もう何百枚も死亡診断書を書いてきた。今も年に五枚から十枚くらいの死亡診断書を書いている。年間の診療患者数には僅か数%の変動しかないが、看取る患者数にはどういうわけか年によってかなり変動がある。癌の患者さんを除けば、殆どの方が八十五才以上で百才という方も居られる。癌の患者さんは六十代、七十代の方が多く、若いのにと感じる。
死亡診断書には死因を書かねばならない。昔、研修医の走りだった頃に老衰とか急性心不全で済ませるなと教えられたので、それを守り必ず病態と病名を辿り順序立てて書くようにしている。殆どが三ヶ月以上少なくとも十日間は診ていた患者さんなので、死亡原因を書くのに困ることはないが、希に死亡診断書を前に考えてしまうこともある。それは何でこの患者さんは生きていたのだろうかと感じるからだ。物も言えず寝返りも打てず暖かい介護も受けられず、ひっそりと終わられた患者さんに、この数ヶ月何で生きていたのと聞きたくなる。立ち入ったこと無用の忖度と心得るが、心に浮かぶ思いだ。
死亡診断書は本人の埒外で自ら関与できる物ではないようで、そうでもないかも知れない。ウイリアムモリスとまでは行かなくても、ゆくりなくも最後のメッセージが垣間見えることもあるようだ。