こたなたよりこんなこと

「登場人物」と「人物設定」は「フィクション」です。人物・企業・団体は実在のものとは関係ありません。

弥生時代と弥生文化って?

2014年07月19日 | 博物館・科学館

 先日「かはく」で「太古の哺乳類展」を見に行きましたが、その時に「夏休み時期」が近かったからでしょうか。色々な博物館の企画展チラシや、案内があり、その中で、ウチの母が「国立歴史民俗博物館」が気になったようで、夏休みもまだ初日ですし、何よりもその展示の特性上あまり子供が来ないと思い、本日行って来ました。

 常設展は昨年5月31日に行っていますので、そのときと様子は変わっていないので特に解説する事はありませんが、現在、こちらも夏休み合わせなのでしょうか?「企画展示 弥生ってなに?!」が9月15日まで開催されています。

 さて、「弥生」。この場合大抵の人は「弥生時代」を思い浮かべるでしょう。「縄文時代」の次、「本格的な稲作が始まった時代」で、「縄文時代と違い模様の無い土器を使っていた」印象もあると思います。しかし、ただそれだけが「弥生」なのでしょうか?

 「弥生時代」は「縄文時代後」、だいたい「紀元前10世紀」に九州北部で本格的な水田稲作が始まってから「3世紀」の近畿地方で定型的な前方後円墳が作られるまでの「約1,200年間」続いた「時代」でして、「歴史の教科書」では「稲作」、「弥生式土器」「銅鐸」に「銅矛」が代表的な物とされてきました。この展示では「こうした考えで良いのか?」といった疑問点からはじまります。実際に「弥生文化」の「時間」は地域によって差があり、「1200年~500年」までの長短があります。でも、「古墳」が造られた時代はほぼ同時、つまり「古墳文化」に入る時期はほぼ同じだけど「弥生文化」は地域によっての長短があるので、「弥生文化」の時間が短かった地域はその分「縄文文化」が長かった事になります。しかし、コレは「全国的」ではなく、「利根川より北」を境に「水田稲作文化」はあるのですが「土偶」を使った祭りをした地域があったりするのです。東北地方ではそのように「弥生文化」とは違った独自な文化を持っていた地域がいくつかあるのです。これらは「続縄文文化」や「貝塚後期文化」などと呼ばれており、「弥生時代」が「弥生文化」が全てであったわけではない、様々な農耕文化が存在した事になるのです。

 このように見方としては「水田稲作」を行う人々の文化すべてを「弥生文化」を呼ぶのか、それとも「水田稲作」を「生活の基盤」として「農耕社会」を成立させ、弥生の祭りを行う過程を経て「古墳時代」につながる文化だけが弥生文化なのでしょうか?この展示ではそんな疑問を与えてくれます。

 実際に私が学生の時は「弥生時代」は「水田稲作」と「弥生式土器」に「銅鐸」などの「銅器」が作られ始めた時代として教わりましたね。確かに「縄文時代」から「弥生時代」へ急激に変わった訳ではないでしょうし、その文化が全国的に統一されていたとも思えません。ましてや「文化の変化」は現代のように「メディア」があり、情報は瞬時に全世界へ伝わる事はありません。集落での人の行き来は狭く、交流も多分頻繁にされていたとはあまり思えません。そうなると独自の文化を持つ、地域の特色が強いところもあるとは考えられますし。「弥生時代」をまた少し考えさせられる展示でした。

 そうそう、この展示では「女性限定」ですが、「弥生の着物トライコーナー」なる「弥生時代の服」を着て記念写真を撮る事ができるコーナーがあります。その隣には「2007年」に「国立歴史民俗博物館」で開催された「弥生はいつから!?~年代研究の最前線~」と登場した「弥生ちゃん」が7年で成長した姿の「人形」が展示されています。

 ただ、この「企画展示」、「撮影不可」なんですよね…。

 それでは、本日の登場人物は「博物館」と「歴史」の話題でしたので、この方。「ベルジアンタービュレン」の「Chiefille」で「人類学」の中 でも「古代美術」を専攻している「ベルギー国立博物館」の「学芸員」である「リリアーヌ・コラフェイス」さんコト「リリア」さんです。日本の「時代」である「弥生」その文化に対して最近新たな見解を見に来た「リリア」さん。「弥生衣装」で考えています。ちなみに背景は「弥生ってなに?!」の入り口付近の看板です。

2014_07_19

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