崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ソウルへ、暑さからガラッと変わって寒さへ

2013年10月12日 04時45分54秒 | エッセイ
 雨の中福岡空港からソウルへ、ガラッと変わって寒ささえ感じている。機内は連休の前日とあって満席、韓国人はただの数名、日本人が圧倒的に多かった。出版社民俗苑社長と部長が迎えてくれた。「楽しい韓国文化論」講座の受講生13人と同行した。清渓川の橋を渡り、植民地時代の鐘路警察署地に立っているStandard Characterizedという銀行、日本時代の最高の和信百貨店があった場所などによりながら仁寺洞へと歩いた。仁寺洞は古本屋と骨董品店通りが文化、若者が伝統文化を楽しめる街、観光化されたソウルの観光名所になっている。韓国の骨董品が少なく、今は中国から取り寄せた韓国的なものを並べて売っている店もある。しかし全体としては画廊、工芸品と食堂の街になっている。そのはずれに位置している黄慧性家の宮中料理「チファジャ」で食事をした。
 私は1968年黄慧性氏と全国民俗調査に同行していらい私が日本に留学した時、日本でも焼き肉店を数店調べて歩いたことを覚えている。黄氏は李王朝の最後の尚宮(宮女)に宮中料理について聞き取り調査をして人間文化財に指定されて一躍有名になり、3人の娘がそれを伝授している。彼女は7年前にこの世をさっていて、写真や銅像などが飾られていた。昨夜の夕食は宮中料理を基礎にした家庭料理としているメニュであった。肉脯,茶食,豆腐、串焼き、シャーベット、ビビンバ、甘酒などが日本の懐石料理のように順次にでた。自己紹介では自衛隊、軍事工業、日露戦争、流黄島などとの関連職業の話が注目された。
 肝心な宮中料理は椅子式、日本の懐石料理のようなイメージ、量と質の面でも粗末であった。食後の散歩として市場のような鐘路繁華街を歩きながら伝統的なジジミの本物の店によって二次会をしてホテルに戻った。日韓関係の悪さはなに一つ感ずることなく日本人が市内に溢れているような印象であった。この民衆によって日韓関係が良くなることを望む。