あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

徳川将軍家の浜離宮

2019年02月28日 05時48分17秒 | 歴史散歩
2019.2.24の散歩は巨木探訪ですが、せっかく浜離宮恩賜庭園にいるのだから、ちょっと脱線して歴史散歩をしたいな〜。で、潮入の池の岸に並ぶ5本のトウカエデを鑑賞した後、4つの御茶屋を見学へ。
トップ画像は燕の御茶屋です。燕の御茶屋は平成27年(2015)に史料に基づき復元されました。外からそっと中を見ました。中には入れません。
説明板発見:『燕の御茶屋」は11代将軍家斉の時代の天保5年(1834)までに建てられたもので、室内には将軍が座るための上段が構えられ、将軍自身が接客・利用するための建物であったと思われます。「燕」の由来は燕型の釘隠金具が使われていたことや燕子花(かきつばた)が由来とも言われていますが詳細は不明です』

次は鷹の御茶屋です。いただいたチラシによりますと「11代将軍家斉の時代に建てられた鷹の御茶屋は、平成30年(2018)に復元。こちらは内部の見学が出来ます。「鷹」の御茶屋は寛政7年(1795)頃に建設され、将軍が鷹狩りを行う際の、待合や休憩所として利用されていたと考えられます。
他の御茶屋とは異なり、茅葺屋根や、内部の土間叩き(将軍が鷹狩りの合間に野間支度のまま立ち寄れるように広い土間があった)が特徴の、農家風の佇まいの建物です。」とあります。
画像の右を回り込むと鷹部屋がありました。

初見で足が止まったけど、じっくり見ると等身大の鷹人形でした。鷹部屋の表面に貼られてるガラスに庭が反射して分かりにくいのですが、架木(鷹が留まる木)と餌棚、架垂(鷹が暴れてもつかまりやすいようにゴザをかける。再現してあるのは畳表を使ってる。
鷹部屋は珍しいなあ。
鷹部屋の説明です。

江戸時代の鷹狩りのやり方が図解してあります。基本囮のアヒルで鴨を引き掘りにおびき寄せ、土手から鷹や網で捕る猟です。

ちなみに、鷹の御茶屋の建設の様子を10分間のテレビ番組にしてエンドレス放映してました。史料に基づき忠実に復元してるので、昔の建物の建て方が興味深かったです。
ちなみにいただいたパンフレットによりますと、「歴代の将軍たちは『御茶屋』で賓客と共に景色を楽しみながら食事をしたり、調度品を鑑賞したりするなどして過ごす他、鷹狩りの際は休憩場所としても使用していました。

こちらは将軍が休憩や暖を取る際に腰を掛けるための畳敷きの上段です。

次は松の御茶屋です。手前に船着場がありますね。潮入の池は海水を引き入れており、潮の干満のよって池の趣きがかわる趣向です。江戸の庭園では唯一現存する海水の池だとパンフレットには書いてありましたが、どこかで池が満ち引きする池を見た気がするのだけど、思い出せない〜。どこでだっけ?ちなみに、いただいたパンフレットによりますと、浜離宮恩賜公園は北を築地川・南を汐留川・東を東京湾・西は濠です。

画像は大手門を入ってすぐ、三百年の松の先、内堀と築地川を繋ぐ場所。舟で出入りできたんですね。

松の御茶屋も11代将軍家斉の時代に建てられたものを平成22年(2010)の復元されました。実は2009年9月に浜離宮を訪問してまして、その頃には現在ある4つの御茶屋のうち中島の御茶屋しかなかったのね。

画像を見るとデッキに人影がありますね。中島の御茶屋では抹茶と和菓子のセット(有料)を楽しめる茶店です。
散策を再開。安永7年(1778)に築造された庚申堂鴨場へ向かいます。実は庭園見取り図には庚申堂鴨場は大きな池が描かれてますが、潮入の池の横堀沿いに歩いても鴨場は見えません。ただ小覗と引堀が何個か並んでました。

画像の中央の台形が小覗。画像の左手地面に伸びてるのは引掘です。

小覗は読んで字のごとく、中央に開けた小さな隙間を覗くのです。覗いた先は引掘。囮のアヒルが獲物の鴨をおびき寄せる仕組み。

こちらが猟の手順を図解したもの。
さて、ここで浜離宮恩賜庭園の歴史を紹介。いただいたパンフレットによりますと「徳川将軍家の庭園:海水を引き入れた潮入の池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には江戸城の『出城』としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。
承応3年(1654)、徳川将軍家の鷹狩り場に、4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。
その後、綱重の子、綱豊(家宣)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになりました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、11代家斉の時代にほぼ現代の姿の庭園が完成しました」
ここまでが浜離宮恩賜庭園が江戸の徳川将軍家のお庭だった時代です。明治に入ると浜離宮は皇室の離宮となります。
「『浜離宮』と名を変え、関東大震災や戦災によって、御茶屋などの数々の建造物や樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945)11月3日、東京都に下賜され、整備ののちに昭和21年(1946)4月から「浜離宮恩賜庭園」として公開されました。その後、昭和27年(1952)11月22日に「旧浜離宮庭園」として国の特別名勝および特別史跡に指定されました」とあります。
浜離宮には明治の面影も残ってます。

説明板発見:可美真手命(うましまでのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、手柄をたてたと言われる軍神の銅像です。
明治27年(1894)明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品であります。台座には、佐野昭政策、すぐき長吉鋳と記されています」とありました。

銅像の側に芳梅亭という古民家が。ここさ、有料で貸し出しの建物でした。来歴はわからないけども、玄関口から建物を覗くとガラス窓があったので徳川のものじゃないかと。まあ浜離宮にあった徳川時代の建物は焼失し現存してないから〜。
うっかり浜離宮の歴史を楽しんでしまい、散策予定時間を大幅にオーバーしてしまった!時計がすでに11時なんだけど〜??と言っている!まずい〜〜。

今更だけど足早に大手門へ戻る。うっとりする石組みにまた足が止まってしまった〜。
おまけ:

江戸の鴨猟の方がシステマちっくに思える。ちなみに、ラクロスっぽい網も実物大で展示されてます。
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巨木探訪・浜離宮、吉宗ゆかりのトウカエデ

2019年02月27日 05時28分25秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月24日の小田急東京メトロパスを利用しての巨木散歩。1つめは浜離宮恩賜庭園の三百年の松とトウカエデ(唐楓)です。三百年の松は有名ですが、トウカエデはどこにあるのだろうか?場所の特定を仕切れずの見切り訪問です。というのも、2月22日(金曜)までは浜離宮へ立ち寄るつもりはなかったの。直前で天皇陛下在位30年慶祝記念事業でこの日限定で入園無料になると知り、急遽予定に組み入れました。なので下調べが追いついてない。でも大丈夫でした。浜離宮では大手門口に案内のおじさんを見つけ、トウカエデの場所を教えていただきました。
潮入の池の西側の岸に目的の木が5本まとまってあります。
花木園を抜けて潮入の池に出ると、3つのお茶屋が配置されてます。トップ画像は去年平成30年に往時の姿で再建された鷹の御茶屋です。御茶屋の紹介は浜離宮の歴史紹介だから後回しにして、まずはトウカエデを目指します。

鷹の御茶屋のそばには潮入の池の岸から小の字島と中島を結ぶ118メートルの総欅造りのお伝い橋があります。上の画像の藤を絡ませてる橋がそれ。橋の右奥の向こう岸に落葉中の木が見えますね。これが目的のトウカエデ。お伝い橋で向かおう。

途中で遠景を撮影。ちょうど5本全てを写せました。中央手前に1本。少し奥に2本並び。左手に細めの1本。分かりにくいけど、左の細めと中央手前の間に奥にもう1本見えてます。中島の御茶屋をスルーしてまず1本。

奥に3つの御茶屋がいい感じに見えるけども、今日の記事は巨木散歩ですから木が主役。トウカエデは樹皮が特徴的だなあ。

振り返って同じ木を撮影。右奥に見えるのが茶店でもある中島の御茶屋です。ンなことはどうでもいい。

これが浜離宮恩賜庭園で配布のパンフレットでは『吉宗ゆかりのトウカエデ』と紹介されてる木です。現在5本が残存してますが、それぞれに樹形が違います。一番大きい木を選んで、いつものダンナによるハイライト撮影。

大きさがほんのり分かりますか?巨木の本によりますと「トウカエデは中国の長江下流域を中心に自生する落葉高木です。葉は卵形で多くは先が三裂しますが、全緑のものもあり、秋に黄色や赤色に紅葉します。街路樹として都内で普通にみられますが、日本に初めて渡来したのは江戸時代で、その時の株に由来するらしいものが、浜離宮と旧江戸城西の丸(現在の皇居吹上御苑)にあります。
浜離宮には並木のように並ぶ5本があり、樹高20メートルほどで、いずれも大きく枝を広げ樹勢は旺盛です。
江戸の名高い植木屋であった伊藤伊兵衛の家説に、トウカエデが渡来した時の経緯が残されており、中国から贈られた経緯が残されており、中国から贈られたトウカエデを伊兵衛が接ぎ木して増やした旨が記されています。なお中国では唐楓ではなく三角楓といいます」と紹介されてました。
巨木の本にはトウカエデの樹齢の記述がない。けどトウカエデを伊藤伊兵衛が接ぎ木して〜というのとパンフレットに吉宗ゆかりのトウカエデとありダブル検索したら、江戸の園芸家で「染井の霧島屋の園芸家で当主は代々伊藤伊兵衛を名乗る」とありました。で、伊藤伊兵衛は何人もいると判明する。絞り込まねば。カエデ好きあたりでおそらく伊藤伊兵衛政武さんだと予想。この人が活躍したのが18世紀前半の享保年間で、まさしく吉宗の時代でした。ということは享保年間が1716年から1736年かつ吉宗が8代将軍に就任したのが享保元年(1716)なので、トウカエデの樹齢は2019年−1736年=283年なので樹齢およそ300年といったところです。

一番大きな木の根元あたりを撮影しました。根元辺りも派手な木だなあ。

大きさを堪能出来そうな場所からダンナを入れて写してみた。紹介したのは5本のうち3本だけ。1本は細くてしょぼい枝ぶりだから、後世に元の木が枯れたかどうかして改めて同じ木を植え直したのではないか?と推察。もう1本は上の2本の更に左手にあるのですが、周りに木があり訪問時には日陰気味。撮影に失敗した。
最後に富士見山に登ってみた。

写る池が潮入の池。向こう岸にトウカエデが並んでます。枝ぶりを鑑賞するには冬がおススメだけど、この木が赤や黄色に紅葉するならば、秋に再訪するのもいいかも?さて訪問目的の巨木探訪は満足したけど、浜離宮恩賜庭園は徳川将軍家の庭園です。歴史探訪もやるべきだ。ええ。既に時刻は10時半だけども。やるべきだ〜。
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巨木探訪・浜離宮の三百年の松と菜の花と梅の競演

2019年02月26日 05時51分30秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月24日9時6分、浜離宮恩賜公園に到着。訪問日は天皇在位30年慶祝記念事業で入園料300円が無料でした。
大手門入り口で法被を着たおじさんに訪問目的の2つの巨木の所在を教えてもらい入園。
と、すぐに巨大な松の塊が目に飛び込んできた。

まさかの!1本のなんだよ。大きさがわからないかと思い、いつものようにダンナに松の前に立ってもらった。本当は全景の中に散策者を入れて撮影したかったけど、開園直後とあってまだ人がいない。

この松も特徴的な形をしているなあ。逆光だったのが残念〜。画像左手の土手の上に、松の幹があり地面に繋がってるのはここだけです。さすがにお手入れがいいわ。
説明板発見:三百年の松
およそ300年前の宝永6年(1709)6代将軍徳川家宣が、この庭園を大改修した(その時から「浜御殿」と改称された)ときに植えられたと伝えられており、その偉業を表現するような雄姿は昔時をしのばせるもので、都内では最大級の黒松であります」
巨木の本によりますと、「正面から見ると、幅約20メートルにわたって傘状の枝が重なり合い、高さ7メートルに及ぶ台形の樹冠を作っています。」とあります。本にも書いてあるけども、さすが将軍家の別邸から宮内省所管となった浜離宮の玄関の松で管理が完璧です。もうね、イメージとしては、手塩にかけた盆栽をそのまま拡大出来ました!という感じ。浜離宮を目指したワクワクが、更に大きくなってきた。公園入り口で会った法被を着たおじさんおすすめのコースで先を目指します。

なんと!目の前が半分黄色に染まりました。

黄色い花は菜の花です。京都とかの有名なお庭って、東山を借景に取り入れて、庭を雄大に見せる造りですね。ここを菜の花畑にした人の汐留のビル群を借景に取り入れて楽しんでね。という意図が?
訪問は2月24日で、菜の花の北側には年を経た老梅が、見頃を迎えてました。

いい香りっ。朝だとよく香りますね。まあ梅の芳香より菜の花の香りが勝ってますが。
菜の花畑を抜け、ぼたん園と藤棚を横目に進むとお城によくある内堀が現れる。
抜けると休憩所。傍に売店。でもここの売店少し変わってる。

和テイスト溢れてますね。
ああっ!あれはもしや〜〜〜っ!!

欲しかった徳川デザインのコーラ発見!
朝一ですが、買いますっ。
「1本下さい〜」
「140円です。冷たい方がいいですか?」
「いや、常温の方で」
「お土産ですか?」
「ハイっ」自分土産です。(にこにこにこ)
と「袋に入れますね」と取り出したのは、紙袋です。うおっ!!コーラを紙袋に入れる??
差し出された紙袋には家紋をいくつかデザインしプリントされてました。
うお〜〜〜っ!!にこにこにこにこにこ。
売店の販売員さんが「ちょっとしたことですが」これが日本のおもてなしという奴か〜〜!!
「ありがとうございます」
と、そのまま傍の休憩所に直行。せっかくの徳川デザインの紙袋をぐしゃぐしゃにできないので、速攻背負ったリュックのA4ファイルに挟みました。

私さ、海外旅行に行くとどこでもあるコーラ缶を買って飲み、空き缶を自分土産にして集めてました。結構違うんだよね。タイのコーラ缶は旅行時アメリカでサッカーワールドカップ開催中だったから、デザインも豊富で楽しかったなあ。数年前軽く断捨離にハマってた時に、うっかり世界のコーラ缶シリーズを何点も捨ててしまい未だに後悔してるけど。徳川デザインコーラは捨てないようにしないと!
休憩所で腰掛けたら、目の前に見頃の梅。こりゃいいや。少し早いけどおやつにしよう。

取り出したのは私の故郷で一番の銘菓「観音寺」です。梅によく合うなあ〜。

熱いお茶をお供に一服しちゃいます。
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新橋駅から浜離宮へ

2019年02月25日 21時44分58秒 | レトロ建築
2019年2月24日のお散歩を紹介します。
小田急東京メトロパスを利用して(東京メトロが1日乗り降り自由になる)東京メトロ沿線の巨木散歩に行こう!と金曜日に用意を終えた。あとは土曜か日曜か天候のいい方に出かけよう!と計画の最終チェック中に、2019年2月24日限定で、天皇陛下在位30年記念慶祝事業で都内あちこちの動物園・水族館・美術館・博物館を始め、公園も入園料が無料なるイベントを見つけた!もうこの時点でお出かけは日曜日に確定です。
で、どうせならば巨木探訪を絡められないだろうか?と。ほとんど完成していた散歩コースを見直し、無理矢理ええ、無理矢理ですっ!当日限定無料で入れる公園で、巨木がある場所で東京メトロ沿線の場所を超特急で探した。
で、300年の松のある浜離宮恩賜公園に決定しました。チョイスポイントは開園時間が午前9時なこと。大事な事です。元々組んでいた散歩コースにプラスするんですから〜。
ダンナに「朝7時15分に出発します!」と宣言しました。
当日、小田急相模原駅発午前7時44分に乗車。銀座線で新橋駅に8時46分到着。何はともあれ、浜離宮を目指すぞ!と、意気軒昂にホームに降り立ったものの、こっからどう行けばいいんだ?ともかく2番出口を目指そう。
ふっと、駅のラックが目に飛び込んできた!もしかしたらあそこに東京メトロの駅周辺案内地図があるかもしれん!
ありました〜!!これで浜離宮に行ける!
案内地図片手に地上をてくてく歩いてると、でっかい交差点に着いた。「新橋」交差点だと思うんだが、信号に「新橋」と標識が出てない〜〜!!おっきすぎるんんじゃ!!
と、ぼやきつつ歩いてると、レトロ建物を見つけた。
これってもしや〜??
旧新橋停車場じゃん!!
実はダンナの父親は、国鉄マンでした。ダンナはあちこち親に連れられて駅を見にいってたとかなんとか。で、すんごく気になったようですが、到着したのは8時54分でして、旧新橋停車場の建物内にある資料館の開館時間は10時です。また後ででお願いしますっ!
心残りのダンナを急かすのは、予定なびっしりなだから。ええ。今日は元から計画した散歩コースに、2つ無理無理にねじ込んだんですから!
あれ??

なんか、通りに警察がいっぱい出てるのなぜかしら〜??もしやもうすぐある東京マラソンの予習とか?ともあれ、朝9時前からご苦労様です。

おおっ!見た事あるぞ!何だっけな〜?確か黒田紀章?あ、違う黒川紀章さんだ。んで、カプセルホテルじゃなくてカプセルタワービルです。

なんか、取り壊すだのなんだの、いつかニュースで見た気がするんですが、変わらずここにあったのね。

嬉しいですっ!いつまで保存してくださるかわかりませんが、もう少しこのままでいてね。

あれ?なぜに突然信号機?
あ。説明文がある。「保存理由 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架かっていました。汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮らしの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止にあたり捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央教育委員会、地元各位の多大なご協力に依り、ここに永久保存されることになりました。 昭和62年(1987)12月」
新橋旧停車場を一目見ておいてよかったなあ〜。
さて、気をとり直し出発です。交差点の向こうにもうお堀が見えてる〜。ワクワクするわ〜。

立派な石橋が!広いわ〜。

おおっ!門の両側の石垣が!江戸城してるわ〜!!もう本当にワクワクが止まらん〜〜。
の前に、巨木の場所です。法被を着込んだおじさんに聞いてみます。
「すみません〜。トウカエデってどこにありますか?」
実は巨木の本によりますと、浜離宮には三百年の松のほかにもう1つあるとあったのですが、場所が今ひとつわからんの。浜離宮は広いから、見つからないかも?と不安だったんだ。法被のおじさんなら知ってるハズ。

「こちらの地図で説明します。今いるのが右下の大手門で、門を抜けるとすぐ三百年の松があります。まっすぐ行って菜の花畑。南へ抜けて花木園。南下してお茶屋が。その先が潮入の池。潮入の池の西側にトウカエデが並んでます」
「おおっ!ありがとうございますっ!」
浜離宮の見どころを押さえた上で最短コースだと思われる。もう楽しみ〜〜っ!!
あ。通常は、浜離宮恩賜公園の入園料は300円です。小田急東京メトロパスを利用すると240円。しかし訪問当日は天皇陛下在位30年記念慶祝事業で、浜離宮恩賜公園の入園料は無料でした。庶民にはとっても嬉しいです。
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巨木探訪・世田谷区、善養寺のカヤ

2019年02月23日 05時44分51秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月17日、東急ワンデー切符を使って巨木探訪散歩、ラストは等々力渓谷を抜けた先、国分寺崖線沿いにある善養密寺さんの巨木、カヤです。
14時48分到着。ついてびっくり!巨木目当ての訪問でしたが、なんか、巨大な石像があちこちに!な、なななな〜〜っ!!訳分からんわ〜。
やや、ともかく巨木です。目的のカヤは斜面にどーん!と立ってます。いい感じに大きさを感じられる場所を探す。

いつものようにダンナに木の側に立ってもらおうとしたのだけれど足場が悪い。斜面な上に石が多いんだ。

あ。説明板発見:善養寺のカヤ 昭和39年11月21日指定
本堂前に立っているカヤは、高さ約18メートル、幹囲約7メートルの雌株で、稲城市の「高勝寺のカヤ」に次ぐ規模です。立地から、南からの風を受けることが多かったため、枝が北へ大きく張り出しています。樹冠下部の枝葉がしだれ、見応えがあります 平成22年3月」
じゅ、樹齢を書いてない〜。最近巡った巨木探訪でカヤをみたのは、海老名の大谷観音堂です。
巨木探訪・大谷観音堂のカヤ(2019年1月31日)の記事
このカヤ推定樹齢は400年。善養寺さんのカヤは更に大きい。
記事を書くにあたり調べたところ、WIKIに「樹齢700年とも800年ともとあり、更に東京都の天然記念物に指定されている」と出てました。

全景が入る場所を探したけど難しい。撮影時刻が午後3時前後でして、順光撮影では全景撮影出来る場所がなかったんだ〜。

で。これ!善養寺さんの境内には巨大な石像があちこちにありまして、せっかくなのでカヤと絡めて撮影してみたのが河童です。あたりにはカエルやカニもいました。もう石像のピックアップが謎〜!と現場では思ったのですが、WEBの海で樹齢を探していた時に「このカヤには豪族の娘が助けた沢蟹親子の恩返し伝説があり、そばには沢蟹やカエル、河童の石像が設置された」とありました。そうだったのね。

真下から見上げると樹冠が見えません。樹高18メートルと説明板にありますが、枝が大きく広がってるので、もっと高いように見えます。迫力あるなあ〜。
 
少し心配なのは、根元に洞があったこと。まあ、冬でも葉っぱが元気なので大丈夫だと思うけどさ。

ちなみに、本堂も個性的。
説明板発見:大毘盧遮那殿 影光山善養密寺(真言宗智山派)
本尊は大日如来坐像、開山は祐栄阿闍梨で慶安5年(1651)7月26日に遷化している。総本山智積院の末で、『新編武蔵風土記稿』によれば、昔深沢村からここに移され、鎮守六所神社の神輿を入れる神輿堂や閻魔堂があったことが記されている。
昭和36年4月奈良唐招提寺様式の金堂が建立された。また境内にあるカヤの大木は昭和39年に都の天然記念物に指定されている」
と、唐招提寺金堂〜??色がぁ〜!!

先年インドを旅した経験から、数多い像からガネーシャ像をピックアップ。でもこれは石像でなく金属製っぽい。
これもガネーシャ。

そしてアショーカ王の石柱。まさかここで出会うとは!インドの聖地ヴァラナシ郊外にブッダが弟子に初説法をしてサルーナートというところがありまして、そこの資料館でアショーカ王の石柱を見ました。
北インドの旅8日目仏教の聖地サルーナート(改)(2016年4月15日)の記事 こちらの記事は2016年2月のインド旅行の記事です。お釈迦様が初めてここで5人の弟子に説法を行いました。現在は、後世代にイスラム教徒による聖地の破壊に会い、アショーカ王の石柱は柱の残骸部分が残ってます。石柱の上に設置されたライオン像は、資料館に展示されてます。
でも旅人はインドルピー紙幣や硬貨にデザインされてるライオン像を目にしてるかも?
おまけ:お土産(2016年4月23日)の記事 こちらの記事は2016年の2月のインド旅行のお土産紹介です。記事の最後の方に、インドの硬貨と紙幣を掲載してます。ライオンのアショーカ王の石柱の画像を確認できます。

さて、この石像の裏が駐車場。入り口の石に腰掛けておやつ休憩です。ナボナをぱくついてたら、視線の奥にピンク色を見つけた。何かしら〜?

河津桜が数輪開花してました。おお!もう春がすぐそこまで来てるのね。
15時9分出発。考えて等々力駅に戻るのではなく一駅先の上野毛駅を目指すことに。
実は善養寺さんは国分寺崖線の下にあるので、駅までゆるい上り坂です。
15時22分、第三京浜の高架下に到着。

高架の壁は近所の子供らのひまわりが描かれてました。もう10年以上前に描かれたらしいけど、ひまわりに落書きはない。高架下なんか落書きしやすいと思うのに。ここに子供らにひまわりを描かせた人のナイスアイディアだったなあ。第三京浜の端から端までひまわりがあったので、個性的なひまわりを選んで撮影。

ここさ、大きな桜を残して建物を建てた感に溢れてました。逆光だから色が出てないけど、建物はアースカラーでした。ナイスアイディアだと思うのに、建物に使用感がないのが不思議〜。出来たばかりなのかな?

15時36分、ようやく上野毛駅に到着です。一昨年の11月、都内の安藤忠雄デザイン建物巡りをしたときに訪問済み。でもダンナは見た事ないだろうと案内したのです。

ホームで電車待ち。ダンナが何かやってますね。実はこのあと「今日の歩数計」とスマフォを見せてくれた。まさか!の19000歩超えだった。
嘘だ〜〜〜!!そんなに歩いてないよ〜!!
ヤバい〜〜。今回の散歩は痛めてる腰痛と右足痛のチェックもしてたのに。2万歩はマズすぎる。歩き過ぎ〜〜!!
もちろんヤバかったの。私のバカ〜〜!!
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珍木探訪・玉川神社のとっくりクス

2019年02月22日 05時53分12秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
東急の1日乗り降り自由券・ワンデー切符(660円)を使い、渋谷の国学院大学博物館で刀剣展を見学→大井町・光福寺で800年のイチョウでひと驚き→等々力・玉川神社さんに2019年2月17日13時50分到着です。環八通りに面する石段を上がる。
説明板発見:玉川神社
ご祭神:伊奘諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神
例祭:9月28日
ご由緒:文亀年間(1501−4)に世田谷城城主吉良頼康が勧請したものと伝え、別当は、満願寺で等々力村の鎮守であった。
明治5年に村社に定られ、同41年に熊野神社の社号を玉川神社と改め、付近の天祖神社、諏訪神社、御嶽神社を合祀した。
境内には、郷土開発の偉人、豊田正治翁の碑などがある。 世田谷区教育委員会」
石段を上り鳥居をくぐる。右手に手水舎。その奥に目的のとっくりクスがあった。

ハイライト代わりにダンナに木の横に立ってもらう。もうお約束。木のサイズを画像から想像するにはこれが一番。

特徴的にしもぶくれのクス。東急電鉄は世田谷区を縦横に走ってる。散策してると世田谷区の名木百選と名札がある木を見かける。しかしこのとっくりクスは世田谷区名木百選にあっても<番外>です。しかし特徴的な形。巨木ではないけども見てみたい!と寄ってみた。
目通りで幹の直径1、6メートル・根元の幹が膨れた部分で直径2、5メートル

膨れた幹の表面を撮影してみた。木肌が変わってる。触ってみた。ほんのり暖かい。生きてる感じが手のひらに伝わった。木を見上る。頭の上で枝分かれしてて7〜8本もあるかな?しかしどれが主幹なのか判断できない。木自身が頭が大きいから根元を膨らましてバランスをとることにしたみたいだね。
ちなみに、巨木撮影のお約束では、なるべく巨木の全景を撮影することにしている。けども、手前に手水舎、両脇に木があって、全景撮影出来ません。
社殿で「境内撮影させていただきました」とお礼の参拝。
面白いものを見つけた。

石獅子山です。
山には獅子が3匹。

足元に子供。

山の上に親。時折神社巡りをしていると、石獅子山を見ることがあります。石の上に獅子の像を配置するのはありがちですが、下で見上げる子供の像はあんまりないなあ〜。
さて、境内のベンチで遅めのお昼ご飯です。

ちなみに、ベンチを設置してる神社は多いですが、寺院にベンチはほぼありません。散策ではどこでお昼ご飯を食べるか?が大事。事前にめぼしい公園があればいいのですが、散策コースにない場合は神社さんがオススメです。私は神社さんでお昼ご飯にした時は、神様にご挨拶と境内をお借りしたお礼は伝えます。
ちなみに、上の画像の左奥にこんもりしてる中にとっくりクスがあります。反対の右手のクスの方が樹高がありおそらく樹齢もそっちが上。とっくりクスはその姿がインパクトがあるので玉川神社さんを訪問のさいは、見忘れないようにご注意を。
さて、時刻は14時8分、出発です。環八通りを西へ抜けようとしたのですが、環八通りは大井線を高架で跨ぐ構造でした。その上り降りが嫌〜〜〜!!で。等々力駅に引き返し南へ。

成城石井のところで右折。過ぎたら階段を降りる。と、等々力渓谷に到着。
の前に、上の画像に写る木は先程紹介した世田谷区の名木百選の1本のケヤキです。ここさ。根元も撮影したのでみて。

これ、木が呼吸出来ないんじゃないの?人間に便利だけど、木には辛い環境だなあ。

で、14時19分等々力渓谷到着。散策してる人が多かった!

実は等々力渓谷を訪問したのは2度目。でも前回とは視点が違う。

向かいの木の根っこが一目瞭然。地層で土の硬さが違うようで、木の根っこが真横に発達している。

しかしシュロが多い。昨年末、目黒の自然教育園を訪問した時に、モミジの紅葉ポイントでシュロが増えてるというのをみたけども、ここも多いなあ。これも温暖化かな?
14寺40分、等々力渓谷の南の端が矢川橋でアスファルトの道路に出た。そこを右折。緩やかな上り坂。突き当たりをちょい右。その道も緩やかな上り。突き当たると次の巨木がある養善寺さんの墓域に出た。表に回らなきゃ。む!今度は坂道を下まで降りなきゃならないのか〜。

14時48分坂下に到着&養善寺さん到着〜。「大榧」って書いてあるね。たぶんあの奥のこんもりしてるのがそれかな?
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巨木探訪・光福寺の800年イチョウ

2019年02月21日 05時05分01秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.17参拝。渋谷の国学院大学博物館で神剣展を見学後、東急ワンデー切符を利用して、大井町駅に到着。池上通りを徒歩で南下。大井第一小学校を過ぎて左折。右手に大きな木が見えた。あそこだ〜!!
山門前に開扉時間のお知らせが出てた。開門:午前8時 閉門:午後5時

でかいっ!すごいっ!
巨木探訪は予め本とかネットで下調べして訪問します。けども実際行ってみれば大きさが違うだの柵があって肝心の木に近づけないというのはザラにある。光福寺さんは事前調べで樹高40メートル、幹の直径2、3メートルの巨木と書かれてました。けども既に100本近い巨木を見物済みのなんちゃって巨木愛好家な私は「イチョウで樹高40メートルだと?ナイナイナイ!」とか思ってたんですね。でもさ。実際目にしたイチョウは凄みさえありました。

いつものようにハイライト代わりにダンナに木の横に立ってもらう。

見上げると垂乳根がいっぱい。

垂乳根は樹齢100年あたりになると生じるらしい。

訪問は2019年2月17日、イチョウは完全落葉状態です。よって葉っぱがないので、幹の状態や垂乳根、枝ぶりがよくわかります。

あ、説明板発見:品川区指定天然記念物光福寺のイチョウ 指定:昭和53年2月14日
本樹は雄樹で、幹の周りは7、2メートル 高さは40メートルあり、推定の樹齢は約800年です。区内の最大樹で、麻布善福寺の「さかさイチョウ」と兄弟といわれ、整った木の姿は壮観である。
麻布の樹齢750年超の善福寺(2017年12月16日)の記事 こちらの記事に麻布善福寺のイチョウの画像があります。
幹と大枝からは古木であることを示す乳根を垂らしている。明治時代まで、沖合の漁師たちは、航行の目標にしたといわれている。
イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さは30メートルにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(メスとオス)それぞれ別の木となる。 平成28年8月31日 品川区教育委員会」
木を一周する。垂乳根は東側から見上げるのが一番多かった。けども撮影時刻の12時半過ぎには完全逆光で真っ黒に。PCに取り込んだ画像を処理し、明るさをあげてみた。
垂乳根が多いのはわかるよね?
あれ?説明板がもう一枚。
品川区指定史跡:大井の井 指定:昭和53年11月22日
この井戸には、鎌倉時代に親鸞上人門下の関東六老僧の一人として活躍した了海上人にまつわる話が残されている。
寺伝によれば、了海上人の乳が子授けを蔵王権現に祈願したところ、妻が懐妊し、男子(了海)を出産した。その時、境内にこつ然と泉が湧き出したので、この泉の水を産湯として使い、泉を大井と命名したという。
大井の地名は、この泉に由来すると伝えられている。
この泉は、当寺本堂裏の墓地内にあり、横穴式の古い型をした井戸で、今でも水が湧き出している」
ならば!と井戸を確認する。

裏手は墓地で、奥に向けて坂を上る。井戸は見つかったけど、柵があって近づけず上から見下ろした。水があるのは見えた。さて、時刻は12時50分。東急大井町駅に引き返す。行きは地図と睨めっこしてて通りの店が見えてなかったけど、池上通りに並ぶ店は昭和の香りが残る佇まいです。
大井町駅に戻ってきた。信号待ちの間、側の建物が目に止まった。
「この植物本物かな?それともイミテーション?」

ダンナが確認してくれたところ、全て本物の植物だった。根元に鉢が並んでいる。
すごいわ〜。一昨年だったか、八王子で全国都市緑化フェアが開催されたので見学に行ったら、こう植物の壁がありました。
全国都市緑化はちおうじフェア(2017年9月22日)の記事 こちらの記事に、生きた植物の壁の画像があります。
でも冬でもここまで綺麗な色合いだとは思ってなかったので感動です。画像奥の建物の壁面も植物ですよ。驚きでしょ?

大井町駅と光福寺さんをピストン移動しただけで疲れ気味。最後、イトーヨーカドー前の上り坂ではつい視線が足元に。で、品川区のキャラマンホールを見つけちゃいました〜。
時刻は13時15分。大井町線に乗車して等々力駅へ移動する。

駅から徒歩8分、環八通り沿いに玉川神社の階段を発見!
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国学院大学博物館で神剣を見る

2019年02月20日 09時36分07秒 | 展覧会&観光施設&能楽
国学院大学博物館の特別展「神に捧げた刀ー神と刀の2000年」2019.1.22-3.16の催しを知ったのは、WEBのイベントチェッカーさんです。そこに国学院 刀剣展と出てまして、お正月にNHKプレミアムで刀剣スペシャルの番組を視聴してたので興味を持ち検索。すると、国学院大学の博物館は入館無料で見学出来る!とあったので、2019年2月17日の1日乗降り自由の東急ワンデーチケット(660円)を使い、刀剣展と巨木3本を見物し、腰痛右足痛の状態チェック散歩に出かけました。
今、刀剣乱舞というゲーム萌えの女性が、モデルの刀剣を求めて日本全国に散らばる刀剣巡礼ブームと、NHKの刀剣スペシャルの番組で紹介されていたので、さぞ客が多いだろうと開館時間の10時に合わせて行ったらば、誰もいない!拍子抜けでした。もしかして、この刀剣展には刀剣乱舞のモデルの刀は展示されてないのか?とワクワク気分が一気に盛り下がる。でもさ、そもそも私は刀剣乱舞をプレイしたことないから「刀」というか「神剣」が見れたらそれで十分じゃん!と気分を上げて入館しました。
ここで大事なことを書きます。
国学院大学博物館特別展「神に捧げた刀ー神と刀の2000年」展は展示作品全て撮影禁止です。しかし、それではSNSとかで集客につながらないので、展示作品の6本の刀をプリントした布を壁に垂らし、その前に撮影コーナー(自分が刀剣を持ったテイで撮影を楽しむ)を設置してありました。
ピックアップした刀は箱根神社所蔵・源義経奉納、薄緑丸
北澤八幡神社所蔵・原品石上神宮出土ふつの霊大刀(写)
鶴岡八幡宮所蔵・北条氏綱奉納、太刀銘相州住綱家作 同じく鶴岡八幡宮所蔵・北条氏綱奉納、太刀銘相州住康國作
鹿島神宮所蔵・徳川頼房奉納、太刀銘景安
久能山東照宮所蔵・昭和の名工宮入り昭平作ソハヤノツルキウツスナリ
の6本です。
この展覧会の特筆すべきは、刀と一緒に刀が出てくる書物の展示があること。例えば鎌倉時代の吾妻鏡のあるページを開き、そこに登場する曽我兄弟の仇討ち場面で、曽我兄弟が振るった太刀の記述。実はこの太刀は後に源頼朝の所蔵になり、箱根神社に一旦は奉納され、後に頼朝が弟の義経に貸し出し、義経が「薄緑丸」と命名するのですが、その実物か展示中の薄緑丸です。といった具合です。併せて仇討ち場面の絵巻も展示。
歴史好きならぐっとくる展示法です。刀萌え女子だけでなく、刀にまつわる言われを書物で補完するスタイルはいい。もっとやれ!特にトーハク所蔵の刀剣もやってくれ!
ただし、展示書物には貴重なものも多く、展示期間を限っての展示もあるので事前に問い合わせてから行くと確実です。確か薄緑丸の出てくる平家物語は、展示後期(2月20日〜3月16日)期間限定展示であの旨を知らせる紙があっただけで残念だったんだよね。
もひとつ残念だったのは、期待以上に国学院大学博物館の所蔵品のあれこれが多くて興味深く見学出来たものの、他の博物館ではまず見られない神饌の実物大レプリカや実物大護摩壇レプリカの撮影が禁止だったこと。テレビ番組で神社の禰宜さんが神饌を捧げる場面を見たことありますが、詳しく何をどんな風に並べて捧げてるのか?を見ることできるのって珍しいし、今時の神社へ行っても本殿は普段締めてます!というところも多くて謎だけが募るのでぜひとも撮影したかったのですが残念です。最近歳のせいか、記憶力が衰えてて、若いころのように見れば脳裏に焼き付けれる!なんてことはなくなってます。あ〜、あの頃の記憶力カムバック!!
あ。そういえば、天皇陛下の退位ご即位の行事のために建て、使用後すぐに壊される大嘗祭の建物群もだいぶんスケール大き目に再現したレプリカ展示がありました。ええ、最近ゴールデンウィークに行われる大嘗祭の予算削減しましょう!と話題になってて、本来のスケールでは次は行わないとかなんとか話題になってるやつですね。まさか、国学院大学の博物館にレプリカ展示してあるとは!でもこれも撮影禁止だったんだよね〜。
撮影OKの展示物もあります。考古学部門です。

仏像も展示されてます。

掛け仏は珍しいなあ〜。というか、中国では見たような気がするけど、日本にもあったのね。

板碑です。町の有形文化財にしばしば見られるやつです。
私つい最近まで「板碑」という字面から、木製の碑文だと思ってました。木に墨で年代とか名前とか住所とか書いてあるとばっかり。で、それが全くの勘違いと知ったのは、先日訪問した海老名市の郷土博物館の案内人さんの話から。確か「長瀞の石は薄く剥がし易く、大概それを使ってる」とおっしゃってたような。この博物館には複数の板碑が並べてあって、どれも似た石材を使用してるからこれも長瀞産なのかも?

で、毛色の違う展示物。実はこれに「抱沢鷹」と書いてありましてね。最近WEB小説を読んでます。WEBは表示文字を拡大できるし、読むのに無料なものも多くお気に入りです。気に入った小説が商業誌になれば買えますし、買ったもののハズれな本がなくなるのでお気に入り。で、「抱沢鷹」です。これを家紋にした主人公は、現代から織田信長が本能寺で明智光秀に討たれる直前に転移した高校生でして、物語の中で「抱沢鷹」が出てくるんですよ。
小説って字面で流すことありますよね?なんとなく読み流してたのですが、私これを見る前まで「抱沢庵」と「抱沢鷹」を勘違いしてました。ど〜みても大根に見えないんだもの〜?
で、よくみるとたくあんじゃない。「沢鷹」と書いて「おもだか」と読みます。
んで?おもだかって何じゃ??教えてWIKI先生〜。
「沢鷹」の別名は勝軍草(かちいくさぐさ)。戦国の戦人向けのものでした。なんだかすっきり〜。ちなみにこの家紋は水野忠邦とかと同じです。
他にも校史のコーナーも撮影OKで、有栖川宮家所縁の展示物が多かった。撮影画像は手ぶれで画像紹介できませんが。
国学院大学の創立者は山田顕義です。あれ?山田顕義って確か〜?有名人の墓所巡りがマイブームだった時、山田顕義のお墓をみたような?その時は大隈重信の墓目当てだったから、文京区の護国寺ですね。すっきり。
最後にミュージアムショップによってトップ画像の刀剣ファイル300円を購入。あと、国学院博物館のはにわハンコもゲット。思いがけず楽しく過ごしました。時刻は早くも11時10分。次に移動しなくては!

行きは金王神社さんに寄ったので順路を変えて渋谷駅を目指す。途中に校庭に大きな楠を見つけてどこだろう?と思ったら青山大学初等部と看板ありました。ここから六本木通りを下る。

イタリアのバイクメーカードッカディのショップを見つける。昔よくバイクマンガで目にした車体をここで見れるとは〜。ついつい嬉しくて撮影。
さて、渋谷駅に到着したものの、東急東横線乗り場はどこだろう?2階でないのは知ってる(私の知ってる東横線は、ハチ公前の階段を上がった2階から出てたんだけど)。
ウロウロして、安藤忠雄先生作品巡りした時の宇宙船のところを降りた地下に東横線の乗り場を見つけて驚愕!2階から地下に引っ越してたのか〜!線路ってどうなってるんだ〜〜!!
東急東横線乗車。自由が丘乗換。大井町線で終点大井町駅へ。池上通りを南下。着いたのは品川区光福寺さん。ここに樹高40メートル推定樹齢800年の大銀杏があるのです。

これ、本当に樹高40メートルあるなあ〜。すごい木だ。
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渋谷・金王神社さん

2019年02月19日 18時19分29秒 | 神社・仏閣
今日から2019年2月17日の刀剣展と巨木探訪散策を紹介します。
最初は渋谷駅から徒歩約13分の距離にある国学院大学博物館から。開館が10時なので少し遅めに家を出た。ところが、ああ、渋谷ダンジョン!!
渋谷駅で迷う。いや、正確には地上に出てから迷った!六本木通りはどこだ〜??渋谷警察署が目印はハズ。
渋谷駅っていっつも工事してるよね。渋谷駅も何度も乗り降りしてるのに迷った!地上に出てからも迷った理由は坂道です。まさか六本木通りが坂道だなんて〜。坂は可能な限り回避したい私は、坂道を見てもそれが目的の六本木通りだと認識できず。しかも!坂道は途中でY字に別れてて、登ってる道が正解かどうか確信が持てず。恐る恐る登ってたら、「金王神社」というのを見つけた。
アレ?なんか記憶が刺激された?と、予定にはなかったけど寄り道した。

金王神社さんに行ってみて、見た気がした。もしかしてブラタモリ?
そうだよ〜、何年か前に金王神社さんで高低差についてタモリさんが語ってたのを思い出した!
あれだ!渋谷川の回。小学校の音楽で「春の小川はさらさら行くよ〜」と歌ったことありますか?あのモデルの川が渋谷川です。金王神社さんは中世の渋谷城だった!でブラタモリお得意のCG画像が流れたんだった。あ〜すっきり!
さて、境内を見回すと、立派な神楽殿もあった。

そして御神木。

今私のブームが巨木探訪なせいか、木を見るとついつい観察してしまう。

1周して気づく。もしかして、向こう側が見えてる?

御神木には大きな洞があった。
あ。説明板発見!:金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)社殿及び門 附 渡り廊下 区指定有形文化財
社記によると、この八幡は渋谷氏の祖、河崎基家が寛治6年(1092)に創建したといわれます。
現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに、慶長17年(1612)に造営を開始したものです。その後たびたび修理されましたが、江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物です。
門は、明和6年(1769)と享和元年(1801)に造られたとする二説があり、江戸中期の建立には違いがありませんが、その後何度かの修理を経て今日に及んでいます。
このあたり一帯の高台には、渋谷氏の居館があったと伝わり、東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い地形(黒鍬谷)があって、城館を囲んでいるうえ、かつては数カ所に湧泉があるという好条件を備えていました
しかし、その城館は大永4年(1524)、北条氏と上杉氏の合戦のとき、北条氏の一群に焼き払われてしまったということです。
平成22年には、社殿に付属してその価値をいっそう高める建造物として、渡り廊下が附として追加指定されました。」
あ。だから神社が東、江戸城方面に向けて建ててあるのかも?違うかな〜?だって正面が南に向いてない神社って結構レアだもんな。
で?ここからどうやって国学院大学へ行けばいいんだ??予定にない寄り道につき、しかも苦手な高低差を前に困ってたら、親切な年配の警察官、もしかしたら警備員さんだったかも?が、丁寧に案内してくださいました。もうとても助かりました。今時はスマフォで道案内できるんだろうけど、私、スマフォ持ってないんだよ〜。

10時6分、国学院大学博物館に到着です。
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桜の切株撤去法!?

2019年02月13日 09時13分05秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
1月、近所の米軍住宅にある桜が切り倒されてるのを見つけ大ショック!
もうね。毎年桜の季節が近づくと、開花情報の指針にしてる桜だっただけに私にダメージが大きい。
先月の末、いつもの接骨院でハリとお灸の施術を受け、ヘロヘロになって帰宅途中、急ブレーキ!もしや、桜の切株を撤去してるのでは??

自信がなかったのは、大きなクレーンが目一杯アームを天に伸ばしてること。アレは本当に切株を撤去してるのか??
観察開始。おもむろにアームから垂れてるぶらぶらしてるものを切株に繋ぐ作業が始まった。

おそらく、切株が倒れた時に想定外のことが起きて作業員に危険が及びそうな時に、クレーンに繋いてたら切株をぶら下げることができるから。事故を回避できる。
しっかりロープをかけたらチェンソーの出番です。

真っ白い煙が巻き上がりと大きな音が周辺に響くのですが、あれ、切れてないよね??
と、不意に遠くから作業を眺めてたおじさんが大声をあげた。
「くさびっ!くさびをかませろっ!!」
金網を挟んでおじさんのすぐ後ろにいた私は、おじさんの大声のびっくりして、チェンソーが白煙を上げてる場面の撮影をしそびってしまったのですが、やっぱり切り倒したばかりの桜は手強かった模様です。
そうだよな〜、桜ってさ硬いんだよ。確か、江戸時代、浮世絵の版木に使う木は桜だった気がする。硬くて変形が少ないからわざわざ桜で彫ったはず。つい先日、枯れてもない桜を切り倒したばかりなんだから、ちっこいチェンソーなんか刃が立たなくて当たり前。
遠くから叫んだおじさんは、作業全体を管理する親方的な人な模様。
「止めろ!煙が多すぎる。続けたら止まるぞ!!」

と。やっぱな〜。作業は始まったばかりで観察を続けたかったけども、親方の後ろで撮影を続ける根性は私にはなかった!ってなことで撤収〜。これは1月28日の作業で、次に米軍住宅のそばを通った時には綺麗さっぱり桜があった痕跡が消えてました。

そこだけ芝生を丸く切り取った土が残るだけ。あそこに次も桜を植えてくれるのかな?どうだろう〜。何しろ金網の向こうはアメリカですから。
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伊勢原大神宮

2019年02月12日 04時59分19秒 | 神社・仏閣
2019年2月3日訪問。伊勢原駅から大山阿夫利神社や大山寺行く時にバスを利用します。路線途中に「大神宮前」というバス停があって、以前から気になってたので寄ってみた。
14時1分到着。
なんか、境内に紅白の幕を張ったお立ち台があるんですけど〜?
あっ!今日は2月3日だった。豆まきがあるんだっ!そこここに散らばってる人は、境内でぼ〜っと日向ぼっこしてるのではなく、豆まき開始を待ってるんだ。

そこここ大きなイチョウ。

神明造りの本殿が2つ並ぶ。こちらは外宮。

伊勢原市の保存樹木のケヤキ。

道祖神。

裏手を見に行ったら、角に大きめの木があった。
説明板発見:伊勢原大神宮
御祭神:内宮 天照大御神 外宮 豊受姫大神
御神徳:縁結び 夫婦円満 子宝 万事円満
御由緒:当社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615−1624)のことであると伝えられています。
元和6年(1620)伊勢の国の人、山田曾右衛門と鎌倉の人。湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。こうして創建された当社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮にそれぞれ奉祭されています。当社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編集された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお祭りすることができます。

境内見取り図
1)内宮2)外宮3)春日神社4)神楽殿5)社務所6)参集所7)手水舍8)旧内宮跡9)旧外宮跡10)車祓之所11)稲荷総社
<ご参拝の順路>
まず外宮次に内宮。伊勢の神宮では正式には「外宮先祭」といって天照大御神が「われを祭らむには先ず豊受大神を祭れ」と託宣されたことにより外宮からお祭りします。これにならい当社でも外宮・内宮の順にお参りします。
時刻は14時10分、バス停へ。バスが来るのを待ちながらふと大山に目をやると、朝には雪が積もって真っ白だったのに、既に融けてしまったのか山の頂辺りが白くない。やっぱな〜、暖かいと思ったんだ〜。
ちなみに、豆まきは15時から〜だったようで、タクシーやバスで徐々に人が集まり始めてました。右の足首が不安なので、私はおとなしく帰途についた。
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七人塚と太田道灌の墓

2019年02月11日 06時26分24秒 | 墓所巡り
13時26分、上粕屋神社を出発。太田道灌のお墓に向かってると七人塚を見つけた。そりゃなんだろ?
説明板発見:七人塚
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客により暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。
へえ〜!ど〜みても塚が7つもない!と見えたのはそういう訳か〜。ってか!!やっぱ上粕屋神社さんと道灌の暗殺現場の上杉家の館って関係あったんじゃん!なぜに御由緒の説明板に触れてないのか??
ともあれ、ここで頭をひねっててもどないもならんので、道灌のお墓に移動しましょう。
13時32分、太田道灌のお墓に到着です。

え〜と??赤いキャップは何かしら〜??神社仏閣めぐりをしていると、こういうキャップを時折見かけます。大概名のある木とか言い伝えを持つ木が枯死した時に根元まで切り倒してこのキャップをつけてあるんですよ。これもたぶんそうじゃないかな〜?

ということで、説明板を見つけたら図解がありました。
説明板発見:洞昌院(太田道灌の墓)
蟠龍山洞昌院は、太田道灌が開いたと伝わる曹洞宗のお寺です。太田道灌は江戸城築城などで知られる室町時代に活躍した武将で、文武両道の鑑(かがみ)とされています。洞昌院には、太田道灌の墓(市指定文化財)があり、15〜16世紀のものと推定される宝篋印塔がまつられています。
文明18年(1486)の太田道灌の最期には様々な伝承がありますが、敵に囲まれた道灌が洞昌院まで逃げ延びたが、門が閉まっており中にはないれず、ついに力尽きて刃に倒れたとも言われています。以後、洞昌院には山門に扉をつけてはならないと語り注がれています。」
説明板を読み歩くと土地の歴史や伝承が書かれてることがあるので面白いです。
歴史好きとしては何故に殿が優秀な配下を騙し討ちして排除したのか?が気になるところ。
確か〜?
太田道灌の殿の扇谷上杉家は関東管領筋で、親戚筋から羨まれていた。優秀な道灌がついていたら扇谷上杉を追い落とすのは難しい。そこで道灌の殿の上杉定正に「道灌 謀反あり」と囁いて道灌排除を嗾ける。うかうかと乗った定正は道灌を自分の館に呼び寄せ暗殺した。
で、道灌を失った扇谷上杉家は凋落の末滅亡した。だったような〜?調べてないから私の記憶ではそうなっている。
道灌の最期が悲劇だったとは残念です。

あ。観光めぐり太田道灌公の墓付近を訪ねての地図がある。
え〜と??上粕屋神社の裏手に上杉館跡があるわ〜。上粕屋神社さんで本殿の裏を見に行こうとしたら、立ち入り禁止と書いてあって、行けなかったんだけどね。でもってその辺に「からぼり」も通ってるけども。そんなん見かけなかったよな〜??ってなことで、またいつか訪問する目的が出来てしまいました。今引き返せばいいけども、今更戻るのはなんか嫌!という訳のわからん理由でパスする。おいおい。
13時37分出発。「道灌塚」バス停へ。
で、待ち時間があったので次の訪問先を考える。実は今回の丹沢・大山フリー切符で巨木探訪!も昨年からずっとぼやいてる腰痛と右足痛の回復具合をチェックする目的があったのですが、じんわり右足首が熱くて痛み始めてる。それまでならば痛みが出るのはお尻っぺたと足のジョイント部分から痛みが始まるので足首から痛くなるのは変なんだけど?確認のため触れてみたら、じんわり熱い。そして腫れぼったい。
これは無理しちゃいかんな。と、バス路線の途中にある伊勢原大神宮に寄ってから帰宅することにする。
元はね〜、246号線に面する高部屋神社さんの巨木を見にいくつもりだったけどさ。そこは次回の丹沢・大山フリーきっぷ利用時に行こうと思う。
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伊勢原市・上粕屋神社の巨木

2019年02月10日 07時23分11秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月3日の巨木探訪。小田急のお得きっぷ、丹沢・大山フリー切符Bを使い、

厚木市・妻田薬師のクス、

秦野市・鶴巻の大ケヤキ
を見物。次に向かったのは伊勢原駅です。
北口4番バス乗り場から伊41系統12時53分発で山王原バス停下車。東へ徒歩数分。13時10分上粕屋神社に到着しました。
目的のケヤキはどこかしら?
あれっ!!YAHOO!の地図をプリントアウトしての散歩なのですが、着いたところは参道入口でなく、途中の境内入口だった模様です。せっかくなので参道入口まで参道を逆向きに引き返す。

改めて、上粕屋神社さん到着〜。上の画像奥に白い鳥居が見えますね。そこがトップ画像の撮影場所。
にしても上粕屋神社さんの参道って巨木が多いなあ。せっかくの巨木探訪なので、やはり巨木は紹介しておくべき?と思いまずは参道入口から参道奥に向かい紹介します。
ああっ!!上粕屋神社さんの参道をお手入れしてる方は植物好きな模様ですっ。参道の植物にネームプレートや樹齢プレートを設置してくれている。
ってなことで、設置してある樹齢プレートを合わせて紹介。まずは参道入口左側から。

イチョウ・樹齢200年

参道入口右ケヤキ・樹齢600年

参道中央右に2本並びカヤ・樹齢200年2本とも同じ樹齢でした。

参道最奥左カヤ・樹齢600年

参道最奥右カヤ・樹齢600年
む〜ん?先ほど見たばかりの鶴巻の大ケヤキは、樹齢600年で幹周囲10、3メートルでした。樹齢プレートに書いてある上粕屋神社さんの樹齢は同じケヤキで600年と書いてありますが、巨木だけどそこまで太くないんだよねえ。まあ、木は生えてる環境や土の栄養によって樹形も大きさも変わるから一概には言えないけども。一説には設置されてる樹齢は推定樹齢。本当の樹齢は➗2が目安です。と、もう10冊以上図書館で借りた巨木・巨樹の本のどれかに書いてあったんだよね。上粕屋神社さんの樹齢プレートは➗2に含まれるんじゃないかな〜?まあ私は去年から巨木巡りし始めたばかりなので迂闊なこと言えないけどね。
あ、説明板発見:上粕屋神社由緒
本神社の勧請年月は詳らかでないが、大同弘仁の頃近江の国の日吉神を当初に移し勧請したと伝える。又風土記によれば天平年中に僧良弁の勧請なりという。
元禄4年幸末社を再建し、山王権現と称した。徳川幕府御朱印高一石5斗であった。
明治2年6月日枝神社と改称し、当地の例大祭は3月2日で、競馬神事神楽を奉納、6月22日と12月2日には歳の市を執行した。
明治6年葵酉7月、字、和田内鎮座の熊野神社(朱印高2石)と字、石倉上鎮座の白山社を合祀し、上粕屋神社と改称した。
更に、昭和39年4月、字、峰岸鎮座御嶽神社を昭和41年10月字、秋山鎮座の五霊神社を合祀して現在に至っている。
例大祭:4月3日
御祭神:大山咋神 大穴牟運命 若山咋命」
うわ〜、説明板にも明治以降m多すぎる神社さんを統合整理した政策で上粕屋神社さんにも他4社が合祀されたからか、合祀御祭神の数が多いわ〜。
御由緒説明板はこう続きます。
「合祀御祭神:伊奘諾命 速玉男命 事解男命 伊奘冊命 菊理姫命 泉道守命 天穂日命 大己貴命 少彦名命 事代王命 三穂津姫命 日本武尊」
実は撮影画像にはここまでしか写ってない。私の携帯は二つ折りのガラパゴス。この日はお天気が良すぎて手元の画面が真っ黒なんで、撮影時は勘でシャッター切ってまして、画面に説明板全部入ってると思ったんだけどな〜。やっちまったぜ。ヤマトタケルの尊の後にも合祀されてる神様がいらっしゃったかもしれん。
ってか、元々は一軒家暮らしだったのに、長屋に変わり、気づけばマンション暮らしになった神様たち。賑やかでいいと思える神様ばかりじゃないと思うけども。賑やかなのがいい神様には合祀はアリだったのかな〜??
ところで!
私が今回かながわの名木100選に選出されていない上粕屋神社さんに立ち寄ったのは、変わった形の巨木がここにあるとWEBで見つけたのもあるのですが。今を去る事約10年前、5月の末に脳梗塞を発症した私は、7月初めに退院し以後リハビリを頑張りまして、その時初めて伊勢原市の大山阿夫利神社と大山寺を参拝しました。行き帰りのバスの中で「道灌塚」というバス停を見つけまして、「道灌ったら太田道灌??」とひらめき、勢いでボタンを押してしまいました。
太田道灌の所縁の地なの?(2009年11月29日)の記事 
この時は太田道灌のお墓を見つけて参拝できたことで満足したのですが、帰宅後記事を書くにあたり、「太田道灌は殿に呼び出された上杉館で風呂に入ってる時に暗殺された」とありまして、墓の近くに暗殺された上杉館があったのを知ったのです。で、もしや(上)粕屋神社って、元はそこに太田道灌が暗殺された上杉館があったのじゃないの?と思い確かめに来たんですよ。でも、上粕屋神社さんの御由緒を書いた説明板には一言もそんなことは書いてませんね。あれ〜?ま。いいか。もひとつの目的WEBで見た面白い形の巨木を見物しよう。

黄昏て鳥居前の見頃の白梅を見上げる。本当に見頃だなあ。これ。

参道奥の左右にある2本の大ケヤキ。その奥に白い鳥居が見えますね。これがトップ画像に写る鳥居です。鳥居の奥にも参道が続いてまして、巨木があります。

根元にあるプレートに伊勢原市保存木のクスノキとありました。

で、目的の変わった形の巨木が見えてきた。

ダンナにハイライト代わりに木の横に立ってもらう。
これまた洞のある巨木です。個性ありますよね。ケヤキかな?ってかご神木だったんじゃん!
WEBには載ってなかった木の裏からも鑑賞。

訪問は2月3日なので、完全落葉状態で枝ぶりがよくわかります。葉っぱがあると枝ぶりが見えなくなるので、イチョウやケヤキのような落葉樹は冬が観察に適してると私は思います。桜だけは花の咲く時期に見たいと思うけども。しかし、参道には樹齢プレートがあるのに、一番知りたいご神木に説明板も樹齢プレートもないってどゆこと??いや〜、でっかい洞が空いてるからこれが個性なんだけどさ。こうも特徴的な木だと、洞が出来た時期とか言い伝えとか残ってそうなものだけどなあ。ご神木の樹齢は謎のまま。

後回しにしてしまったけど、今喪中なので神社で参拝は極力控えてるのですが「境内を撮影させていただきました」とご挨拶だけは済ます。

あれ?ここの社殿の正面って亀?それも海亀??なぜだ〜??注連縄の形も少し違ってるし??神社鑑賞ポイントは多いなあ。私には神社仏閣鑑賞の知識が不足してる。

これは手水舍のそばにあった伊勢原市の保存樹木のケヤキです。伊勢原市の保存樹木には樹齢プレートが置いてなかったよ。ちなみに参道にはちらほらベンチがあって休憩できるようになってました。時刻は13時26分出発です。せっかくなので、太田道灌のお墓にも参拝していこう。
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落幡神社と落幡延命地蔵尊

2019年02月08日 20時12分50秒 | 神社・仏閣
巨木探訪で鶴巻の大ケヤキを見学。そこにあった説明板に「落幡の大ケヤキ」と呼ばれていたと書かれてたので、近くにある落幡神社に寄ってみた。

境内には大きな木がそこそこありました。

ヤドリギがある木。これもケヤキかな?撮影してみた。
YAHOO!で「秦野市 落幡神社」と入力すると、秦野市のパワースポットという記事が上位に出る。その記事によると、境内全体がパワースポットと書かれてるけども、私はパワーを感じ取れない。鈍いのか、私?説明板が境内に設置してあるけど、全体に古ぼけてて文字の判読が難しい。ので、WIKIから。「落幡神社:落幡(おちはた)」は鶴巻の旧名であり、1955年までこの近辺の地名も落幡であった。、現在は無人。比々多神社の傘下にある。
御祭神:大国主命・橘姫命
「落幡」という地名に関しても伝承があり、”その昔、中将姫が織り上げたとされる大きく美しい幡(旗)がこの地に舞い降りたことからこの地は落幡と呼ばれるようになった”というものと”鎌倉時代の武将である善波重氏がこの地で幡曼荼羅という妖怪を射落としたことから落幡と呼ばれるようになった”という二つの異なる伝承が存在する。
パワースポットというけれど、私には空っぽに見えた。
さて時刻は12時25分、落幡の大ケヤキ、つまり鶴巻の大ケヤキに戻る。

眺めて鶴巻温泉駅へ向かう。またも信号にひっかかる。信号待ち。と?道向こうに何かあるんですけど〜?

近づく。よくあるお堂かと思ったら、どうも安置されてるお地蔵さんのサイズがおかしい!

巨大なお地蔵さんだ!
あ。説明板発見:落幡延命地蔵尊の由来
この大地蔵尊は、総丈3、3メートル、御座像は右手に錫杖、左手に宝珠を持つ衆生済度のお姿であり、路傍の石仏像としては他に類を見ない大きさです。
建立の縁起は全く不明ですが、江戸時代中期、今から250年以上前に財を成した資産家が一念発起、資材を投じて建立を発願したものの、あまりにも巨大過ぎたために運搬を断念し、当地に建立御座させたものと風聞が残されています。
放置されたままのお地蔵さまを見て、旧大住郡落幡村字受地、宮ノ下の十数軒の部落民が講をつくり、落幡のお地蔵さまとして守護、供養を行うようになり、それ以降、今に至るまで二百有余年にわたり、同地区の住民により代々受け継がれ守護されてきています。いつしか延命地蔵尊と呼ばれ、長寿祈願、安産祈願、厄落としのお地蔵さまとして、地域の人々の信仰を集め、親しまれています、

参拝して撮影させていただいた。

お堂なので敷地は狭いけど、こんな説明板を見つけてしまった。
さてと?時刻は12時35分、今度こそ鶴巻温泉駅へ。次は伊勢原駅から丹沢・大山フリーきっぷを使いバスに乗る。
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巨木探訪・鶴巻の大ケヤキ

2019年02月07日 05時47分17秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
鶴巻温泉駅はピカピカだった!南口改札は3階にあって、2階へエレベーターで降りた。右足と腰を痛めてて高低差がネックな私にはとても嬉しい出来事でした!駅前の坂道を西へ上る。最初の信号を右(南)へ。信号待ちになって、南を向くと大きな木の枝が空に突き出ているのに気づいた。あそこだわ〜。
目的の鶴巻の大ケヤキに12時1分到着です。てっきり公園の端っこに目的の木があるとばかり思いましたが、敷地は狭く大ケヤキのために作られた公園に見えますねっ。

かながわの名木100選の石碑発見:鶴巻の大ケヤキ 県指定天然記念物 昭和28年12月28日指定
樹高:30メートル 胸高周囲:10メートル 樹齢:約600年(推定)
県下で最も太いケヤキで、「逆さほうき」状のケヤキの典型的な樹形ではなく、むしろエノキに似ているため、昔から大エノキと呼ばれて親しまれてきた。
昭和59年12月には「かながわの名木100選」に選定されている。」
む〜ん??樹高30メートルだと?
見上げる。

パッツンいってます。あれだな。かながわの名木100選に指定された時には樹高30メートルあったけど、台風かなんかで折れたんだろうなあ〜。
長生きしてる木は個性がある。この木はなんといっても大きなコブ!

画像でサイズが分かりにくいのが残念です。一周する。

訪問は2019年2月3日、完全落葉状態なので、葉っぱは全くない!となると、もうね。木に見えない。圧倒的存在感です。
あ。ベンチ発見!ちょうどいいので大ケヤキを眺めながらパンと熱い紅茶でお昼ご飯〜。

パンにぱくついてたら、大ケヤキの大きな枝の上でスズメがぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。しかも3羽も。画像に3つの枝が写ってますね。一番左の股の部分を跳ねて、枝の穴をスズメが入ったり頭を出したり。あ!もしかせんでもシャッターチャンスなんじゃ??気づくのが遅すぎっ!リュックの中のデジカメを取り出す前にスズメに逃げられる〜。ボケてんじゃないぞっ!自分っ!!後悔は先に立たずなんである。

当日は2月と思えないポカポカ日和で、サイクリンググループが道路を横切っていく。これも十分シャッターチャンスだな。
さてと?出発するか!のまえに、大ケヤキの別角度からの全景画像が欲しい!

幹線道路はバス路線でもあるようで、こんなん見つけてしまった。

停留所の名前はズバリ「大けやき」です。これ以上ないわかりやすい名前だなあ。
ちなみに『巨木』の本に掲載されてる記事によりますと、「秦野市から平塚市に通じる幹線道路がケヤキの根の上を通ってしまった。その振動と排気ガスをまともに受けてしまった大ケヤキは、年々樹勢が衰えはじめ、30メートル以上あった主幹も失い、現在はほぼ半分の樹高になってしまった。このケヤキの最大の特徴であった根元の大きなコブも樹皮がはがれてしまい、無残にも白骨化してしまった」と書いてありました。かながわの名木100選の石碑を読んで大ケヤキの樹高が違うのは台風なんかで枝が折れたのだろうと思ったのに、犯人が人だったとは残念だ。今ならこんな立派な木が道の予定地にあったなら、配慮もしただろうに。道路敷設の時代がマズかったなあ。
あ?説明板発見:神奈川県指定天然記念物 鶴巻の大ケヤキ 昭和28年12月22日指定
このケヤキは昔から落幡の大エノキとして、村人たちが保護して育ててきたものであるが、実はケヤキである。
根回り12、25メートル 目通り10メートル 樹高30メートルにおよぶ大木である。
ケヤキはニレ科の温帯性高木で、ヤブツバキクラス域白樫群集ケヤキ亜群集に位置付けられている。県下では沖積地や台地斜面などに自生しているため昔から親しまれてきた木である。屋敷内に植栽されることも多く、しばしばケヤキの見事な屋敷林も見かける。このあたりではケヤキ林が自然植生で栄えていた。
大ケヤキは落幡の神木として村人たちが豊作と生活の平安を祈った名木である。郷土を代表する木として長く保存する必要があり県指定天然記念物に指定したものです」
落幡?確かすぐそこに落幡神社さんがあったなあ。寄ってみようかな?
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