興味深い新聞記事から、メモです。。。。
遣唐使・最澄の活躍明らかに 持ち帰った論文の写本確認
(2010年2月19日3時3分朝日新聞記事)
平安時代の僧で天台宗の開祖、最澄が遣唐使として中国から持ち帰った仏教の論文を、室町時代に書き写した写本が確認された。最澄が中国で元の論文を写した年月や寺院名が記録されており、中国滞在時の活動を伝える貴重な資料と研究者は話している。
確認されたのは、「三教不斉論(さんぎょう・ふせいろん)」で、写本は大津市の石山寺に保管されていた。同じ内容で空海が持ち帰った論文の写本が先ごろ、確認された。それを機に高野山大学密教文化研究所が調査したところ、今回の写本を確認した。
奥書によると、1497(明応6)年に僧・源雅(げんが)が筆写したもので、元になった論文は、最澄自身が804年11月16日に、中国の台州臨海県龍興寺(現在の中国浙江省)の北房で写していた。
最澄が活動した比叡山は織田信長による焼き打ちにあうなどしたため、中国から持ち帰った資料はわずかしか残っておらず、この論文も伝わっていなかった。「最澄自身が、在唐中、どこでどんな論文を収集したかは、ほとんど分かっていない。書き写した年月と場所を記録している点で、極めて重要な資料と言える」と、同研究所委託研究員の藤井淳さんは話している。
論文は、唐の官僚だった姚弁(ようべん)という人物が書いたもの。儒教、道教、仏教の中で仏教が最も優れていると説いている。(宮代栄一記者)
http://www.asahi.com/culture/update/0218/TKY201002180519.html
遣唐使・最澄の活躍明らかに 持ち帰った論文の写本確認
(2010年2月19日3時3分朝日新聞記事)
平安時代の僧で天台宗の開祖、最澄が遣唐使として中国から持ち帰った仏教の論文を、室町時代に書き写した写本が確認された。最澄が中国で元の論文を写した年月や寺院名が記録されており、中国滞在時の活動を伝える貴重な資料と研究者は話している。
確認されたのは、「三教不斉論(さんぎょう・ふせいろん)」で、写本は大津市の石山寺に保管されていた。同じ内容で空海が持ち帰った論文の写本が先ごろ、確認された。それを機に高野山大学密教文化研究所が調査したところ、今回の写本を確認した。
奥書によると、1497(明応6)年に僧・源雅(げんが)が筆写したもので、元になった論文は、最澄自身が804年11月16日に、中国の台州臨海県龍興寺(現在の中国浙江省)の北房で写していた。
最澄が活動した比叡山は織田信長による焼き打ちにあうなどしたため、中国から持ち帰った資料はわずかしか残っておらず、この論文も伝わっていなかった。「最澄自身が、在唐中、どこでどんな論文を収集したかは、ほとんど分かっていない。書き写した年月と場所を記録している点で、極めて重要な資料と言える」と、同研究所委託研究員の藤井淳さんは話している。
論文は、唐の官僚だった姚弁(ようべん)という人物が書いたもの。儒教、道教、仏教の中で仏教が最も優れていると説いている。(宮代栄一記者)
http://www.asahi.com/culture/update/0218/TKY201002180519.html