メモです。。。
『夜の形式』田中裕明
以前(ほんとうにずいぶん昔のことになってしまった)、夜の形式ということを考えていたときがある。芸術における形式と内容について思いをこらしていたある夜に、ふと夜の形式という言葉が浮かんでしばらくのあいだ頭を離れなかった。夜の形式に対して昼の形式という言葉もあり、こちらのほうはわかりやすくて、たとえば何人かの印象派の絵を思いうかべればよい。あるいはバロックと呼ばれる音楽のあるものは聞いていて森の中にぽっかりと日向があってそこに座りこんでいるような気がする。では夜の形式とはいったいどのようなものであろうか。
地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって、そういうときには海岸線をたどるためにおろした指がもう動かない。音楽をそういうふうに聴くこともある。部屋を暗くしてレコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いていて、それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れない。夜はしだいに明けてゆくのだけれども、時間がそちらの方向にだけ流れていると思うのはおかしなことで、今日見た朝の空と昔見た空が寸分かわらぬ顔をしているのは時間が逆流していることの証にほかならない。こう言えば夜の形式というのはかなり複雑なもので、それは時間と非常にふかい関わりをもっている。だからさっき昼の形式としてあげたバロック音楽も、深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる。床の間がつくりだす薄暗い闇を、またそのほかの日本間における陰翳を賛えていたのはさて誰だったか。とにかくこのように言われる日本の座敷は午すぎの外の光を障子からとりいれてはじめて、その明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させるのだけれども、夜の形式と言ってよいかもしれない。
ほんとうにずいぶん前にも考えていたことなのだが、いま手にしているのは夜の形式ではないようだ。
(『俳句』1982年6月号・角川俳句賞「受賞の言葉」)
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/01/blog-post_31.html
***
田中裕明(たなかひろあき)氏・略歴
大阪府大阪市生まれ。高校在学中の1977(昭52)年、「青」入会。波多野爽波に師事。京都大学在学中、1979年、青新人賞、1981年、青賞を受賞。卒業した1982年、第28回角川俳句賞を受賞。俳壇を代表する青年作家として名を馳せた。爽波没後の1992年、「水無瀬野」創刊。これを母体に2000年、主宰誌「ゆう」を創刊。2004年の12月30日、白血病のため、田中裕明は俳人のとしてのその短い生涯を終えた。 享年45。
http://furansudo.ocnk.net/product/108
*****
2010年1月24日(日)13時~17時(開場 12時30分)
場所:豊島区勤労福祉会館・大会議室
〒171-0021
東京都豊島区西池袋 2-37-4
四ツ谷龍氏講演会:
田中裕明「夜の形式」とは何か
5年前にこの世を去った俳人、田中裕明は、その生涯を通じて「夜」という題材を重要なテーマとしてきました。とくに22歳のときに発表した文章「夜の形式」は、「芸術における形式と内容について思いをこらしていたある夜に、ふと夜の形式という言葉が浮かんでしばらく頭を離れなかった」と書き出された大変興味深い一編です。この文章を読み直し、「夜の形式」とはどのような形式かを考えてみたいと思います。
第二部では、「静かな場所」(田中裕明研究誌)のメンバーを中心に、その人となりや作品について自由にディスカッションする予定です。
http://furansudo.com/event/yotsuya.html
『夜の形式』田中裕明
以前(ほんとうにずいぶん昔のことになってしまった)、夜の形式ということを考えていたときがある。芸術における形式と内容について思いをこらしていたある夜に、ふと夜の形式という言葉が浮かんでしばらくのあいだ頭を離れなかった。夜の形式に対して昼の形式という言葉もあり、こちらのほうはわかりやすくて、たとえば何人かの印象派の絵を思いうかべればよい。あるいはバロックと呼ばれる音楽のあるものは聞いていて森の中にぽっかりと日向があってそこに座りこんでいるような気がする。では夜の形式とはいったいどのようなものであろうか。
地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって、そういうときには海岸線をたどるためにおろした指がもう動かない。音楽をそういうふうに聴くこともある。部屋を暗くしてレコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いていて、それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れない。夜はしだいに明けてゆくのだけれども、時間がそちらの方向にだけ流れていると思うのはおかしなことで、今日見た朝の空と昔見た空が寸分かわらぬ顔をしているのは時間が逆流していることの証にほかならない。こう言えば夜の形式というのはかなり複雑なもので、それは時間と非常にふかい関わりをもっている。だからさっき昼の形式としてあげたバロック音楽も、深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる。床の間がつくりだす薄暗い闇を、またそのほかの日本間における陰翳を賛えていたのはさて誰だったか。とにかくこのように言われる日本の座敷は午すぎの外の光を障子からとりいれてはじめて、その明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させるのだけれども、夜の形式と言ってよいかもしれない。
ほんとうにずいぶん前にも考えていたことなのだが、いま手にしているのは夜の形式ではないようだ。
(『俳句』1982年6月号・角川俳句賞「受賞の言葉」)
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/01/blog-post_31.html
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田中裕明(たなかひろあき)氏・略歴
大阪府大阪市生まれ。高校在学中の1977(昭52)年、「青」入会。波多野爽波に師事。京都大学在学中、1979年、青新人賞、1981年、青賞を受賞。卒業した1982年、第28回角川俳句賞を受賞。俳壇を代表する青年作家として名を馳せた。爽波没後の1992年、「水無瀬野」創刊。これを母体に2000年、主宰誌「ゆう」を創刊。2004年の12月30日、白血病のため、田中裕明は俳人のとしてのその短い生涯を終えた。 享年45。
http://furansudo.ocnk.net/product/108
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2010年1月24日(日)13時~17時(開場 12時30分)
場所:豊島区勤労福祉会館・大会議室
〒171-0021
東京都豊島区西池袋 2-37-4
四ツ谷龍氏講演会:
田中裕明「夜の形式」とは何か
5年前にこの世を去った俳人、田中裕明は、その生涯を通じて「夜」という題材を重要なテーマとしてきました。とくに22歳のときに発表した文章「夜の形式」は、「芸術における形式と内容について思いをこらしていたある夜に、ふと夜の形式という言葉が浮かんでしばらく頭を離れなかった」と書き出された大変興味深い一編です。この文章を読み直し、「夜の形式」とはどのような形式かを考えてみたいと思います。
第二部では、「静かな場所」(田中裕明研究誌)のメンバーを中心に、その人となりや作品について自由にディスカッションする予定です。
http://furansudo.com/event/yotsuya.html