駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

「量子物理学の発見」を読んで

2017年01月15日 | 

      

 十五才をとっくに過ぎ、残り十五年も怪しい年齢になったが、未だにどこから来てどこへ行くのか考えてしまう。プランク長や億光年など想像も出来ない小ささ大いさではあるが、物理学が何か教えてくれそうな気がして、解説書を何冊も読んできた。残念ながら数学の素養が簡単な微分方程式どまり、しかも錆び付いているので数式で理解する粘りがない。ファインマンの言葉によれば、量子論というのは専門家でも数式が表現している世界だとしかいいようがなく、日常感覚的な理解はできないものらしい。

 レーダーマンは実験物理学者で今までの理論物理学者によるものとは違った解説をしてくれるかと期待して読んだのだが、半分分かったかどうかも怪しい。ただ理論物理学者とは違ったアプローチと理解の仕方があると知った。なんたって、実験物理学者は解説書など書いている暇はなく、理論物理学者の理論を採点することが出来るくらいのもんらしいのだ。

 量子物理学が完璧なものかは未だ分からないし、未完成の理論ではあるが、人智の届く最先端の解明であるらしい。それは人間の生活と五感では想像できない構造と法則を持っているものであることが分かった。奥の手の第六感を動員しても、感覚的に理解できるものではない。分からないことが分かったというと負け惜しみのようでもあるし、専門家でも分からないのだからと高を括るようでもあるが、そうではなく腑に落ちる限界を知った。

 分からないことが分かったというのが、量子物理学を読んだ収穫だ。

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変わる世の中

2017年01月14日 | 診療

  

 おととし辺りから、往診専門医が出てきた影響で、往診件数が減ってきた。それでも週に五,六軒往診をしている。開業当初は、近隣に往診する医師が殆ど居なかったせいか、往診することが知れ渡ると依頼が多く二年ほどで月に四十軒ほど往診するようになった。それがついこないだまで続いていた。死亡診断書も年に七八枚書いてきた。

 往診すると外来の診察では分からない世界が見えてくる。往診は文字通り家庭に入り込む業務なので、ああ、おお、えーっという感想がある。学校医に赴任した中学校の校長が校内暴力で悩んでいたせいもあろうが、この辺は低所得者人が多くてと思わず口を滑らした地域なので、貧困というものを諸に実感することも多い。これは所得の多寡に係わらないことだが、綺麗に掃除が行き届いた家ともう滅茶苦茶というか玄関で靴を脱ぎたくないほど掃除の行き届いていない家がある。不思議なことだが、外来ではそうしたことは分かりにくい。分からないといった方がよいかも知れない。

 市井の医者として世の中を見てきて、変わったと思うことはいくつかあるが、一つは一人暮らし二人暮らしが増えてきたことだ。一人暮らしは文字通り一人なのだが、二人暮らしは老親と独身の子供の組み合わせだ。介護保険制度は、厚労省のヒット商品というと不謹慎かも知れないが、本当に絶妙のタイミングで出てきた。勿論、老後の問題を解決するとまでは行かないが、この制度がなかったらどうなっていただろうと空恐ろしい感じがする。

 Kさんは私より四歳年上なだけだが、男の一人暮らしで生活保護を受けておられる。膝が悪く歩行器がないと歩けない。認知は殆ど無く、性格も少し融通が利かない感じはあるが偏屈ではなく冗談を言われることもある。来し方のことは話されないので、立ち入った事情は知らない。自家用車はないが立派な歩行器をお持ちで、二百メートルの道程を三十分ほど掛けて来院される。交通事故に遭わなければ良いがと心配している。いつまで働けるか分からないし、四歳違いではどちらが先かも分からないが、可能であれば最後まで面倒を見て差し上げたいと思っている。

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老化、三つのい印

2017年01月13日 | 町医者診言

           

 今朝は晴れているのに日射しが弱く、おまけに風があり冷たい道中だった。まだまだ四寒三温で寒くなる。

 準高齢者などと呼称を変えて古来希ならぬ近来溢れる我々を、若く扱おうとするのはなるほどではあるけれど、痛い痒い近いの三つい印を押された身としては複雑な心境になる。

 階段を上ると膝が痛い、暖まると腰回りが痒い、お茶を飲めばトイレが近い。これらは全て老化のなせる業で、個人差があるとはいえ紛れもなく寄る年波を告げている。

 思うに学会長とか閣内政治家とか活躍する芸能人は欲と活力で淘汰された人の集まりで、平均より元気な人が多いと診る。ご自分を基準にあれこれ判定して戴いては困る。言葉の煙幕を張る首相に並の人間庶民の生活感覚があるとは思えない。戦略的な基準を用意しないようにお願いしたい。

 確かに四半世紀前と比べたら、老化が十年ほど遅くなった。それを直視し受け入れる社会作りが必要だ。しかし三つのい印が消えた訳ではない。柔軟で多様に適応できるシステム作りを是非ともお願いしたい。杓子定規はお役所の専売特許であったが、これからは個体個性に対応できる伸縮自在のゴム製の定規でお願いしたい。それが無駄と無理を排し、AIが出て来る社会で人を生き延びさせる最良の作戦と申し上げたい。

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自慢せず、見栄を張らず謙虚に、藤沢周平の横顔

2017年01月12日 | 人物、男

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 今月号のサライに藤沢周平が載っていた。作品は殆ど読んでいないが、顔写真を見たことはあり、その人となりは仄聞している。尊敬するS先生が昼休みに読んでおられたのを思い出す。

 自慢しない 見栄を張らない 謙虚に感謝の気持ちを忘れず慎ましく生きるのを信条として居られたようだ。。自分もそうした心境に憧れるが、黙っていられない性分は度し難く、中々慎ましくとはゆかない。

 尤も、川本三郎さんが過不足なく解説しておられるように、心の中には修羅があった。昭和の始め庄内鶴岡の農家の次男に生まれ、成人してから病や身内の不幸を体験し、実直カタムチョな性格の内に某かの鬱屈葛藤があったと思われる。

 庄内は意外と言うかやはりと言うか、多彩な得がたい人物を数多く世に送り出している。いつか訪れてみたい土地の一つだ。先年亡くなったが、患者さんに鶴岡出身のお婆さんが居た。よく故郷から送られた農産物などのお裾分けを戴いた。何処かカタムチョなところがあり、四十年住まわれた当地に十分に馴染めないところがあったようで、よく電話で鶴岡の姉と話をすると言っていた。たいしたことは出来なかったが、あれこれ話を聞いてあげることは出来た気がする。 

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丘の上ではなく麓の

2017年01月11日 | 小験

      

 当院は処方箋を発行している。診察の後、薬局から電話が掛かってくる。錠剤が飲めないそうです。粉薬が飲めないそうです。えっ、いい大人がどういうことだろう。何故それを診察の時に言わないのか。

 成人の日の朝電話が鳴る。「今日はやっていますか?」、「今日は祭日ですからお休みです」。朝のしじまを破られ、電話を取りに腰を上げる身にもなって欲しい。

 朝の四時に電話が鳴る、M婆さんが亡くなったのかなと寝ぼけ眼で、受話器を取ると「子供が熱が出たから診てくれ」と訳の分からない電話だ。「えっどこに電話しているの」、「**内科でしょ」、「ええそうですけど、何でうちに」、「お宅当番医でしょ」、「当番医は朝の八時から夜の七時まで、夜は当番の総合病院へ行ってください」、「えっ、そうなの」カチャ。お母さん、腹が立つと眠れなくなるのをご存じか?だいたい当院は子供は診ないのだ。

 随分飛躍するようだが、民主主義って何だと聞きたくなる。一体何故知能を宿した生物は圧政迫害搾取の苦難に血を流し、民主主義という果実を見出したのだろう。その果実も、阿Qどころか、丘の麓の歴史も知らず考えることを忘れたふつつか者に踏みつぶされてしまう。

 大袈裟と言えば大袈裟、過剰かもしれんが、しかしなあ。もう一度繰り返すことになる。 

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