崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

変節か、遍歴か

2011年01月28日 05時47分47秒 | エッセイ
 三顧の礼、日本では初めて聞いた言葉である。私たちの世代の韓国人であればよく口にする故事成語「三顧草廬」である。劉備が諸葛亮を迎えるために三度も草廬にたずねたことに由来する。国会で菅総理が与謝野馨氏を閣僚に起用したことに自民党や野党から非難されたとき三顧の礼という言葉が出た。また与謝野氏が昨夜テレビ生放送に出演して「変節か」といわれて自民党から推薦されて当選したが、当選した以上は国民の代表であり、党の代表ではないと答えた。まるで孔子の遍歴を思わせる言葉のように聞こえた。孔子は魯を去ることを決意、採用してくれる国々を求めて諸国を遍歴した。苦難の連続であったが、強い自信をもって難局を乗り切った話を聞くようであった。孔子は官職に誘われても断って弟子の教育に専念していった。私は中学生時代に「三顧草廬」を学んで座右の銘としてきたが菅と与謝野の話を聞いて日本では異様な雰囲気さえ感じた。
東亜大学の2年生坪根寛樹君が「韓国の開発独裁」について発表をして意外であった。朴正煕大統領は頑固な性格で軍事独裁をして、人権問題を多く出したことは周知であろう。開発と独裁はどういう関係だろうかが問題点であろう。彼は信念を持って日韓国交正常化、高速道路建設など国民から大反対されても進行させた。彼は一番信頼する部下から暗殺さた。今は歴代の大統領の中で一番尊敬される人物になり、彼の娘が大統領になろうとしている。彼は死語高く評価されている.私はi今国会でヤジと拍手をする議員たちの態度とは程遠い孔子語r録を思い出す。マスコミ主導の世論政治には失望している。