武満さんがジム・ジャームッシュ監督の映画作品のために作曲された幻の音楽
https://youtu.be/JBYd6b_7O58
2010年7月11日の「N響アワー」で司会の西村朗先生が面白いことを言われていました。曰く、
ジム・ジャームッシュ監督の映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」のために作曲した音楽を武満さんは非常に気に入っていて、最終的にその音楽がボツになってしまった後、武満家の食卓では必ずその美しいメロディをBGMとして流すようになった。そのメロディというのが、《ファミリー・トゥリー》の最後の方でアコーディオンが長く奏するメロディなんです。。。云々。
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Modesty M. Poloさんのブログ「mmpoloの日記」
2010年6月7日記事:「[音楽]武満徹の《系図(ファミリー・トゥリー)》という曲」より
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20100607
(前略)
大原哲夫氏:池辺さんは、武満さんの曲で、お好きな曲は何なんですか。
池辺晋一郎氏:ある時期だと、《テクスチュアズ》とか、《アステリズム》かなぁ。もうちょっと後だと、《カトレーン》も、すごく好きだったし。それから、最後のほうだと、やっぱり愛着があるのは、《系図(ファミリー・トゥリー)》ですね。なぜかというと、《ファミリー・トゥリー》を初めて聴いたときに、あれっと思ったのは、その少し前に、僕が指揮して録音したジム・ジャームッシュの映画の音楽と同じだったんですよ。それは、ジムが使わなかったんですけどね。何て言ったっけ、タクシードライバーの話。
大原氏:幻の映画音楽となった『ナイト・オン・ザ・プラネット』ですね。
池辺氏:(前略)スタジオで、見事に書かれた武満さんのフル編成の大きなオーケストラの楽譜を見たときに、ジャームッシュはびびったんじゃないかと僕は思うんだけど、結果的にはそれをダビングしかけて、これじゃあ映像が負けちゃうと思ったみたいですね。で、全部外しちゃったんですよね。武満さん、怒ったみたいです、すごく。だけど、武満さん、怒ったけど見事にそれを《ファミリー・トゥリー》として復活させたわけですよ。
(後略)
知り合いの方から教えて頂きました。本当でしょうか。。。
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経緯をざっとまとめてみる。憶測ではなく、全て事実です。
同年の5月に同じ東海岸のメリーランド州を直撃したハリケーンが陸軍の生物兵器研究所の汚水処理場を破壊して処理前の廃棄するウイルスが東海岸一帯にバラ撒かれた可能性があったのに陸軍はそれを隠蔽
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バージニア州では去年の7月に既に新型コロナと全く同じ症状の肺炎が大流行していた
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メリーランド州フレデリックのフォート・デトリック陸軍医学研究所が去年7月に突如閉鎖され
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2019年8月に米国で電子タバコが原因とされる疾病が爆発的に増え、9月には患者の数がピークに達しています。
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2019年6月から9月初旬までの間に、原因のわからない呼吸器系の症例がユタ州で28件、ウィスコンシン州で32件
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史上最大規模の世界軍人運動会、武漢で本日開幕
これが全て2019年10月18日
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そこに参加した陸軍関係者がメリーランド州で既に謎の肺炎に感染していて
武漢で発症して隔離されていない病棟で治療を受けそのままチャーター便で帰国させられた
で、その2週間後から、武漢で謎の肺炎が出始めて、それが「路上で5万人規模の宴会」で一気に感染爆発。
マーラーは1911年5月18日に亡くなったから、偶々明日がマーラー忌。若いときから何年もマーラーを苦手な作曲家と思ってきたのは、今から考えると多分に思い込みによる食わず嫌いもあったかもしれない。それがつい一、二年前に偶々中大オケの演奏会でマーラーの交響曲第5番の素晴らしい生演奏に触れて見方が変わり、すっかりマーラーの交響曲第5番が大好きになった。そして、昨晩ラジオで聴いたブロムシュテットさん指揮NHK交響楽団のマーラーの交響曲第9番の凄い名演に触れて、昨日からマーラーの交響曲第9番がよいなと思えるようになった。斯様に作品への好悪とは気紛れで実に現金なもの。
むかしの短歌メモより。。。
ブルネグロ飛行男爵邸跡のあの日のケチャップ染みたる聖書
西塔を取り壊さむと重機五台 国境検問所にて停めらる
あの朝の悲劇を忘るることなかれ ブルネグロ飛行男爵墜死の
当主亡き小国に大国やつて来る サンタのやうなマスクを被(かぶ)つて
ブルネグロの血統は全てゐなくなりぬ 空に小鳥は歌つてゐても
にこやかに鋼鉄の仮面が手を振りぬ 駅前通りの軍事パレード
西塔の可動式屋根に一輪の潜航艇型薔薇は咲きをり
地図の上(へ)のラー油バーガー滲(し)みよりも小さき国家(くに)なり中世以来
姫様をひそかに匿ひし《青の騎士》 庭園地下の水番小屋に
朝のカフェに新聞記事は切り抜かる「《王党派メロン》に強制捜査」
《親方》は目を瞑りをり二十杯目のウィンナコーヒー店員に入れさせ
《親方》の携帯電話はブラックベリー 着メロはいつもマルセイエーズ
今日は、5月15日。88年前に首相官邸で事件が起こった日。
こちらのサイト記事
https://numabe.exblog.jp/5237950/
によれば、犬養邸のことが実に興味深い。
そもそも作家犬養道子さんによれば、祖父犬養毅首相が首相官邸で青年将校たちに暗殺された昭和7(1932)年の五・一五事件のあと、4年ほど経過した昭和11(1936)年から翌昭和12(1937)年にかけて、道子さんの両親犬養健さん・仲子さん夫妻は、JR信濃町駅近くの高台にあった、東京市四谷區南町88(現在の住居表示では東京都新宿区南元町6)の犬養毅元首相邸(大正11(1922)年、遠藤新設計)の母屋を「ロンドン・ケンジントンあたりにありそうな英国風の家」へと新たに建て直されたのだそう。この家は幸いにも空襲を免れ、犬養家の手を離れてからも長く上智大学の女子寮「明泉寮」として使われるも、1990年代に取り壊されて現存せず、とのこと。
そして、作家石井桃子先生とのご縁の話。石井先生は、道子さんの母仲子さんと非常に親しく、犬養家の邸宅敷地内、母屋脇に犬養元首相の遺された別棟の書庫を仲子さんから提供されて、児童図書館を兼ねた出版社「白林少年館」を始められたそう。この出版社で石井桃子先生は、ヒュー・ロフティングの原書から石井先生自ら下訳した訳文を井伏鱒二先生の許へ届けて井伏先生がその訳文に大幅に手を入れて日本語として彫琢、今だに井伏鱒二による名翻訳書として名高い『ドリトル先生「アフリカ行き」』を世に出すことになった由。昭和16(1941)年のことだったそう。
いまは、そのゆかりの建物は残っておらず、と。残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/27/21ab9f3acebc55057a2a321a47867e4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3c/7dfecbcc43646a635325a79f85c009c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/b6/f4f6c101e3b744cd1fb7249ce9c6f1a1.jpg)
鹿鳴館の正門が旧薩摩藩装束屋敷(中屋敷)黒門で、東京大空襲で焼失するまで国宝指定されていたこと。また、鹿鳴館の建物は昭和15年取り毀しの際まで完全に残っていて、今でも東大建築科には階段手摺の一部が保存されていること。知らなかった。
https://0077777.at.webry.info/201111/article_3.html
歌人、杉山隆氏のことば。遺稿集より。
人間は秋に生まれた
十月の風景の中にいれば
僕にはそれがわかる
低い空の燃え出しそうなあの月と
黒い林に吸い込まれて行く
あの虫達の声にさそわれて
人間はたったひとりで生まれて来たんだ
広い草原に足をふんばって
立ちあがってみたとき
人間は自分というものが
好きでたまらなくなってしまったんだ
自分の影が自分の立っているこの草原に
はてしなく広がっていたから
だから人間はみんな秋が好きなんだ
性慾のこと語りつつ友と吾れ揺れ止まぬ夜の羊歯を瞰(み)てをり
昼過ぎて街は蒸しをり吾が胸を痛むるまでに海へ行きたし
わが傍にニーチェ読みゐる女子学生の鋭(と)き鼻の影ノートに映る
朝磨ぐ米しろくしてかたくなに生きむ心を傷つけんとす
教室に乱雑にある黒き椅子が夕日射すとき骨のごとく見ゆ
階段をくだりゆくとき片側の漂ふ闇に心吸はれつ
うつ伏せに草に寝たれば草の香は渦巻きて吾を呑み込むごとし
夭折者の手記を読みつぐ図書室の床にしきりに鳥影は過ぐ
佐々木志ちょう氏という方から、なにか非常に大事なことの綴られた手紙が届く夢を見るも、夢のなかの私は、〈はて、この佐々木氏はどういう繋がりの方であったか〉と思案し頭を捻った。起きてからも、やはりこの佐々木氏を知らないなあと頭を捻った。不思議。
そういえば、昔に読んだスティーヴン・キングの長編小説『ザ・スタンド』(文春文庫、深町眞理子訳、全五冊)に、いまの世情と非常によく似たことが描かれていたような気がする。その中に登場するマザー・アバゲイルという老婆は、いつもしづかに穏やかに優しい唄を口ずさんでいる。いろいろな民族の神話に出て来るモチーフのひとつ、「私たちそれぞれにとっての帰るべき〈家〉はいつでも灯りを点して私たちの帰りを待っている」を思い起こさせて、はなはだ興味深い。。
以下は、スティーヴン・キング『ザ・スタンド』(文春文庫、深町眞理子訳、全五冊)の第2冊、295ページから。以下、引用。
(前略)
--ねえ、にいさん、だれがあんたをそこに釘づけにしちまったんだい?
その老女はギターを赤ん坊のように膝に抱き、もっと前に出てくるように、手真似でニックに合図をする。ニックは進みでる。そして老女に言う、ただあなたの歌うのを聞いていたいんだ、ただそれだけさ。歌うことはとても美しいことだから。
--なに、歌うのなんて、神様のおふざけのひとつさ。あたしなんか、いまじゃ毎日のように歌ってる・・・・ところで、あの黒い男のこと、どう思う?
--なんだかぞっとするんだ。すごくこわい男だと・・・・
--にいさん、こわがるのはたいせつなことだよ。夕暮れに見るただの木でも、見るべき方向から見れば、こわいのが当然なのさ。みんないずれは死ぬ人間なんだからね、神様のおかげで。
--だけど、どうすればあの男にノーと言えるんだろうか? いったいどうすれば・・・・
--あんた、どうやって息をしてると思うんだい? どうやって夢を見るのかい? だれにもわからないことさ。だけどね、あんた、困ったらあたしに会いにおいで。いつでもいいよ。あたしは皆からマザー・アバゲイルと呼ばれている。この辺りではたぶんいちばんの年寄りだと思うけれど、それでも自分のビスケットぐらいならまだ自分で焼けるよ。いつでもあたしに会いにおいでな、にいさん。お友達も連れてくるといい。
--だけど、どうすればこんなところから抜け出せるのか教えてもらいたいんだ。あなたなら知っているはずだ。いったいどうすれば・・・・
--おやおや、まだ気にしているのかい。そんなこと、だれにもできやしないのさ、にいさん。ただ頭をあげて、最良のものを探していけばいい、で、気が向いたら、マザー・アバゲイルに会いにきなさい。あたしはここにいる、たぶんね。もうこの頃は、年を取りすぎてあまり動き回らないことにしている。だからいつでも会いにおいで。あたしは間違いなく・・・・
--ここに、間違いなくここに・・・・
すこしずつ、すこしずつ目覚めが近づいてき、それとともに、ネブラスカの空気、玉蜀黍(とうもろこし)畑の匂い、マザー・アバゲイルの皺だらけの黒い顔は、しだいに薄れて、遠のいていった。現実世界がそのあとに徐々に入り込んできた。その転換はまるで、それまでの夢にとってかわるというものではなくて、夢の上に覆いかぶさってすっかり隠してしまったという感じだった。(後略)
寺院脇の葬り土はこの宵も動いてゐた、もぞもぞ、もぞもぞ。あまた死者たち
廊下蛇口に口つけふらふら飲みしのちピアノ来て古代舞曲弾く女影ひとつ
#検察庁法改正案に抗議します
シベリア抑留を体験された塩谷いさむさんの歌集『琅玕(らうかん)』より。
春宵の風がきざはし上り来るひとつの嘘を手渡すやうに 塩谷いさむ
#検察庁法改正案に抗議します
ステイホームのよしなしごとに。
「静與渓色連幽宜松/雨滴誰知古暦上不染/世人跡 七十二梅皋老人」と書かれた72歳の前田斉泰さんの書。
これは、
静與渓色連/幽宜松雨滴/誰知古暦上/不染世人跡
のように、五言絶句として読んだらよいのかどうかわからぬも。。。
静けさと渓の風景とが違和感なく連なっている。松に幽かに雨滴がかかる様も風情があってよいものだ。古き世の人々もはるか昔にここを訪れて景色を愛でたことがあったかもしれぬが、誰がそれを知ろう。この静けさと風景の中にひとり佇めば、世の様々なことを忘れられる心地がする。
と強引に解釈するも、この意味で合っているのかどうかはなはだ心許なし。かと言って斉泰さんに直接訊くわけにもいかず。文字面を強引に繋いでイメージするとこんな風かなと取り敢えず。。。