崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

私は唯一の証言者

2014年06月27日 05時21分08秒 | 旅行
 私の故郷は38度線の南側に近い小さい村である。その付近で同時期に生まれた3人の人類学者が出た。一人は亡くなられ、もう一人は戦争勃発の時当地にいなかった。その村で私より年配の方は姉を含め2,3人の女性しかいない。よく知っている売春婦であった人も亡くなった。私は10歳頃に朝鮮戦争の悲惨な状況などを体験した。姉は隠れていたので慰安婦などの記憶は薄い。先週ソウルから来た時にその慰安婦の話を含めていろいろ話したが高齢になり大部忘れたようである。今は私が唯一の証言者だと思った。
 私は時々直接体験した国連軍の性暴力に基づいて数編の論文や口頭で発表した。私はいつの間にか証言者のようになった。人の証言を聞いて調査などをしていたが、私が証言者のようになったことは不思議に思うことがある。ある意味ではすべての人は唯一なる証言であろう。生々しい記憶の話をする時、悲惨な状況も面白く語るのではないだろうか、また話をつなげるために想像を含める部分があるのではないかと感じられることもある。多くの記憶で思い起こせないもの、忘れたものもあり、証言者の資格はないかもしれない。その分、記憶が精選されていくのではないかと考える。
 私の米軍の性暴行に関する口述『これでは困る韓国』(1997年、三交社)が出版されて10年過ぎの数年前に韓国のMBC「刑事手帳」でウソツキ「新親日派」とされたことがある。しかし、真実、事実は何より強いことが明らかになっている。昨日NYタイムスや日韓の新聞などに朝鮮戦争で米軍によるレイプ事件が頻発した基地村が報道された。戦争の時敵側の女性を性暴行すると思ったが、米軍兵は我側(韓国)の女性を略奪した。敵側の北朝鮮の女性を暴行したかどうかは知らない。
 私は日本軍「慰安婦」については当時のことは知らない。ただ最近慰安婦たちの証言を聞いたことがある。このようなことは戦争に付きものであろうか。戦争で殺されたことが最も悲惨だと思う。これは非難されるかもしれないが、ある人は交通事故では死亡より重傷が嫌だという。戦死で処理されるのではなく、死者への意識が本当の人権思想の源であろう。
 慰安婦問題で外交しようとすることでブーメラン自繩自搏,。いわば従軍慰安婦像と並んで「基地慰安婦像」もたてなければならない。慰安婦、拉致をカードにする幼稚な政治は止めてほしい。


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