あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

物乞い問題

2016年02月23日 13時40分13秒 | インド旅行記
本日3本目の記事です。毎日私のブログをチェックして下さってる心優しい方、ありがとうございます。そして注意して下さい。
まだ業者が来ないので記事書き続けます。3時までには終わるハズなんですがね。
さて、インド旅行記と銘打ちながら、まるでインドレポートの様相になってきたブログ記事ですが、ネタがホットなうちに忘れないように取りあえず覚えてる限りはこのまま続けます。画像がなくてすみません。後回しにさせて下さい。記憶の減退との勝負なんです。
さて、インド経済について問題になってる物乞いについてです。
いいですか?観光客の皆さん、物乞いをやってる人に憐れみをかけてはいけません。観光客がよかれと思って物乞いに施す事はインド経済を衰退させます。具体的に例を上げて説明します。
まずは真面目に働くバスのアシスタントくんの場合
私達のツアーがインドのデリーに到着したのは2月13日(土曜日)の夜でした。夜7時20分にバスは出発その日は空港近郊のグルガオンのビジネスホテル泊。
翌2月14日(日曜)はバスはデリー観光後ランチを終えて西のジャイプールまでロングドライブ。この辺りでバスの窓や車内が綺麗に掃除されてるのに気付きまして、聞けばバスのアシスタント君が朝4時起きで2時間かけてバスと清掃してる。つまり日曜日も働いてる訳だね。
あ、ちなみにアシスタント君は17才。運転手さんが先生でやがてよいバスの運転手になるべく修行中です。バスの運転手とアシスタント君は二人セットで先生と生徒の関係で仕事を教えられ覚えていくのです。
2月15日(月曜)ジャイプール滞在。しかし観光地へバスは観光客を運びます。今回の旅はジャイプールの旧市街にある風の宮殿・シティパレス・ジャンダル=マンダルの3つの名所は500平方メートル圏内に集中してましたが、移動はバスでした。観光客の観光は午後も続きます。
ところでインドは停電が毎日のように発生します。停電すると信号も消えるので警察官が手信号で車をさばきます。となると渋滞発生です。アシスタントくんは状況に応じてバスから飛び出していきます。時には渋滞にはまって動かなかったバスが突然走り出したら、全力で追いかけたりしてました。大変です。この日は山の上の城砦から街に落ちる夕暮れを眺めるというのもありました。
あ!書き忘れてましたが、インドの高速道路には街灯がありません。街中にもありません。基本夜は真っ暗です。そして法律により日中は街の中にトラックが入るのを禁止してるので、夜の高速道路は荷物を満載するトラックが主役です。でも牛が高速道路にもいるのがインドです。
そして観光客がホテルに戻った後。ってか早朝にバスのアシスタントくんは2時間かけてバスを洗うのです。
2月16日(火曜日)この日は朝8時半バスは出発。ジャイプールからアグラげロングドライブです。午後ファーテクシプリというアグラから南へ30キロの遺跡を観光。その後アグラの街へ向います。途中、いつ来るか謎の汽車を待ち遮断機が降りたり。アグラの街のホコリと汚さに驚くのは観光客くらいで、これがインドの普通のようで。そして今夜もアシスタント君はバスを洗います。夜のうちにやらねばならんのです。なぜって客が

関東電気保安教会が来た!あっちゅー間に終わったけど、時は既に午後2時を過ぎてる。もう今日はこのままブログ書きしますわ。
続けます。
2月17日(水曜日)朝6時半ロビー集合、観光客がタージマハルと朝日の鑑賞に出かけるのだ!1日観光客はタージマハルとアグラ城観光をして、夕刻小さなレストランの屋上で街中からタージマハルを眺めつつティータイム。日が落ちてのホテル到着です。そしてアシスタント君のバス磨きはこれから始まる…。なぜって翌朝は出発が早いのだ。
2月18日(木曜日)朝5時半真っ暗な中アグラのホテル出発です。アグラからデリーへはインドで一番の高速道路は通っていて(高速道路の通行料が、他の高速道路の3倍する)途中までは順調でした。夜明けが朝の6時15分頃。明るくなって雨が降っているのに気付きます。

せっかく2時間かけてみがいたバスが、汚れていきます。実はデリーは現在北京より大気汚染が酷い都市で名をはせてましてね。汚れた空気中のあれこれも、街路樹や街にこびりついてる汚れも雨と共に落ちてくるんですよ。
そして、デリー名物の大渋滞にハマル…。快適な高速道路を抜けた途端、ビタっと止まってしまいました。
デリーの街の車窓。汚れた街の埃が雨と共にバスの窓を汚す。
道路の少し先で、別の道から合流してまして、どっちも渋滞してるから殆ど動けません。更に法律でバスは左端のレーンしか走ってはいけない決まりがあり、でもって左端なので二輪車も同じレーンな訳。運転手さんのイライラは募ります。なぜって、観光客をこの後13時30分発の飛行機に乗せねばなりません。時間はあるようでないのがインドのチェックイン作業です。これが…。時間がかかるかかる。
そして10時30分、バスは無事に空港に到着です。ここでデリーから6日間乗り続けたバスとはお別れです。アシスタント君のバス洗いも一先ず終了です。
アシスタントくんは旅の添乗員の無茶ぶりで、インド国歌を心よく歌ってくれました。「17才の若者の間で今流行ってるものは?」との質問には答えようがなかったようで沈黙してました。
さて、このバスの真面目なアシスタント君の一月の給料はいくらでしょうか?
聞いちゃいました!
実はね、今ここで写真撮っておかないと、後々旅の漫画を描く時に困るだろうと思い、アグラからデリーへの移動の途中に立ち寄ったドライブインで写真を撮らせてもらったのね。その時にバスの運転手とアシスタントくんと私達の旅のガイドさんがチャイ休憩してました。そこへ私がふらふらと近寄っていった訳。んで、やらかしてしまった~。アシスタント君のぶんだったチャイを私が横取りしてしまったのだ。もちろんすすめられても一旦は断ったんだよ?でおまあなりゆきでチャイをもらっちゃったのだ。しかし、さすがに気がひけて何か持ってないか?とさぐったらキシリトールの飴とキャンディーが出てきた。それをアシスタント君に渡したら、すかさずバスの運転手から指導が入り「お客さんに何かいただいたらお礼をいいなさい」と云われ、アシスタントくんに丁寧なお礼を言われてしまい恐縮しちゃいました。
しかし…。キシリトール飴。しかもジンジャー&シトラス味。ないわ~。バスが走り出し、他に何かないか?さぐったら、小分けのキットカットが2袋でてきた。後はお別れの時にバスの運転手とアシスタント君に「ありがとう」と「さようなら」をヒンディー語で言えたら完璧ね。
ま、始めて使うヒンディー語はかんでしまったのですが、おおむね心は伝わったと思っておきましょう。
さて、アシスタントくんと運転手さんはバス会社に雇われていて、毎月の給料が出てます。
教導役のバスの運転手の一月の給料が凡そ1万円。
勉強中の生徒役のアシスタントくんの一月の給料はなんと驚きの安さの凡そ2000円ぽっち
でした。
こんなに真面目に一生懸命なのに、2000円ですよ。2000円。今回の旅では日曜日も働いた彼らですが、まあ一週間に1日は休みがあると仮定して、2000÷25日=1日あたりの給料は80円ぽっち。インドルピーに換算すると40ルピーです。
な、ないわぁ~~。
参考までに、大統領の給料30万円/月 首相の給料22万円/月 だそうですよ。
さて、ここでこのブログ記事のお題「物乞い問題」についてです。インドには数多くの世界遺産があり、それこそ世界中から観光客がやってきます。観光客が集まる観光地には物乞い達が待ち構えてるのです。そんな彼らは職業物乞い。つまりプロな訳です。例えば女性の場合、汚いサリーを来て見た目も垢染みて汚した上でその辺のうちから赤ん坊を調達します。片手には空っぽの哺乳瓶を持つのも忘れません。レンタル赤ん坊(もちろん有料で物乞いの稼ぎが増えるように有料で赤ん坊を借りている)または本当に自分の子がいる場合、赤ん坊にもお金をくれというポースを仕込む。この場合、赤ん坊はヴァラナシ語をしやべるより先に『マニ』と覚えさせられるのです。
最初にレンタル赤ん坊の話を聞いた時はさすがに嘘だろうと思いましたが、見ました!ヴァラナシの朝、ガンジス川の夜明けを見に行く途中で何人も聞いてた通りの赤ん坊連れの女性が何人も待っていたのです。恐ろしい事に涙を流す演技つきで。
うわ~~~。たまらんなぁ~。
それでも観光客は彼らに何も上げては行けません。
例えば観光客が持つインドのお金の最小単位はおそらく10ルピー札(およそ20円)です。一人が彼女に施しをしたらば、それだけでバスのアシスタント君の一日の給料の1/4になるんですよ。
いいですか?もっぺん書きますよ。職業物乞いの女はプロなのです。汚いサリーは物乞いの衣装です。哀れな表情も演技です。観光客からいくら金をむしるかしか考えてない最低人間なんですよ。ちょっとの時間哀れさをアピールするだけでぼろ儲け出来るなら、真面目に仕事を続けようと思うでしょうか?そしてインドには物乞いが蔓延してるのです。この状況を作り出している犯人は物乞いに施しを与えていい気分になってる観光客のアナタです。
女性がとる手段も姑息で気がめいりますが、男性の物乞いも大概です。
私が目撃したショボい10本パックのボールペンの土産物売りの男性は、レストランの前の駐車場で入る時に「10本で1000円(凡そ500ルピー)」という暴利をいいながら、哀れをよそおい松葉杖をついてました。でも食事を終えてバスに戻る時には同じく「10本で1000円」といつつも普通に歩いてました。松葉杖どこへやった?もしかして松葉杖は時間決めでレンタルしていたのか?もうなんでもアリじゃん1こういう物乞いと紙一重の土産物売りも相手にしてはいけません。
更にエスカレートすると、その足ど~みても物乞いする為にわざと切断したよね?そこまでやる??と呆れるばかりです。もしかしたら断肢したのは物乞い親方かもしれませんが、どっちにしても酷いものです。それを見せつけられる観光客は勘弁してくれ!となりますが、発展途上の国にはままあることです。私達観光客が彼らに出来る事は物乞いにお金を与えないことです。金にならないならちゃんとした職業につくほかないですからね。赤ちゃんの頃から物乞いさせられてたら、大きくなっても物乞いになるものな。まず国から物乞いを駆逐すること。国としても物乞い撲滅を目指してます。観光客は旅の始めにまずバスの中で物乞いを無視するようにレクチャーを受けます。

ちなみに、旅のガイドさんが日本を旅した時のお話も聞きました。ええ。聞いちゃいました。だって、インド人から見た始めての日本旅行って興味あったんだもの。
彼は旅したのは4年前の5月23日に一人で日本を旅しました。
私「どこへ行きましたか?」
ガイドさん「奈良・京都・大阪・姫路・埼玉の大宮・東京・蕨市・五反田(五反田にはガイドさんの会社の社長が住んでるから)へ行きました」
私「日本の印象は?」
ガイドさん「東京はビルが大きい。街がきれい。電車の中もきれい。でも静かです。物価が高い」
私「他には?」
ガイドさん「ごはんが美味しかった!でもうっかり牛を食べてしまいました。牛美味しかったです。帰国してからガンガーに入ってお祈りしました。牛を食べた事はインドでは内緒にしてます」
私「他には?」
ガイドさん「日本の乞食が綺麗で驚きました。綺麗な服を着てたね」
私「日本で乞食?え??どこで見ましたか?」
ガイドさん「大阪の塔の駅で」
私「通天閣ですね。あそこは西成のドヤ街が近いから…」
そういえば、ガイドさんのお友達が日本で刑務所に入った話も興味深かったな。
ガイドさんのお友達は、日本で交通事故を起こして収監されたそうです。
ガイドさん「日本の牢屋は冷暖房完備。美味しいご飯もでる。服も綺麗。とても快適だった!話を聞いて私はとても驚きました」
う~む。2月なのに30度超えてるインド人からしたら、冷暖房完備は信じられないでしょうね。
インドの5月は50度超えの日々。そして電気の使い過ぎで連日の停電。なので5月は学校が休みになるんだってさ。
次はそうだね。停電の話をいってみよーか?
今日のトップ画像は私達の旅の観光バスです。画面中央右手で頭に黒いターバンを巻いている男性がバスの運転手さん。バスの側、左手にいる少年がアシスタントくん。
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ヒンズー語じゃないじゃん!

2016年02月23日 10時44分31秒 | インド旅行記
本日2本目の記事です。日々私のブログトップだけチェックして更新を確かめてる方はご注意下さい。
今日はマンション設備点検業者が来るまで部屋から出られないので、書けるだけ記事を投稿します。一昨日の日曜日に帰国したのに早くもネタをどんどん忘れてってるの。サルベージしないと~~~。

インド旅行を決めた後、いつものごとく図書館から旅の指差しシリーズより【ヒンズー語】というのを借りて来ました。ここでなぜにインド語でない?のかちょっとは疑問に思うべきだったんですよ。
今回の私の旅先は、いわゆる北インドのゴールデントライアングル。デリー・アグラ・ジャイプールに聖地ベナレスを訪問するというものでした。世界遺産も7つ巡るインド初訪問者向けの旅です。
しかしですね。彼らの使ってる言葉はヒンズー語だけではなかったんですわ。
首都デリーはヒンディ語
ジャイプールはラジャスタン語。
アグラはヒンディ語。
ヴァラナシはヴァラナシ語
です。
しかしヒンディ語は一応公用語なのでヒンディ語の旅の指差しシリーズも間違いではありません。指差しシリーズは日本語の下にヒンディー語その下にヒンディー語のカタカナでふりがながついてます。指差しながらのスーパーの買物では欲しいものが短時間でゲット出来てお役立ちでした。
ですが外国人観光客が訪れる場所、すなわち観光地。レストラン、土産屋、ホテル。空港などでは全て英語を話せるインド人ばっかりでした。まあ、インド英語なのでなまりはありましたが、そんなんジャパニーズ英語を片言でしゃべる私と大差なく…。なので有名な観光地しかめぐらないツアー客ならば、馴染みの全くない、イントネーションも分からないヒンズー語をしゃべるより、英語に統一して会話する方が気楽です。もっとも現地に飛び込んで現地人と街中でコミュニュケーションしたい人は別ですが。こちとらまだ女の子やってるのでね。ガイドさんらに危ないからくれぐれも勝手に街をうろつくな!と釘を刺されてしまいました。しかも何回も!ちっ!!ぶらり街歩き計画がおジャンじゃ~~っ!!
「でも○○が欲しいんですよね」とか「ダンナの会社の人にばらまき用にインドのスナック菓子を土産に買いたい~。コショウも買うんじゃあ~~。紅茶だって本場の茶葉買う~~。ア○○キ○って店で布を買いたい~~」と欲望に任せて主張しまくりましたらば、あ~ら不思議。今回の旅は客が19名。うち女性が13名もいたので、私の物欲に巻き込まれたのか、皆さん次々に賛同されまして、あらかたバスでまわり欲しいものが手に入りました!ラッキーです。
ガイドさんには何度も熱く主張しとくものだとつくづく思いました。まあおかげさまで散財しましたが。 インドの民族衣装のサリーだってオーダー買いしちゃいましたし。目的の品をあらかたゲットしたので悔い無し!です。
あ。忘れる所だった!
日本人が多く訪れたいムンバイやエローラの石窟・アジャンダの石窟のある地域の言葉はマラティー語といいまして、また違う言葉です。しかもムンバイの政治家が無茶な人でして、インドの大統領にさえムンバイに来たら現地のマラティー語をしゃべらせるとか。もうね。呆れるよね。なので突っ込んで聞いてみた「それって政党の力が強いから無茶を言うの?それともお金?」と尋ねたれば「お金です」だそうで。
けっ!金を持ってると無茶も通るのね。
ちなみに、これらの言葉の違いですがね。どの程度違うのか疑問に思いまして…。
私「例えば日本にも方言があって関西弁と江戸弁では話し方が違うけど何を言ってるかはわかる。その点ヒンドゥ語とマラティー語は相互理解はどうなの?」
ガイドさん「全く違います。互いの言葉を理解出来ません」
だって。
私「じゃあ、書き文字は?互いの言葉で書いた文字は理解出来るの?」
ガイドさん「全く理解出来ません」
だって。
じゃあどないしてるのか?と言えば…。例えばトイレです。まず上にアルファベットでTOILETと書いてその下にヒンディ語で書いてあるのだ。更に近くにはアルファベットでtoiletと書いてマラウィー語でトイレと書いてあったりTOILETの下にインドで使っている2つの言葉を表記してあったりするのです。まあ外国人は現地語はどっちにしても単なる記号に見えるんですが。
前の記事にも関連するのですが、公共の学校では英語は教えてません。有料の学校でしか英語は学べないのだね。確か学校のあれこれやどんな人が先生になれるか?その場合の給料についても質問したハズなんだが…。どこに書き留めたのか?解読はしてあるのか??
いやね。バスの中でガイドさんが話してくれるのを必死に書くんですが、インドの道が悪過ぎる~~。もうね。自分の字が解読出来ないんでやんの。それでも旅の最初のまだ元気なうちは昼聞いた事を夜に必死になって机に向って清書していたのですが、ある時tvをつけたら、あまりにインドのテレビ番組が面白くてそれどころでなくなってしまい…。今ブログ記事にしようとして反省してます。自分の書いた字が解読出来ない…。辛い…。
あ。ちなみに、インドには地方地方にそれぞれ別の言葉があり、インドサファリやコルカタ(日本人にはカルカッタで馴染みの都市)あたりはベンガル語。南のコモリン岬が派手派手寺院や香辛料の産地あたりはタミル語。他にも言語は入り乱れてます。さすがにヤバイと思った政治家がかつてヒンドゥー語に統一しようとしましたが失敗しました。みんな自分達の言葉に誇りを持っているからだとか。まあ、それでも最近は学校教育でヒンドゥ語を使うようにしてるとか。まずは子供の教育からって事ですかね?頑張って欲しいものです。
ちなみに私達のツアーのスルーガイドさんは、カシミール地方出身です。20代にデリーに出て来て働きなばら、本を読んで日本語を勉強し旅行会社に就職したそうで。スルーガイドなので、南インドもガイドしてますが、彼は現地語はしゃべれない。その場合現地ガイドさんがつく。つまりヒンドゥー語のスルーガイドが分からない場所や聞きたい事を現地ガイドとヒンドゥー語でしゃべり、それを日本語に変えて日本語でガイドしてくれるんですよ。
そういえば…。今回の訪問地のジャイプールでもヴァラナシでも現地ガイドさんがついてたわ。今思い出した! ガイドさん曰く、「店に掲げられてる看板も現地語で書いてあるから私は読めない。理解出来ない」だって。ふ、不思議の国インド~~。

インドといえば世界一有名な映画ですね。あれは大半ムンバイで制作されてます。そして北インド向けの恋愛映画は基本ヒンディ語で作り、南インド向けの冒険や戦いもある映画は…え~と?タミル語だっけか?うろ覚え。どこかにメモしたハズが、(後で調べて間違ってたら訂正します。今は覚えてる間に先に文章にしときたいので)
さて、またまた疑問に思った私は質問した訳だ「ヒンディー語の映画を南の人が見たいと思ったらどうするの?アテレコするの?」と尋ねたらば「そうです。でもヒンディの恋愛映画は南の人はあまり見たいと思いません」だって。
ちなみにテレビをつけると、画面の下にヒンディー語PM2:00-PM5:00改行してタミル語PM5:00-PM8:00とか最初の数秒間表示されてました。う~む。やりくりの仕方が凄いわ~。
ちなみに、ムンバイで作っている映画は別名ボリウッド映画といって、1本あたり3時間半はあるそうです。踊りや歌が入るからね。長くなる訳だ。男も女も踊りまくるあのインド映画ですよ。これがインド人は大好きで、映画館は朝も早よから夜遅くまでやってるそうです。世界標準のハリウッド映画は観覧料が高い割に短い。すぐ終わるから不人気なんだって。
ならば…。と政治家はどないして言葉をやりくりしてるのか?また疑問に思い尋ねたら「ヒンディー語で発表して、地方で現地の言葉に翻訳してます」だって。だから法律などは全国同じものを守ってるそうな…。
ああ、不思議な国インドです。ちょっと疑問に思って聞けば、新たな疑問は2倍3倍産まれるという~~。数日インドをちょろりと旅した位ではまったく訳が分からないよ…。
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なぜ病院でレイプ事件が起こるのか?

2016年02月23日 09時39分14秒 | インド旅行記
本日1本目の記事です。追加で記事たて投稿あります。

インドに旅立つ前に、軽くWEBのインドニュースを見たらば「レイプされた女性が収容された病院で再びレイプ」というのを見つけました。
これを日本の常識で測るととんでもない事件なのですが、インドに行った途端に(そりゃあそういう事件は起り放題だわ)と納得しました。悲惨な事件に一見見えますが、ありふれてるんじゃなかろうか?
というのも、インドでは有料・無料というのがあってですね。病院や学校も治療費・薬代・入院代・救急車利用代、全て無料の公共の病院に制服・昼食・学費無料の学校がある一方で、全部有料の学校や病院もあるのです。無料の公共の病院は大人気で、病院の前に大勢が集ってますし、病院の前には救急車も待機してるし、道の向いには薬局が軒を連ねてます。もちろん病院に通う患者さんは薬局のお薬も無料でもらえるとか。これだけ書くと素晴らしいのですがね。
例えば、病院に入ったものの、治療がいつになるかわからない。そもそも医者の数が足りない。更にはまともな医者だと評価されるには、外国に留学して経験や技術を取得してないとダメ。しかしそういう医者は無料の公共病院にはいない。更には病院の数に対し患者さんが溢れてて、廊下にも患者が寝ている。そして患者はどんどん死んでいく。ベッドが空いたら即埋まる。そんな有様でどうしてレイプ事件が起こらないといえるのか?
更にはこれはまた別に記事立てしたいと思いますが、インドと言えばカースト制度です。
世界史や地理の勉強で出てきたかもしれませんが、カースト制度は気が遠くなる程長く続いていて、これがインドの成長を阻害してるのです。カーストに問題があるのは分かる人は分かっていても、そうそう問題に手をつけられません。何しろ世界的にはインドで一番有名な人だろうあのガンジーさんでさえカースト制度改革に失敗してるのですよ。(ガンジーさんのかーストは上から2つめのクシャトリアだったハズ。金持ちの家の子で、弁護士になるべくロンドン留学経験あり。その後南アフリカ長い事弁護士をやっていたが、南アフリカの人種差別が酷くなりインドに戻る。帰国後はインドの英国からの植民地支配からの独立に尽力。最後はイスラムとインズーの対立が厳しくなる最中ヒンズー教徒の過激派に暗殺される)ちなみにカースト制度はインドのヒンズー教徒のみにある制度です。ヒンズー教徒の割合はインドの総人口の82%を占めてまして、まあ私達外国から見るとカースト制度=インドの人というように映る訳ですね。
さて、ヒンズー教徒は基本同じカースト同士でしか婚姻しませんし、同じ村には同じカースト所属の人しか暮らしてません。更にはつける職業もカーストに縛られてます。そして外国の人がどう不思議に思おうがカーストの移動は絶対に出来ません。
恋愛は自由だ?
あり得ません。例えば結婚式の当日に花嫁花婿が互いの顔を見るってのは珍しくないそうですよ。日本にも見合いババアがかつては大勢いて、あちらの家とこちらの家の格が釣り合ってるからお見合いを設定しましょう。って世話をする半ば見合い斡旋職業みたいなのがありましたが、インドも結婚は基本お見合いです。更には占いがモノをいいます。例えば花婿の誕生日の星座と花嫁の誕生日の星座を見て相性とかもすり合わせるというように。
この辺も不思議の国インドだったのですが、今日の記事の主題から逸れるのだまた今度。とりとめもなく書いてるので話の整理がついてませんね。
さて。学校です。これは基本男女共学。カーストに関係なく学んでます。小学校(5年)・中学校(3年)・高校(4年)には基本制服があり、色は青・白が多い。大学(3年)には制服がない。
しかしですね。お昼時にはカーストが顔を出します。ヒンズー教徒は同じカーストの人と食事するのです。交わりません。
ちなみに、ブッダのカーストは王族なので上から2つめのクシャトリヤでした。ブッダがかつて断食修行した時に、スジャータが乳を差し出します。スジャータは4番目のカーストシュードラでした。(ちなみに、現在シュードラが一番多く4割を占めてます。またシュードラによる職業も多い。)さて4番目のカーストにあるスジャータが差し出した乳をブッダがどうしたか?
ブッダはこれを受け取ったんですね。私ら外国人から見るといいお話ね。となるのですが、そこはカーストに生きる国です。当時ブッダには5人の弟子が従っていました。しかし4番目のカーストのスジャータが差し出す乳を、2番目のカーストのブッダが受け取るなどとはあってはならない事でした。5人の弟子は師であるブッダを見限り去っていくのです。ところで、もうすこしこのエピソードを突っ込んで書きますと、当時スジャータは確か嫁として子が産まれない事に悩んでました。菩提樹の樹の下で修行するブッダが彼女には神様に見えたようで、ブッダがカースト2番目のクシャトリヤの人間だと知らずに辛い修行を続けていたブッダに乳を差し上げた。つまり神様へのお供えだったのです。
さてここで問題です。
ブッダが生きていた時代はいつ頃でしょうか?
答え:なんと、紀元前463年から紀元前383年頃とされてます。
そうなのです。つまりカースト制度には2000年を超える歴史がある。のですよ。となると、ヒンズー教徒には互いの顔を見ただけでどのカーストに相手が所属してるか一目瞭然なんだとか…。進化の法則ですか?遺伝って怖いですね。だからカーストの違う相手と間違って交際することはほぼないし、幼い頃から叩き込まれます。そしてカースト上位のヒンズー教徒は自分のカーストにプライドを持っています。金も持ってます。その社会でカースト制度改革なんて無理なんですよ。
ちなみに現在の大統領も副大統領も上から2番目のクシャトリヤ階級所属です。上のカーストの人は同じカーストの料理人が作ったもの、同じカーストの給仕がサーブしたものしか食べません。だからホテルやレストランに勤められるのはカースト上位の人であり、下のカーストだと就職以前の問題になるのです。ちなみに私達のガイドさんも2つ目のカースト所属のクシャトリアでした。名前を見ればカーストが分かる僧で、ガイドさんの名前はムガル帝国を築いた王様の名字と同じでした。
ちなみに、インド人にとってなくてはならない牛乳は、1番目のカーストのブラフマーは搾ってます。ちなみに1番目に所属するのは僧侶です。
もうね。宗教とカーストは別建てブログにするつもりでしたが、こいつらが何かにつけ顔を出すせいで、どう書けばカースト制度に全く馴染みのない日本人にインドが理解出来るか難しいのね。見れば分かると答えるのは簡単なんだけどさ。それにはインドまで行かないと~。
という事で、今一まとまりませんでしたが、「インドでは病院で女性レイプ事件はわりとあり得る」でした。
あ!
金持ちはね。有料の救急車に乗って(ちなみに、自分の車で行くのが普通)、有料の病院で外国帰りの医師に治療を受けるんだよ。だから金持ちがレイプされるなんて事は起きないだな。

追記:
「首都デリーの市内バスでレイプ事件が発生」というニュースをかつて読んだ事があります。
この事件を受け、現在デリー所属のバスは全てカーテンを取り外し走っています。これは外国人向けの観光バスも例外をみとめられてません。

車内の様子。ごらんの通り、観光にはカーテンがないのは大歓迎ですが、車内で日差し対策は必要です。
なので観光客は早いうちに日除け用のスカーフをゲットするか、日本から持参しましょう。最初はバスの中で帽子で対応出来るか?と思ったのですが、横からの日差しがあって、この場合帽子をかぶっていても顔の下半分が日焼けします。女性には大問題です。
追加情報として、デリーを走る市内バスですが、バスの色で設備と運賃に違いがあります。簡単にいうと冷房のあるなし。緑のバスと赤いバス。最近はインド人も裕福になり、赤い冷房付きのバスが人気で満員のようです。
(2016年3月17日、画像を1枚追加しました)
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