居るか居ないか分からない人を空気のような存在とよく言う。影が薄いというよりは、大切さを普段は実感しない貴重な存在といった意味合いだと思う。
確かに空気は動かないとあるかないか分からないような存在だ。ところが動いて風となると百葉箱の中の温度はさほど下がっていない今日のような朝でも、肌を刺す冷たさをもたらす。体感温度が下がるのだ。
寒風に、首を縮め片手をポケットに肩をそびやかして歩いているとリュックを背負った大根足が追い越して行く。若い女性ではなくアラフォーのおばさんで、急いでいるというのではなく最初からジョっギングスタイルで御出勤のようである。一体何をしている人なんだろう。女子高の体操教師かなと走り去る大根足を見て考えた。
私の医院も空気のような存在になり始めている。開院当初から水曜日の午後は休診にしているのに、未だに今日やってないのと午後の四時頃電話してくる叔母さん達が居る。
「午後は休診です」。
「ああ、そうだっけ」。
まあ、空気のように気軽にご利用いただけるのは有難いが、いつか閉院になれば、有難さに気付いていただけるだろう。