崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

秋晴れ

2013年10月14日 05時12分34秒 | エッセイ
 朝食はソウルの韓国伝統的なヘイジャンクッにした。ヘイジャンとは朝の食事の前に簡単に食べるもの、クッはスープのことである。中心地の清津洞はその食堂街として有名である。しかし行ってみると高層ビルが建築中でその面影がなくなっており、ただホンジンオクという食堂だけが残っていてさびしかった。その食堂で食べるしかない。食べ終わってからヘイジャンクッとは何かを説明をした。牛の血の料理である。韓国語で血をソンジといい、これをソンジクッともいう。昼食は有名な「土俗亭」にサンゲタンを食べに行ったが待っている行列が長く外まで続いていたので諦めて、その裏通りのカゴパで牛の頭のスープと腸詰を食べた。帰国後の今週末の講座「焼き肉文化」の事前実習のような食事になった。
 朝鮮総督府庁舎が破壊された広場で復元された宮中「御前儀式」の警護隊のパフォーマンスを見て故宮博物館を見学した。青瓦臺ー景福宮ー光化門ー南大門へ一直線の大路が整備され、世宗大王と李舜臣の銅像が韓国文化の中心地を表す。光化門路の広場のフリーマーケットで中国産のなつめを買って皆に味わってもらった。後でホテルで拭いてみるとかなり汚れていて、配ったのが気になった。総督府庁舎を破壊して広場にし、その一角に新しく博物館を建てて、道路の真ん中を広くして、古い汚ない川を清流にしている。私は復元地、復製品ばかりをみて、歴史を失った感じがした。韓国は伝統文化を尊重するといいながら伝統文化を壊して新しく創りなおす。「偽りの古り文化」、ホブスバンムが言った『伝統の創造』否、「伝統の捏造」である。国宝1号は火事で焼かれて新しく古っぽく立っているのを見た。私が知っている限りの韓国歴史の遺物、過去は今はもうすべてが捏造物のように感じた。
 韓国は「変わる」。それに比べると日本は「変わらない」と感ずる。私は日本ではいつも変わらないことに不満を感じている。変わらなくては発展はしない。いろいろアイディアの助言をしても変わらない。考えてみると韓国は「変わり過ぎ」、日本は「変わらな過ぎ」に感ずる。伝統文化は変わるものである。新羅の王冠は使わない。古いものを使い捨て新しく創るのは当たり前。この変化の力で韓国は世界的に知られる発展を成し遂げてきた。仁川に行く時の運転手さんは日韓関係が悪くなって日本からの観光客が減っていると言った。板門店旅行者も多く減っているといわれた。運転手さんは東京オリンピックは歓迎すべきではあるが、投票日に日本の水産物を禁止したのは日本が放射線問題を隠しているからであると弁明を語った。彼は安倍総理は東京電力の話とは違ったことをいう嘘つきではないかとも言っていた。昨夜全員無事に帰国し感謝である。我が夫婦は留守番の愛犬に迎えられた。