崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「毎日新聞」(全国版)に論説を

2011年01月11日 05時26分31秒 | エッセイ
毎日新聞(山口版)に2年半リレーエッセイを書いたが、今度論説の寄稿依頼があり、今朝(2011,1,11)の朝刊に出た。

地方発 「地方大学は生き残り策」

 北朝鮮の砲撃事件の後、韓国の晋州市にある大学などを数か所訪ねると、キャンバスは活気に満ちていた。危機感は全く感じられず、話題に挙げてみたが話にには乗ってくれなかった。主な話題は中国の発展と「韓国の世界化」だった。相手は米国で学んだ経済学者だったが、中国の経済に追い抜かれた日本を“日本沈没”のようなイメージで語っていた。私は、日本では高齢者に対するバス運転手の配慮、道路と歩道の段差なくすバリアフリーなどが進み、経済面ばかりではなく「生活の質の高さに注目すべきでは」と付け加えた。隣国の韓国であっても、経済の一面だけをとらえて論じられていた。
 東亜大のある下関に住んで6年。地方の疲弊を痛感している。山口県は「総理多産県」だが、全く政治的恩恵は感じられない。都会から地方へ流れた歴史、「馬と牛は田舎へ、人は都会へ」という、まるで韓国の諺のようだ。とても残念である。
 政府はそれなりに地方の活性化の政策に取り組んではいるが、大都会中心の政策が外郭まで及んでいるだろうか。地方でも超現代的な建物を建てることはできても、知的な人材をそろえることは難い。地方には人材が少ない。地方には住んでも都市向き志向の人がなんと多いことか。単身赴任型の人間に地方発展など託せない。地方に派遣された官吏は、ただ与えられた仕事をドライにこなすだけである。
 都市の格差は知識の不均衡にもつながる。地方がいつまでも「辺鄙」であってはならず、知的分散、平準化が必要だ。それは地方大学の活性化によらざるを得ない。対都市化ではない、「ローカルからグローバル化」へ発信すべきことの模索が急務である。
 かつて下関市は大陸への連絡船の玄関港である重要都市の一つであったが、戦後は対岸の福岡市や北九州市への人口流出続く。今、下関を含む地方の大学は過疎化、少子化などで経営難に直面。地方の大学が消滅していくのは自然であろう。そこで東京中心の大学の在り方を見直し、アジアへ目を向けた国際化こそ、日本の地方大学の生き残り希望を見出せると考える。
 独自の研究に取り組み、時代の求めに即応した学科を設けるなど特色ある大学づくりは言うまでもない。そこで東亜大学は国家資格が必要な理美容に着目した。4年かけて実技、理論、経営などを学ぶトータルビューティ学科を07年度に設立。今では美意識の高い韓国や中国からの留学生が学び、韓国や中国から東亜大に提携を呼びかけられている。地方大学はプロの人材育成や人的交流にこそ生き残り策のポイントがあるのではないか。受身的に待つのではなく、ローカルとローカルの国際化に向けて地方の大学が主導的役割を発揮すべき時に来ている。
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