崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

新年の挨拶

2009年01月03日 07時06分28秒 | エッセイ
 年末ぎりぎりで年賀状を一部送ったが、まだ送れずにいて気になるところもある。海外には粗末になってしまう。それは年賀状の慣習がない国だるからである。クリスマスカードなどが一般的である。韓国や中国には年賀状のような慣習があっても旧暦(今年は1月26日)であるのでまだ時間的に余裕がある。それよりも海外となると自分で境界を持っているように思っているのが不思議である。口ではグローバルと言いながら新年の挨拶に国境を持っているからである。中国や韓国からカードや電話、電子メールなどが来た。彼らこそグローバルな人だと思った。
 日本では年賀状が一般ではあるが、電話による挨拶はほぼない。電話をする時は前置きの新年の挨拶がうっとしく嫌な感じもするので遠慮する。また人に会っても新年の挨拶を欠かせないという負担もある。直接の挨拶が嬉しい面もあるが、負担も感じている。したがって形式的に済ませようとする。職場では新年式などで形式的に済ませる。しかし、年賀状など新年の挨拶は負担のある形式だけではない。音信のなかった人間関係の細い絆を確認する、愛情の表現でもある。形式より積極的にことばを交わすようにするべきであろう。