目白台の日本女子大の裏手、夜寒(やかん)坂の東西に大町桂月と窪田空穂がその昔住んでいたらしいのですが、佐藤春夫もこの夜寒坂の近くにいた、とどういうわけだか思い込んで、買い物や散歩の折りおり、夜寒坂の辺りを徘徊していましたが、戦果はかばかしくなく、どうやら方向を間違えていたようだ、と気付いたのがお寺からの帰りの今宵。椿山荘の方にまわるとありました。というても、奇抜でおしゃれなデザインだった旧宅は和歌山に移された由。春夫は、昭和39年5月6日、この自宅で行われていたラヂオインタビュー中に急逝しました。
最新の画像[もっと見る]