崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

桜山神社

2011年01月04日 06時28分00秒 | エッセイ
元日の雨中に下関の桜山神社を尋ねてみた。他人には初詣のように見られたかもしれない。しかし日中の時間でも参拝客は一人もおらず、寂しかった。この神社は奇兵隊の調練場跡でもあり高杉晋作の発議によって1865年に創建された招魂場で、戦死した者、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋らの霊も加えて、400人ほどの志士が祀られている。招魂場となって以後、桜を植えたことから、桜山と呼ばれるようになった。戦死した無名勇士などを「神」として祀る「招魂場」の発想は靖国神社へ受け継がれていったという。
 「無名勇士」を祀るのは近代国家のナショナリズムとして強調されるが、雨の中とは言っても参拝客が一人もなかったのはどういうことであろう。赤間神宮の前を通ったが参拝客で混み合っていたのとは対照的であった。神社に行く人はナショナリズムによるものではなく、祝福を得るためや習慣や信仰によるものであろう。靖国神社に行く人の多くも愛国というよりはただの慣習や信仰によるものであろう。それを政治家たちや一部の人が政治的に利用するだけであろうと思う。ナショナリズムにおいて日本はまだ健全であろう。