goo blog サービス終了のお知らせ 

駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

パリに住む

2009年03月25日 | 世界
 少し先輩の友人ご夫妻と会食した。彼はかねてから65歳を定年と設定し、65歳数ヶ月で医院を譲渡され、今はパリに住み年に数回日本に戻られる。しばらく和食が食べられなくなるというので鄙には稀な腕の立つ料理人の手になる懐石をご一緒した。
 いつものワインの代わりに冷酒を飲みながら四方山話をした。貧乏性の私は「毎日、何をされているのですか」などと、ぶしつけな質問をしたのだが「別に何もしていませんよ」。と笑っておられた。どうもご主人の方が台所に立つ頻度が多いらしく、市場に買い物に行って昼食などを作るのを楽しんでおられるようだ。彼は四十近くになってからフランス語を勉強され、日常生活に全く不自由しないほどの力を付けられた。英語しか話せない(これは若い時に身に付けた)私は恐れ入ってしまう。だいたいあの鼻に掛かった不明瞭に聞こえる発音を聞いただけで、こりゃ無理と逃げ出したくなる。まだドイツ語の方が仕事柄、頑張れば(頑張れないのだが)なんとかなるかなあと甘い幻想を抱ける。
 まず日本を離れることに抵抗をお感じにならないようだ。そしてなんというか、フランス否どうもパリが非常にお好きなようだ。奥様も「私はフランス語はちっとも駄目よ」。とおっしゃりながら西洋文化の中に浸ることがお好きなようだ。「遊びにいらっしゃいよ」と誘われたので、「はあ、いつか」。と答えたのだが、今度の連休は準備が遅れ、パリ行きは上手く割安切符が取れなかった。そのうちと思ってもなかなかなのだが、今から心づもりをすれば何とかなるだろう。
 それにしても夢を叶える。凄い力だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つの予想と分析

2009年03月24日 | 世の中
 WBC、韓国と五度目の対決。なんというかあんまりな感じがする。イチローのもういいでしょうは本音で素直な感想と思う。勿論、日本を応援しているがギシギシギラギラした心境にない。これがどう働くか、きっと良い方向に働く気がする。

 もう一人の一郎の進退が表明するようだ。どうするにせよ、その意思を尊重したい。おそらく続投するだろう。
 現在展開されているこの非論理的で感情に訴えた見せしめ擬似裁判は不当だと思う。まるで旧い自民党のような体質という批判は許容されるだろうが、犯罪者のように扱うのは明らかに行き過ぎだ。
 さほど遠くない昔、今はマスコミに神のごとく尊重されている王が長島氏に比して不当に低く扱われていたのを思い出す。

 マッカーサーのあの言葉の真意や発せられた状況は知らないが、私は今日本人にもう少し成熟した思慮と判断力が求められているのではないかと考えている。目に見えにくいが経済危機に劣らぬ危機に直面しているのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の不思議

2009年03月23日 | 身辺記
 春休みで孫達が遊びに来た。来れば喧しい帰れば寂しいのだが、やはり大歓迎だ。ホテルのバイキングが大好きなので連れて行く。ゆで卵を持ってきてそのまま囓ろうとしているので、これはこうやって叩いて殻にひびを入れて剥くんだと教えると、落ち着きのない4歳児が根気よく最後まで殻を剥いた。そのまま食べている。本当はちょっと塩を付けた方が美味しいのにと思ったのだが、薄味に慣れさせた方がよいかなどと余計な医者心が出て黙っていた。これで次からはゆで卵を上手に食べるようになるはずだ。
 見ていると妙な物が好きだ。トマト、生姜、蛸。それに結構好き嫌いがある。何でも食べなきゃと言っても、首を横に振って拒否反応を示す。自分が子供の頃は好き嫌いが言えなかった。好き嫌いも何も、出てくる物しかない世界だった。それでも所謂子供の嫌いな物、にんじんやネギの白いところなどは許して貰えたと記憶する。大人になれば好きになると言われその通りになった。
 今は物が溢れ、少しずつ親が子供に甘くなっているような感じもする。それでどういうことになるか、少し不安でもあるが見守るしかなく、その結果を知るほどは長生きできるかどうか。
 自分の子供では気が付かなかった成長過程が孫になると良くわかる。ちゃんと話が出来ないのに不思議な理解力と記憶力を備えている。子供がこんなに面白い生き物だとは。孫に接して今更ながら驚いている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田原総一郎交代

2009年03月23日 | 世の中
 田原総一郎という人が居る。政治メディアの親玉?のごとく権力に迫っている?が、一体に何を明らかにできたか、してきたか。私は功よりも罪が大きくなってきていると思う。
 二つ問題点を指摘したい。一つはあまりにも問題を単純化し過ぎる。イエスかノーかで答えられるほど世界は単純ではない。経緯と広がりのある複雑な問題を二者択一で答えるように迫るのは無茶だ。
 もう一つは陰謀嗜好だ。政治に陰謀は付きものといっても、いつも他人の言明を疑ってかかるのは解決を遠ざけ前進を妨げるのではないか。
 こういうけしからんことがあるという事態を国民の目に曝すことを活動指針にしておられるように見える。情報開示の優れた手法だとうことなのか。
 二つの問題点は分かってやっていると言われるかもしれない、であればそうした手法で失われる部分を補う必要があると申し上げたい。
 田原交代と告げたくても、ブルペンに人材は乏しいようだ。田原総一郎を退け凌ぐのは誰だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは勘弁1

2009年03月21日 | 診療
 町医者にはそれは勘弁ということがいくつかある。恐らく多くのサービス業の方が同意されるだろうがまず電話だ。開業当初に比べ半分以下に減ったが、それでもほぼ毎日帰宅後電話がある。電話というのは今やっていることを止めて出なければならないので、ほとんど暴力である。重要な用件なら、迷惑と感じないのだが、午前の診察は何時からとか、祝日なのに今日はやっているかとかいう電話には辟易する。そういう人は決して名乗らない。
 家に居ない時は留守電に入れると携帯に転送される仕組みになっている。どういうわけか車運転中とか、医師会の会議中に掛かってくることが結構多い。しばらく走ってコンビニに止めたり、席を外したりして、留守電を聞くと「なんだ、留守電か」ガチャっというメッセージがしばしばあり、こちらの血圧が上がってしまう。どうしてそんなメッセージを入れるのだろうか。「先生、川向こうはねえ」。と当地生まれの医師に首を傾げられた土地柄のせいかと余計なことまで考えてしまう。
 電話なんか出なけりゃいいと言う仲間の医師も多いが、そうすると大切な用件まで届かなくなってしまう。どうしてある犠牲というか無駄を取らないと、実が取れない。おそらく仕事というものはそういうものだろう。しかし、現実には不快な電話のあと15分くらいは、いつももう電話に出るのはよそうと思ってしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする