崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国の「恥文化」

2013年10月03日 05時26分57秒 | エッセイ
昨日「小山上等兵が撮った日中戦争」の2回目の試写会を終えて証言の中に出た地名をめぐって長く討論した。前回も長く議論したことがあるが、昨日は私と圧倒的多数と意見が対立した。私は98歳の人の証言はそのまま残したい、それを変声やサイレントなどで手を加えないこと、固有名詞はモノの存在を意味するなどの理由でその地名の実名をそのままですることを主張した。しかし強い反対の壁にぶつかった。プライバシーを配慮すべきだという意見が多かった。結局全員と私が対決する形になった。多くの写真と戦争体験を語るすばらしい人であり、その縁故地の人にとっても名誉にもなりうることや、「慰安」とか「売春」などは今の時点で「恥ずかしい」ことかもしれないが、重要な価値基準ではないと対立した。討論は「恥」の根本的な意味に迫った。
 戦争中には「慰安」「売春」などは今の平和な時代とは意味が異なっていた。韓国人よりもっと圧倒的多数の日本人女性はソ連軍などにレイプされたことをあまり表現はしていない。それは日本の恥文化だともいう人もいる。しかし昨日唯一の韓国の女性学者が討論に参加して、韓国のいわば慰安婦たちが堂々と「慰安」を語って歩くのはなぜだろうといった。ある慰安婦は「一日に40人以上の軍人と寝た」と言っていた。恥は性だけではない。人生そのものが恥との戦いともいえる。伝統的には卑賎民とされた「醜業」として職業差別をされたが今はほぼなくなった。性と軍の問題は世界的な現象であった。軍の存在の意味さえ問われている。結局私は敗北し、笑って別れた。