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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

サービスの加減

2009年03月30日 | 世の中
 医療はサービス業に分類されている。この場合のサービスは奉仕とは少し意味合いが違うらしい。まあしかし、医業には奉仕の精神と奉仕の部分があるのは確かで受付は身体の不自由な方や理解の悪い方には手を差し伸べて対応している。
 受付はいつもは穏やかなのだが、時折憮然としていることもある。というのは、親切が仇というか、親切に食らいつく方がおられるからだ。医療には申請すると、さまざまな公的サービスが受けられるようになるものがある。こんなこともありますよと説明して役所に連絡してみたらと勧めると、「なるほど、それは有り難い。・・・あんた電話してよ」。となる患者さんや患者家族がおられる。勿論、いろいろなハンディのある方なら喜んで代わりに連絡するのだが、単に面倒だから頼んでしまおうというおばさんにはチョットオと閉口する時もあるらしい。
 上記はまあ、どこでもよくあること?なので、首を傾げながら密かにため息をついて?お手伝いしているようだ。
 似たようなことだが、医療の料金体系には目に見えにくい行為の対価のものがあり、AさんとBさんがどうして同じ料金なのだろうかと得心が行かないことも時々ある。
 数ヶ月前から喉の違和感が取れないおばさんが受診された。あちらの耳鼻科こちらの内科に受診したが異常ないと帰されたという。住専や政治の闇と同じように家庭の闇というか、色々話を聞くと実は娘の別れ話で心を痛めている。3歳と5歳の孫が居る。どうもDVや浮気ではない様子。夫婦間のことはわからないと思うのだが、子供が中学を出るまでは仮面夫婦で良いから一緒に居ろと、かき口説いているらしい。「娘が我が儘で」と泣きそう。まあそれだけが原因かどうかははっきりしないが、話をしただけで眉間の皺が減ったので、症状と何か関係があるのは明らかだ。この程度の、話を少し時間を掛けて聞いた、ことで追加料金をなどと世知辛いことは思わないが、自己管理が出来ており、あっさり二言三言で帰られる患者さんと同じ料金なのは妙な気もする。どうも心尽くしというか計量できない労働の評価は難しい。サービス(奉仕)は無償でも根底は弱者に向けてのものなので、そこいらを察していただければと願う。
コメント (2)
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