十五才をとっくに過ぎ、残り十五年も怪しい年齢になったが、未だにどこから来てどこへ行くのか考えてしまう。プランク長や億光年など想像も出来ない小ささ大いさではあるが、物理学が何か教えてくれそうな気がして、解説書を何冊も読んできた。残念ながら数学の素養が簡単な微分方程式どまり、しかも錆び付いているので数式で理解する粘りがない。ファインマンの言葉によれば、量子論というのは専門家でも数式が表現している世界だとしかいいようがなく、日常感覚的な理解はできないものらしい。
レーダーマンは実験物理学者で今までの理論物理学者によるものとは違った解説をしてくれるかと期待して読んだのだが、半分分かったかどうかも怪しい。ただ理論物理学者とは違ったアプローチと理解の仕方があると知った。なんたって、実験物理学者は解説書など書いている暇はなく、理論物理学者の理論を採点することが出来るくらいのもんらしいのだ。
量子物理学が完璧なものかは未だ分からないし、未完成の理論ではあるが、人智の届く最先端の解明であるらしい。それは人間の生活と五感では想像できない構造と法則を持っているものであることが分かった。奥の手の第六感を動員しても、感覚的に理解できるものではない。分からないことが分かったというと負け惜しみのようでもあるし、専門家でも分からないのだからと高を括るようでもあるが、そうではなく腑に落ちる限界を知った。
分からないことが分かったというのが、量子物理学を読んだ収穫だ。