崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

朴槿惠「父親の恩」

2014年06月02日 05時32分47秒 | エッセイ
 昨日私が代表となっている科学研究費による研究会が行われた。県立広島大学から原田環、上水流久彦の両氏と久しぶりに3年間の研究計画を相談し、研究の現況を以て討論した。日本植民地時代の1930年代の農村振興運動、そして戦後の朴正煕大統領のセマウル運動の持続的な発展過程に話題が及んだ。私は宇垣一成から朴正煕へ、そしてその娘の朴槿惠大統領へ、歴史的に眺めることとなったが、二人はむしろ朴槿惠から朴正煕へ、そして宇垣一成に遡るような話になり、より現実的に人類学的な議論となった。、
 朴正煕氏の娘が大統領になったのは父のお陰「恩」であることは誰も否定できない。しかし彼女は父親の恩を負の遺産としてそこから脱皮しようとしているようである。つまり父親の「独裁」、「親日」から脱皮しようとしているようである。しかしそれは彼女自身の運命であるが、それを避けようとすると豹変や脱線することになり、脱皮ではない。「独裁」の本質は人の話に鈍感でありながら「信念」をもつことも意味する。私は経験的に朴正煕氏が親日的だとは思えなかった。彼が国の近代化のために「明治維新の志士を見習いたい」と言ったのは親日ではない。朴正煕氏の「独裁」から強いリーダーシップ、「親日」から和解の外交を行うべきである。日本に住む私としては国内政治には詳しくないが、「慰安婦反日」外交では何も期待できない。中国との親和のために日本に背を向けることは大きい失策であろう。経済的な物売り相手として中国に向いているのか、韓国の近い歴史の中で築いてきた民主主義という価値観をどう共有するのか、将来を考えているのか。彼女が父親から受け継いだのは本当に負の遺産なのか、恩であろうか。