駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

長谷川きよしを聴く

2009年03月06日 | 小験
 医者になったばかりの頃、よく「別れのサンバ」を耳にした。長谷川きよしは黒いサングラスと良く伸びる澄んだ声の盲目の歌手として記憶に残っている。
 一ヶ月ほど前、ブログで長谷川きよしのコンサートのお知らせを目にした時、まだ歌っているんだという軽い驚きがあった。ちょうど訪れてみたいと思っていた西湘の大磯で開かれるので、思い切って出かけた。
 長谷川きよしはまだ聴く機会があるかも知れないが、最後と言われたシルビバルタンやバーブラストレイザンドの公演を聞き逃しているので、これと思った時は少々無理をしても出かけることにしている。
 会場の海の見えるホールは、百数十メートルの坂を登り切った高台にある四角い質実な感じの建物だ。入り口で抹茶と和菓子が振る舞われ、中に入ると200ばかりの座席がなだらかに並ぶ暖かく親しみやすい空間が広がった。舞台の背景は全面がガラスで、木立の間から海が見えている。
 女性に付き添われて舞台に現れた長谷川きよしは年を取っておらず、記憶と寸分違わぬ小柄な身体をぎこちなく曲げ軽く会釈して慎重に椅子に腰掛けた。二三度ギターを調律すると、やおら激しくギターをかき鳴らし一曲朗々と歌った。
 声は昔の記憶より僅かに力強く、昔と同じ澄んで伸びやかにホールの隅々まで響き渡った。 2時間近く、十数曲、語りと共に十分ほどの休憩を挟んで独唱を堪能した。ホールが小振りで親しみやすいせいか、長谷川きよしの歌の特質か、なにか自分の空間で私的に聴いている感じがした。
 歌の合間の話も面白く、妻がまるで海が見えているように話すのねと囁く。確かにジブラルタルを船で渡れず残念とか、スペインの港町で石段に腰掛けて歌ったとか聴いて光景(不思議だがモノクローム)が浮かんだ。華やかではないが寂しくはなく、か弱そうで力強く、時に鋭く深く長谷川きよしの歌は心に浸みた。
 ホールを出て小雨の中坂を下りながら、コンサートの企画、ホール、歌い手全てが渾然となって、この貴重な一時を生み出したのを感じた。
コメント
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