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歌人、杉山隆氏のことば。遺稿集より。
人間は秋に生まれた
十月の風景の中にいれば
僕にはそれがわかる
低い空の燃え出しそうなあの月と
黒い林に吸い込まれて行く
あの虫達の声にさそわれて
人間はたったひとりで生まれて来たんだ
広い草原に足をふんばって
立ちあがってみたとき
人間は自分というものが
好きでたまらなくなってしまったんだ
自分の影が自分の立っているこの草原に
はてしなく広がっていたから
だから人間はみんな秋が好きなんだ
性慾のこと語りつつ友と吾れ揺れ止まぬ夜の羊歯を瞰(み)てをり
昼過ぎて街は蒸しをり吾が胸を痛むるまでに海へ行きたし
わが傍にニーチェ読みゐる女子学生の鋭(と)き鼻の影ノートに映る
朝磨ぐ米しろくしてかたくなに生きむ心を傷つけんとす
教室に乱雑にある黒き椅子が夕日射すとき骨のごとく見ゆ
階段をくだりゆくとき片側の漂ふ闇に心吸はれつ
うつ伏せに草に寝たれば草の香は渦巻きて吾を呑み込むごとし
夭折者の手記を読みつぐ図書室の床にしきりに鳥影は過ぐ
佐々木志ちょう氏という方から、なにか非常に大事なことの綴られた手紙が届く夢を見るも、夢のなかの私は、〈はて、この佐々木氏はどういう繋がりの方であったか〉と思案し頭を捻った。起きてからも、やはりこの佐々木氏を知らないなあと頭を捻った。不思議。
そういえば、昔に読んだスティーヴン・キングの長編小説『ザ・スタンド』(文春文庫、深町眞理子訳、全五冊)に、いまの世情と非常によく似たことが描かれていたような気がする。その中に登場するマザー・アバゲイルという老婆は、いつもしづかに穏やかに優しい唄を口ずさんでいる。いろいろな民族の神話に出て来るモチーフのひとつ、「私たちそれぞれにとっての帰るべき〈家〉はいつでも灯りを点して私たちの帰りを待っている」を思い起こさせて、はなはだ興味深い。。
以下は、スティーヴン・キング『ザ・スタンド』(文春文庫、深町眞理子訳、全五冊)の第2冊、295ページから。以下、引用。
(前略)
--ねえ、にいさん、だれがあんたをそこに釘づけにしちまったんだい?
その老女はギターを赤ん坊のように膝に抱き、もっと前に出てくるように、手真似でニックに合図をする。ニックは進みでる。そして老女に言う、ただあなたの歌うのを聞いていたいんだ、ただそれだけさ。歌うことはとても美しいことだから。
--なに、歌うのなんて、神様のおふざけのひとつさ。あたしなんか、いまじゃ毎日のように歌ってる・・・・ところで、あの黒い男のこと、どう思う?
--なんだかぞっとするんだ。すごくこわい男だと・・・・
--にいさん、こわがるのはたいせつなことだよ。夕暮れに見るただの木でも、見るべき方向から見れば、こわいのが当然なのさ。みんないずれは死ぬ人間なんだからね、神様のおかげで。
--だけど、どうすればあの男にノーと言えるんだろうか? いったいどうすれば・・・・
--あんた、どうやって息をしてると思うんだい? どうやって夢を見るのかい? だれにもわからないことさ。だけどね、あんた、困ったらあたしに会いにおいで。いつでもいいよ。あたしは皆からマザー・アバゲイルと呼ばれている。この辺りではたぶんいちばんの年寄りだと思うけれど、それでも自分のビスケットぐらいならまだ自分で焼けるよ。いつでもあたしに会いにおいでな、にいさん。お友達も連れてくるといい。
--だけど、どうすればこんなところから抜け出せるのか教えてもらいたいんだ。あなたなら知っているはずだ。いったいどうすれば・・・・
--おやおや、まだ気にしているのかい。そんなこと、だれにもできやしないのさ、にいさん。ただ頭をあげて、最良のものを探していけばいい、で、気が向いたら、マザー・アバゲイルに会いにきなさい。あたしはここにいる、たぶんね。もうこの頃は、年を取りすぎてあまり動き回らないことにしている。だからいつでも会いにおいで。あたしは間違いなく・・・・
--ここに、間違いなくここに・・・・
すこしずつ、すこしずつ目覚めが近づいてき、それとともに、ネブラスカの空気、玉蜀黍(とうもろこし)畑の匂い、マザー・アバゲイルの皺だらけの黒い顔は、しだいに薄れて、遠のいていった。現実世界がそのあとに徐々に入り込んできた。その転換はまるで、それまでの夢にとってかわるというものではなくて、夢の上に覆いかぶさってすっかり隠してしまったという感じだった。(後略)