駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

「漂流」を読む

2013年12月30日 | 

                    

 生活を考える人のお勧めで、吉村昭の「漂流」を読んだ。

 船は大量の物を運ぶ交通手段として古くから使われ、日本でも江戸時代には沿岸を航路とする千石船によって大量の物資が運ばれていた。この千石船は運搬能力には優れていたが、外洋航海には適さない構造になっていたためシケで難破しやすく、殊に太平洋岸の航路では嵐で黒潮に流され毎年数多くの遭難者を出していた。溺死餓死病死を免れ漂着しても孤島や異郷では生き延びてゆくのは肉体的にも精神的にも大変なことである。 

 「漂流」は江戸時代天明五年(1785)に起きた土佐の千石船の遭難者の記録を基に書かれた小説である。

 今の高知県赤岡の在に長平という若い(二十三歳)の男が居た。彼は主夫(船員)で天明五年一月二十八日、米を運んだ帰り船で嵐に会い遭難する。昨日まで番屋で酒を飲み仕事があれば船の舵を取り港から港を行き来する生活をしながら、気に入って脈のある娘を嫁にしようと決意した矢先のことだ。生死をさ迷う漂流の挙句、絶海の孤島に流れ着き、飲む水もろくに食べる物もない極限状態に置かれてしまう。小説といいながらまるで実録を読むような臨場感を持って、彼が何人かの仲間を失ないながら、新たな漂着者を迎えながら、絶海の孤島の中で生き延びてゆくさまが描かれてゆく。

 大変面白く読んだのだが、こうした物語には異例な?感想を持った。それは日常と極限状態の間には結び難い断裂があるということだ。

コメント (4)
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