崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「我が正月」

2009年01月26日 06時59分36秒 | エッセイ
今日は韓国の正月である。23日毎日新聞朝刊に「二つの正月」というエッセイを掲載した。以下全文である。

今年は1月26日が旧正月である。韓国では旧正月を「我が正月」といい、祝う。韓国だけではなく、広く中国文化圏、ベトナム、モンゴルなどにおいては最大の名節として旧正月がお祝いされる。中国では旧正月には帰省者が2億人近いという。韓国でも2千万の民族が大移動するとも言われる。旧正月とは中国式の陰暦によって新年の始まりの元旦を意味するものであり、古くは日本をはじめ中国の影響によって正月とされてきた。韓国人にとって日本をはじめ世界的に広く祝う1月1日の正月はただカレンダー上の年始であり、名節という実感が薄く、「日本の正月、倭ソル」という。
日本は明治以来西洋の陽暦に変えてきた。いわば日韓合併以前の朝鮮王朝も1895年にそれを採用し始めた。その後日本植民地政策によって引き継がれていた。しかし朝鮮民族はその政策に抵抗して新正を日本の正月「倭ソル」だといい、旧正を「朝鮮ソル」「我が正月」といい、守り続けた。
戦後韓国では李承晩大統領も新正をまもる政府政策を一貫して実行した。人によって旧正を守ることが愛国者のように主張したが、朴大統領は旧正を旧来の因習に過ぎないと、新正の政策を守ってきた。そこで両方とも守るかどちらか一つを守るようになり、新正優先の「二重過歳」現象が起きた。全斗煥大統領は旧正も名節休日として旧正中心の「二重過歳」を制度化した。日本では西暦と日本の年号を組みあわせたのと同様である。それぞれ西洋化とナショナリズムを反映している。
新暦はカレンダー、旧暦は名節などの組み合わせになっている。新正は日本植民地政策によって始まったように誤解されているが、それは事実ではない。ただ日本の政策が強制的であったことが抵抗を招いたのではないだろうか。