいつまで反日的な意識構造に生きるのか、真の解放が必要だという小生の見識と同様である。彼が「神がなぜ、この国を日本の植民地にしたのか?(そこには)神の意思がある」というのは、その文脈から理解できる。文氏がどんな人かは分からないが、映像からみて、発言に異常なし。今の聴聞会は「人物」を選ぶより「神様」を選ぼうとしている。
  

共産党の独裁が効果的?

2014年06月12日 04時42分58秒 | 旅行
中国に滞在する間ブログとフェースブックをPCで書くのが不便、書けないことがあり読者にはご迷惑をかけた。昨夜帰宅してから平素のように戻った、昨日上海で朝黄浦の住宅街の細道と海岸の公園で散歩し、朝食後タクシーで50キロ弱の空港まで走った。空港では韓国から来られた白石大学の崔明哲教授に会った。彼は私のソウル大学同学科の後輩である崔来沃氏の甥であり嬉しかった。その後私の教え子で現在杭州師範大学教員の金在国氏に会った。彼は早朝5時半に家を出発して11時に到着したという。彼は朝鮮族作家であり、在日朝鮮文学の研究で私の指導で博士号を取得人である。彼は韓国で出版した最新刊の『留学時代に書いた金在国の日本文化体験記』を私にくれた。彼に初めて会ったのは長春であった。彼とは広島大学で大学院修士、博士課程を終えた。そして東亜大学で博士号取得まで十数年の人間関係である。去年韓国学科を開設し、3人の教員を迎えることができ、本格的に教育体制が整ったという。
 杭州の人たちは南京虐殺のことがあって特にメディアによる反日的な報道により多少そのような傾向がないとは言えないが、魯迅など日本に留学した人も多かった近代史的に考えて基本的に親日的な意識が底流しているので日本との関係を楽観的に見ているという。もう一つは杭州は中国で早くから商業が盛んな地域、共産党の発祥地として政経の面で強、く豊かな地域であり、経済的に日本との関係も友好的であり、むしろ韓国との関係は一時的かもしれないと言っていた。話は長い。時間がなくすぐ出発時刻になった。
 上海から2時間ほどで福岡に到着し、まず深呼吸をした。中国では常に空気汚染が気になっていた。古くは汽船や工場の煙突から煙が出るのは近代化の象徴のように描いたこと多かった。昔日本や韓国も海や空が汚染の時代があった。それは半世紀以上前のことである。今中国は発展段階である。今度の中国を見てから大きい国、人口の多い国を共産党の独裁が、ある意味では効果的な役割をしているとも感じた。しかし質が高く文化的に高調するには大き過ぎる国であろう。中国へ出発するために福岡で乗ったタクシー運転さんが首を長くしてバックミラーに顔をを映しながら「中国は分裂するだろう」といった言葉を思い出した。
 静かな日本へ、落ち着いている自然に戻り安堵した。(写真左から金、崔、私、幸子)

「烏鎮」運河文化

2014年06月11日 19時50分40秒 | 旅行

嘉興から20余キロの烏鎮に着いた。学生団体が多く一般人は少ない。なにも解らず案内人の李月順氏を信じ、ついて入場した。何と素晴らしい光景であろうか。賛嘆を連発した。前夜歩いた月河街を拡大した野外博物館そものである。清時代の運河の町並みが分かる所である。結婚する時新婦が持って行った寝台が展示されており、伝統的なものと西洋の融合文化、酒造り、書庫,遊郭(西大街)などなど細い道に沿って商店街を歩きボートに乗り6千年の歴史、生活文化に触れ感動した。
2時半から嘉興学院で調印式が行われこれから両大学間の交流について討論した。久しぶり上海の黄浦の岸と南京路を歩いた。今日は帰国する。中国文化は現在より過去、歴史が優れている。私もその中国文化に影響されたものが多い。今度はその歴史を、そして現在の中国を見直すこととなった。
*お詫び:中国ではブログやFBが更新できず遅くなったことがあって申し訳ありません。

「月河」を歩く

2014年06月10日 04時51分47秒 | エッセイ
 昨夜上海国際空港ホテルから空港まで50キロ弱、東亜大学櫛田学長を迎えに行った。150キロを高速で走って2万人の学生、教職員1600人がいる嘉興学院(大学)の卒業式を参観、校長(総長)自身が壇上で卒業書証を卒業生一人一人に渡し、握手し一緒に写真を写す。卒業生はさらに指導に当たった先生方(?)とも握手をして壇から降りる。6000人の学生全員がガウンを来て行うセレモニーである。大学のキャンパス内を回り、食堂と学生寮の内部まで見せていただいた。寮は男女別であり、異性の出入りは禁止であった。2段ベッド4人部屋、ここは将来大事な友人作りの巣であると思った。留学生寮は二人ベッドが並んであり、ホテルのような雰囲気、いま韓国からの留学生44人が使っている。
 午後4時からは副学長の周珊氏主宰の談話会、挨拶の言葉抜きで学生交流に関する話から始まった。大学、大学院に学生留学、両校の学生と教職員による交流などが具体的に1時間半間質疑された。それを実現するために本日2時半から姉妹提携の調印式が行われる。副学長と国際交流担当の尹小芳氏の両女史の招待の晩さん会は古い伝統のある食堂の「江南印象」で伝統的な中華料理での、晩さん会と懇談会が混ざって、私は日本へ来て見てほしいといくつか提案した。食後運河の街「月河」を歩いた。杭州から北京までの運河の畔街は隋唐時代からの商店街であるという。古くから自然に恵まれて商業が発展し、中国共産党の発祥地、魯迅など文学者が多く出たところとして郷土自慢話、趣味など多様な話題で楽しんだ。昼の薄曇りのような汚染の空とは逆転した夜景に私は感動した。これこそ世界文化遺産だと勝手な評価をした。中国文化を心から賛美したい。

南京大虐殺記念館

2014年06月09日 05時29分22秒 | エッセイ

昨日は念願の南京大虐殺記念館と抗日運動記念館を見た。大虐殺記念館内は暗かった。それは展示の方式でもあり見る人の心も暗くなる。展示は中国がやっていても中身は日本であった。日本の資料による展示と言える。中国による資料は戦後の発掘現場のものが主であった。映像、道具、新聞記事などあくまでも日本が主役、100%悪役である。日本軍慰安所には「支那美人」と書かれており日本軍を呼びよせ、日本軍が列を成して順番を待っている写真、復元された慰安所の室内にも入ってみた。見て体験できるような記念館である。飲食できるところはない。私は映像を見、イヤーフォンで解説を聞き、キャプションを読みながら許される範囲内で映像や写真をとり、録音もしながら、3時間半時間をかけて見た。
 南京では日本語は使わない方が良いと言われたので注意した。タクシーの運転さんは韓国人か日本人か気になるらしい。案内してくれた李美淑氏と李月順氏は韓国語を使っていて、ある運転手からは日本人であれば乗せないとも言われた。南京では日本人については非常に悪い感情を持っているという。日本式の店が潰されたとか日本人はほぼいないという。今一番友好的な国は韓国である。
 日本軍による虐殺記念館、「30万人虐殺」という標題の下に絶対的に悪い、残酷な日本軍という展示であり、心痛い心情である。そして最後に平和都市の南京を訴えている。結局日本人嫌いであり心から平和になることの難しさも分かった。広島の記念館も残酷だけの展示で平和都市を訴えている。全く同じ展示法である。大国の中国は日中戦争で被害を受け、今は浙江省よりも若干小さく、人口も少ない韓国が世界的に評価されており、その隣国によって中国が変わっていく。
 南京の空は青空がない。美淑氏になぜ曇っているのかと質問、「汚染だ」という。汚染を悪く言ったり気にする人は少ない。中国は豊かな経済国を何より優先しているのが目に見える。上海への高速電車の窓から見える汚染空を見ながら息苦しさを感じ四日間の旅程も長すぎるような気持ちになった。
 
 

老後の理想的な過ごし方

2014年06月08日 07時12分57秒 | エッセイ
日本では老後の理想的な過ごし方の一位が旅行、二位が家庭菜園という。私は今でも海外旅行ができるので理想的な者かもしれない。しかし旅行にはトラブルもあり、むしろ英語で旅行をトラブルというようにトラブルを体験する機会でもある。
中国行きの福岡空港の国際線は以前に比べはるかに人が少ない。東方航空では機内持ち込みの荷物の制限が5キロ、私は8.6キロと家内は6キロで、預ける荷物として扱うことになり、戻ってチェックして扱おうとするとコンピューターが入っているということで、機内に持って行けといわれて、機内へ持ち込むことになったが、1キロオーバーの家内のものは預ける荷物とすることになった。30分遅れて、上海に着き、外は25度、バスで移動、簡単な手続き、指紋や写真などもない。広島大時代の留学生で現在嘉興大学の日本語学科の教員の李月順氏が花束をもって迎えに来てくれた。
 リムジンシャトルバスで上海虹橋駅に入った。荷物とボディチェックされ駅の構内に入った。商店街、食堂街などで駅の文化空間、おそらく列車を待つ時間が長いのでこのような文化空間ができのではないだろうか。夕食は水万頭が美味しいというところで腹いっぱい食べた。午後6時53分に乗車蘇州を経由して南京維景国際大飯店に着いたのは9時半過ぎであった。中国の眩しい経済発展を夜のネオンなどから感じた。李美淑氏と李月順氏と明日の南京大虐殺博物館見学のために私がもって来た1930年代の映像を見ながら打ち合わせをした。FBは書けない。南京では日本語は使わないのが良いと言われた。
 

習慣

2014年06月07日 05時21分37秒 | エッセイ
長い間の教育と人生の経験から知ることになった。それは人の習慣である。それは意図的なものでありながら身に付いたものである。ほぼ決まった時間帯に起きて食べて仕事をして寝るなど誰しもしている。それは人よってもそれほど差はない。それが文化である。その多くは単純で繰り返されている。食べて、寝ることは繰り返さなければならない。多くの動物や人間はこの生理的な慾によって生きている。
 ある学生は講義時間を守ることさえできない。トイレの時間も管理できない。このような人は頭が切れるとか優秀な学生とは思えない。小さいことが習慣的になっていることが重要である。ある人は小学校時代から同じ鉛筆箱を使っている。本を読み、暗記することにも慣れている。夢が大きくなくとも自分の人生を真面目に生きる。大志を持って繰り返しに工夫を重ねたらもっと楽しく、また成功にもつながるだろう。
 その成功の一番大きいハードルは「繰り返す」こと。繰り返すことはつまらない、それを嫌がる人は学習ができない。「復習」ができないと学習は進展しない。繰り返すことから新しい創造が生まれる。有名な選手は見えないところで繰り返して練習し、稽古することによって素晴らしい境地に至る。(写真イチロー、ネットから)

麻薬「気持ちよさ」

2014年06月06日 05時24分29秒 | エッセイ
 麻薬に依存する人が多いという深層を分析する番組をみた。それを見ながら私はもっと深層の問題を考えた。それは麻薬の持つ快楽性にあると知っている。それはセックス、ギャンブル、アルコールなどに求める快楽性に近く、それと深く関わる物質が麻薬であろう。専門家によれば麻薬にはドーパミンがあり、「快感」を司る脳の各部位を巧みに刺激するという。人は疲れやストレスから開放され、「気持ちよさ」の快楽によって多かれ少なかれ幸せを求めている。しかし快楽に溺れてしまうと逆に不幸になる。人はそれぞれ快感を憶えているはずである。それは幸せな感情であり、生きる力にもなっている。加齢や趣味などの多様化によって身体的「気持ちよさ」より文化的な「気持ちよさ」に代わっていく。それは加齢による衰退であり、人生の完熟でもある。しかしニュースによれば日本で中高年世代に麻薬依存者が多く、さらに増えていくという。
 取り締まりの専門家たちは高度な知識を持って語っている。それを聞きながらもっと深層の問題を期待した。「気持ちよさ」は人間を幸せにするが同時に人間を堕落させる。聖人は言う。慾を抑制するようにと。社会は文化装置としてそれを発散、禁欲させている。幸せばかり求めるのではなく不幸も受け入れたバランスのある生活によって麻薬などとは縁を持たないようになるのではないだろうか。、

大統領の涙

2014年06月05日 05時52分59秒 | エッセイ
韓国の地方選挙の結果が与野党のバランスをとったと東亜日報は“絶妙の均衡投票者の心”、船沈没惨事の悪影響があっても大統領の涙で挽回したと報じた。私も朴大統領の涙を見ながら真心が伝わり感動したが、「感情的な(?)韓国人」に影響したのは事実であろう。イギリスの元首相のサッチャー氏を鉄の女と揶揄した言葉を憶えているが、無愛想な朴大統領の涙はより国民を感動させたのである。涙は言葉で表現できない、感情をコントロールできない時爆発的に起こる現象である。しかし俳優は良く泣くことができるのは不思議である。アメリカの眼科医プレスナー氏の研究によると悲しい涙には蛋白質の濃度が高く、特に女性より男性が高いという。
 私は涙は生理的な現象でもあるが、儒教祭祀の哭などは形式化されたもの、つまり哭きや涙、泣くことを文化現象として見ている(拙著『哭きの文化人類学』)。私も親しい友人や愛犬がなくなった時泣いた。感情の処理でもあったようである。日本ではその感情を抑制する。涙を抑制して手に汗が出るという「ハンカチ」(芥川)は感動的である。日韓における涙の質はかなり異なる。涙と泣くことは表現様式であって悲しさや嬉しさそのものの質を意味するものではない。涙はみせなくても悲しさはあることはある。その深層を理解する必要がある。


遅すぎた授業法

2014年06月04日 04時19分44秒 | エッセイ
ある新聞の連載コラムに「私の生け花」というエッセーを送った。いけばなに関しては以前も時々書いたが私の生活の一部であるので自然に繰り返される。昨日の「日本文化論」で「生け花」をテーマにした。学生は日本人4人、韓国人4人、中国人1人、ネパール人1人、欠席2人で10人への授業であった。全員の名前を覚えさせる。まず出席確認と前の時間のコメントや質問紙を返す。白紙を配り、今日のテーマは日本文化の一つである「生け花」という趣旨、そして10分ほど私のエッセーの読後感や質問を書かせた。
 
 約文:私は子供の時から遊戯が下手で外へ出ないで家にこもりがちで親などは心配し、女の子のようだといわれ恥辱(?)を感じたことも多かった。ソウルに転学してからは部屋で読書などをする時間がより多くなった。そんな私には趣味がないと思っていた。いわば男性の趣味といえばゴルフとか登山とかスポーツ系のものや、将棋、囲碁などであり、よく話題になるものである。私の趣味は生け花である。
 朝の散歩に剪定鋏を持って行き、枝や雑草を観察し、切って持ってきて生けるのは楽しい。私には生け花の免許はない我流である。日本の花流でいえば池の坊に近い。称賛されなくともよい。お客さんからは家内の技といわれることがあるが、私が生けたと言うと意外な表情をする。
 韓国では男性は生け花などには手をつけるものではないという固い社会慣習がある。それでも私は生け花に関心を持って、しばしば自習して趣味とした。このことが女性文化への侵入か、男女別のある枠を犯しているかのようにも感じないこともなかったがやはり好きだった。日本に留学してから日本で生け花が盛んであることを知った。生け花の美しさや楽しさを女性だけの世界にしておくのは、男性にとって「もったいない」感がする。それは幸せに関するものであるからである。男性も花を生け、生け花を鑑賞しながら幸せを積極的に共有すべきであると思う。
 ロシアの花屋を思い出す。そこでは24時間開店している。零下30度の冬でも花屋では深夜でも売っている。深夜でも恋人と会い、訪ねる時花は必須のものであるからである。日本でも都会では花売り自動販売機もある。・・・

 ネパールでは日本からの文化として生け花があること、韓国では男性の趣味として生け花とは意外、そして多くは花を楽しむのに性別は関係ないという意見であった。ロシアの花屋の深夜でも売っていることに質問などがあった。私は学生たちに「皆さんが司会者であればどのように展開していくか」と質問を投げかけた。一番多く共通している点は何か、また異なった意見を見つけるようにと言った。絶対に意見を無視しないことも注意するようにした。一人の男子学生は生け花に無関心と言いながら自然な花のままが良いという。意見交換がなされた後私の出番であった。花を切ること(切り花)、自然から人工への「生け花」か「死に花」か、自然美と人工美の対立について説明をした。「切って生ける」美の意味の講義になった。よくまとめて書いた荒瀬君の感想文を彼に読でもらって授業を終えた。全員で考え、意見交換をし、楽しく効果的だった。教育に45年の経歴を経て、今やっと教授法を十分生かすことができた。遅すぎた授業法かも知れない。帰宅して夕食後楽しむ連続テレビドラマもクライマックスを見逃して就寝した。 

牧師の辞職

2014年06月03日 04時56分40秒 | エッセイ
ある教会の牧師が来年3月を以て辞職するという。ある関係者に聞いてみると大学院に入って研究者になろうとするのでは、という。50代で職を辞めて勉強をしようとすることに私は驚き、心から応援する。普通は大学院の勉強を辞めて就職する。しかしその逆は難しく、勇気の要ることである。実は私も韓国で職を辞して無銭留学を決めて苦労したので理解できる。私の人生に大きい転換であったように彼にもそう期待する。
 5年間勤めたその牧師の辞職に信者たちは無反応のようであり、多くはより早くやめた方が良いと思うようであり、すでに信者たちとは心が離れているようである。無牧師の時を経て強く期待し、歓迎したのに今は評価は高くないという。そのようなことは多くの人が経験するはずである。職を辞する時、それを待っているように受け止めるような社会の風潮もある。会社や職場を退職する時もそのような風景であろう。私も何度も経験している。特に高校の教員を辞職する時、冷たい雰囲気を味わったのを忘れない。伝統的には先生の転出や退職には餞別、パーティなどを経て涙の別れをすることが多かった。人生には離縁、死別、転出などの別れを経験しなければならない。また出会いも多くあるだろう。転機をもって深く自分自身を考えることができる良いチャンスにもなるだろう。

朴槿惠「父親の恩」

2014年06月02日 05時32分47秒 | エッセイ
 昨日私が代表となっている科学研究費による研究会が行われた。県立広島大学から原田環、上水流久彦の両氏と久しぶりに3年間の研究計画を相談し、研究の現況を以て討論した。日本植民地時代の1930年代の農村振興運動、そして戦後の朴正煕大統領のセマウル運動の持続的な発展過程に話題が及んだ。私は宇垣一成から朴正煕へ、そしてその娘の朴槿惠大統領へ、歴史的に眺めることとなったが、二人はむしろ朴槿惠から朴正煕へ、そして宇垣一成に遡るような話になり、より現実的に人類学的な議論となった。、
 朴正煕氏の娘が大統領になったのは父のお陰「恩」であることは誰も否定できない。しかし彼女は父親の恩を負の遺産としてそこから脱皮しようとしているようである。つまり父親の「独裁」、「親日」から脱皮しようとしているようである。しかしそれは彼女自身の運命であるが、それを避けようとすると豹変や脱線することになり、脱皮ではない。「独裁」の本質は人の話に鈍感でありながら「信念」をもつことも意味する。私は経験的に朴正煕氏が親日的だとは思えなかった。彼が国の近代化のために「明治維新の志士を見習いたい」と言ったのは親日ではない。朴正煕氏の「独裁」から強いリーダーシップ、「親日」から和解の外交を行うべきである。日本に住む私としては国内政治には詳しくないが、「慰安婦反日」外交では何も期待できない。中国との親和のために日本に背を向けることは大きい失策であろう。経済的な物売り相手として中国に向いているのか、韓国の近い歴史の中で築いてきた民主主義という価値観をどう共有するのか、将来を考えているのか。彼女が父親から受け継いだのは本当に負の遺産なのか、恩であろうか。