成城大学院時代の同級生の駒澤大学教授の白水繁彦氏が我が家へ。彼は下関で行われた学会に参加してから寄って下さったのである。二人の接点は1972年に遡る。二人には共通点があった。彼は佐賀出身であり、金持ちの子孫が通うような坊ちゃん大学へ入ったことでの苦労話、私は親同士の戦略結婚のようにソウル大の恩師と泉先生との話で成城大学に留学することになった。私は言語障害者のように日本語が全くできず学費の高い大学に留学してしまったのは日本に来て初めてわかった。
二人の出会の接点はそこにあった。もう一つの接点は意外にも日本語の不通からであった。当時もう一人の留学生がいた。アメリカからのモース氏、彼も日本語ができなかった。私はモース氏とブロークンイングリシューで話をせざるを得なかった。それを見た白水氏は二人が英語で議論できると思ったらしい。白水氏はラジオの英語講座などで勉強しながら付き合ってくれた。私は留学初期に彼に通訳のお世話になり、それからもっとも親しい友人になった。彼は後にアメリカから奨学金を得てアメリカへ、英語で講師などを務め、現職に至ったのである。彼はその始発点に私の存在があったと言ってくれた。私は如何に不備な留学であったか後悔したが、彼をはじめ、国際的に多くの友人を作る幸運でもあった。二人は「人との出会いで人生が変わる」と結語、夕食をともにしながら楽しく、充実した時間を過ごした。