崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

成人式

2009年01月13日 04時25分57秒 | エッセイ
昨日の成人式は例年より静かだった。子供から大人への変わり目、最後の子供っぽい幼稚なことをしてみせる乱暴な行為が放映され、一時的に許されたのが例年のようであった。成人式も「成人」したようである。成人の時点は不分明である。幼虫から蝶に変わるような変化や変わり目が人にははっきりしていない。ただ20歳という年齢や法律で決めてあるだけである。15歳前後に、キリスト教やイスラム教では割礼などを行う社会もある。
 儒教社会では伝統的に冠礼、冠服式を行った。しかしそれはキチンと守れず結婚式が代わりに機能していた。結婚していない人は未成年のように思われた時代もあった。幼虫からの変身や蛇などのように脱皮するようなことはできなくとも、法律的に成人になることは大きく変わる意味がある。人は自ら変わったことを身体的に表現することがある。失恋の時に髪型を変えたり、罪を償うために指を切断したりする。キリスト教では今までの自分から生まれ変わるために洗礼、浸礼を行う。人生観を変えたことを意味する。しかし自分が生まれ変わったと言っても他人は自分の過去を記憶していて変わってくれない。
 私の子供時代を知っている故郷の年配の人は私が泣き虫だった私の子供時代を記憶をしている。したがって故郷とは懐かしいところであり、変わっていない幼虫の時代に固定されているところでもある。人の成長を見てあげる既成人のための成人式かもしれない。