崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ハドソン川に不時着

2009年01月17日 06時26分33秒 | エッセイ
昨朝5時半ごろ、米ニューヨーク市のラガーディア空港を離陸直後のUSエアウェイズのエアバス型旅客機がハドソン川に不時着水したということでCNNでその事情を見守った。機体は川に浮いた状態となり、ニューヨーク市消防当局や沿岸警備隊が救助船を派遣し、民間の船も協力して行われた、超スピードの救助活動に感動した。乗客150人、乗務員5人が、約1時間20分後、全員が救助されたと発表した。それは指揮統制による命令によるものとは思えない。いずれにせよアメリカ式平和と隣人愛への積極的な構造と肯定的にみても良いと思う。
 数時間後小規模なブッシュ大統領の離別演説が行われた。その演説の直前に不時着救助成功は朗報であり、彼によい離別のプレゼントのようなでき事であった。彼は大統領就任と同時に「悪の枢軸の国家」を発表してニューヨークのテロから、イラク戦争など、戦争の大統領、戦争のアメリカのイメージを作った。昨日の不運な事故だったがアメリカへのよいイメージに繋がったこのことが一方来週初に出発するオバマ大統領へ新しいアメリカのイメージへのメッセージにもなってほしい。

「人は人を作れない」

2009年01月16日 05時38分09秒 | エッセイ
母になった女学生が生後2か月の女の赤ちゃんを連れてきた。早速その子の頭に手をのせて、母の希望する「先生(私)のように…」を「先生以上に…」勉強するよう祈ってあげた。私はまるで牧師や新宗教の指導者、否、シャーマンになった気持ちであった。実際私はシャーマンに祈ってもらって成長したので自分自身の祈りが効果があると正直に信じている。私が心から祈った人が良くなっていくのをみてそう信じている。なぜか自分でも不思議に思っている。
 母になった学生に「この子は誰が作ったか」と突飛な質問をした。セクハラのような言葉に彼女は戸惑っている表情をした。「神様から授けられた」ことをメッセージとして、「人は人を作れない」ことを認識するようにとも伝えた。「母は愛情をもって強くなれ」とか、「母が子供のために犠牲になるのではなく自分自身も発展成熟するように」、等々注文や祈りが交差する時間であった。韓国人でアメリカに留学し、子供を負んぶして立ってタイプを打ちながら勉強してイェール大学で博士号を取得し、その大学の教授になり、息子がその大学を出てアメリカ国務次官をしているDr. Chun Heisungが母親賞を受賞した例も挙げて説教のように語った。

2009年01月15日 04時54分15秒 | エッセイ
 韓国のテレビドラマ「美しい時代」の中で朝鮮戦争の時孤児になり他人に育てられた女性が産みの母の写真を見ている場面で私は突然泣きだしてしまった。感情コントロールができなくなったのである。一緒に見ていた家内ももちろん泣いていた。普通家内がドラマで涙を拭いているのをみてセンチメンタルであり、感情コントロールができない人だと否定的に見ていたのに、自分自身が感動してそうなってどうしょうもなくなった。
 韓国人の男性は老人になると泣く人が多い。最近亡くなった私の友人は長い間脳梗塞で苦労したが、彼は彼の家族と私が一緒にいる中でよく泣いた。私の親族でもそのような人は多かった。私は恩師が亡くなった時お通やでも非常に悲しかったが泣かなかった。コントロールができた。悲しさと泣くこととは必ずしも一致することではないことを実感した。泣くこと、泣かせることには刺激要因が必要である。泣くためには悲しさのうえ、発砲させるような起爆要因が必要である。上のドラマは登場人物が泣くより視聴者を泣かせるような条件がそろっている。今は亡くなった母の写真が発砲の起爆点になっているようである。それが涙腺を刺激したのであろう。泣くことをコントロールすることとは別に、老人の泣き現象は悲しさを感ずることで、いうならば成熟していくことを意味するのかもしれない。世の中が「血も涙もない」ドライな社会になっていくのが怖い。

ハンカチーフ

2009年01月14日 06時13分08秒 | エッセイ
 昨日大学に私宛で発送者が「下関市在住者」の普通郵便が届いた。中には小形の四角い布にレースや刺繍をしたハンカチが入っていた。丁寧な筆跡などから悪戯とは思われないが思い当るところがない。若者であれば恋人へのプレゼントと言えるこの郵便は研究室の中でいろいろと面白い話題の種になった。
 私が子供の時、終戦直後にはハンカチーフを持つ習慣はなかった。五日市で行商する人たちが面白い宣伝項目に西洋人のハンカチーフを持って歩くことが不思議と話題となっていた。中学校以後学校生活で定着したと思うが、【handkerchief】の英語をハンカチーフと発音しては誤りでハンカチと発音するように注意された。男が恋人からプレゼントとして貰うロマンチックなものと思われたり、否涙の離別の物とされたりした。日本では私が誤りだと思われる発音の ハンカチーフと呼ばれ、また代表的なプレゼント商品の一つであることは意外である。
この発信者不明の郵便物はロマンティックな想像を呼ぶかわいらしいものである。

成人式

2009年01月13日 04時25分57秒 | エッセイ
昨日の成人式は例年より静かだった。子供から大人への変わり目、最後の子供っぽい幼稚なことをしてみせる乱暴な行為が放映され、一時的に許されたのが例年のようであった。成人式も「成人」したようである。成人の時点は不分明である。幼虫から蝶に変わるような変化や変わり目が人にははっきりしていない。ただ20歳という年齢や法律で決めてあるだけである。15歳前後に、キリスト教やイスラム教では割礼などを行う社会もある。
 儒教社会では伝統的に冠礼、冠服式を行った。しかしそれはキチンと守れず結婚式が代わりに機能していた。結婚していない人は未成年のように思われた時代もあった。幼虫からの変身や蛇などのように脱皮するようなことはできなくとも、法律的に成人になることは大きく変わる意味がある。人は自ら変わったことを身体的に表現することがある。失恋の時に髪型を変えたり、罪を償うために指を切断したりする。キリスト教では今までの自分から生まれ変わるために洗礼、浸礼を行う。人生観を変えたことを意味する。しかし自分が生まれ変わったと言っても他人は自分の過去を記憶していて変わってくれない。
 私の子供時代を知っている故郷の年配の人は私が泣き虫だった私の子供時代を記憶をしている。したがって故郷とは懐かしいところであり、変わっていない幼虫の時代に固定されているところでもある。人の成長を見てあげる既成人のための成人式かもしれない。

信仰と生き方

2009年01月12日 02時18分01秒 | エッセイ
 私は他教会のリーダー2人と3人で話す機会が時々であり、今ではそれが恒例的になった感じもする。昨日はその席で、私が韓国の代表的な牧師の姜元龍氏著『私が信じているキリスト』を紹介した。日本にも広く知られている池明観氏と藤田英彦牧師との対談集も加えて紹介した。彼らは韓国教会の量的膨張には批判的であること。それに比して日本の教会の信者たちの信仰には肯定的だということ。私は彼らの本を読みながら彼らの生き方にはとても及ばないことを反省していると、正直にいった。聖書を知識としてではなく、実践する生き方は簡単ではないこともいった。
 私が巡り合った牧師や信徒たちは一般社会の人に比べて純粋であったが、なかには信仰を借りて悪賢い行動をとる人もいた。ある牧師は人を憎み、高慢であった。その教会を替えても、どの教会もそれほど変わりはなかった。どこでも変わりはない。
 それらの教会とか信徒など自分の外側の問題ではなく、自分自身の生き方の中に信仰をどう位置づけるかが問題である。上掲の著書はその生き方の参考になった。

春蘭

2009年01月11日 04時21分16秒 | エッセイ
 低い気温とは関係なく季節のリズムによって植物は春に向かっている。寒さの中で一鉢の春蘭から新しい芽が5個も出ている。その嬉しさを値段で計算してみる。一芽が千円としたら5千円儲かるというと、家内は商売に関心がないのになぜお金で考えるのかと笑う。狭い空間のベランダや窓際に鉢を置いていることはただの浪費ではないという気持ちからそうなったかと考えてみる。よい服を着ている人をみて美的に鑑賞し、賛嘆しながらその値段も気になることがある。そのように品定めをする女性を品がないと思ったが、自分自身もその心をもっていることを悟った。つまり美の経済性を発見したのである。
 これから春蘭が咲いて素晴らしい香りを発するだろう。春蘭は華麗な花ではないが弧を描くように自然に伸びた葉の中からまっすぐの茎が出て花が咲いて香りを発するのである。美の最高は香水といわれるようにわが部屋は美しい花香で満杯になることを待つ。「春よ、来い」

韓国から飛んできた風船

2009年01月10日 06時46分13秒 | エッセイ
 韓国から飛んできた風船をここ下関小月の清末小学校の4年生たちが拾ったという知らせを毎日新聞社の方から聞いたので会ってみた。韓国釜山の山岳会のメンバーが1月1日に山頂で100個を飛ばしたものが200キロ、玄海灘を越えてきたものである。「拾った人が幸せになるように」という祈りを込めた内容である。この風船に書かれたハングルを直訳してあげると二人の女子小学生は嬉しそうに、韓国に行ってみたいとにこにこした。彼女の母親は韓国ドラマが好きなのでなんと幸せな風船だろうかと言った。
 私は韓国側から風船が飛んできたということを聞いて、北朝鮮に向けたものではないかと思ったので期待が外れて関心が薄れたが、彼女らが嬉そうに話をするので嬉しく、心を動かされた。同行した毎日新聞の新里記者も面白く思って記事として扱ってみたいということで、インタビューを続けた。無特定の人へのメッセージが届く隣国間の交流がますます頻繁になることを祈る。これを書いている途中、毎日新聞の朝刊を開けたら詳しい記事が写真共に報じられている。

下関コリアターウン

2009年01月09日 06時01分36秒 | エッセイ
中国新聞の伊東記者が全7回に亘る「下関コリアタウン」を連載した。一昔前にあった大坪刑務所付近を中心に韓国・朝鮮人たちが住み着いて、現在駅の向い側に集中的に4千人弱がグリーンモルという市街を形成している。その表通りの多くの店がシャッターを下しており、廃れている状況を示している。私は下関にきて東亜大学の金田晋教授にシオンという食堂を案内されて韓国のクッバーを食べて、大坪の辺りを歩き、邸宅の朝鮮系名の表札を見た。高齢の方々にインタビューをして写真とともに拙著(共)に紹介したこともある。
 下関には韓国民団、朝鮮総連の会館、朝銀があり、朝鮮学校、キリスト教会、寺、パチンコ、焼肉食堂、食料品店など朝鮮民族のアイデンティティをもっているものが多く、私は親しく感じている。しかし知らないことも多い。今度の連載から新しく知ったものが多かった。特に在日2世たちが新しく商店街を復興させようとしていることと、精神的支えとしての(朝鮮)寺に関するものである。私はいまだに寺に関しては全く知らなかった。新年にはまず尋ねてみたいと思っている。ただキリスト教会からは取材協力が得られず紹介できなかったというので残念である。また高老たちがよく語っている朝鮮半島から炭焼きに来られた事情はこの連載には抜けているのでできれば次の機会に期待したい。

巨文島の里長から電話

2009年01月08日 07時09分31秒 | エッセイ
 韓国の巨文島の里長から電話がきた。私はこの島に1968年夏に調査に行って以来植民地時代に日本人たちが移住して作った日本村として研究を続けてきている。その村を最初に作った人は山口県の下関市豊浦町湯玉出身の木村忠太郎氏である。湯玉には現在彼の子孫が住んでいる。私が現在下関市に住むようになったこととはなにか深い縁があるだろうか。
 巨文島の人々は戦後一時は日本人村だということで恥ずかしささえ感じていた。その時私は調査団を作ってこの島を調査を続けた。それが韓国で親日だと批判されたこともあるが、今なお「日本村」として調査を続けている。一方この島の人々も近来韓国の反日感情が弛み、観光化が進み日本村であったことを公に表現するようになった。昨日の里長の話によると海洋観光センターを設立するので資料が必要だということであった。日韓文化の交流センターとしても期待したい。

痛み

2009年01月07日 06時37分18秒 | エッセイ
 歯茎の痛みで歯医者に診てもらって苦しかった。「痛み」との戦いや「治癒」は自分自身との戦いの原点である。それはただ痛みとの闘いではない。心の戦いでもある。病気は人を考えさせる。特に重病に罹ったことのある人は自分との戦いで孤独さ、家族の大切さ、自分の人間関係の質を深く反省することもあったであろう。
 戦争の時も自分との闘いであった。治安がなくなり、無秩序状況になり、社会倫理や体面意識が無効になる。その時こそ自分との戦いでもあった。私は今朝鮮戦争の大変だったことを書いている。イスラエルとパレスチナで激しい戦争が続いている。表面的なものしか伝わってこない。そこには人間失格の現象も起きているはずである。昔日本留学の前に訳書で読んだ五味川純平の『人間の条件』、また日本で徹夜して鑑賞した映画「人間の条件」を思い出す。

下関韓国教育院院長李永松先生の送別会案内

2009年01月06日 06時48分06秒 | エッセイ
 寒さ厳しい師走の候、韓国語教育担当者各位におかれてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。このたび下関韓国教育院長としてご在職4年間の期間中、日本の地域社会において教育関係に多大な貢献をしてこられた李永松先生が来年2月に本国に帰国されることになりました。つきましては、李永松先生の送別会を下記のとおり催しますのでご案内申し上げます。万障繰り合わせの上、何卒、ご参加賜りますようお願い申し上げます。

1.日 時:2009年1月23日(金)
①送別会記念講話 14:00~16:00  
  李永松「韓国語と私」、崔吉城「離別の意味」
②送別懇親会 17:00~18:30 
2.場 所:下関にあるプラザホテル

嫁いだ娘のような弟子に会い

2009年01月05日 05時51分58秒 | エッセイ
 20キロ離れた所に昔の弟子が牧師夫人をしいている在日韓国教会の新年礼拝に出席するために充分時間的に余裕をもって家内の運転で家を出発した。地図を見ながら以外に早く近くまで着いた。近くまで来ても、以前の記憶では探せない。電話をかけて聞いたが、それでもわからず、かなり迷った揚句、結局タクシーの運転手に聞いて着いた時は礼拝がかなり進行していた。8百坪の森の中にガラス張りの教会、温室のような講壇などには花が多く、教会の周りも季節の花が植えられており、楽園のような教会である。在日の教会では敷地が一番広いと言う。それより綺麗である。彼女の夫である牧師が説教中立っている背景には森が広がっており調和している。彼は説教の中で迷った私たちに電話で道を教えることの難しさを、牧師としての信仰を導くことの難しさに比喩して語った。夫人である弟子に会ったが、嫁いだ娘に会う気分であった。私は山茶花の花を切って上着のポケットにさして彼女と写真を撮った。彼女は私と腕を組んでいて、家内がシャッターを押した。車が見えなくなるまで彼女は手を振っていた。娘を嫁ぎ先に置いていく父親の心を想像した。 

画像分析

2009年01月04日 06時13分56秒 | エッセイ
2005年12月1日から三日間フランスパリで開かれた世界の日本研究シンポ(代表法政大学星野教授)の英文の論文集が届いた。3年間10回以上校正などを行い、特に名前の表記だけでも煩わしいくらいだった。私の旅券の英文苗字の表記はチェChieになっているが、Ch'oe, Choi, Saiなども使われており、最後には編集者と相談してChoiにした。長い出版過程を経て立派な本になっており、そこに拙文も掲載されていて嬉しい。私は反日思想の中で、敵対意識から日本研究へ転換していく状況について論じた。
 この本には日本人の他にも世界の権威者の論文が掲載されているが、特にフランス国立研究センターの二人の論文が面白い。キブス氏は日本の浮世絵の裸婦と西洋のヌードとの画像分析をしている。ブーシュ氏は日本の漫画を文化商品としてフランスへ流入している状況を分析している。
 この本は全般的に資料の集め方や分析方法に学ぶところが多い。参考までに連絡先の電話番号03ー3264-9682を書いておく。

新年の挨拶

2009年01月03日 07時06分28秒 | エッセイ
 年末ぎりぎりで年賀状を一部送ったが、まだ送れずにいて気になるところもある。海外には粗末になってしまう。それは年賀状の慣習がない国だるからである。クリスマスカードなどが一般的である。韓国や中国には年賀状のような慣習があっても旧暦(今年は1月26日)であるのでまだ時間的に余裕がある。それよりも海外となると自分で境界を持っているように思っているのが不思議である。口ではグローバルと言いながら新年の挨拶に国境を持っているからである。中国や韓国からカードや電話、電子メールなどが来た。彼らこそグローバルな人だと思った。
 日本では年賀状が一般ではあるが、電話による挨拶はほぼない。電話をする時は前置きの新年の挨拶がうっとしく嫌な感じもするので遠慮する。また人に会っても新年の挨拶を欠かせないという負担もある。直接の挨拶が嬉しい面もあるが、負担も感じている。したがって形式的に済ませようとする。職場では新年式などで形式的に済ませる。しかし、年賀状など新年の挨拶は負担のある形式だけではない。音信のなかった人間関係の細い絆を確認する、愛情の表現でもある。形式より積極的にことばを交わすようにするべきであろう。