崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

牧師の辞職

2014年06月03日 04時56分40秒 | エッセイ
ある教会の牧師が来年3月を以て辞職するという。ある関係者に聞いてみると大学院に入って研究者になろうとするのでは、という。50代で職を辞めて勉強をしようとすることに私は驚き、心から応援する。普通は大学院の勉強を辞めて就職する。しかしその逆は難しく、勇気の要ることである。実は私も韓国で職を辞して無銭留学を決めて苦労したので理解できる。私の人生に大きい転換であったように彼にもそう期待する。
 5年間勤めたその牧師の辞職に信者たちは無反応のようであり、多くはより早くやめた方が良いと思うようであり、すでに信者たちとは心が離れているようである。無牧師の時を経て強く期待し、歓迎したのに今は評価は高くないという。そのようなことは多くの人が経験するはずである。職を辞する時、それを待っているように受け止めるような社会の風潮もある。会社や職場を退職する時もそのような風景であろう。私も何度も経験している。特に高校の教員を辞職する時、冷たい雰囲気を味わったのを忘れない。伝統的には先生の転出や退職には餞別、パーティなどを経て涙の別れをすることが多かった。人生には離縁、死別、転出などの別れを経験しなければならない。また出会いも多くあるだろう。転機をもって深く自分自身を考えることができる良いチャンスにもなるだろう。