研修医が地域研修の一環として私の医院に回って来るようになって十二年になる。三年目くらいまではこちらも回ってくる研修医も新しい制度のせいか熱心で、どんな研修医が来たか良く憶えているが、四年目以降は研修日数も二三日と短くなり、お互いに新しいシステムに慣れ、印象が薄くなってきた。特徴のない人は記憶から抜け落ち、数ヶ月前勉強会で会った医師に研修でお世話になりましたと挨拶されたが、どうしても思い出せず顔を見詰めながらふにゃふにゃと挨拶することがあった。良くも悪くも印象的なことがないと忘れることがあるようだ。尤も、認知の始まりではとちょっと恐ろしい。
今年も先週一人目が回ってきた。T君という背の高い優男である。車で一時間ほどの近隣の新制市から県内の医学部に進み我が町の総合病院で研修を始めたとのこと、知らない都府県へ行くことは考えなかったのかと聞くと住みやすいところですからと地元志向のようであった。
限られた数なので的外れかも知れないが、研修医が何となくマイナー指向で小粒になってきた印象がある。十年一昔なので。時代の流れもあるのだろう。整形外科志望だそうで、なぜと聞くとやりやすそうだからと言う。外科は大変だからと敬遠する仲間が多いという。どうもこの研修後に進む方向を決める方式には弊害もありそうだ。あの科は夜呼ばれて大変と敬遠される科が出てくる。人を集めたい診療科にしてみれば、やりにくい面も出てきそうだ。目の回るように忙しい科には、積極的で活動的な人ばかり集まることになっては良くない気がする。全体として発展するには多様さ大切で、鼻息の荒いのばかりでも困るのではないか。
T君は話しやすく、こちらの指導を素直に受け入れ、一緒に居て疲れる人物ではなかったのだが、丸二日簡朝から晩まで付き合って疲れた。なぜかと考えて、つまり若さに当てられたのだと気が付いた。健康な二十五六才の研修医は未熟なのだが、若さがみなぎっており、どうも圧倒されたようだ。