崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「地上の生活者」

2014年06月14日 05時55分30秒 | 旅行
講義を終え、絵葉書展の準備のために6時まで大学で作業をした。同僚と学生が手伝ってくれた(写真)。お茶の時間をもって談話した。いつものように世間のメディアなどを批評することになった。傾聴するような二人に「客観的とは如何に重要で難しいか」と力説する結果になった。私は中学校の「生物」の先生の影響があって、それを信じ過ぎたことを憶えている。それによって母とある女性が口論した時、私は母の味方をしなかったことを後悔したこともあった。その後大学を通して研究者になって深く深く客観的に考えてきた。客観性と愛とは対置すること、矛盾することもあって難しさを感じた。しかしそれを貫いてきた。結局はナショナリズムとグローバリズムの対立さえ強く体で感ずるようになった。自分と他者の関係も客観的になることには限界があること、困ることが多い。しかし一貫的に貫いてきているはずである。
 この私の人生観は本欄でも読者は感じてくれると思う。時々日韓についても読者から非難されることはあった。しかし客観性を越えて、民族主義、国粋主義が危険な状況までなり、心配である。中国の飛行機と超近接したというニュースを聞きながら「火遊びが大火事になる」ような危険性を感ずる。民衆の一人が国家を愛する、敵国を非難する力がどこから出るのか。どうし愛国者になるのか。李恢成氏の小説「地上の生活者」の気持で生きる時代になれないのか。愚かな男の愛国者の状況から戦争も辞さないとする危険がある。ニュースなどを聞きながら愛国よりは平和のために普通の生活者が増えてほしい。私はまだ客観性を教育すべきだと覚悟を持つ。昨日の文総理候補についてもその一片を書いたら非礼、侮辱の文が届いた。中には愛弟子から丁寧に私の意見に反対する文もあった。一読を願う。