今回の保存車巡り案件の中でも、今後が非常に気掛かりな物件ですが、公共交通のみでは非常に行き難い場所でもあります。一応最寄り駅は磐越西線の馬下から約3キロ、あと新潟村松線高速バスの安田ICバス停も近いのですが、新潟行では乗車のみ、逆に村松行では降車のみ扱いなので、村松との行き来には使えません。と言う事で、村松駅前からタクシーを飛ばしますが、案の定、施設名で指示しても運転手は分からない模様、なのでGoogle Mapで指示して行ってもらいました。こういう時はスマホの便利さを認めざるを得ません。
何とか到着、村松からだと4000円程度です。涼しい季節なら五泉のレンタサイクルで行くのも良いですが、残暑が厳しい日で、とてもそんな気になりませんでした。
目当てのモハ51は草木に埋もれつつも残っていましたが、休館後10年以上経て、屋根のキャンバスは剥落し、大変残念な状態になっています。ただ、完全管理放棄の放置状態かと言うと、建物も含め人為的に荒らされた感じはありませんし、ほぼ全体が見られる状態になっているので、誰かが敷地の草刈り程度は時々やっているのかも知れません。
モハ11形一族の中で、これのみ台車がモハ41に召し上げられたため、冬鳥越と同形の旧デ1形のブリル77Eを履いています。車輪のスポークが面白い形状ですが、これも予備品として取られたのか、主電動機は欠品です。
モハ51の足元にはパンタグラフが2基置いてあります。これを修復して現役晩年にPS16に振り替えられている冬鳥越のモハ61を旧態に復元して...いや、このモハ51も...
先行廃止区間の駅名標や七谷駅?のホーム上屋、晩年しか知らない方にも懐かしい、村松駅ホームの水飲み台など、蒲原鉄道の歴史を語るグッズが朽ち、草叢に埋もれ行く...
Webサイトも放置状態になっていますし、この扉が再び開かれる日は来るのでしょうか…
今泉のモハ71とクハ10も残念な結末になってしまいましたし、個人で運営する資料館や博物館の継続的運営の難しさを思い知らされる例でしょう。そう言えば個人に譲渡されたとされるモハ12はまだ健在なのでしょうか?
(2017年8月11日 安田民族資料館)