崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

屋台文化

2014年06月29日 04時48分00秒 | エッセイ
私は韓国育ちでありながら日本でも有名な韓国食のトクボッキや部隊チゲなどは口にしない。私は屋台文化とは縁がない。屋台には不潔なイメージが強く、寄った覚えがない。屋台で豚足や鳥足の料理を食べる場面は映像などを通して知っている(写真はネットから)。屋台などの食文化を知らないような、両班出身の貴族のように聞こえるかもしれない。しかし理由は別に二つある。一つは屋台は私の世代には親しみがなかったことであり、もう一つは私が酒を飲めないところにある。屋台でマッコリーや焼酎を飲み、鳥足料理を食べながら語り合うようなロマンス(?)がないのは飲酒習慣がないからである。それだけではない。酒文化とは縁の遠い私のドライな生活になったのは生理的な要因であろう。酒を飲めない父を思い出す。その遺伝子によるものであろうか。その疑問は先週ソウルから姉に付き添って来た甥から確認できた気がした。彼は酒を飲まない。彼も私のようにアルコールアレルギーがあって酒は飲めないという。飲酒で皮膚がかゆくなる一種のアルコールアレルギーがあるのは私と同様である。そこで私は母の弟が皮膚炎で苦労し、結局それで死亡したことを思い出す。その遺伝子を甥と共有しているようである。
 ただ一種の遺伝子がパーソナリティや生き方に大きく影響しているといえる。飲酒ができないことによって、もっと多くの友人作りやロマンスが制約されたのではないだろうかと思う。融通性のない青春時代に反骨精神を貫いて、私は人を許さず傷つけたことも多かったと反省している。それを意識して性格改造(?)にもかなり努力してきた。それは遺伝子と戦うことでもあった。否、それは私だけのことではない。人間は誰しも身体的、生理的な条件や欲望と戦いながら生きる、生老病死の人生であることを悟るべきであろう。

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