駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

京都を理解してゆく

2013年12月09日 | 

                         

 京都は千年の都という、本当は千百年と言った方が正確かもしれない。千年が長いか短いか、十歳の子供にはとてつもなく長く、八十歳の高齢者にはさほどでもと感じられるだろう。一世代は三十年、今は寿命が延びたけれども、ついこないだまで人生五十年と言われた。それで見積もっても数十世代の積み重ね、勿論短くはないけれども千年というのは気の遠くなるほどの昔ではない。

 恐らく東京と並んで日本人が最も頻回に訪れる場所だろう。旅行雑誌などでの特集では東京以上に数多く取り上げられ、見るべき場所や食べるべき店が詳細に報告されている。私も医院に置いているサライやダンチューで京都特集を見てかなりの情報を仕入れてきた。そしてもう、二十回以上訪れてまずまずの京都通と思っていた。

 しかし、実は京都は神社仏閣や料亭レストランだけで出来上がっているわけではない。当然のことながら京都は京都生まれで京都に住む人を知らなければ理解できない側面を持っている。ブログを始め、縁あって京都の知己を得た。ネット上だけでなく、お会いしてお話しを伺う機会もあり、改めて京都の智慧と奥深さを垣間見ることができた様に思う。 

 京都の人はいけずなどと言うが、一般の受け取られ方とちょっと違うものを感じている。やや辛辣に感じられる物言いは優れた批評精神に裏打ちされている。批評と批判は違う。物事を掛け値なしにありのままの物差しで見る力を持っておいでの方が多いと感じた。要するに本当のところを見る力が優れているらしい。恐らくそれは長い歴史を持つ自信と長い歴史をかいくぐってきた智慧がどこかに引き継がれているからだろうと推察する。

 でもまあ、ちょっとどうかなと思うところもある。哲学の道などと名付けて哲学から程遠い人達を集めて、道端にこじゃれた小物や甘い物を供する店が点在するのは趣味ではない

コメント (2)
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