崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

コンピューターの寿命

2011年01月27日 06時12分35秒 | エッセイ
 東京で出版される原稿の執筆には全力を尽く、解放感を感ずる暇もなく次の執筆にとりくもうとしている。しかし、5年以上愛用したパーソナルコンピューターの液晶画面が数日間点滅し、昨夜画像が完全に消えてしまった。老衰して亡くなる臨終を見た感がする。著書、論文、記事、ブログなど数多く、多量の文章を書いたり講義などで映像を見せたり海外に持って歩いたのに寿命とは思うが、とても残念である。他のコンピューターに大部分の資料を保存しても多くのソフトは移動できない。人が死んで残せるものと残せないものがあるようなものである。
 私のコンピューターは脳の一部であることを痛感している。物が身体の一部にもなりうる。メガネなどは体の一部のように感ずる。人によってはかつら、義足、入れ歯、補聴器、ペースメーカーなど物が肉体の一部になっている。生物と無生物、有機物と無機物などを区分しているがそれが調和するようなロボットが活躍する時代になっていくだろう。コンピューターに精神がある。物にも魂があるという信仰を思い出す。韓国には使い慣れている箒などがトケビという幽霊になるという昔話がある。ロボットと幽霊が混同する。

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