崔吉城との対話

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「しものせき映画祭」フィナーレ

2013年10月28日 05時10分13秒 | エッセイ
 朝、映画祭の準備の様相をみて東京などから来られたゲストたちに挨拶をして教会に出席した。教会では教会員の法事の昼食会、急いで映画祭に参加して全体のフィナーレまで席に座っていた。東亜大学の創立者の友人の原田氏も朝から晩まで一緒であった。何にしても最初から最後まできちんとされていることから彼が社会的に責任感を持って成功したわけがわかった感じがした。また中には満洲映画協会に勤めた曽根崎明子氏もいた。去年より観客数も増え質も増していると評する。
 午後の部では木下監督の「月は昇る」と2本のドキュメンタリー映画であった。一つは大阪府知事選挙の立候補者たちの選挙活動を追っている「立候補」である。映画の大部分はマック赤坂の変人に絞られている。マック赤坂が主人公のようになっている。彼は奇抜なパフォーマンス、マスコミと対立、駅前の交通量の多いところでスマイルダンスをして周りの人に迷惑を掛けては警察と衝突した。選挙の結果は最下位落選。何のために300万円の供託金を出して立候補したのか、問題作として考える。選挙は民主主義の「核」とも言える。独裁国家から見ると民主主義の堕落と言われるかもしれない。しかし選挙は立派な社会劇である。刑務所から犯人だった人が出て大統領になり、メディアの人、大衆タレントさんたちの政治家への変身など良い舞台である。私はこれを見て公正公平を名目飾りにした法律を逆利用して変人が暗躍できる日本の大衆民主主義の堕落と民主主義の限界を感じた。その点考えさせられる映画である。
 もう一つは妊娠出産をめぐるメッセージ性のつよい豪田トモ監督「うまれる」という映画である。妊娠から出産の過程で夫が父親としてなっていくこと、命の大切さ、そして幸せな家族を作っていく。少子化社会へのメッセージが数多く、医師、看護師、助産師、社会福祉関係者などのスピーチが過度に出ている。政府の新しい「国策映画」のようにも感じたのはその所為であろうか。今度の映画祭の重要な企画者である河波茅子氏の息子さんのゴスペル歌手の浩平氏の挿入歌を歌ったのも讃美歌のように聞こえた。「しものせき映画祭」は彼の生出演で立派なフィナーレを飾った。参加者、報道して下さったメディアの皆さんに感謝である。有難うございました。

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