崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「しものせき映画祭」案内

2013年10月16日 05時12分05秒 | エッセイ
 昨夜「しものせき映画祭」の実行委員会を行った。広告なども順調であり、市民の協力に感謝である。今度は東亜大学の開学40周年記念にかけて行い、準備においても大学の協力も大きいと報告された。そこで私は映画実行委員たちと観客も大学記念行事にも積極的に参加してくれるよう訴えた。私は19日に「楽しい韓国文化論」講座で「焼き肉文化」、20日に「紅いコーリャン」「小山上等兵が撮った日中戦争」の解説も担当するような忙しい終末になろう。まずは今日の読書会と講義をこなすのに精一杯である。

<映画祭のお知らせ>
●10月20日(日) 東亜大学2号館
 『紅いコーリャン』』(中国) 1987年 91分 ベルリン国際映画祭金熊賞受賞

監督/張芸謀
主演/鞏俐学生時デビュー作
中国山東省で3代に至る家族史を描いたノーベル賞作家莫言の原作「紅高粱」を基調とした名画 紅いコーリャンで酒造り、日本の満洲侵略、文化大革命を語る。中国の歴史と文化を勉強しながら感動する映画、国内外で大反響
●講演/崔 吉城氏(東アジア文化研究所所長) 開催時間:10:00~12:00

●13:00~14:30『小山上等兵が撮った日中戦争』崔吉城/権藤博志共同制作
『うーつ・り』大野進二 『ピースヶ日記』宮下 弘

追悼・赤江瀑没後1周年『オイディプスの刃』(日本) 1986年 118分 :14:40~17:00
監督/成島東一郎 原作/赤江 瀑
出演/古尾谷 雅人、清水健太郎、京本政樹
伝説の妖刀をめぐり血塗られていく家族の悲劇を描く
●講演/川野 祐一郎氏(東亜大学芸術学部部長)

『狼火は上海に揚る』(日本) 1944年 65分 18:00~20:30
監督/稲垣 浩  出演/。阪東妻三郎、月形龍之介
維新前、高杉晋作は上海に渡航した。日中共同で作られた終戦間際のプロパガンダ映画。満州からロシア軍により接収され、1999年北京で発見されて日本へ還る
●講演/古川薫氏(直木受賞作家)

高齢者のよいモデル

2013年10月15日 05時14分36秒 | エッセイ
中国人民大学の准教授の金炳徹氏が訪ねてきた。彼は韓国の朝鮮大学の中国語学科を卒業してイギリスに留学し、ノーティンハム大学で社会福祉専攻で博士号を取得、現在北京の人民大学で社会福祉を教えている。目下日本語の語学研修のために日本に来られている。昨日下関の満殊荘で海峡を挟んで九州を眺めながら彼と歓談した。彼が留学したUniversity of NottinghamはD.H. Lawrence(写真)の出身校であって、その研究所があることによって、より有名な大学だと言っていた。私は大学生時代にその作家について評論を大学新聞に寄稿したこともあって、親近感を感じた。
 金氏は今日本語を勉強し始め、日中韓の社会福祉、特に老人問題を比較したいという。彼は最近韓国で社会問題になっているのが高齢者の自殺であるといった。「老人」とは統計する所によって60歳、65歳としているのは日本も同様、2000年以降韓国の老人自殺は日本の2、3倍に急増しているという。韓国では中年層の人が若者に「若い時働かないとあの老人のように貧困になり税金を喰うものになるぞ」と言うそうである。引退して孤独になり自殺するということがネット上多くの事例として紹介されている。日本の「楢山節考」のような比喩とは異なる。いずれ日韓、両国では家族構造が似ていて、その激しい変化によって日韓の差が出ると仮説を話していた。それには私も同意した。そこで今私の指導を受けながら博士論文を準備している杉原氏の「日本高齢者の自殺に関する研究」を紹介した。彼はその家族制度の変化に注目して比較研究を行いたいという。
 今度の韓国文化探訪では暇つぶしの韓国の老人群に会うことはなかった。私たちのグループの最高齢者の山尾氏は一番好奇心が旺盛、カメラを持って先頭で撮影、買い物も一番多く、板門店で買った北朝鮮の酒が税関で無償没収(?)されたと残念な表情はあっても、高齢者のよいモデルであった。

秋晴れ

2013年10月14日 05時12分34秒 | エッセイ
 朝食はソウルの韓国伝統的なヘイジャンクッにした。ヘイジャンとは朝の食事の前に簡単に食べるもの、クッはスープのことである。中心地の清津洞はその食堂街として有名である。しかし行ってみると高層ビルが建築中でその面影がなくなっており、ただホンジンオクという食堂だけが残っていてさびしかった。その食堂で食べるしかない。食べ終わってからヘイジャンクッとは何かを説明をした。牛の血の料理である。韓国語で血をソンジといい、これをソンジクッともいう。昼食は有名な「土俗亭」にサンゲタンを食べに行ったが待っている行列が長く外まで続いていたので諦めて、その裏通りのカゴパで牛の頭のスープと腸詰を食べた。帰国後の今週末の講座「焼き肉文化」の事前実習のような食事になった。
 朝鮮総督府庁舎が破壊された広場で復元された宮中「御前儀式」の警護隊のパフォーマンスを見て故宮博物館を見学した。青瓦臺ー景福宮ー光化門ー南大門へ一直線の大路が整備され、世宗大王と李舜臣の銅像が韓国文化の中心地を表す。光化門路の広場のフリーマーケットで中国産のなつめを買って皆に味わってもらった。後でホテルで拭いてみるとかなり汚れていて、配ったのが気になった。総督府庁舎を破壊して広場にし、その一角に新しく博物館を建てて、道路の真ん中を広くして、古い汚ない川を清流にしている。私は復元地、復製品ばかりをみて、歴史を失った感じがした。韓国は伝統文化を尊重するといいながら伝統文化を壊して新しく創りなおす。「偽りの古り文化」、ホブスバンムが言った『伝統の創造』否、「伝統の捏造」である。国宝1号は火事で焼かれて新しく古っぽく立っているのを見た。私が知っている限りの韓国歴史の遺物、過去は今はもうすべてが捏造物のように感じた。
 韓国は「変わる」。それに比べると日本は「変わらない」と感ずる。私は日本ではいつも変わらないことに不満を感じている。変わらなくては発展はしない。いろいろアイディアの助言をしても変わらない。考えてみると韓国は「変わり過ぎ」、日本は「変わらな過ぎ」に感ずる。伝統文化は変わるものである。新羅の王冠は使わない。古いものを使い捨て新しく創るのは当たり前。この変化の力で韓国は世界的に知られる発展を成し遂げてきた。仁川に行く時の運転手さんは日韓関係が悪くなって日本からの観光客が減っていると言った。板門店旅行者も多く減っているといわれた。運転手さんは東京オリンピックは歓迎すべきではあるが、投票日に日本の水産物を禁止したのは日本が放射線問題を隠しているからであると弁明を語った。彼は安倍総理は東京電力の話とは違ったことをいう嘘つきではないかとも言っていた。昨夜全員無事に帰国し感謝である。我が夫婦は留守番の愛犬に迎えられた。

板門店

2013年10月13日 05時09分46秒 | エッセイ
韓国旅行第2日目の探訪が早朝から始まった。まず14人の先頭に立って朝食の食堂探し、明堂をジグザグに歩いても開店しているところは少なく、やっとモヤシスープ専門店を見つけ、入った時はすでに板門店への出発時間が迫っており、急いで、熱いスープを食べるのにフーフー。ロッテホテルまで数百メートル、私が先頭に早足で歩いた。数回、道を聞き、定時出発に間に合ってほっとした。車内ではガイドの張さんが分断の敬意を要約して分かりやすく、山や川などを窓から指差して説明した。禿げ山は北、繁げた山は韓国と写真禁止区域、停戦状態、非武装地帯の武装、緊張を高める話が続いた。
 私にとっては二度目の板門店行き、休憩所で中国新聞の伊東さんに偶然に出あい、歓声を上げた。彼はRCCの青木社長と中国新聞の北村編集長と同行、伊東さんは板門店旅行は10回ほどだという。私と縁の深い関係者と一日探訪と昼食などが一緒であったが私は別のグループだったので長く話すことはできなかった。ホテルに戻り別れの挨拶をしようと思い、待っていたが彼らは途中で飛行場へ向かったということをガイドから聞いた。
 3時にソウル中心のロッテ百貨店では韓国の特産物を買い、戦前の京城府庁、ソウル市庁である建物、国楽の公演をみてからホテルに戻り、夕食の韓定食の食堂へ向かった。マイクロ2台で漢江の南へ、全羅南道海南の「天一館」での韓定食を予約していた。私が1960年代以来現地調査で訪ねた時知った地域料理を皆に味わって欲しかったのである。白菜の漬物、水キムチ、伝統的な焼き肉、豚肉の散炙,高菜漬けのカッキムチ、エイ、石持ちと大根、トットリム(どんぐり)のナムル、カボチャ、長イモのムニエル、サトイモの胡麻煮、小太刀魚の唐揚げ、ホウレンソウ、なす、ズッキーニ―を乾燥したもののナムル、クルビ(干し石頭魚)、タラのスープ、お焦げスープ、デザートなどなど全てが美味しく、懐かしく、大満足してホテルに戻ったのは夜の10時頃であった。その後、私は民俗苑の社長らと編集会のような打ち合わせ会を行った。
 私は夕食会では夢中で食べるのに心を奪われるような喰う集いにはならないように一日の見聞の感想を発表させた。分断国家の悲劇、その歴史と現実を体験した話であった。分断国家のその最も緊張であるところを観光化している皮肉な場所であることが話のポイントにもなった。日本人に観光一番のポイントが最近の日韓関係の悪さと南北関係の緊張で人気が下がっているとガイドは言っていた。

ソウルへ、暑さからガラッと変わって寒さへ

2013年10月12日 04時45分54秒 | エッセイ
 雨の中福岡空港からソウルへ、ガラッと変わって寒ささえ感じている。機内は連休の前日とあって満席、韓国人はただの数名、日本人が圧倒的に多かった。出版社民俗苑社長と部長が迎えてくれた。「楽しい韓国文化論」講座の受講生13人と同行した。清渓川の橋を渡り、植民地時代の鐘路警察署地に立っているStandard Characterizedという銀行、日本時代の最高の和信百貨店があった場所などによりながら仁寺洞へと歩いた。仁寺洞は古本屋と骨董品店通りが文化、若者が伝統文化を楽しめる街、観光化されたソウルの観光名所になっている。韓国の骨董品が少なく、今は中国から取り寄せた韓国的なものを並べて売っている店もある。しかし全体としては画廊、工芸品と食堂の街になっている。そのはずれに位置している黄慧性家の宮中料理「チファジャ」で食事をした。
 私は1968年黄慧性氏と全国民俗調査に同行していらい私が日本に留学した時、日本でも焼き肉店を数店調べて歩いたことを覚えている。黄氏は李王朝の最後の尚宮(宮女)に宮中料理について聞き取り調査をして人間文化財に指定されて一躍有名になり、3人の娘がそれを伝授している。彼女は7年前にこの世をさっていて、写真や銅像などが飾られていた。昨夜の夕食は宮中料理を基礎にした家庭料理としているメニュであった。肉脯,茶食,豆腐、串焼き、シャーベット、ビビンバ、甘酒などが日本の懐石料理のように順次にでた。自己紹介では自衛隊、軍事工業、日露戦争、流黄島などとの関連職業の話が注目された。
 肝心な宮中料理は椅子式、日本の懐石料理のようなイメージ、量と質の面でも粗末であった。食後の散歩として市場のような鐘路繁華街を歩きながら伝統的なジジミの本物の店によって二次会をしてホテルに戻った。日韓関係の悪さはなに一つ感ずることなく日本人が市内に溢れているような印象であった。この民衆によって日韓関係が良くなることを望む。

「楽しい講義」

2013年10月11日 04時29分39秒 | エッセイ
 最近の少人数の講義では特に質と楽しさを重要視している。講義の始まりにアメリカ映画の「ペーパーチェイス」を見せるのが普通である。この映画は以前本欄でも触れたように世界的な名門大学での勉強ぶりと恋愛の楽しい内容である。昨日は30分ほど、映像を選んで動画を停止画面としたり繰り返したりして見せながら講義をした。特に教授の質問と学生の答えをしている内に学生が考え、それに対応していくために学生は猛勉強する様子を紹介しながら名門大学の実態はこのような厳しい、しかし楽しい授業だと私は強調した。優秀な成績結果を見ず紙飛行機にして海に飛ばした。私は学生と一緒に初めて紙飛行機を作った。それを飛ばした意味は何だろう。考えさせる。
 中津陽平君の感想文には「アメリカの授業では学生自ら予習をしないと授業が進まないようであり、また予習をしないと知識も身につかない。こんな講義は本当に楽しそうだし、勉強という本体の形だと思った。とてもいい刺激になるDVDだった。逆に日本のやり方は本当に理解できてなくともテストの時に覚えていれば大丈夫という教え方になる」。私は学生が画像を熱心に視ている表情を見て満足していた。「楽しい講義」であった。

最先端技術

2013年10月10日 04時24分41秒 | エッセイ
 十年近くなったテレビの画像に黒線が出ており、故障かそろそろ寿命かと思われ、新しく買おうとしている。同僚たちと話をしている内に最先端の4Kテレビが話題になった。今は値段が高いからしばらく待ってから買うと得だよという話もあった。それには私は賛同しなかった。なぜならそれは新しいものが出て、普及率が高く、新聞広告などで一般的に安くなってから買うことにはあまり関心がないからである。それはさらに新しいものが出るまで待って買うということであり、結果的に買わないことにつながる論法であり、時代に遅れる発想と思う。先端技術への嗜好は常に値段が高く、付帯器機との対応などに戸惑うこと多いかもしれない。しかし新しいものの新鮮さ、使い方の変化、科学技術の発展さを感じさせられて楽しい。
 最新の物の値段が高いのは問題である。それは贅沢な洒落た気持ちに繋がる。私がベルトを100円ショップで買ったことを知っている同僚は私から贅沢な買い物向けの話が出て異様な表情をした。そこで私は語った。人は贅沢と質素、最先端と後発、先進と後進、贅沢と質素の極端な対立的な要素を含む生き方をているのであると。そしてそれらの生き方を三つのタイプに分けられると付け加えた。

A型は節約と質素な生活で一生贅沢もせず狭い世界で楽しみを見つけて生きる。
B型は贅沢なことばかり求める生活で表向きは華やかであるが、実は常に貧困な気分で暮らしている。
C型は常に質素な、節約した生活ではあるが時には贅沢も楽しんで生きる。

 誰でもそうだと思うが、私はC型を理想型としている。

もう一つの人権を犯す

2013年10月09日 05時43分35秒 | エッセイ
 定期的に通っている病院の医師が先日の新聞報道の慰安婦に関する国立公文書館(東京)資料により日本軍が関与を認めた河野官房長官談話(1993年)について話をしてくれた。主な内容は戦時中の44年、ジャワ島に収容されていたオランダ人女性を、日本軍将校が命じて州内4カ所の慰安所に連行し、脅して売春させたということである。
 河野洋平官房長官談話以来軍の関与と強制性を認めたを裏付け、補強する資料は次々と明らかになった。(1)陸軍省が慰安所設置を決めた(2)第35師団司令部が軍施設として慰安所運営規則を定めた「営外施設規定」、(3)政府が慰安婦の渡航を認める閣議決定、(4)インドネシアや中国での慰安婦強制連行を示す東京裁判の尋問調書―などがあり、いずれも軍や政府の関与、強制性を示している。しかし安倍政権は「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と述べている。
 軍が関与したことは他国の軍を例にしても、私は十分わかる。しかし軍との関係が軍の正式的な、たとえば国民総動員のように法的に組織して動員をしたものとは異なると思う。政治的な問題とは別に脱政治的あるいは脱価値的に検討すべき主な点は、軍事工業など無数の企業が戦争に動員された点をどう見るべきか。日中戦争そのものが全体として犯罪である「侵略戦争」として裁かれるのは当然である。その点日本が被害国へ謝罪すべきであると主張したし、そうすべきだと私は思う。しかし「性セックス」を持って人権運動をすることは難しい。たとえば姦通罪などを証言、証明しようとするとそれ以上の「恥」「人権」や国家の「品格」を問われることになるからである。このような慰安婦問題は今すぐ中止すべきであると提案したい。 

「紅いコーリャン」

2013年10月08日 04時25分17秒 | エッセイ
 早朝4時の時間帯NHKラジオ深夜便で広島被爆の悲惨な話が今流れている。戦後日本では戦争被害がいたるところで語られて、被害が強調されている。それは反核運動、平和運動へ広がっている意味は大きい。しかしそれと同様中国や韓国で日本から被害を受けたことを日本で聞くことはあまりない。韓国では日本の慰安婦などの被害を、中国と北朝鮮では日本に勝った勝利を主張している話が多く、日本の植民地や日本との戦争などへの歴史認識はそれぞれ異なっている。戦争や植民地とは普通加害と被害、植民と被植民で語れるが、日本と韓国はそれぞれが被害を強調している。日本が加害を言わないように韓国が加害であったという「竹林はるか遠く」が非難されて「慰安婦像」を立てている。いずれもバランスを取っていない歴史認識と言える。
 私は昨日「しものせき映画祭」について記者会見をした時、中国での被害を強調する映画「紅いコーリャン」を推薦した意図を説明した。この映画はある女性を中心に3代に亘る家族史的な話であり、1930年代に日本軍が満州に侵攻した時、日本軍が生きている中国人の皮膚を剥ぎとって殺す場面がある。それを見た人たちが抗日運動を起こすという話である。広い満州を植民地(?)とし、紅いコーリャン畑で起きた酒と血の歴史の話である。今なぜ日本に私が紹介しようとするのか。それは日本人の歴史認識があまりバランスを取っていないからである。被害を認識して対策を考えるのは普遍的であろうが、その被害の裏には「加害者」が存在することも普遍的である。私は中国や韓国が「歴史認識」を政治的にいうことに不満を持つのと同じように日本の一方的な被害強調にも不満を持っている。残虐とは「如何に強調してもし過ぎることはない(too~to)」と言われているようにこの小説で生きている人の皮膚を剥ぎとる罰、北朝鮮で展示している締め殺し用の革ジャンパーはそのような表現、表示であろう。

在日の劣化

2013年10月07日 04時37分30秒 | エッセイ
 昨日教会出席の後、「梅光大学100周年記念写真展示会」、「唐戸まつり」(写真)に足を運んだ。そのまつりには在日2世の朴仙容氏が出店しいているのでその現況を知るためである。古く私が東京で焼き肉店を調査して分かったことは当時店主は在日であってもコックは日本人であった。そのような傾向が今では安定しているようである。店主は在日を通して韓国文化のイメージや象徴であり、味の創出は日本人によるものであるという意味である。最近は日韓関係の文化交流の行事にも民団・総連の在日朝鮮・韓国人の参加者はほぼいない。私が行っている韓国文化論でもそうである。おそらく全国的な現象ではないかと思われる。日本人の韓国への関心に比べて在日の関心が対照的に弱く、韓国文化への勉強熱も日本人に比べて低い。在日の存在さえ薄れていると感ずる。
 日韓関係が正常ではなかった時代は「在日」は日本で朝鮮文化の実態であった。彼らは朝鮮語や文化を体で覚えている存在であったからである。社会的には「差別」云々など、政治的には「…反対運動」などでも存在感があった。しかし今は世代を重ね日本化され、彼らの存在感が薄れている。「在日」という名称だけが形骸化していくようである。在日が「共に生きる」とか「多文化」を主張したこともむしろ日本人によって実行されていて、在日の主張の意味も希釈している。日韓関係は日本人と韓国人の直接関係であり、在日を経由する意味が全く失くなった。これは日本人の国際化、在日の劣化とも言える。

餅作り

2013年10月06日 04時27分12秒 | エッセイ
昨日「楽しい韓国文化論」の講座でまず私がご飯、餅、麹など稲作文化に関して、朝鮮半島や満州まで栽培されるような稲の品種改良と普及、電気炊飯器の発明、稲としての日本人と学校の給食、農業とTPP、政治と国際化まで触れて、中でも日本の餅は粘り気のある食文化の特質があることを指摘した。韓国の餅は中国大陸の北方の粉文化のものの特徴があり、日本の餅は南方の粘り気のある南方イモ文化からの影響があると説明した。
 引き続き餅作りの実演を行った。海龍食品の朴仙容氏がシェフの片山氏とドイツ文学専攻の小倉在住の赤毛氏、中国人民大学教授の金氏などが餅作りの準備に加わった。メニュはシリトック(蒸餅)であった。シリは韓国の蒸し器のシル、トックは餅を意味する。実演状況を権藤氏が終始カメラで録画して、この文化論講座をまとめてメディアに紹介することとした。蒸して出来あがったシリトックを30人余(登録者36人、飛び込み1名)で試食をしながら自己紹介が行われた。韓国文化、特に食文化が好きな人、韓国旅行をしてみたい人が多かった。この講座の受講生の希望者と来週末にはソウルへ、板門店の文化探訪旅行を実施する。冷えた日韓関係とは全く異なった暖かい「楽しい韓国文化論」は実行されている。
 赤毛氏はこの夏韓国釜山大学校の語学研修に10週間参加して来たという。200余人が韓国語を受講、授業料16万円、貸し部屋6万円など時間と費用を掛けて語学研修する人が多いという話である。日本から韓国へ、また一方中国人民大学の金教授は小倉の日本語研修に来ている。語学研修の交流はよく行われている。私はただ善意をもってボランティアのように始めたが将来は文化論講座や語学研修院として受け継がれていくことを希望する。いまその協力者や後継者を探している。(写真、上は受講生の山尾氏から)

「建前と本音」再考

2013年10月05日 03時49分30秒 | エッセイ

 日本では「建前と本音」が一般化されており、嘘をついても「建前」を持って弁明する人が多い。本音は隠されるもの、プライバシーなどの名目で事実、真実を隠し、否人間の存在さえ隠そうとするような極端な風潮がある。出生届、死亡届も出さなくても良いのかと皮肉を言いたいほど存在感を持ちたがらない人がいる。生まれて生きることに感謝し、堂々と存在感を見せるべきであろう。9月24日下関の名士の一人の林三雄氏が91歳で亡くなられたとお聞きした。遅ればせながらご冥福をお祈りする。存在感のある人がただ静かに世を去ったのである。
 日本では事前にいろいろな打ち合わせ会が行なわれている。最近私は忙しく演壇に立ってから考えることさえある。打ち合わせなしで行事を行う場合もある。若い時鏡の前で練習したり暗記したりしていた時とはあまりにも変わり、反省している。時々打ち合わせ会に参加して感じることが一つある。会議は内緒であり、それが公開するものとは異なることもある。特に失敗したことの事後処理のために議論する時、弁明や嘘をわざわざ作りだすように話が流れることがある。その時私は一喝、「嘘を作ってはいけない」と言ったことがある。打ち合わせ会は謀議、秘密会議、作戦会議、対策会議など多様ではあるが、基本的には純粋な「準備会」「反省会」であってほしい。
 続報、98歳の小山正夫氏が日中戦争を証言してくださり、ドキュメンタリー映画を作ることができて彼に感謝している。この証言は私の文化人類学研究の現地調査から出来上がったものである。証言を視て建前と本音を検証する時間になってほしい。試写会に来られた竹下一氏が「長周新聞」(2013.10.4)に映画の真意を分かりやすく報道してくださった。

最低の日韓関係を逆上する

2013年10月04日 04時49分19秒 | エッセイ
 日韓関係が最も冷えた話が耳に届いた。韓国慶尚南道の教育庁によって慰安婦の証言のある教育用(?)DVD付けの日本語の教材を手に入れたのが数日前であった。教育用とは言えども政治的な意味を持つように思われるのは当然、教育庁の長である教育監の来日イベントが日本側によって中止されたと聞いた。このような日韓関係の凍った氷を溶くような話を持ってきた人がいる。慶尚南道から下関中等学校に派遣された教員の張ホンソク氏である。彼はボートレースの国家選手もした人でスポーツで日韓交流を提案してきた。このような時にこそ、そのような交流が望ましいと大歓迎して東亜大学学長にその旨を言い、実行のために話し合った。
 小倉在住の朴仙容氏が来られた。彼は福岡県が韓国釜山との交流で発展している状況に詳しい。政治家の喧嘩のようなこととは異なり、民間レベルでの交流はそれほど変わりはないという。明日彼が東亜大学で「楽しい韓国文化論」講座の講師として「餅作り」の講義を行う。その打ち合わせ会に彼は餅を持ってきてメンバーたちと一緒に試食した。5人の味感では日本の餅ではなく、お菓子のようであるという。韓国の餅、日本のモチの差の意味を私が稲作文化と関連して語る。最低の日韓関係を逆上することになろう。

韓国の「恥文化」

2013年10月03日 05時26分57秒 | エッセイ
昨日「小山上等兵が撮った日中戦争」の2回目の試写会を終えて証言の中に出た地名をめぐって長く討論した。前回も長く議論したことがあるが、昨日は私と圧倒的多数と意見が対立した。私は98歳の人の証言はそのまま残したい、それを変声やサイレントなどで手を加えないこと、固有名詞はモノの存在を意味するなどの理由でその地名の実名をそのままですることを主張した。しかし強い反対の壁にぶつかった。プライバシーを配慮すべきだという意見が多かった。結局全員と私が対決する形になった。多くの写真と戦争体験を語るすばらしい人であり、その縁故地の人にとっても名誉にもなりうることや、「慰安」とか「売春」などは今の時点で「恥ずかしい」ことかもしれないが、重要な価値基準ではないと対立した。討論は「恥」の根本的な意味に迫った。
 戦争中には「慰安」「売春」などは今の平和な時代とは意味が異なっていた。韓国人よりもっと圧倒的多数の日本人女性はソ連軍などにレイプされたことをあまり表現はしていない。それは日本の恥文化だともいう人もいる。しかし昨日唯一の韓国の女性学者が討論に参加して、韓国のいわば慰安婦たちが堂々と「慰安」を語って歩くのはなぜだろうといった。ある慰安婦は「一日に40人以上の軍人と寝た」と言っていた。恥は性だけではない。人生そのものが恥との戦いともいえる。伝統的には卑賎民とされた「醜業」として職業差別をされたが今はほぼなくなった。性と軍の問題は世界的な現象であった。軍の存在の意味さえ問われている。結局私は敗北し、笑って別れた。

試写会

2013年10月02日 05時27分36秒 | エッセイ
 昨日私の監督の映画「文化人類学者の記録資料~小山上等兵が撮った日中戦争」(40分)の試写会を行った。私のもう一つのメールでは間違えてしまい今日(2日)にも行うつもりである。4人の記者と少数の関係者と一緒にみて討論した。高齢者の発音、方言を聞きとれない、効きにくいという話、「慰安室」の話は日本軍との関係について軍の内、外が一貫していないので記憶の信憑性などに疑問を持たせたような意見もあった。証言をノーカットで流して視聴者が自ら判断するような映画の趣旨が伝わりにくく、私の解説を求める話もあった。ドキュメンタリー映画としては成功していないかと反省もなくはない。しかし「慰安室」の写真とそれを利用した当本人が証言したことは唯一なものであり、貴重なものと思う。今日は字幕を資料として提供してみる。軍の外側にあった遊郭のような施設であるか、内部の軍の下部組織であったかは直接見て判断してくれるよう願っている。証言の一部を紹介する。

Sあらっ これは何ですか? これ慰安室というのはなに?
K慰安室というのは慰安室 ふっふっふふ
S病院じゃないですか?
K女と一緒に寝るところ
S女と一緒に寝るところだって
Kふっふふふ
Sああ そんなところがあったんですか
Kそりゃ ありいね 部隊じゃが
  慰安室って書いてある 堂々と… だから強姦はしちゃいけん
Sああ、強姦はしちゃいけん
Kうん
Sああ、だから現地の女の人を強姦しちゃいけない
Kあは
s軍隊の専用の慰安婦さんみたいな女がいた
Kはあ そんでな 将校は将校の女の人がいた
S将校は将校用の慰安室があった
K将校のところはな 行っても 金が高くて入れんかった
S高くて入られん
K将校の人たちはなた別
S将校と兵隊さんは別々
K将校と兵隊さんは給料が大違い
S給料がちがうからねぇ
 ああ これは じゃあ 女の人と寝るところなんですね 
 病院じゃなくて ああ 私 病院だと思ったけど慰安室…
 慰安室と書いてある ああ で この人たちは何でこの真ん前で …見張りをしているんですか 何をしてるんですか 何でここに立って写真をとっているんですか
Kそりゃあ ・・・
g順番待っているんでしょ
S順番待っているの 
K順番待ちだよ
S順番待っているんだって
Kそれがな
S軍隊の中でしょうこれ
Kああ 中 それがな 上陸してから わしゃ一番たまげたのはな 慰安所に行ったら慰安婦の中にここの者がおって
S慰安婦の中にここの人がいた 
K都合悪ぃてな
S ---- そりゃあいかんね
g これってすごい写真ですよ こういのが残っているって
Sすごいねぇ
KW こりゃあ また問題になる
S問題になるかね 奥さんね ほんとねぇ
K私しゃ行かれん
Sいかれんよね …ん そうだねぇ
Kwこりゃあはずしてもろうたほうがええ
Sでも慰安婦さんたちは中国の人もいたんですか
Kは?
S中国の人もいたんですか 慰安婦さん 女の人たち
Kそりゃあ あるいね
Sああ じゃあ
K中国の慰安所 許可、受けちょる
S許可受けて
Kはあ
Sああだからその… 選ばれてというか、ま、決められた人たちが来ていたわけね
k 自由に
S自由に
Kふっふっふふ
崔 韓国人、朝鮮人はいなかったか 
s朝鮮人はいなかったんですか 朝鮮の人もいた?その時・・・
 中国人と日本人と、ここの人と
Kえへへへ
Sああ 韓国の人…朝鮮の人はおらんやったですか 
K そりゃあ おらんということはあるまあがな
Sああ おらんかったことはなかったでしょうって
Kいたでしょう
KW問題になっているから
s 問題になってしますね 問題になっているから
崔それ どう思いますか?それどっち 軍隊が 日本の軍隊が…
S日本の軍隊が連れていったんですか?軍属として連れていったんですかね 女の人たちを  
 …
Kああ 命令はな 許可を受けるのは軍隊 命令したのも軍隊
S遊郭みたいなものはなかったんですか 遊郭というか 置屋みたいな 商売でやっている人達はおらんかったですか
Kw遊郭
K遊郭
S遊郭
K…
S女郎さんはいなかったんですか
K知らん
Sそりゃあ 知らん
kわしゃあ 下の方じゃけぇ わからん
s 軍隊の中におったんやね じゃね
Kはあ…
Sこれまたびっくり
K中国の人はな、日本人好きと思ったら仕事に出ても一緒になっとった
S日本人もいたということですね。日本人も連れていったって
K量は少々のもんじゃないわな
Sいっぱいいた ここの人もいた
崔どういう人がいたか
K、はははは、、小山さんと言われて
S小山さんっていわれたって いやあ ちょっと 
崔お金は払うんですか
K知った者同士は出来ん 
sそりゃあできんよね
Sその時に軍票か何か使ったんですか
Kはあ
S女の人たちと寝る時はお金を払ったんですか
Kそりゃあ払うぃね ああ 払わんで そういうことをしたら日本の軍隊にやられる
Sああ だからちゃんとお金を払ってした お金でした? 軍票というのかあったでしょ
Kああ 軍票
S軍票を使ったんですか お金も使ったし軍票も使ったんですか
Kもうね 日本の金はない 
s軍票 軍票でまにあったんだね
Sああ だからお金も使ったし、軍票も使った
Kもうね 戦地には日本の金なかった
Sああ だから全部軍票だったんですね 他の物を買う時も軍票
Kはあ?
S他の物を買ったりする時も軍票?
K軍票
Sだから女性だけじゃなく何でも買う時は軍票
Kお金は使えん
Sその当時 女の人たちは何人くらいいたんですか?
Kはあ?
S女の人たちは何人くらいいたんですかね
Kそれまでは分からん
Sそれまではわからんですか・・、 そうだろうねぇ
Kとにかくいっぱいいた わしゃ たまげたのは 天津にきてから、 天津におる時なあ 女の人が抱きついてな キスを キスをしよる たんまげたなあ わたしゃあ
S女の人から抱きついてキスをしたって、びっくりしたって
Kそれからきたなぁというてな 口をゆすいだ そりゃあ はじめてのことで たまげて
Sそりゃあびっくりするわね
Kはあ わしゃな女郎などそのようなことしちょろんからな知らんからそういうことはわからんやった
Sそうよね それは最初びっくりするわよね そんなことされたらね
崔最近ニュースを聞いてどう感じますか
S最近あれでしょう ニュースであのー 慰安婦のことが問題になっているじゃないですか ニュースですね
K心配してる 戦争の責任 それは戦争が悪い おりゃあ一人で来たわけではない
Sそうよね 一人で来たわけじゃないからやっぱり連れてきた人たちの責任 でも軍隊が募集して連れていったんですかね 軍隊で
Kへへへ 軍隊について歩きよった
S軍隊について歩いてたんですね これは軍の施設でしょ(この時慰安室の写真)軍の中にあるんでしょ
Kいや 外
Kそりゃあ 戦闘の済んだ後
S戦争が終わった後
K戦闘が終わった後
Sこの慰安室は軍隊の中ではなく 街にあったものですか
Kああ まち まち
S街の中? 軍隊の中じゃないのね
Kはあ
Sこの慰安所の経営をしている人は誰、軍隊?
Kそりゃあ 中国人
S中国人
Kうん
Sああ 中国の人
K地方の人
Sああ 地方の人、日本人じゃなくて・・・日本人、日本人もおった
K中国人もおったけぇ
Sああ そうなんですね ということは女郎さん 遊郭みたいなところ
Kああ はよう言うたら遊郭
S遊郭 遊郭だって これが遊郭って書いてなくて慰安所、慰安室って書いてあるんですね
Kありゃな ありゃあ書いてあるのは公のもの 公に…