あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

東村山の千体地蔵堂の内部公開見学

2019年11月22日 09時33分46秒 | レトロ建築
見学は2019年11月3日でした。
6月に北山公園の花菖蒲まつりを見物した時に立ち寄り、11月3日の地蔵堂まつりに内部公開がある。とガイドさんに教えてもらった。
鎌倉の円覚寺の舎利殿はこれとよく似た建物で、あっちも公開日が限定されてて見物に行ったら、中に入れなかったことを思い出した。私は建物の中から天井を見上げたいんだ。どんな組み方をしてるか見たいんだ。
今年、三鷹の国際基督教大学にある国の有形文化財泰山荘見学後、東村山市の千体地蔵堂に到着したら既に13時51分で、14時から法要があり一般見学停止になっていた。
マジか!?しかも14時20分には一般見学再開になるけども、撮影できるのは15時−16時限定だと知る。ヤ〜ラ〜レ〜タ〜。
待ちます!
見逃したらもう一生見れない。
ってな訳で、15時、写真撮影行列に並ぶ。
動線。中は狭いので、正面から入ったら奥へ移動する。
念願の内部公開。まずはお参りから。観音立像かな?傍に小地蔵像が納めた棚がある。
中断の地蔵像は金箔貼り。
下段は金箔は貼ってないけど少し大きめの。
前回ガイドさんに教えてもらったけど、願いが叶うと地蔵像を2体にして返すので、納められてるのは願いが叶った人のもの。
ところで、かつては桟の上に小地蔵像が並べてあったとか。それが棚に並べてあるってどうゆことか?疑問を堂内の監視員さんに尋ねてみた。
「かつてはあそこの桟に釘で像を打ち付け並べてありました。前回の改修工事の時に下に下ろしました」
わ、わかるかなぁ〜?上の画像の仏像の左上に明るめの色の梁がありますね。ここに並べてあったらしい。
そして言いたいことがある。私のガラパゴス携帯撮影ショボすぎ。ちゃんと写ってない〜。
心のカメラには焼き付けておきましたけど。ちなみに、真下から真上を見上げて撮影したかったけど、中央に仏像が配置してあるので出来ませんでした。ま、当たり前だったね。使用されてる建物でしたから。けども、天井板はなく、正方形の建物を壁面から組み上げてる様子はとても面白い。大満足!
ところで監視員さんに「以前訪問した時に、参道前に芝増上寺の将軍家の石灯籠が3対あxったと思うんですが、なぜないの?」と尋ねてみた。と?「歴史的にここにあるのはおかしいのでどけました」とのこと。徳川将軍家の石灯籠もそれなりに歴史的価値あると思うんだよね。だからもっちょい突っ込んでみた。「石灯籠はもうないのですか?」すると「一応あります」教えてもらったからには確認せねば。

千体地蔵堂裏手の本堂へ。画像左奥に石灯籠は数基並んでますね。これが徳川将軍家の石灯籠です。
いそいそと確認へ。
なんでやねん!
角度がね〜。私みたいな面倒臭い人を排除する為でしょうか?石灯籠の胴には本来納められた石灯籠の寺の名前・奉献した相手の名前・納めた日・納めた人の官位役職名前などが明記してある。
初めて訪問した時は、今ほど石灯籠の見方に詳しくなかったので、さらっと見学してしまい、6基の石灯籠を詳しくみてない。6代将軍徳川家宣のものがあったのは撮影画像が残ってるからわかるんですが、他がわからなかったので、再訪したら確認しよう!と思ったのに、このように回転して正面の石彫を隠されては読めません。
ま、な。わからんでもない。そもそも芝増上寺にあった徳川宗家の霊廟にあった数々の石灯籠は、戦災で焼失後西武プリンスホテルを建てる際、まるごと西武が所得し、欲しいところへ配ったのだ。なので所沢に隣接する東村山市の寺院にはどこにもある徳川家の石灯籠な訳で、ありがたみもないのだよ。
地元民と観光客の認識のズレですね。残念です。
こんな感じで、普段は全ての入り口を閉ざす地蔵堂も11月3日の地蔵堂まつりには開けられます。
さて、時刻は15時15分。帰ろう。今更北府中の刑務所の公開を見に行っても16時までなので間に合わないし〜。
帰り道見つけた現役のレトロ建物。何のお店かな?
東村山駅に戻ってきた。ふと、6月の北山公園の花菖蒲見学後、市内巨木巡りをした時にあまりの暑さでつい自分土産を買い損ねたのを思い出した。
確か?と買い求めたのがこちら。
小豆あんのだいじょうぶだァどら焼きとうぐいすあんのだっふんだァどら焼き。
そして千体地蔵ソース¥368と黒焼きそばソース¥4752本で税込910円。焼きそばソースは散策時に製造発売のポールスタアさんの側を通ったので購入しようとしたら、店が改装中だか移転中で買えなかったんだよね。焼きそばソースは駅前のcoop東村山駅前店で購入しました。だっふんだァどら焼きは駅前の餅萬駅前店で購入です。長くなったので明日へ続く。これまた6月に東村山を散策した時、最初に見学するのを忘れ、帰りは久米川駅から乗車して帰宅。見そびったのですよ。みたいのが志村けんの木です。巨木・名木・珍木すきとしてはみておかないとね。
2019年6月16日の東村山の巨木と歴史散歩で立ち寄った際の記事をリンク貼り付けします。(2020.2.20追加)
当日は北山公園でしょうぶ祭りが開催されていて、千体地蔵堂にも歴史ガイドさんがいらっしゃいまして、詳しくガイドしていただきました。興味がありましたら閲覧下さい。
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泰山荘見学3

2019年11月20日 05時50分32秒 | レトロ建築
2019/11/3国際基督教大学内の国の登録有形文化財泰山荘の見学ツアーに参加しました。泰山荘は6つの建物から構成されてます。トップ画像は書院:昭和41年に焼失した主屋(日野の農家を移築)の東南方に位置した新築の座敷棟。6畳間と、上段付き八畳間の2室構成に、濡れ縁(雨戸の敷居の外側につけた縁側)付きの畳縁を回し、東面に板敷縁をつけて上品な造りの座敷棟で、大学の各種行事に利用されている。
構造・形式:木造平屋建て、瓦葺、建築面積77平方メートル
かつては廊下によって母屋と書院の台所は繋がってましたが、母屋は火事により焼失
建設年代:昭和11年ごろ。
訪問日にはお庭で茶会が行われていて、中に用意しているのか人影が見えた。


隣接する書院へ。
蔵:書院の東方に建つ南北棟、瓦葺切り妻屋根、妻入の蔵で、北妻面に下屋を差し出して蔵前とする。鉄筋コンクリート造で土蔵風の外観をつくっているが、蔵前部を除いて庫室本体部を高床式としている点に特徴がある。
構造・形式:鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積55㎡
建築年代:昭和11年ごろ。
蔵は昨年改修済み。蔵には卒業式に使用されるガウンを保管していた。
画像奥の芝生広場にはかつて母屋があった。日野の庄屋の家で、大きな農家だった。
1966年4月17日の午後、台所から出火し短い時間で焼け落ちたとか。
あ!表門の紹介を忘れてました。
表門:「泰山荘」敷地の北端からやや南に下った地点に建つ間口3、35メートル、高さ5メートルの茅葺の薬医門。「泰山荘」の建設を指揮した茶匠亀山宗月の好みが表れた雅趣ある門で、江戸城幸橋御門の枡形土壇から発掘された古材を用いている。
構造・建築:木造。茅葺。高さ5メートル、幅7、1メートル
建設の年代」昭和11年ごろ
当日は雨が近い気配の曇り空。ガラパゴス携帯での撮影は、ピンボケ画像が増えてしまいました。
時刻は11時54分。先を急ぎたいところだけども、まだICUに見物したい場所がある。移動。
いただいた構内図によりますとダイアログハウス。この後、大学礼拝堂に戻ろうとして道を間違えた。賑やかな音楽が聞こえてきた。大学の文化祭の出し物のようで、ブラジルのカーニバルの衣装をつけてサンバを踊る女性の姿が見えた。せっかく文化祭なんだから、雰囲気のある画像も欲しいなあと思い撮影してたら「撮影不可なので画像削除してください」と学祭の係りの人に言われてしまった。昨今個人情報の管理問題があるからすぐ従う。なので文化祭の画像はないです。
正午を過ぎたのでベンチを見つけてお昼ご飯。
あれ?もしやして?
分かります?きのこがサークル状に生えてます。たぶんテングタケ科のガンタケじゃないかな?
これは傘の斑点が脱落してるきのこですが、おそらく合ってると思う。けども撮影日は11月3日、ガンタケって秋のきのこじゃないよな〜?
更に見つけちゃったきのこはおそらくノウタケ。誰かに抜かれてしまった若いきのこで、特徴的な傘のヒダがまだ出てないけどもたぶん合ってる。けどもノウタケって夏のきのこだと思うんだ。何故に11月に出てるのか??
で、いつものカワラタケや既に白くなってしまったサルノコシカケの老菌もあった。大学まで来てきのこ観察しなくとも。見つけちゃったからさ。
で、まだICUで見物してない場所は国際基督教大学博物館、湯浅八郎記念館です。

訪問時は夜具一夜のしつらい展(2019/9/10-11/8)が開催中。
江戸の模様は現在でも通用すると思うんだ。でも目的はそれではない。
撮影禁止だった一畳敷の原寸大レプリカがあるのだ。本物は上の画像の屋根が瓦葺だったけども。
こちらの窓から学生さんが懐中電灯で天井を照らし龍の絵を見せてくれた。それも再現してある。本物は中に入れなかったけど、レプリカは中に入り1畳たたみに寝転がることが出来る。結構な人気です。

色合いも再現してます。博物館は午前10時〜午後5時(土曜は午後4時半まで)の開館時間ですが、訪問日は臨時に正午からの開館になってました。尚、休館日は日曜・月曜・祝日。入館無料です。
時刻は12時31分。ヤバい。西野バス停は朝9時37分の到着だった。ここから徒歩10分はかかる。間に合うか?
ダメだったぁ〜〜。目の前で乗車予定のバスが行ってしまった〜。凹む。次の武蔵境駅行きのバスは何分なんだろう?あれ??バス停に次のバスの到着予定時刻の電子掲示板がある。で??あれ?武蔵境駅は2路線ある。ラッキー。思ったより待たずに済みそうだ。
ダンナにこの後の予定を告げる。「国分寺に移動。西武に乗り換えて東村山に行く。初夏に花菖蒲を見物した時に東京都に2つしかない国宝の一つ、正福寺の地蔵堂の公開見学。北府中へ移動して府中刑務所の見学します」だから時間が惜しいのだ。府中刑務所は午後4時までの公開だ。間に合うかもう既に微妙です。
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泰山荘見学2

2019年11月19日 05時11分22秒 | レトロ建築
2019/11/3。国際基督教大学(ICU)にある国登録文化財(建造物)泰山荘のガイドツアーに参加(45〜50分)した。昨日の記事は見学ツアー当選ハガキに書かれていた注意事項を書き出しましたが、ツアー参加者には改めて泰山荘見学時のお願い用紙が配られました。
1)泰山荘の6つの建物(表門・待合・書院・高風居・蔵・車庫)は国の登録有形文化財です。お手を触れたり荷物でこすったりすることのないよう注意してください。
2)泰山荘の建物はすべて、外からのみご見学となります(中には入れません)
庭と書院は茶道部がお茶会に使用しています。お茶会に参加をご希望の方は、茶道部受付へお申し出ください。お茶席は有料です。
3)立ち入り禁止エリアには絶対に入らないでください。足場の悪い箇所がありますので十分にご注意ください。苔は踏まないように気をつけてください。
4)見学ガイドツアーは事前予約制です。
一畳敷を含む高風居は、見学ガイドツアーに参加の方以外は見ることはできません。
5)敷地内では、建物の外観のみ撮影可能です。ただしお茶会の妨げになるような行為はご遠慮ください。三脚や自撮り棒・フラッシュなど、ほかの来場者のご迷惑になる撮影は禁止。
ふまえて、見学はガイドツアー形式なので、ガイドに従い移動。ガイドツアー中の撮影は禁止、ツアー後自由撮影はOK(一畳敷と高風居は除外)。
ツアー開始の待ち時間を利用し、いただいた資料で事前学習。
泰山荘について 泰山荘とは、日産財閥の重役をしておられた実業家の山田敬亮氏によって、昭和初期に別荘として建設されたもので、1939年(昭和14)5月には完成披露の茶会(席披き)が数日にわたって催された。当時の様子は、茶会記や芳名録およびこの時に出版された「泰山荘之記」と題した書物に記録されている。
翌1940年(昭和15)には、山田家から中島飛行機会社(現富士重工株式会社)に売却され、戦時中は同社の創業者である中島知久平氏の住居として使用された。
1950年(昭和25)に、この別荘を含む周辺の土地は国際基督教大学の所有となり、泰山荘敷地内の建物はそのまま保存され、現在に至っている。
当初、この別荘には南多摩(日野)から移築した江戸時代の農家があり、母屋として使用されていたが、1966年(昭和41)の火災によって焼失したため、現在は茶室、書院、待合、蔵。車庫。表門の建造物と様々な由来を持つ石造物が残っている。その中で一際歴史的価値が高く興味ふかいのが茶室の「高風居」および、それに差し掛けられた書斎(一畳敷)の「草の舎」である。
以上のように、泰山荘内の建造物はその建設年代や構造からみて、歴史的に非常に価値の高い建物であり、建築経緯や使用用材の出処も明らかで、それを記録した刊行物も残っている。このため、1999年(平成11)10月14日付で「国の登録有形文化財」として登録されました。」
ツアー開始。まずは集合場所側の車庫の説明。
説明板「名称:国際基督教大学泰山荘車庫
年代:1936年(昭和11)頃
登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
特徴:木造平屋建。下見板貼(土壁を雨雪から保護する目的で貼られる板を下見板、羽目板という)、寄棟屋根の建物で、南面に「3枚扉をつける。郊外住居地における自動車普及の時代的状況を物語る建物として貴重である」
一言で言ってボロボロ。ICUでは泰山荘の保存に努めていて、2017年に表門と高風居、2018年に待合と蔵、そして今年2019年に車庫の改修予定です。
ガイドさんいわく「来年には改修が終わった綺麗な姿がご覧いただけるので、また見学ツアーに申し込んでください」だそう。隣の待合へ向かう。ちなみに、クライスラー・ルノー・パッカードなんかが入ってたとか。
実は上の画像で注目いただきたいのは手前の瓦です。これは去年改修があった蔵のトップに据えられていたオリジナルです。使わなくなった瓦を庭に再利用するのは、昔からやっていたことで、古い寺院などには瓦を埋め込んで模様を作ってるところもありますね。
待合:江戸末期築・1936年(昭和11)頃移築。
江戸大崎にあった備前池田家下屋敷の茶室「池亭」を移築したものと伝えられています。寄棟造(2つの台形と2つの二等辺三角形からなる屋根)。茅葺。平屋建の建物の内部には茶室、次の間、水屋、取次、土間、玄関を備えています。現在は主にICU茶道部の活動場所として使われています。
見学開始。
よく見ると、茅葺の屋根にへんな構造物が刺さってますね?この正体は、屋根にカラス避けの針金を貼ってるのですよ。カラスが巣材として茅葺の茅を抜いて持って行くのを防ぐためなんですって。
ところで、撮影構図的にはもうすこし離れた場所から全体を入れたいところなのですが、ICUは庭の苔も保存物と考えていて、見学者が不用意に踏まないように、軒下のコンクリートかな?画像下に写ってる場所を進むように注意されたからです。




待合も去年2018年に改修を終えたばかりなので綺麗です。
次は見学のキモの建物、高風居と一畳敷です。ここで再度注意。「足元注意でお願いします。苔を踏まないように、石の上を移動してください。高風居と一畳敷は国分寺崖線に建てられており、石段を降りた先にあります。足元の悪い場所もありまして、現在は曇り空のコンディションですが、雨が降り始めたら見学ツアーの中止も考えてます。怪我などされないよう十分な注意をお願いします」
高風居と一畳敷の建物の周囲が狭いので、外観だけでも安全に見学するスペースが限られてるので、見学ツアーは人数を少数に限って30分ごとの出発とせざるを得ないようです。そこまでしても見る価値がある建物なんだよね。ちなみに、ブログに貼り付けてる画像は、ガイドツアー参加後撮影したものですが、高風居と一畳敷に限っては撮影不可でしたし、立ち入り禁止エリアにあるので、後から再度見物にも行けません。ガイド参加者は心に焼き付けるのだ!
国分寺崖線の斜面には、現在は大きな木がいっぱいで高風居に影が落ちていて薄暗い。けども泰山荘が作られた当初はここから富士山を眺める作りだったとか。
高風居:1925年(大正14)築・1936年(昭和11)移築。
泰山荘の中で一番有名な建築物です。入母屋造(寄棟屋根を下に、切妻屋根を上に乗せた形状の屋根)・茅葺・平屋建の建物で、「一畳敷」と呼ばれる畳一畳の書斎と茶室、水屋からなります。「一畳敷」は松浦武四郎が1886年(明治19)に建てたもので、茶室、水屋は徳川頼倫が同様に古材を集めて建てました。
「一畳敷」は松浦武四郎が収集した全国の寺社の古材が80以上使われています。
「高風居」は泰山荘建設の際に代々木上原の徳川邸から三鷹に移されました。
撮影はできないのですが、受付で寄付したらA4プラスチックファイルをいただいたので、プリントされてた一畳敷の画像を紹介。
一畳といえ、周囲を床材を巡らせてある。使われてる古材は80個以上。注目度の高い古材をピックアップ。
畳のまわりの額縁板は、奈良県吉水神社(旧吉水院)の元は天皇が住んでいた部屋の台座の前に使われていた地板でした。天皇とは後醍醐天皇以下、吉野朝歴代の天皇が歩いたかもしれないということで、勤皇家の武四郎にはこの木材を使用するのが嬉しくて、目立つ畳の額縁に使った。
床の間釣柱は、静岡県鉄舟寺(旧久能寺)の観音堂の欄干に由来。床柱として「釣られた」状態で使用。久能寺の起源は古代に遡るが、明治期に廃仏毀釈の対象となる。その後明治天皇の侍従だった山岡鉄舟により復興。
神棚の板は、出雲大社の古材を使用。
竹庇の腕木(外部の装飾)は、鎌倉鶴岡八幡宮の舞台を使用。現在は劣化が激しく、牡丹の花と葉の彫刻の識別ができない。
中仕切鴨居上の欄間は奈良県吉野山水分神社の欄間に由来。武四郎が修行した喜蔵院の住職により寄贈された。
床柱は、京都の秀吉が作った聚楽第の古材。
天井板は和歌山県の熊野本宮神社の扉に由来。外から天井を見上げると、中央に龍が描かれてるのが見えた。ガイドさんが天井を懐中電灯で照らしてくれたら龍の目が白く見えた。
ここから徳川頼倫が集めた古材になります。
茶室壁面は、和歌山の鷺森別院(京都の西本願寺の別院)に由来する杉戸を使用。
廊下沿い敷居などは、戦艦三笠。
え?マジで??三笠って1回沈没してるからその時に出た木かなあ?
ちなみに、一畳敷は単独では起立出来ず、隣接する建物(現在は徳川頼倫が建てた高風居)に寄りかかるように立ってます。そもそもは、「北海道」の名付け親でもある探検家・松浦武四郎が探検家引退後、旅をしながら全国で古材を収集。1886年神田五軒町の家の東側に差し掛かるように建てましした書斎です。武四郎は「自分の死後一畳敷を焼くように」遺言しますが、息子により保存された。
徳川頼倫が武四郎の探検資料を自らが創設した南葵文庫に移す際、一畳敷を知り、1908年に寄贈という形で麻布の南葵文庫へ移設。しかし、南葵文庫の解体と移転、文庫の全書を東京帝国大学に寄贈されることとなり、1924年代々木上原の徳川家清和園に移設することとなる。一畳敷は別の建物の支えが必要だったので、この時に茶室「高風居」が建てられた。しかし完成前に徳川頼倫が死去。後を継いで紀州徳川家に仕えた人が完成させた。
頼倫の死後10年以上を経て、日産の山田敬亮夫妻の所有となる。山田敬亮は茶会を開くための別荘を、裏千家の亀山宗月に以来。一畳敷と高風居は徳川家の財政難もあり、保存を亀山に託すことで売却される。亀山は古い建築物を移設し、1935年から36年にかけ各建築物を移築・新築する。
現在の三鷹の野川沿いの高台で、富士山を見ることが出来たことから一連の建物を「泰山荘」と名付けた。
前述をしたように、現在は国分寺崖線の木が大きくなりすぎて、高台の上からも富士山は見えません。まるで林の中みたいです。
おまけ:高風居の水屋の小襖は、武四郎が収集した古器物の目録を、頼倫が小襖に使用。
だいぶん長くなってきたなあ。一旦区切って明日に続きます。ちなみに、説明文はガイドツアー参加者に配布された、泰山荘必携冊子から抜粋しました。
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国際基督教大学見学の文化財、泰山荘見学1

2019年11月18日 05時07分07秒 | レトロ建築
東京都文化財公開ウィークって知ってますか?普段見学出来ない都内の文化財が一斉に公開になるまさに特別な1週間なのです。そりゃあ歴史好きやらレトロ建築物好きが駆けつけるよね?けども大勢が見物に来られては、場所によれば狭かったり、文化財が古すぎで保存上よくないので、事前に人数と時間を限り申し込み。当選者のみ見学可。な文化財もある。そして公開日が集中するのが文化の日こと11月3日なんである。
今年もどこの文化財を見物に行くか?10月上旬から検討し、11月3日に見学申し込みしたのが、三鷹にある国際基督教大学内にある泰山荘です。ここ、以前から見たかったのですが、我が家のある相模原市からだと、交通アクセスがな〜。と躊躇してた場所でした。ところが、今年4月、桜散歩で国際基督教大学に隣接する野川公園から新撰組近藤勇の生家跡、調布飛行場、天文台を散策した折り、天文台前のバス停から小田急線の狛江駅まで直行バスがあると知りました。つまりだね。小田急相模原駅が最寄りの我が家から国際基督教大学までは1回乗換えで行けるんですよ。もうびっくり!!
往復葉書で申し込み。申し込み後の10月18日に帯状疱疹発症。凹む日々。そこに泰山荘特別公開ツアー11月3日11時よりの回当選通知到着。
なんとしても間に合わす!病気ってさ、患者のモチベーションなんだよな。真面目に軟膏を塗って、動くと悪化する水ぶくれの破れた左腰も極力動かずにいて、更に帯状疱疹にはタンパク質とビタミンを取れと言われたから、豆腐=タンパク質・りんご10キロ&みかん1箱=ビタミンをひたすら摂取して表面の皮膚の再生に努める。根性で11月3日に間に合わす。頑張った結果、見事11月3日には水疱瘡ウイルスを撒き散らさない程度になった。けども若いお嬢さんが多そうな大学に行くとあっては対策を取らねばならん。と、まだうっすら張っただけの左腰の患部はガーゼを厚巻きにし、上からガードルと服で抑えて外にウイルスが出ない状態にした。ここまでやって、11月3日は「小田急相模原駅発8時14分です」と、旦那に宣言したのに、タッチの差で予定の電車に乗り遅れた〜。やっちまったあ〜。
焦りながら時刻表を眺める。当初計画では小田急相模原駅発8時14分ー8時44分狛江駅着。もしかしたら、1本電車が遅れても狛江発8時59分のバスに間に合うんじゃないかな?ならば「狛江駅に到着したら、バス停まで走るから!予定のバスを逃したら、次は9時15分発になるから!」と旦那に宣言して到着前には扉の前に待機。
到着。急ぐ。
と?狛江駅はまさかのラグビーW杯押しの飾り付けにあふれていた。フラッグにマスコット人形などなど。理由は簡単。狛江駅から調布の東京スタジアム行きのバスがあるのです。ちなみに、私が乗車する小田急バス境91も東京スタジアムの側の天文台通りを通る。
撮影したい。けども時間が全くない。心残りだけども北口1番乗り場バス停へ。
あ!まだバスが停まってる。間に合う!
間に合ったあ〜。8時59発狛江駅。9時37分着西野バス停。
乗車時間が長いので、この時間を使いダンナに当選ハガキに書いてある泰山荘見学の心得を見せる。
1)悪天候の最は公開を中止することがあります。
2)集合場所は泰山荘現地です。
ツアーは表記時刻より開始いたしますので遅れないようにお越し下さい(大学構内は広いので、時間に余裕を持ってお集まりください。なお、ICU(国際基督教大学)構内バス停より徒歩15分かかります)
3)ツアー中の写真・ビデオの撮影は、安全確保のため固くお断りします。
4)足場が悪いので歩きやすい靴でご参加ください。ヒールの靴は苔を痛めますのでご遠慮ください。
5)高風居(一畳敷)を含め、外観のみの見学になります。
6)ご来場の最は本状(当選ハガキ)を受け付けにお出しください。
9時37分、定刻で西野バス停に到着。バスは時刻表通りに走らないからと早めのバスに乗ったのですが、まさかの正確さ。びっくり!
さて、西野バス停は実はICUの正門の最寄りバス停ではありません。次のバス停です。こちらは北門に近いバス停です。実は集合場所の泰山荘は広い大学構内の端っこにありまして、(トップ画像の大学構内図で言えば左上)どうせ構内が広いならば、点在するレトロ建築も見たいんです。幸い集合時間は11時。1時間以上もある。ってなことでICU北門到着。まずは構内図をゲット。実は見学日はICUの大学文化祭と重なっていて、一般人も見学に訪れるのです。ラッキー。
さて、レトロ建築物は?
最初はレーモンド設計(2000完成)のアラムナイハウス。

隣接するのは。
レーモンド設計(1978年完成)の本部棟。
進み、ようやくテントが並ぶ場所に到着。文化祭の雰囲気が漂い始める。
ヴォーリス設計1954年完成。レーモンド1960年増築の大学礼拝堂。
入り口で年配の男性が招いてる。何かしら〜?と?礼拝が10時半からあるようで、聖歌隊が歌の練習をしていた。しばらく見学。けども礼拝が始まってから席を立つのは失礼になるので、礼拝が始まる前に出る。大学礼拝堂の辺りはテントが多い。
礼拝堂の全景を写せる場所を探しつつ進んだけど木が多すぎる。無理。
ばか山の名のついた画像手前の小山と奥のあほ山。一番テントが多かった。画像左奥に見えるテント。左手に本館があり、内部の各教室ではサークルの発表がある。
ヴォーリス設計(1959完成)のシーベリー礼拝堂。
先へ進むと森だった。ICUは本当に広いなあ。私が卒業した大学は、京都市内にあったので、敷地がとても狭かった。ビルが並ぶように建ってたものなあ。
集合場所の泰山荘に10時30分到着。
奥のテントで受け付け。待ち時間の間に、受け付けでいただいた泰山荘必携の冊子を読む。テントでは募金を募っていた。ICUでは泰山荘の歴史的価値を認識し、より良い状態で保存していくため毎年補修を続けてる。その費用の募金です。「500円以上募金された方にはA4クリアファイルをプレゼントしています」500円か?持ってたっけかな?財布の中に500円玉はなかったので、1000円募金したら、クリアファイルもだんなの分合わせて2枚いただいてしまった。ラッキー。
A4クリアファイルにプリントされているのは、一畳敷の内部。ここが文化財のキモの建物。見物はできるけども入れない&撮影できない。A4クリアファイルは大学博物館の湯浅八郎記念館でも販売しています。長くなったので明日に続きます。明日はいよいよ泰山荘の見学です。
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国立博物館の表慶館

2019年10月11日 15時32分33秒 | レトロ建築
2019/9/16訪問。上野の国立博物館本館2階を見学後、お昼ご飯は平成館の1階ロビーでいただく。冷房あるし、ふかふかな椅子もある。私は持参したお茶を飲んだけど、無料の飲用水も配布してた。
さて、次は法隆寺宝物館へ。小雨がうっすら降っていたけども、傘を預けた本館まで戻るのが面倒臭いのでそのまま移動することに。
ふと、目に入ったのは、今ではほとんど使用されていない表慶館。神奈川では日曜お昼にBS朝日で「百年名家」という番組があってですね。私が訪問したのは今年の敬老の日(9月16日)でしたが、9月1日にトーハクの表慶館が紹介されました。たまに展覧会がありその時は入れますが、基本中に入れません。以前ダイヤモンド展とかで入ったのを思い出す。
で、番組内で紹介されていたのが正面建物のレリーフです。
わかりますか?ズーム。
よく見れば、大工道具みたいなデザイン。般若の面もありますが。
しかしですね。裏に周るとこう。
レリーフがない!
サイドにもレリーフはない。
中途半端な仕上がりの建物だなあ?予算不足か?
表慶館の位置はこう。上の画面右奥が本館です。
正面左右には狛犬ならぬ狛ライオンが鎮座。
口を開けてるのと閉めてるの。つまりまさしく「狛犬」の程で作られた玄関を守る置きの物です。
あ。説明板発見:表慶館
皇太子殿下嘉仁親王(大正天皇)のご成婚記念に、国民から奉献された美術館である。宮内省の片山東熊に設計が委嘱され、明治34年8月に着工し、明治41年10月に竣工した。ネオ・バロック様式と鉄骨、石材などの材料には、同じく片山が設計した東宮御所(現迎賓館)と類似の点が多く見られる。石張りレンガ造り2階建てで、中央部に大ドーム。両翼に小ドームをもち、左右相称となっている。内部は、中央ドーム下のホールが1・2階吹抜けとなり、ドーム天井周り、2階ギャラリーを回るイオニア式列柱や手すりなどは、ゆるぎない整然とした比例構成など、雅致深い建築である。昭和53年5月、重要文化財に指定。」
見覚えあるのは迎賓館に似てるからか。
歴史補完:迎賓館の竣工は1909年(明治42)。表慶館はその前年に竣工。
ついでに迎賓館には戦意昂揚をモチーフとしたデザインが多用されている。日露戦争の期間は1904年2月8日ー1905年9月5日。ご存知のようにポーツマス条約では賠償金が取れなかったので、予算不足になったのやも?確か明治天皇が「迎賓館を華美に過ぎる」と評したせいで、大正天皇の東宮御所として造ったのに使用されなかったし。
せっかくなので、赤坂迎賓館参観のブログ記事をリンクします。
法隆寺宝物殿へ向かう。
途中にこれを見つけました。
説明板発見:黒田家の江戸屋敷鬼瓦
德川幕府の参覲交代の制度により、江戸には諸大名の屋敷が設けられた。この鬼瓦は、筑前福岡藩主黒田家の屋敷(現在の千代田区霞ヶ関、外務省の地)の建物の棟飾りとして用いられたものである。鬼瓦といっても鬼面にはなっていない。複雑な雲文の鰭までを一体に造った大振りなものとなっており、屋根を重厚にする江戸趣味をよくあらわしている。」
そして並びに旧因州(現鳥取県)池田家江戸上屋敷表門<重要文化財>がある。明治になり、東宮御所の正門としてうつされたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)にトーハクに移築されました。
本来ならば土・日曜・祝日の10時−16時に開門されるハズ。あれ〜??しまってるゾ??天候不良だからかしら?チッ!いっつも外から見物して、門をくぐってみたいな〜とか思ってたのに。残念です。では、法隆寺宝物殿へ。時刻は既に12時半。日本の宝を見物しながら考え事しすぎで早くもヘロヘロな私。
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福田家の長屋門

2019年08月09日 06時04分37秒 | レトロ建築
2019/7/8の散策。ギオンスタジアム沿いの道で、思いがけず素敵な落書きを見つけて鑑賞。(10:18)坂を降りて道なりに走ってると、武家屋敷っぽい建物を見つけて自転車を停めた。(10:26)
説明板発見:福田家の長屋門 相模原市登録有形文化財
この長屋門は近世末頃の建築で、上部に2階を設けるため、軒高が15尺(約4、5メートル)とかなり高くなっているのが特徴です。軒はセガイという形式で市内では19世紀に一般化したものです。
屋根は修復してありますが、当初は茅葺だったと思われます。
注)外からの見学はできますが、屋敷内に立ち入ることはできません。
平成14年4月1日登録」
この道も走るのは始めてです。昔道なんだろうか?曲がってるし。

眺めて再出発。この道がどこに出るかわからない。とりあえず北に走れば52号線に出れると思うんだよね。
そんなこんなで目的のスナックさいかちに10時36分到着。
本当に着けたよ〜。感動した!
というのも、7月6日に公民館で相模原の戦国史の歴史講座に参加。そこで永禄12年(1569)武田信玄が小田原攻めの際、戦勝のさい先を祝って植えたさいかちの木が、相模原市南区下溝にある!と紹介されてたのだ。
それは見たい!と思った私は、講座の講師に「見に行きたいので所在地を教えて欲しい」と質問。聞いてもたどり着けそうになく、ど〜しても場所を知りたかったので、しつこく聞きましたらば「スナックさいかちの前」という実に具体的な場所を教えていただきました。ごめんね〜、先生、ど〜しても見たかったんや。ってな事で明日に続きます。

記事をある程度まとめて書いて予約投稿してます。うっかり間違えて8月9日の記事を2本作ってしまったようです。この記事は2本目になります。日々チェックしてくださってる方は、もう1本ありますのでよろしくお願いします。
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藤沢レトロ旧近藤邸

2019年08月01日 05時20分03秒 | レトロ建築
2019/6/23訪問。実は先に投稿した鵠沼の蓮池で舞妃蓮を楽しんだ後、徒歩で藤沢駅へ向かう途中、体育館のそばにある旧近藤邸を見学しました。時系列で投稿する予定が、以前訪問した蓮池の記事の閲覧が多く、ならば!と先に蓮の開花情報を投稿してたのです。で、続きの旧近藤邸がようやく紹介できます。
旧近藤邸の後ろに見えるのは、藤沢市の体育館です。
平日はリーズナブルな喫茶店として使われてる旧近藤邸。訪問したのは日曜日。入れないのか?と肩を落としかけて説明板を見つけた。「日曜日に見学した人は見学時間午前9時から午後5時まで(入場無料) 見学を希望する人は向かいの市民会館内の受付に申し出てください。」ということで受付へ。鍵を開けてくださり見学開始。ちなみに、見学が終わったら携帯で係りの方に「見学終わりました」の電話を入れるだけの簡単仕様。自由に見学出来て素敵。では画像増量で。
画像中央が入り口。入ってすぐ説明ペーパーをゲット
旧近藤邸:旧近藤邸は、関東大震災の直後1925年(大正14年)、藤沢市辻堂の松林に別荘として建てられました。当時の和洋折衷の代表的な建物といわれています。建て主の近藤賢二氏没後、所有者が変わり、老朽化に伴って取り壊しが決定されましたが、保存を望む声が、近隣の住民や建築家から起こり、1981年3月、藤沢市民会館の前庭に移築されました。
旧近藤邸を設計した遠藤新は、1914年(大正3)に東京帝国大学を卒業後、帝国ホテル(旧館)の設計で知られるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに6年間師事し、その思想を学ぶと同時に、日本の生活と風土に合わせた独特の様式を編み出しました。常に建築と人間との調和を考え、西欧の模倣ではない「真の日本の住宅」を追い求めた遠藤新の精神を、旧近藤邸の随所に読み取ることができます」
1階の居間兼食堂部分。現在は喫茶店として使用中。上の画像の右端に見切れてる場所に暖炉があります。
大谷石を使ってる。ライトっぽい。
画像奥に畳が見えてます。和室になっていて、藤沢市のレトロ建築がパネル展示で紹介されてました。非公開物件が多くて気軽に見学出来ないのが残念だなあ。
移動。もう一つ1階にある和室。ここも喫茶店で使われてます。
窓のデザインが素敵だったので。
窓の外が見える。
水平を強調する横線がいっぱい。
かつての使用人室。和室。テーブルの上に説明文「この食卓は、もと松井眞邸(1938年・昭和13)遠藤新設計で東京都東久留米市学園町に建築された。にあったが、1991年旧近藤邸へ内納眞様より寄贈された。
なお、もとの姿は、横1665×幅750×高さ665であったが、旧近藤邸にあったテーブルの形を考慮して改造した。 1992年6月19日 旧近藤邸を守る会」
2階へ移動。
階段が細い。しかも急です。
平面図を見ると、バルコニーが2つある。ちなみに上の画像はサンルームよりバルコニーに向けて撮影。けどバルコニーには出れません。


8畳の和室から、サンルームに向けて撮影。すりガラスです。
和室。白いしっくい塗。

今でもいけてそうだったので、もう1枚。
レトロ建物の窓の鍵。アルミサッシの偉大さがわかるよなあ。アルミサッシを発明した人は偉大だ。
玄関を中から外に向けて撮影。周りに喫茶店のあれこれがあるのでデザインがわかりにくかも?外へ移動。
外から見ると窓はこんな感じ。
窓。
庭側からホール入り口を撮影。
中に近藤邸のミニチュアがあったので撮影。
さて、受付に電話して「見学終わりました。ありがとうございました」と伝えて藤沢駅に向けて出発。
なんかあった!名誉市民:片山哲先生「片山哲氏、明治20年紀南に生まれる。こよなく湘南を愛し、居を構えてより50有余年。清節道を守って湘南の人となる。市民諸君より推されて衆議院銀に当選すること11回。昭和22年5月には内閣総理大臣に就任し、戦後の難局処理に当たる。その后外遊数回、世界の人物と風光に接し、益々わが湘南の風物、世界に秀でたるを信ず。」
何かあった!
2階の回廊みたいなデザインでイトーヨーカドーまで続く。そこで1階に降りると商店街。藤沢駅まですぐだった。
自販機がワグビーワールドカップ仕様になってました。もうすぐですね。
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黒門が開いてる!?

2019年07月15日 05時26分37秒 | レトロ建築
2019年5月18日は国際博物館の日でトーハクの一般展(総合文化展)が無料で観覧できました。朝から見学したけどあまりの量に全部見切れず、本館2階と法隆寺宝物館などの見学を見送りました。ちっ!9月の敬老の日も無料観覧できるので、その時こそ総合文化展をコンプリートするのだ!と謎の誓いを立てトーハクを後に。既に15時過ぎてるので、このまま帰宅してもいいんだけど、もうちょっとだけと移動。
と?あれ??黒門が開いてます!
ここを土日に通ったことがなかったので私が気付いてなかったのね。

戻って中から門を見学したい!けどもう疲れて戻る気力がない。
ちなみにトーハクwebによりますと「「黒門(重要文化財):旧因州池田屋敷表門。旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。明治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)トーハクに移築されました。創建の時期は明らかでありませんが、形式・手法から見て江戸末期と考えられます。屋根は入母屋造左右に向唐破風屋根の番所を備え、大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。
土・日・祝日および1月2日・3日の10:00~16:00に開放しています」
さて、疲れてるのにやってきたのは旧東京音楽学校奏楽堂です。
耐震工事だったのかな?しばらく休館してました。実は私は訪問済みなのですが、ダンナが入ったことないというので行ってみた。
何か演奏会やってればラッキーだな〜。日曜コンサートってまだ続いてるんだろうか?

あれ??
針紙が?
あれ〜??
実は国際博物館の日で、ここも無料で入館出来る!と思い込んでたんだけども違ったようです。
公開日:日・火・水曜日*木・金・土曜日はホールの使用がなければ公開。
公開時間:9:30~16:30
入館料:300円
おかしいなあ?なんか無料入館出来るってどこかで見た気がするんだよね?
ブログを書くにあたり調べたら、国際博物館の日&上野ミュージアムウィークで2019年5月14日に入場無料だったようです。ま、紛らわしい〜。
ちなみに、旧東京音楽学校奏楽堂は、東京芸大音楽部の前身、東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890)に建設された。2階の音楽ホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です」奏楽堂のwebより抜粋。
去年の11月に工事を終えリニューアルオープンしてました。

あれ?このへんに白い自由の女神いなかったっけ?展示物は期間限定だったのかな?トーハクで動物作品を見てたので、目に付いた作品も動物作品でした。これも芸大生の作品かな?
さて、と。実は駅に戻る途中の広場で、新潟県の観光イベントをやってたのだ。せっかくだから佐渡の観光パンフレットと上杉謙信ゆかりの栃尾の油あげが見たいんだよね〜。懲りてない私。
新潟県のとりどりの観光パンフをゲットして、ホクホクで帰宅しちゃいました。

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東京国立博物館の庭は、元は寛永寺の庭です

2019年07月10日 07時20分03秒 | レトロ建築
トーハクの庭は普段立入禁止。春と秋、期間を決めて公開されます。庭園散策マップによりますと「東京国立博物館の敷地は、元は寛永寺の境内でした。現在本館が立ってるところが寛永寺の本坊にあたり、本館北側に広がる庭園は、寛永寺の庭であったと考えられます。ただし、庭は何度も改修を重ねており、5棟の茶室なども移築されたもので、当時の面影を残しているのは、本館東側の築山と中央の池のごく一部、そして庭に一角の古い墓石のみです。
また、当館には創設当初「天産部」があったためか、多種多様な植物があることも、この庭園の特徴です。」と書いてある。
では早速入ってみよう!
まずはトップ画像。「大燈籠:京都で現在も代々続く陶家・清水六兵衛家の4代(1848-1920)の作です。4代が61歳のときに作り、昭和13年(1938)に五代によって当館に寄贈されました。陶製の燈籠という、器にとどまらない4代の作風の幅の広さを伝えるものとして、大変貴重な作例です。
総高は、2メートル30センチ強。宝珠・傘・火袋・中台・竿・基礎部の大きく6つの部分から成り、総重量は1トンを超える、大変堂々とした作品です」
応挙館:尾張国(現在の愛知県)の天台宗寺院、明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁・1848−1938)邸内に移築。昭和8年(1933)当館に寄贈され、現在の位置に移されました。室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(1733−1395)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮毫したものであると伝えられています。松竹梅を描いた床張付と襖絵が残されています。墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されていますが、2007年、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製の障壁画が設置され、応挙揮毫当時の絵画空間が応挙館に再現されました。木造平屋建て、入母屋造、瓦葺、間口15メートル、奥行き9メートル、2室、廻り廊下を巡らせています。
訪問時、応挙館ではお茶会が催されていて、内部を見れませんでした。
九条館:もと東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室として使われていました。昭和9年(1934)九条家から寄贈され、現在の位置に移築されました。床張付などには狩野派の筆と伝えられている楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りにされています。木造平屋建て、瓦葺、寄棟造、間口15メートル、奥行き10メートル、2室、廻り廊下を巡らせています。

2棟の廻りには、大きな木があります。

トーハク創設当時、「天産部」が多種多様な植物を植えたらしいので、この大きなイチョウも当時からここに立ってたのかも?けど、創設前は寛永寺の庭だった場所。ならば、江戸時代から生き延びてる木もあるやもしれん。そう思えば妄想が捗るなあ。どうだろ?
石燈籠
六窓庵:いただいたチラシによりますと、
慶安年間(1648-52)奈良の興福寺慈眼院に建てらてたもので、現在奈良国立博物館にある八窓庵などとともにヤマトの三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館が購入。明治10年(1877)当館に移築されました。その後、第二次大戦中に解体されましたが、昭和22年(1947)9月数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されました。入母屋造・茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和 (1584-1656)好み。水屋・寄付・腰掛などは明治14年(1881)に古筆了仲によって設計、増築されたものです。
にじり口にある手水鉢は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白藤原忠平が建立した法性寺(山城の国)の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を蹴て所有者が幾人か代わり、明治18年(1885)に当館の所有になりました」
歴史を経る中で増設・移築を繰り返した物件ながら、よく令和の時代まで残ってたなあ。驚き〜。
ちなみに、増設してるので撮影画像を見返して、どの建物が六窓庵なのか?大分頭をひねりました。



どれも違う建物に見えますが、撮影場所が違うだけで同じ建物を撮影してます。
近くにあった水鉢。このあたりには、曰くありげな石灯籠がいくつかあります。

そういえば、トーハク本館内から撮影したのはこの向かいだったかな?
反対側から見るとこんな感じです。創設時に「天産部」が庭に植物を植えまくったと記述がありましたが、この辺りには様々な木があります。季節が変わると趣の違うと思う。秋の庭園公開で見比べたいなあ。長くなったんでここで一旦区切り、明日も庭園紹介。
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東京国立博物館の庭は、元は寛永寺の庭です

2019年06月07日 17時31分36秒 | レトロ建築
トーハクの庭は非公開。けど春と秋の期間限定で一般公開しています。
いただいた庭園散策マップによりますと、「東京国立博物館の敷地は、もとは寛永寺の境内でした。現在の本館が立っているところが寛永寺の本坊にあたり、本館北側に広がる庭園は寛永寺の庭であったと考えられます。ただし、庭は何度も改修を重ねており、5棟の茶室なども移設されたので、当時の面影を残しているのは、本館東側の築山と中央の庭のごく一部、そして庭の一角の古い墓石のみです」
では早速お庭を拝見。
まずトップ画像。
大燈籠:
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青梅さんぽ3・釜の淵公園

2019年04月29日 06時02分01秒 | レトロ建築
2019年4月6日青梅で桜とレトロ建築さんぽ。9時46分、金剛寺出発。下り坂です。梅岩寺さんからずっと下ってます。下ったらまた登らなきゃならんので、ちょっとだけ憂鬱。
9時57分、釜の淵公園到着。りゅうえん橋を渡る。
釜の淵公園は青梅の桜の名所です。先に桜の記事は4月9日に投稿済み。
この記事では公園内にある施設を紹介します。
こちらは青梅市立郷土博物館と青梅の名前の元になった「青梅(あおうめ)」がある金剛寺の株分けした梅の木です。金剛寺さんは釜の淵公園の前に立ち寄った場所で、記事は昨日投稿しました。
そしてレトロ建築はこちら。
旧宮崎家住宅です。内部公開もされてます。縁側から入ります。
説明員さんに「入りませんか?」と誘われたのですが、この後11時6分発青梅の電車に乗車したいので我慢しました。でも説明員さんのお話はとっても面白かった!
説明員さん「この住宅は、もと北小曾木村あざ夕倉(現・青梅市成木8丁目)にありました。青梅駅から北へ行ったこの場所は、幕府の直轄で石灰の産地です」
私「あ!漆喰の材料ですか?」
そうです」
説「ごく平均的な農家ですが、建築様式が3つの部屋からなっていて、後に4つの部屋になる前の時代の建物という理由で、都指定重要文化財となりました」
私「広いですね?」
説「そうですか?11人住んでましたが」
私「ええっ!?」
説「この建物の材木が面白いんですよ。自分たちで建ててるから、いろんな木が使われてまして」
私「栗とか柿とか?」
説「使われてます」
私「自分たちで切り出したんですかね?」
記事を書いてるのって、4月18日ですが、既に訪問して12日も経ってて、地図とか見取図とか拝見しながら説明していただいだのにうろ覚えです。ああ、若い頃の記憶力カムバック!!書き留めておけばよかったんや〜。


おさんぽはゆとりを持ってやらなきゃならない!教訓を得た。いっつも計画を立てるときに詰め込みすぎる私の悪い癖。
反省しつつも、青梅駅までこの後上りなのだ。ぐずぐずしてられん!
あゆみ橋から多摩川を眺める。
釜ケ淵公園の桜の記事に掲載してない画像をチョイス。

最後にあゆみ橋から、左側が釜の淵公園で、右側がこれから登らなきゃならない斜面の高さを確認ください。
が、頑張ろう。時刻は10時39分。
急な坂をへ〜こら息を切らし登る。
10時55分、青梅駅に到着。目一杯急いだけど15分もかかった。
当初予定の11時6分発に無事乗車。目指すは武蔵小金井駅です。(本当は国分寺駅へ行き、日立製作所の春の一般公開参観したかったのに、今年の春の公開は中止になっちゃったんだよ〜)
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青梅桜とレトロ建築さんぽ

2019年04月27日 06時08分48秒 | レトロ建築
今日から2019年4月9日の青梅の桜とレトロ建築巡りを紹介します。
小田急相模原ー町田でJR横浜線乗換ー八王子で八高線乗換ー拝島で青梅線乗換ー青梅駅着。徒歩数分でしだれ桜の梅岩寺に9時2分到着。
実は梅岩寺のしだれ桜2019/4/6午前現在というタイトルで、4月9日に記事投稿済み。
今日は梅岩寺の桜は軽く紹介して散策ルート優先で紹介します。
梅岩寺のしだれ桜は市の天然記念物で青梅市内最大の桜です。青梅駅から奥多摩方面へ。徒歩数分で梅岩寺さんに到着。しだれ桜は2本あります。山門をくぐらず左を見るとまず1本。この桜は巨木の本では筆者が「臥龍桜」と名付けてました。
奥の石垣の上に長い花枝のしだれをもつ桜が目的のもの。
巨木の本によりますと樹高:11メートル 幹回り3メートル 樹齢150年と書かれてます。
ちなみに巨木の本の筆者さんはこちらを「飛龍桜」と名付けてました。
あまりの花房の長さに、真下に立ち見上げたら、頭の上から桜が滝のように降ってくる感じで素晴らしい。
なんとか降る感じを表現出来ないか?と工夫した構図が下のです。
9時18分梅岩寺を出発。急ぎます。11時過ぎの電車に乗りたいのだ。
青梅街道に出て西へ進む。道沿いにレトロな建物が次々現れて、レトロ建物好きの私は楽しいです。



散策時刻が早いからか、あまり人気がない。現在も住人がいる建物かどうかよくわからないのが残念だ。中にはお店っぽいのもあるけども。
あ?何か説明板が立ってるわ。
旧稲葉家住宅というらしい。公開されてるようだけども、公開時刻10時〜17時・休館日月曜日とありました。時刻を確認したら9時29分でして、諦める。けど説明板は読んだ。
旧稲葉家住宅東京都指定有形民俗文化財 指定:昭和56年3月12日
稲葉家は、江戸時代に青梅宿の町年寄を務めた家柄で、青梅でも有数の豪商でした。青梅街道に沿って土蔵造二階建ての主屋、門、棟割長屋が並び、主屋の東側に井戸と、北側には土蔵があります。
間口5間半、奥行き7間の土蔵造の主屋の表部分は、店舗として商業活動に充てられ、奥の部分は生活の場となっていました。
店舗部分は、間口いっぱいに土間を持つ前土間形式で、防火戸の収納部となる袖壁を左右にもつ一階部分と、土戸で守られた登り梁形式の二階部分からなっています。
軒の低い登り梁形式から、江戸時代後期(18世紀後半)の建築であると考えられます。
また土蔵は明治19年(1886)頃の建築、棟割長屋・門・井戸屋方はその後の建築と考えられます。 平成23年3月 東京都教育委員会」
公開時刻前だったので中は見えなかったけど、隣が空き地だったので斜めから撮影できました。
この旧稲葉家住宅前の信号を渡り、青梅街道から細い道を南へ向かう。と、急な下り坂が現れた。
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日本のガウディの作品を見に東池袋

2019年03月27日 05時55分22秒 | レトロ建築
2019.3.9東京メトロ1日券で行く巨木探訪も今回が最終回。実は巨木の紹介は昨日の記事が最後です。丸の内線茗荷谷駅→池袋で有楽町線に乗換→東池袋駅に移動。まずはA3版の紙をラミネート加工出来るキンコーズ東池袋店を探す。最近右足のふくらはぎと大腿部の状態改善目的でストレッチングボードという運動器具を購入したのですが、3分間ストレッチング体操の図解がA3版でした。使ううちに絶対ダメにしそうなので、その前にラミネート加工したいと思いWEB検索したら近所になく、ヒットしたのがキンコーズというチェーン店。セルフでA3サイズのラミネート加工が200円+税というお得仕様です。店はすぐに見つかったのに、結構時間がかかってしまい店を出たらもう午後4時前でした。イカン!早く探さないと太陽の位置が低くなりすぎる!
早速キンコーズの近くにある日本のガウディと呼ばれている2つの梵寿鋼氏の作品を探す。
去年の秋、杉並区の巨木散歩をした時に、京王線代田橋駅スタートで、梵寿鋼さんのビルを見物しました。
日本のガウディが設計のラポルタ和泉見物(2018年11月25日)の記事

日本のガウディ作品マインド和亜(2019年11月26日)の記事
他にはない建築で、もっと見てみたい!と思い東池袋に来たのだ。
探したらすぐに見つかるハズと思ったら、こんなのがありました。

画像では分かりにくいのですが、1階は何かの物流倉庫です。

正面から2階から上を見上げた。撮影時刻は午後4時頃ですが、この日はスカッと晴れていたので、建物の白い壁が青空に映えます。

横に回る。
 
見上げたり近くから観察したり。

物流倉庫の側面は居酒屋っぽい。居酒屋の隣に建物の入り口があった。そこはマンションの玄関ホールだった。

派手!外観に派手な彫刻がなされていても、白色一色なので玄関ホールの派手なモザイクが目立つのなんの。


足元は派手だけども地味!個性がイマイチかもしれんので、オリジナルでなく張り替えたかもしれんと予想。

だって、見上げた天井はこんなに派手なんだもの。

ちなみに、照明もこんなに個性的。

住民とすれ違う。彼女らはエレベーターに消えてった。う、羨ましい〜。内部も派手なのだろうか?それとも??想像が膨らむなあ。

建物の出口方面を撮影。
さて、梵さんのもう1棟はどこだ?
〜〜〜〜〜〜〜!!!見つからない〜。道沿に区画を1周したけど見つからないっ!
もしやこれ??

どうみてもつい最近壊した気配。まさかな〜??とは思いつつももう足が限界で、範囲を広げて探す気力がない!ので帰宅した。帰宅してから「東池袋 梵寿鋼」を検索ワードで探したら、紹介した白い建物の、トップ画像からほんの50メートルほど離れたところにあったと分かる。ちっ!!あの空き地が罠だったんだ〜〜!!なんでハマるか自分!!
梵さんの作品には特別な名前がついている。白い建物はルポア平喜といいますが、斐禮祈・賢者の石と呼ばれています。ちなみに、「斐」の字の上に山カンムリがついてるかも?
そして、私が見つけられなかった建物は、東商ビルといいまして、ビッセル・輝く器(南池袋2−31−3)です。ってなことで、また東京メトロ1日券で巨木探訪のついでに建物探訪もやらなきゃならないことが確定した〜。あ〜、事前調べが大切なんだ〜。わかっているのに私はまた甘かったんだ。反省したっ!
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旧新橋停車場

2019年03月02日 06時13分53秒 | レトロ建築
旧新橋停車場は入場無料。月曜休館。開館時間:10:00-17:00です。
東京メトロ新橋駅から浜離宮へ行く時は開館前でした。帰りに通りかかったのは11時15分ごろ。正面玄関が開いていた。

3月3日まで明治150年記念NIPPON 鉄道の夜明け展が、旧新橋停車場内の鉄道歴史展示室で開催されてます。とっても面白かったので、ぜひ画像を紹介したいところですが、展示室は撮影禁止です。私が一番面白かったのは、新橋ー横浜間の線路の地図です。
去年の大河ドラマは西郷隆盛が主人公でした。幕末当時、品川付近は薩摩藩の江戸藩邸がありました。去年放映されたNHKプレミアムの歴史番組「英雄たちの選択 汽笛一声!文明開化を決めた資金調達〜若き大隈・伊藤の挑戦〜」という番組では、外国に借金してまで今急いで鉄道を作る必要がない(西郷)VS鉄道こそ西洋列国の力の源泉。日本が西洋の食い物にされないためには喫緊に鉄道開設が必要だ(大隈・伊藤)という対立を紹介してました。新橋から横浜に向かうには薩摩藩の土地が必要でした。でも西郷が許さない。で、大隈・伊藤の結論は、陸がダメなら海があるじゃない!とばかりに、海の上に鉄道の線路を作りました。手作業の人海戦術で。明治期の土木は大概無茶ですよね。横須賀でも空いた口がふさがらないほどに魂消ました。今東海道線は陸地だから、現代を生きる人にはその頃の鉄道敷設の無茶苦茶具合は推察できませんが、「鉄道の夜明け」展には幕末期の海岸線と海の上を通した新橋から横浜までの線路の大きな地図が展示されてます。よくよく見ると、海上に線路があったのは、現在の高輪あたり。そして海に堤防を築き、その上に線路を作った横浜(現在の桜木町駅辺り)手前の神奈川海岸だけ。海の上を走る蒸気機関車か〜。まるれジブリ映画みたいですね。見物したかったなあ。
他に、開通記念に乗車に臨んだ明治天皇とおつきの人々の浮世絵も展示してて、服装が!束帯と冠と草履を履いて赤絨毯をいま歩こうとしてました。あ〜、お雛様が近くにありましたら、お内裏様の服装ね。西洋人は当時の正装のドレス着用の女性と金モールつきの軍服の男性。その後ろに蒸気機関車とこの新橋停車場が描かれてるのだ。必見です。
ちなみに、歴史資料展示室は2階と地下になってます。地下には開業当時の駅舎基礎石組みの遺構を建物内から見物できます。
いただいてきたパンフレットによりますと旧新橋停車場この建物は1872年(明治5)10月14日(太陽暦)に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎を概観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。
新橋停車場駅舎は、アメリカ人R.P.ブリジェンスの設計による木骨石張りの構造で、1871年(明治4)5月に着工、同年12月に完成し、西洋建築がまだ珍しかった時代の東京で、鉄道開業直後に西洋風に整備された銀座通りに向かって、偉容を誇っていました。
1914年(大正3)に新設の東京駅に旅客ターミナルの機能が移り、それまでの烏森駅が新橋の名を引き継いで現在の新橋駅となり、貨物専用駅となった旧駅は汐留駅と改称。物流の大拠点として戦前前後を通じて東京の経済活動を支えました。
文明開化の象徴として親しまれた旧駅舎は、1923年(大正12)9月1日の関東大震災の火災で焼失し、1934年(昭和9)から始まった汐留駅の改良工事のため、残存していたプラットホームや構内の諸施設も解体しました。
1986年(昭和61)、汐留駅は廃止。跡地の再開発に先立ち埋蔵文化財の発掘調査が1991年(平成3)から行われた結果、旧新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内の諸施設の礎石が発掘されました。
1996年(平成8)12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡として国の指定を受けました」

プラットホーム側から新橋停車場の建物を撮影。
説明板発見:プラットホーム構造
プラットホームは「盛り土式石積み」という構造で作られています。両側面の真下には、溝状に地面を掘って基礎石を敷き詰め、その上に切石を石垣のように積んで土留め壁が作られ、内側には土が詰められました。基礎石には龍野藩脇坂家。仙台藩伊達家両屋敷の礎石などが使われました。切石は笠石を含めて6段あり、地表には笠石を含めた上3段が出ていました。最下段部分は小口面を揃えて横に並ばせ、2段目から小口面と長手面を交互に並べて積んでいます。ただし、一律的に小口面と長手面が交互になっているわけではなく、2・3段目では小口面が続く個所もあり、4・5段目では長手面が並ぶ個所もあります。
プラットホームの規模
プラットホームの前兆は151、5メートル幅は9、1メートルありました。再現されたのはそのうち駅舎寄りの25メートルです。遺跡指定の範囲に残されているプラットホームの遺構は35メートルです。

説明板発見:再現軌道
創業当寺、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土をかぶせられ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対照のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石をかぶせて当寺に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1873年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われたあと、新潟県柏崎市の製油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両社からご寄贈いただきました。

説明板発見:0哩標識:1870年4月25日(明治3年3月25日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936年(昭和11)年に日本の鉄道発祥の地として0哩(ゼロマイル)標識と約3メートルの軌道を復元しました。1958年(昭和33)10月14日、旧国鉄によって「0哩標識」は鉄道記念物に指定され、1965年(昭和40)年5月12日、「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されました。

パンフレット掲載の再現見取り図。
10分で見学の予定が既に11時40分!急ごう!
東京メトロ銀座線新橋駅乗車。三越前駅で半蔵門線に乗換え、終点の押上駅へ。A3出口のエレベーターで地上へ。時刻は早くも12時23分。実は事前に計画してた東京メトロで巨木散歩はここがスタートのハズでした。

スカイツリーがど〜ん!撮影してる場合ではない!急ぎましょう〜。
コメント

新橋駅から浜離宮へ

2019年02月25日 21時44分58秒 | レトロ建築
2019年2月24日のお散歩を紹介します。
小田急東京メトロパスを利用して(東京メトロが1日乗り降り自由になる)東京メトロ沿線の巨木散歩に行こう!と金曜日に用意を終えた。あとは土曜か日曜か天候のいい方に出かけよう!と計画の最終チェック中に、2019年2月24日限定で、天皇陛下在位30年記念慶祝事業で都内あちこちの動物園・水族館・美術館・博物館を始め、公園も入園料が無料なるイベントを見つけた!もうこの時点でお出かけは日曜日に確定です。
で、どうせならば巨木探訪を絡められないだろうか?と。ほとんど完成していた散歩コースを見直し、無理矢理ええ、無理矢理ですっ!当日限定無料で入れる公園で、巨木がある場所で東京メトロ沿線の場所を超特急で探した。
で、300年の松のある浜離宮恩賜公園に決定しました。チョイスポイントは開園時間が午前9時なこと。大事な事です。元々組んでいた散歩コースにプラスするんですから〜。
ダンナに「朝7時15分に出発します!」と宣言しました。
当日、小田急相模原駅発午前7時44分に乗車。銀座線で新橋駅に8時46分到着。何はともあれ、浜離宮を目指すぞ!と、意気軒昂にホームに降り立ったものの、こっからどう行けばいいんだ?ともかく2番出口を目指そう。
ふっと、駅のラックが目に飛び込んできた!もしかしたらあそこに東京メトロの駅周辺案内地図があるかもしれん!
ありました〜!!これで浜離宮に行ける!
案内地図片手に地上をてくてく歩いてると、でっかい交差点に着いた。「新橋」交差点だと思うんだが、信号に「新橋」と標識が出てない〜〜!!おっきすぎるんんじゃ!!
と、ぼやきつつ歩いてると、レトロ建物を見つけた。
これってもしや〜??
旧新橋停車場じゃん!!
実はダンナの父親は、国鉄マンでした。ダンナはあちこち親に連れられて駅を見にいってたとかなんとか。で、すんごく気になったようですが、到着したのは8時54分でして、旧新橋停車場の建物内にある資料館の開館時間は10時です。また後ででお願いしますっ!
心残りのダンナを急かすのは、予定なびっしりなだから。ええ。今日は元から計画した散歩コースに、2つ無理無理にねじ込んだんですから!
あれ??

なんか、通りに警察がいっぱい出てるのなぜかしら〜??もしやもうすぐある東京マラソンの予習とか?ともあれ、朝9時前からご苦労様です。

おおっ!見た事あるぞ!何だっけな〜?確か黒田紀章?あ、違う黒川紀章さんだ。んで、カプセルホテルじゃなくてカプセルタワービルです。

なんか、取り壊すだのなんだの、いつかニュースで見た気がするんですが、変わらずここにあったのね。

嬉しいですっ!いつまで保存してくださるかわかりませんが、もう少しこのままでいてね。

あれ?なぜに突然信号機?
あ。説明文がある。「保存理由 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架かっていました。汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮らしの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止にあたり捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央教育委員会、地元各位の多大なご協力に依り、ここに永久保存されることになりました。 昭和62年(1987)12月」
新橋旧停車場を一目見ておいてよかったなあ〜。
さて、気をとり直し出発です。交差点の向こうにもうお堀が見えてる〜。ワクワクするわ〜。

立派な石橋が!広いわ〜。

おおっ!門の両側の石垣が!江戸城してるわ〜!!もう本当にワクワクが止まらん〜〜。
の前に、巨木の場所です。法被を着込んだおじさんに聞いてみます。
「すみません〜。トウカエデってどこにありますか?」
実は巨木の本によりますと、浜離宮には三百年の松のほかにもう1つあるとあったのですが、場所が今ひとつわからんの。浜離宮は広いから、見つからないかも?と不安だったんだ。法被のおじさんなら知ってるハズ。

「こちらの地図で説明します。今いるのが右下の大手門で、門を抜けるとすぐ三百年の松があります。まっすぐ行って菜の花畑。南へ抜けて花木園。南下してお茶屋が。その先が潮入の池。潮入の池の西側にトウカエデが並んでます」
「おおっ!ありがとうございますっ!」
浜離宮の見どころを押さえた上で最短コースだと思われる。もう楽しみ〜〜っ!!
あ。通常は、浜離宮恩賜公園の入園料は300円です。小田急東京メトロパスを利用すると240円。しかし訪問当日は天皇陛下在位30年記念慶祝事業で、浜離宮恩賜公園の入園料は無料でした。庶民にはとっても嬉しいです。
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