カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

めっちゃおる、しかもよおけおる

2010-02-22 07:34:08 | Weblog
今朝、NHKFM『気ままにクラシック』を聴いていて、MCの笑瓶師匠が、


めっちゃおる、しかもよおけおる


と言われていました。


めっちゃとよおけの用法の違い、ニュアンス近くてほぼおなじじゃないかなと思っていました。よくわかっていません。しかし、「しかも」で接続されてこう言われるということは、やはり意味合いが違うのでしょうか。日本語は難しいです。
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今朝

2010-02-21 07:29:05 | Weblog
昨晩はバッハの『ミサ曲ロ短調』の素晴らしい音楽シャワーに魂の洗浄ができました。八十八さん、有難うございました。


今朝、万城目氏の『鹿男あをによし』読了。傑作な小説でした。


つぎはいよいよ、『サイダーハウス・ルール』を読みたいです。



今日は、お世話になっているお寺のお手伝いをさせて頂く予定です。
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新聞記事

2010-02-20 10:05:46 | Weblog
興味深い新聞記事から、メモです。。。。

遣唐使・最澄の活躍明らかに 持ち帰った論文の写本確認
(2010年2月19日3時3分朝日新聞記事)

 平安時代の僧で天台宗の開祖、最澄が遣唐使として中国から持ち帰った仏教の論文を、室町時代に書き写した写本が確認された。最澄が中国で元の論文を写した年月や寺院名が記録されており、中国滞在時の活動を伝える貴重な資料と研究者は話している。
 確認されたのは、「三教不斉論(さんぎょう・ふせいろん)」で、写本は大津市の石山寺に保管されていた。同じ内容で空海が持ち帰った論文の写本が先ごろ、確認された。それを機に高野山大学密教文化研究所が調査したところ、今回の写本を確認した。
 奥書によると、1497(明応6)年に僧・源雅(げんが)が筆写したもので、元になった論文は、最澄自身が804年11月16日に、中国の台州臨海県龍興寺(現在の中国浙江省)の北房で写していた。
 最澄が活動した比叡山は織田信長による焼き打ちにあうなどしたため、中国から持ち帰った資料はわずかしか残っておらず、この論文も伝わっていなかった。「最澄自身が、在唐中、どこでどんな論文を収集したかは、ほとんど分かっていない。書き写した年月と場所を記録している点で、極めて重要な資料と言える」と、同研究所委託研究員の藤井淳さんは話している。
 論文は、唐の官僚だった姚弁(ようべん)という人物が書いたもの。儒教、道教、仏教の中で仏教が最も優れていると説いている。(宮代栄一記者)

http://www.asahi.com/culture/update/0218/TKY201002180519.html
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フザケンナア

2010-02-20 04:15:46 | Weblog
すきとおった袋に
名前を入れて海に流す


魂は名前とつながっている


それから僕は海に向かって
フザケンナア
と叫んだのだ


さ、あそびにいこ。
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雪。

2010-02-18 08:02:56 | Weblog
雪。


という今朝で、ひたすら冷えています。


昨夜のビシュコフ氏指揮N響の定期演奏会、家に帰ってから録音しておいたラヂオ放送も聴きました。ビシュコフ氏流の繊細な持ち味の出た、いい演奏会だったのではないだろうか、と私は思いました。


昨夜の帰り、『サイダーハウス・ルール』の絶版になってしまっている日本語訳本(なかなかよい訳らしいのです)のことを考えながら歩いていて、ちょうど神楽坂の新潮社の近くで古本屋の灯りがなぜだか目に入り、ふらりとはいると文春文庫の『サイダーハウス・ルール』がそこに上下巻そろってありました。
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松明鳥

2010-02-17 10:13:51 | Weblog
短歌メモから、です。

<もしもしもし、誰かさんですか?>と八遍訊かれぬ 松明(たいまつ)咥ふる鴉の三羽に

暗闇は世界を覆ひ 松明鳥(たいまつどり)の群れ夜明けまで飛ぶ
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昨日

2010-02-16 10:49:50 | Weblog
昨日、仕事の後、池袋東口の「新文芸坐」へ出かけ、映画『スラバヤ殿下』『三等重役』の二本立てを鑑賞しました。

『スラバヤ殿下』は、いい加減なペテン師の弟と世界的に高名な物理学者の兄(森繁さんが兄弟をひとり二役)を中心に、国際スパイの諜報活動をからかってみたり、南洋への憧れ(憧れの裏返しとして、当時の人々の幼稚な差別感情も)を描いて見せたり、和製ブロードウェイミュージカル風な歌や踊りをして見せたり、でたらめスラバヤ語を駆使(後年タレントのタモリ氏がでたらめ中国語で一世を風靡したその魁(さきがけ)がこれかと思わせる、森繁さんの達意の芸)してみせたり、当時のギャグセンス満載のドタバタコメディ。原作は劇作家菊田一夫氏。『三等重役』は、社長役の河村黎吉氏と人事課長役の森繁さんの演技が出色の傑作コメディ。映画「社長」シリーズのさきがけ。原作は作家源氏鶏太氏。

ちなみに、「三等重役」とは、

「サラリーマン重役」のことで、創業社長でもオーナー社長でもなく、一般社員と意識的にも能力的にもさほど変わりのない人物が取締役、あるいは社長になったことを指し、源氏鶏太の本作(小説『三等重役』)によって広まった語である。(WIKIPEDIA記事より)

とのことらしいです。

映画館内、噴き出したりこぼしたり、観客たちの笑いが始終絶えませんでした。私も久しぶりにすごく楽しかったです。
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追悼森繁久彌

2010-02-15 08:05:17 | Weblog
いま、池袋東口の映画館、新文芸坐で、「追悼森繁久彌」として森繁さんの映画を特集上映しているようです。今日かかるのは、『三等重役』(1952年東宝)と『スラバヤ殿下』(1955年日活)の二本。仕事を早めに終わらせて是非とも見に行きたいです。
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むかし

2010-02-14 21:40:00 | Weblog
目白台の日本女子大の裏手、夜寒(やかん)坂の東西に大町桂月と窪田空穂がその昔住んでいたらしいのですが、佐藤春夫もこの夜寒坂の近くにいた、とどういうわけだか思い込んで、買い物や散歩の折りおり、夜寒坂の辺りを徘徊していましたが、戦果はかばかしくなく、どうやら方向を間違えていたようだ、と気付いたのがお寺からの帰りの今宵。椿山荘の方にまわるとありました。というても、奇抜でおしゃれなデザインだった旧宅は和歌山に移された由。春夫は、昭和39年5月6日、この自宅で行われていたラヂオインタビュー中に急逝しました。
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春の感じ

2010-02-12 04:48:24 | Weblog
斎藤史さんの歌集『ひたくれなゐ』から。



割りし卵の黄味もりあがりかがやけり今は春べぞ空に声あれ  斎藤史



下句「ぞ―あれ」は、強意の係り結び。



この一首を繰り返し読んでいると、美味しい卵かけごはんを無性に食べたくなります。


ラヂオからいま『白い恋人たち』が流れています。
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