駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

京都の町を歩く

2013年12月08日 | 小考

 

 京都に来ている。まだ薄暗い町を歩いてきた。家が建て込んで道路も狭く都会という印象は少ない。半世紀前の地方都市に似ている。京都と感じさせたのは寺の多さだ。そう、京都は寺の町だ。中には町の一区画全てを占める大きな寺もある。広い境内、見上げる本堂、寝起きするわけでもない耕地にするわけでもないのにまあよくこんなに大きな建造物を作ったものだと感心した。信心こころの乏しさ丸出しの感想なのだが、今の世同じように感じる人も多いだろう。

  宗教の建造物は目に見えない人間の精神の営みを形にしているとも言える。それを前に不束な感想を抱く自分は何をどの様に先達から引き継いているのだろうか、ホテルに戻る道すがら、二十一世紀の今、こうした伽藍がどのような意味を持ちどんな働きをしているのだろうと改めて問いたいと思った。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする