崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

スポーツでもそれなりの教育

2011年01月30日 06時38分50秒 | エッセイ
4年生たちの卒業論文発表会に参加して質問やコメントをした(写真)。座長も教員たちが務め、進行も良く、さらに内容の良いものもあってよかった。教員と学生たちの熱心さに私は希望をもちなおした気分であった。この大学に赴任以来「名門化」の方法を考えた。特異な分野で少人数教育、入試よりは卒業に焦点をおくべきだと。地方の多くの大学は今経営難であり、経営方式だけ立て直そうとする。私は基本的に教育は教育方式で立ち直おすべきだという信念を持たなければならないと思う。そこには奇跡が起きるかもしれない。
 早寝をする私が深夜のサッカー・アジアの日本とオーストラリアの決勝戦をみたが、延長戦でオーストラリアを破った李のシュートで優勝が決まったその瞬間に居眠りしてしまったことは残念であった。ある瞬間やチャンスを居眠りで見逃すことは失敗者の本質だと思っている私の失敗であった。韓国と準決勝戦の時、本欄で触れたように私はどちらの方を応援する気持というより関心や興味を持って見るので「日本が勝って…」ということではない。身長など身体的に有利な白人との決勝戦でそれらを克服した意味は大きい。体力、戦術、練習などにより勝利したことである。つまり先天的条件を学習によって破ったことである。私はスポーツでも、なんでもそれなりの教育、学習によって力を引き出すことができることを確信している。



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