中学二三年生だろうか、男子が階段をまるで坂を駆け下りるように滑らかに降りてゆく、忍者のようだと見とれてしまった。下には同級生か部活の仲間か三四人がたむろしており、降りてきた仲間を認めると直ぐ一緒に階段を早足で上り始めた。降りていった生徒も踵を返し、息切れを見せることなく一緒に上がってくる。十四、五才というのは疲れを知らない年頃なのだ。もはやガクガクとしか階段を下りられない私には目映い光景であった。
ケアマネージャーという仕事がある。運良く有能で相性の負いケアマネに当たれば、身寄りの無い年金暮らしの酒と煙草にたたられた肺がん末期の前期高齢者も、穏やかな終末を迎えられる。家賃二万二千円のアパートは築五十年?の崩れそうな2DKなのだが、ゴミ一つ無く掃除され、患者は新しいパジャマを着せられて、窓の外の雑草を眺めていた。往診に来た私に恐縮して丁寧にお礼を言われる。今のところ背中の痛みはさほどでなくトイレまでは何とか歩ける。
食事を配達して貰う手はずも整い、入浴サービスも考慮中だ。病気がもっと進行すればいろいろ難問が待ち構えているが、ケアマネが機敏に動いて対応してくれると思う。
ケアマネのKさんは磨けば光る器量なのだが、うっすらと口紅を轢いたっきりで化粧っ気はなくすり切れたデニムで走り回っている。手抜き家族と戦う忘れられない訪問看護師のNさんも乙羽信子の若い時に似た可愛い人だったが、全くおしゃれに気を遣わず白髪が出るまでかけずり回っていた。ご主人の転勤で岡山に行かれたが今頃どうしているだろうか。
世の中は持ちつ寄りかかりつの気もするなあ。