あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

あじさい三昧

2010年07月31日 05時36分00秒 | アジサイ散歩



フィナーレはあじさいの洪水で



ってなことで、長々と紹介してきた本土寺はこれでおしまい。おつきあいありがとうござました。
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本土寺のあじさい

2010年07月30日 04時28分19秒 | アジサイ散歩
本土寺のクライマックスと思います。









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絵みたいに綺麗

2010年07月29日 04時15分01秒 | アジサイ散歩
絵みたいに綺麗という言葉がありますが、本当に絵のような景色に出合うことってあるんですね。
そう思ったのはトップ画像。地面の苔がいい感じ。
ついでにもう一つ。
新緑というには6月の下旬ではもう遅いんですが、若い楓の木の黄緑と赤の葉っぱが色を添えてアジサイの華やかな色彩をひきたてています。
そんなこんなで本土寺のあじさい鑑賞、削っても削れ切れない画像が一杯で、今日もいくつか紹介しますね。







尚、トップ画像の場所の紅葉の画像はこちら。本土寺の紅葉(2)2009年12月9日です。赤の世界もお薦めですよ
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花鑑賞の困り者

2010年07月28日 04時23分53秒 | アジサイ散歩
愚痴ってよかですか?
本土寺のあじさいは、知る人ぞ知るあじさいの名所です。
当然、美しい花を自慢のカメラに納めようと、愛好家が集まってます。
ですが、皆さんっ!!
撮影に夢中になる前に、周りにもっと神経を配って下さい。
特に、三脚!!
三脚で場所取り云々を非難してるのではありません。
三脚を持って移動する時に、三脚を振り回すとね、危ないんですよっ。三脚の長さは凶器ですっ!(きっぱり)広い公園とかならまだしも、お寺の散策路は幅はあんまり広くありません。まあ、本土寺の散策路は比較的広いですが…。一般参拝客の目当ては綺麗なあじさい。あじさいに夢中の人も周囲への注意はあんまり払ってません。
三脚って鋼材で出来てるでしょ?あんまり人の多い場所で三脚も1脚も使わないようにして欲しいな。
鎌倉のお寺で昨今撮影禁止の場所が増えてるのもこの辺に遠因があるのかも。
ま、愚痴はこの位にして綺麗なあじさいを今日も紹介します。













でもさ~、実際花の撮影で一番困るのは振り回される三脚や雨降りなんかではなく、おばさん達の日傘だったりするんだよねー。
日傘が一つ二つなら絵にもなるが、連なるともう日傘が行き過ぎるのを待つしかない。
や、待つは忍耐ですが待てないって言ってませんよ。ええ。私はっ。でも人気の場所って人も多いから日傘使用者も増えるんだよね。いつまでたっても日傘が途切れないっていうか…。日傘って遮る範囲が広いから構図的にダメージが大きいというか情緒なんか吹き飛ばしてしまうって言うか…。せめて日傘の色は黒にしてくれ。原色はやめて~~っ。そう思いません?
あ、本日掲載した画像に日傘写ってないじゃん?だって??そりゃあ、日傘通り過ぎるのを待って撮ったからだよ~ん。
ってだよ~ンってお前何才なんじゃっ!と自分突っ込みして愚痴を締めくくるのであった。ふう…。
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極楽浄土の光景

2010年07月27日 04時18分35秒 | アジサイ散歩
昨日の記事から順路に従いあじさい道を抜けると、下の画像。視界が大きく開けます。

広い中央部は菖蒲田。残念ながら少し見頃を過ぎてしまったようで、花数は少なめ。
でもここの主役はあじさい。

こんな。

こんなで。

こんなに~。

弱冠花期の早い山アジサイ系は早くも見頃を過ぎてますが、色づきの遅めのピンクのあじさいはまさに見頃。
花の色彩は、まるで極楽浄土。もしくは彼岸の景色を具現して目の前に見せられてる気分です。
くう~~!!これでもっと人出が少なければ言う事ないんですが…。

画像の渡廊下への立ち入りは、確か有料のお寺ツアーに参加しないとダメだったかと。

この赤い渡り廊下をくぐると、本土寺のお庭の早周りコースへ。でもこんなに綺麗なお庭なのに、はや回りするのはもったいないよね。
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千葉のあじさい寺

2010年07月26日 04時51分45秒 | アジサイ散歩
関東の人はあじさい寺と連想するのは鎌倉の長谷寺・成就院・明月院でしょうか?
今日紹介するのは千葉県松戸市にある本土寺です。
ん?本土寺??
記憶のいい人は気づきましたね。去年紅葉散歩で紹介した紅葉の綺麗な寺。そう!そうなんですっ!!同じお寺なんですよ。
って言われても覚えてないわって方は「本土寺の紅葉(1)2009年12月8日紅葉散歩をポチッとクリックして確認してみて下さい。


参道は大きな木が一杯。入山料を支払って本土寺の境内に足を踏み入れると、あじさいの花が出迎えてくれました

入ってすぐの場所です。

秋に来た時はここ大人気だったんだけど、今は見向きもされません。





訪問したのは6月下旬。この所掲載していた皇居東御苑、富岡八幡宮、深川不動尊と同じ日です。この日のお散歩のメインが本土寺だったんだよね。
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菖蒲の見分けかた

2010年07月25日 04時31分56秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
あやめ変換「菖蒲」
しょうぶ変換「菖蒲」
同じ漢字になる!ってことはあやめとしょうぶは同じなのか??
6月の花見散歩は必ず「この花って何の花??」と思いながらとなります。
と。
皇居東御苑に答えが書いてありました。
トップ画像がそれなのですが、わかります~?
水から陸へ。
カキツバタハナショウブアヤメイチハツ

東御苑の菖蒲園の株は、明治神宮の菖蒲田から株分けしたものだそうです。
あれ?看板をよく見ると、菖蒲田はアイリスガーデンって英訳されてます。
つーことは菖蒲=アイリスなのか??
混乱は更に複雑に…。
………。
まっ、綺麗だからもういいか。
結論。
この手の花はみんな「菖蒲」っていう字の花です(きっぱり)。

菖蒲園の石のベンチでお昼。花数は既に寂しい様子。周りでは見頃を過ぎたさつきの花の刈り込みが行われてます。
ふと見ると、あたりには白い花があちこちに。
オカトラノオ。

ノリウツギ。

半夏生。

白い花じゃないのですが、御池ではアサザの黄色い花が綺麗でした。



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ウォーリーを探せ?

2010年07月24日 04時43分09秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
今月上旬中国遼寧省の大連・旅順を旅しました。ホームページに旅の画像を掲載してます。
本日のテーマは「満鉄」。2007年に満鉄が大連に本社を移して100周年記念で満鉄本社の総裁室が公開になりました。旧満鉄本社2階が「満鉄旧址陳列館」として、資料室・秘書室・総裁室が70元で見学可能。但し、撮影不可。
歴史の一端をご覧下さい。
「竹里館写真館」左の文字をクリックすると写真館へ飛びます。よろしくお願いします。

またまた道なりに進みますと、白鳥濠が見えてきます。ここを右の雑木林へ。そこを抜けると二の丸庭園なのですが…。
あれ??
なにアレ!!
え~と。
ここで問題です。トップ画像の中に人間が何人写ってるでしょうか?

続きまして第二弾。何人写ってるでしょうか?
白鳥濠の向こうの石垣は、私的に江戸城の中で一番高さがあると思います。…もしかしたら、北桔橋門の向こうの方が高かったかな?私の感覚ではこっちです。
これ、実は造園業者さんです。石垣のお手入れ中です。石垣の隙間、上から降りて来るツタ状の植物等を取り除いてる所です。
ご苦労さまです。でもちょっとやってみたい~~。
香川県人にとっては、毎年の季節のニュース。丸亀城の石垣で自衛隊が訓練というのがかつてありましたが、今もやってるのだろうか?

もう勘弁して下さいっってお日様にお願いしたくなる程連日暑いですねっ。
わが相模原では、午後になりますと「光化学スモッグが発生しました」って放送が聞こえてきます。日没近くになりますと「光化学スモッグ注意報は解除されました」となるのですが…。
光化学スモッグってまだあったんですねえ~。あれって公害全盛期のもので既に出ないのかと思ってたのですが…。う~む、何で発生するのだろう?
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本丸中之門石垣

2010年07月23日 04時31分59秒 | お城&御所
7月上旬に中国遼寧省の大連・旅順を3泊4日で旅しました。
その時の写真を私のホームページ「竹里館ホームページ」で掲載中です。
今日のテーマは大連の歴史を見続ける中山広場です。
大連はロシア統治時代を経て日露戦争以後から第二次世界大戦まで日本が植民地統治していた場所で、所縁の建物がまだまだ残っています。中山広場は放射状に今でもこれらが立ち並んでいる場所です。
「竹里館写真館」から入れます。
よろしくお願いします。

大手門を抜けて受付で札をもらう。まずは三の丸尚蔵館へ。ここは小さいんですが宮内庁所有の美術品を期間を決めて次々と見せてくれる。しかも無料という穴場な美術館です。
道なりに進みますと、でっかい石垣が見えてきます。
普通石垣は小さいまるいのを積み上げてるかんじなんですけど、ここの石垣は使用してある石は大きいです。なんか、積み上げ方が日本ぽくないと思うのは私だけ??

右奥にあるのは百人番所です。去年天皇在位20周年の時、ここで装束の展示をやってた所です。覚えてます?
東御苑装束類特別展2009年12月28日の記事
が、今日のテーマは石垣。
こんなんがありました。


ここの石垣は最近組み直しを行ったのですね。知らなかった~。

最近どうしょうと思う程暑いですねえ。
ところで杉花粉はこの時期に来年の花粉を仕込むってご存知です?7月に気温が高い&晴天が続く=来年春の杉花粉出来放題。という公式が存在しているのです。
杉花粉のアレルギー患者諸兄、来春は試練ですっ!
なにしろ杉の木様は今年・去年と杉花粉が少なくて、エネルギーが有り余ってますからね。
あ~、憂鬱だ…。恨めしく、青空を見上げるこの頃。誰か使いもしない杉の木を、今の内に切り倒してくれないかな~?

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江戸城大手門

2010年07月22日 04時58分04秒 | お城&御所
6月のある日、松戸市のあじさい寺にあじさいを見に行ったのですが、お寺は境内で飲食禁止でした。
どこでお昼にするか?と考えつつ地下鉄に乗って、降りた所は大手町。
そうだ東御苑へ行こう~。
東御苑には菖蒲園があるのです。あじさいの綺麗な時って菖蒲も綺麗だろ?との思惑で、お昼の場所を東御苑に決めて目指します。
パレスホテルが跡形もなくなってます~。
トップ画像は桔梗濠ごしに見る大手門。
続きまして、大手門への橋の上から。
遠望の石垣はかつての江戸城の石垣ですが、この辺りは進入禁止となってます。
門をくぐるとこんなんありました!

かつての門のてっぺんについていた鴟尾ですね。
立派な門をもひとつくぐって東御苑へ。

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白いたい焼き

2010年07月21日 04時48分16秒 | おいしい&スイーツ

富岡八幡宮のそばに白いたいやき屋さんがあります。
その名も「白家」。
お品書きをみると、むむ??

白焼き(あんなし)120円。
つ~ま~り~~。あんの入っていないたい焼きです。
注文すると、焼き溜めてあったたい焼きをわざわざ焼き直ししてくれました。

出来上がるまで質問三昧。「なぜに白いのですか?」「焼き加減がむずかしいです」
出来上がりにしょうゆを添えて出していただきまして、店先のイスに腰掛けてかぶりつきました。
たいやきは出来立てに限ります。例え焼き直ししても出来上がり即いただくと嬉しいです。
ちょいちょいしょうゆをかけて食べるそれは、ほとんどモチでした。ごちそうさま。

左のバーにあるブックマークの中の「竹里館ホームページ」は私のホームページです。今月初め3泊4日で中国遼寧省の大連・旅順へ行って来ました。
ホームページの「竹里館写真館」に日々1ページづつ旅の画像を掲載しています。
今日のテーマは「大連、露西亜風情街」
大連は日露戦争が始まる以前に帝政ロシアが支配していた場所です。三国干渉とか租借地とかむか~し歴史で習いましたよね。まさにその場所。1905年の日露戦争後から1945年の第二次世界大戦が終るまで、大連は日本の一部だったんですねえ。
よかったら見てやって下さい。よろしく。
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深川不動尊

2010年07月20日 04時28分36秒 | 神社・仏閣
先日、サッカーのお守りを紹介した(6月24日の記事「日本サッカー必勝祈願」)
ので覚えておられる方もいます?
深川不動尊は富岡八幡宮の隣にあるのですよ。同じ日に訪問しました。
参道です。

手水鉢です。

絵馬です。

願掛けきつねです。

本殿です。しょぼいのは、関東大震災&空襲の2度に渡って焼けてしまってる上に、現在工事中だから。でもこの本堂は千葉県の竜腹寺の建物を移築して本堂としてます。建物の建立は文久2年(1862)。江戸時代って結構建物を移築してるんだよね。最近気づきました。

出世稲荷です。深川開運出世稲荷といいます。成田山新勝寺の境内にある出世稲荷を勧請してます。


竹里館のホームページに中国遼寧省大連・旅順の旅の画像を日々1ページづつ掲載してます。
今日のテーマは「旅順植民地時代の建物その2」
旅順は日本が40年も統治していたので、あれこれ所縁の建物が残ってます。ですが~…。現役で使用されている建物は少しだけ。現在放棄されて廃墟になってる所が多いんです。本日紹介するのは粛親王府旧址・旧関東庁・旧旅順師範公学校と旧旅順大和ホテル。大和ホテルのみ現在も現役の旅館として利用されてます。
竹里館のホームページは左のバーから入れます。「竹里館写真館」左の文字をクリックすると写真館のページへジャンプします。よろしくお願いします。

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富岡八幡宮の境内には?

2010年07月19日 04時51分03秒 | 犬&狛犬シリーズ
富岡八幡宮は、江戸時代に町人層に人気だった八幡様だったので、いろいろなものが散在します。それを紹介しますね。
トップ画像は伊能忠敬。日本を測量する旅に出る前にここへお参りした縁で像があります。
撮影に失敗したのですが、伊能忠敬の像のすぐ近くには、日本一大きな御神輿のありました。
境内は夏の日差しで一通りもまばら。

いつもの狛犬。

なぜか木遣りの石碑。

富岡八幡宮にはいろいろな神社があります。

画像は七渡神社。
それでもって謎の狛犬。

この古そうな狛犬は、どこのか謎のまま。だって狭い敷地に小さな神社が押し込められるように並んでいて、しかと判明出来なかったのです。
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大関の碑

2010年07月18日 06時41分38秒 | 歴史散歩
富岡八幡宮には大関の碑もあります。トップ画像です。
かつて大相撲の最高位は横綱ではありませんでした。最高位は大関だったんです。
ということで、石碑を眺めてると、有名な名前を発見しました。

上の画像の左上を見て下さい。「雷電為右衛門」ってあるのですよ。
ならば最後の名前は?と見ると。

霧島関の名前が最後でした。
大関の碑の隣に、こんなのを見つけました。

訪れたのは6月下旬。ぼちぼち富岡八幡宮には夏越しの祭の為の茅の輪が設置されてるかも~?と出かけたのですが、ありませんでした。(残念)

やっちまった~
先週旅した中国遼寧省、大連・旅順。
近いです。行きは成田から飛行時間3時間で大連に到着。空港ビルが小ぶりで荷物もあっという間に出てきて入国審査もスムーズ。周水子空港から1時間で旅順到着。ってな感じ。
…んなことはどうでもいい。
おととい、うっかり旅先で購入した『旅順口大観』の本に牛乳をこぼしてしまいました
牛乳って糊みたいに、ページとページをくっつけてしまうんですよ
た、高かったのに…。180元もしたのに…。180元と言えば約2700円ですよ。
無理矢理ページを見ようとして、ページを開くことが出来ずバリバリ。
やっちまった~~
そんな旅順の旅の写真。4回目のテーマは『安重根』。
安重根って知ってる?
明治の人で、伊藤博文を満州で暗殺した人で韓国の英雄。
私のホームページへは左のバーのトラックバック。竹里館のホームページより入れます。
写真館は『竹里館写真館』にて。左の竹里館写真館の文字をクリックすると入れます。
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大相撲興行の歴史

2010年07月17日 04時24分05秒 | 神社・仏閣
大相撲、このところいい所なしですねえ…。
かつては私も楽しみに見ていたんですよ。曙・貴乃花・若乃花の時代なんか、ビデオ録画してまで見てました。
舞の海が大きな力士を倒す姿なんかもう拍手喝采でしたよ。
なのに、最近の凋落ぶりったら何!?悲しいです。
WIKIによりますと、大相撲が国技と呼ばれているのは「自称」なんですって。自称天才というのと同じ自称国技なんだって!
え?そうなの??
と思いWIKIを読み進めますと、興行としての相撲が組織化されたのは、江戸時代の始め。
1684年(天和4年)、寺社奉行の管轄下において、職業としての相撲団体の結成と、年寄りにより管理体制の確立が条件とされて、相撲の興行が許可された。この時、興行を願い出た者に、初代の雷権太夫がいて、これが年寄り名跡の創めともなった。
この時の興行は江戸深川の富岡八幡宮境内で行われた。

上の画像は現在の富岡八幡宮。
あ、給金も載ってます。
2006年1月現在。
横綱年間報酬4551万円。 大関3723万円。 三役2632万円。 平幕2058万円。 十両1622万円。これは最低金額で懸賞金は除いてあります。
力士以下の養成員になりますと、報酬はがくっと減りまして、幕下の年額報酬は90万円。 三段目60万円。 序二段48万円。 序の口42万円。
なので下っ端のうちは格上力士の付き人をしないと、生活出来ません。
にしても、出世さえすれば高額報酬。でも角界は後援者(タニマチ)からの祝儀がないと困るんだそうです。
最近の大相撲の無様っぷりでも尚タニマチさん達はお金を出してくれているのでしょうか?
こうなってしまったのは、大相撲が「宗教的かつ伝統的な儀式」から「スポーツ競技」へと変遷してしまったのが敗因の気がします。スキャンダルはこれくらいにして、相撲の持つ神事や武道の精神をちょっとは感じさせて欲しいです。今の日本相撲協会だと無理ですかね?

さて、深川八幡こと富岡八幡宮に話は戻ります。
富岡八幡宮の創建は1627年(寛永4)。徳川将軍家の手厚い保護を受け、町民層にも「深川の八幡様」と親しまれた。
昭和20年(1945)の東京大空襲により焼失。
江戸勧進相撲の発祥の地。しばしば境内で本場所も開催された。
明治維新以降。幕府や大名家の加護を失った相撲界が、神道色を鮮明にすれうことで生き残りをはかった。
現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか、相撲にまつわる数々の石碑が建つ。

富岡八幡宮の境内にある石碑。
左から超50連勝力士碑。横綱力士碑。出羽一門友愛之碑。
せっかくなので中央階段を上がって石碑に何が刻まれているか見てみました。

歴代の横綱の名前が刻まれています。

一番新しい部分です。最後は白鵬。

夏の太陽の日差しがキツ過ぎて、影の明暗が大きく出てますが、ついでなので石碑に刻まれた力士の像も掲載しておきますね。

竹里館のホームページの「竹里館写真館」というカテゴリーに先週旅した中国遼寧省の大連・旅順の旅の写真を掲載し始めました。3回目の今日は日露戦争所縁の地
あれ?昨日も日露戦争がテーマだったんじゃないの?と思われた方、そうなのですが、昨日は203高地&水師営でしたが、今日は旅順港の写真を白玉山から。よろしくお願いします。

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