崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

アジア向けの交流へのチャンス

2011年01月12日 06時03分28秒 | エッセイ
 今日のブログはメインテナンス作業で書くのが遅くなった。読者には申し訳ない。
 
 昨日「毎日新聞」の朝刊に寄稿した拙稿に関する読者からの反応があった。中には大学の創立者からのもあった。読者が訪ねてくるとのことで、アポイントも取っている。楽しみである。新聞の寄稿内容は都市中心の行政への批判と地方の人に勇気を持ってほしいという趣旨で書いたので内容には物足りなさがあるかもしれない。読者によっては「見る」、「読む」の差があるようである。実は紙面では書けなかったが、地方の大学の生き残り策の主要なことは教育改革と思っている。組織などの改編があり、人事の再編成はあっても人の本質を変えるのが教育の本質である。それは難しくてもやらなければならない。オバマ大統領の言葉で一気に流行するようになった言葉がチェンジchangeである。しかし人はなかなか変わらない、変わりにくい。人はショックや試練によって変わることがある。大病、事業や人間関係で失敗した人が飲酒や放蕩生活をするようになるか、立て直すかは天と地の差であろう。
 私の人生はほぼ大学生と学び、そして教えることである。高校までの教育は知識伝達式であり、子ども時代の知識にプラスして教養を重ねて、高めてきたと言える。大学は違う。物事の本質を考え直して、自我中心から他者へ、人類への関心の拡大もその一つである。先生は研究者でありながら教育者にならなければならないと思っている。知識伝達はコンピューターでもできる。その情報はネット上簡単に得ることができる。しかし、人格的な影響は対面、討論などが必要である。それを運用しようとするエネルギーー、意欲、生き方などの教育を目指すべきであろう。その意味で日本の少子化は質高い教育、アジア向けの交流へのチャンスであろう。