あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

御料車・儀装馬車特別展

2009年12月31日 06時20分01秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
皇居東御苑の天皇陛下ご即位20年記念特別展の最終は、本丸天守閣跡の脇で開催されていた「御料車・儀装馬車特別展」です。
トップ画像は儀装馬車2号。
昭和3年製造。
全長4、23メートル。幅1、91メートル。高さ2、2メートル。6頭立4頭曳の騎馭式4人乗りの馬車です。
昭和34年のご結婚の馬車列にも使用された。

儀装馬車3号。
昭和3年製造。
全長4、51メートル。幅1、91メートル。高さ2、24メートル。2頭曳の座馭式4人乗りの馬車です。

旧御料車「ロールス・ロイス」
平成2年製4人乗りのオープンカー。
平成5年の皇太子殿下ご結婚の自動車列にも使用されました。

旧御料車「ニッサンプリンス・ロイヤル」
昭和44年製。8人乗り。
ちなみに、画像の背後に写っている石垣は、かつての江戸城本丸のものです。

さて、なんとか年越しせずに今年じゅうにご即位20年記念事業のあれこれの掲載が終ってよかったです。
来年もよろしく。よいお年を。

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東御苑雅楽器旗類特別展

2009年12月30日 06時35分09秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
二の丸庭園から移動。
途中で汐見坂を登る。高さにしておよそビル3~4階分ほど登る。
汐見坂から白鳥濠を見る。

登ると宮内庁の楽部。
一辺雅楽の演奏を見て見たいんだけど、秋の雅楽の申込しようとしたらもう募集が終ってました。未だ果たせず。
トップ画像は本丸大芝生脇にある売店にて特別展示されていた雅楽器です。
琵琶に和琴に…おそらく打楽器だから太鼓でいいのかな?和楽器の固有名詞は難しい。

本丸大芝生では、旗類が展示されてました。
う~む。遠目では旗の模様もよく見えない。ので、
パンフレットから抜粋して個々の旗を解説します。

1)萬歳旛(ばんざいばん)
中央に立つ「萬歳」の金字がある2枚の旗。
縦550センチ。横90センチ。旗は儀式の中で荘厳な雰囲気を演出するために使われます。この旗は天下泰平な世の中がいつまでも続くようにとの願いを込めて作られました。
2)日像とう旛
縦550センチ。横90センチ。瑞雲文様赤地錦地の上に金色の太陽が刺繍で浮かび上がるデザイン。
日像・月像ともに宇宙を象徴しています。
3)月像とう旛
縦550センチ。横90センチ。日像とう旛とは対照的に瑞雲白地錦地の上に銀色の月が刺繍されています。
4)菊花章大錦旛
縦550センチ。横90センチ。赤と白2枚対の旗。
右方は赤地に雲がたなびく形をした「五彩瑞雲赤地錦」に、皇室を表す金色の菊の御紋章が織り出されています。
左方は白地に同じく雲がたなびく形を表した「五彩瑞雲白地錦」に、金色の菊の御紋章が刺繍されています。
5)菊花章中錦旛
縦450センチ。横85センチ。青(緑)と黄色で対の旗。
本来は青、黄色、赤、白、紫の五色がある。各色地の上に金色の菊の御紋章が織り出されています。
6)菊花章小錦旛
縦400センチ。横76センチ。赤と紫で対の旗。
本来は青、黄色、赤、白、紫の五色がある。各色地の上に金色の菊の御紋章が織り出されています。
7)ほこ
左右1対。
全長386センチで赤地雲形金繍に径15センチの巴紋を刺繍した鰭がついています。
8)鉦(しょう)
右端にある。
全長182センチ。火焔部の高さ85センチ。鉦の径30センチ。即位礼正殿の儀で参列者に起立着席の合図に使用します。
9)鼓(こ)
左端。
全長182センチ。火焔部の高さ85センチ。鼓の径39.5センチ。即位礼正殿の儀で参列者に敬礼の合図に使用します。

文中に何度も登場する「即位礼正殿の儀」の配置図がパンフレットに掲載されてました。
旗の配置、装束をつけた人の立ち位置などがわかるので掲載しときますね。


本丸大芝生のそばに十月桜が花をつけていました。

これ、秋から春にかけてちょぼちょぼ咲くんですよね。
花のない11月だと目立つからしばしば撮影する人を見かけますが、春になって本物の桜が咲いてしまうと誰も見向きもしなくなるという…。

かつて江戸城の本丸があった所ですが、大部分の建物建物は既に失われ往時を想像出来るものはない。
でも、ここだけは石碑が残されています。
わかります~?
ここは「松の大廊下跡」
なぜか大概の人はここを知っている。なぜなら赤穂浪士事件の発端の刃傷が起きた場所だから。
正しい歴史オタクならば、かつての江戸城の見取り図片手に散歩するのがなお楽しめます。
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東御苑の盆栽特別展

2009年12月29日 06時20分19秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
トップ画像は二の丸庭園。
ここは9代将軍将軍家重の時代の庭絵図面をもとに回遊式庭園として復元された日本庭園です。

二の丸諏訪の茶屋にて盆栽特別展がありました。
盆栽って日本特有の文化だよね。
皇居の盆栽は宮殿の大きな建物に調和するように大型のものが多いんだって。
特別展では、14点展示されてました。

五葉松(蟹松)
樹高125センチ。 樹齢450年。
盆鉢:琉球窯
素晴らしさのわからない今時の人間な私。
似たような人が多いのか、この松を鑑賞してましたらば、後ろから会話が聞こえてきました。
女性「この木、左側の枝が元気ないよね」
男性「そうだね」
女性「左の枝切っちゃえばいいのに」
男性「……でも切ると蟹じゃなくなるよ」
私もそう思う。

五葉松(三代将軍)
樹高:84センチ 樹齢(推定):550年
盆鉢:宜興窯(中国)
三代はつまり、徳川家光のこと。この松は家光が愛した盆栽なんだって。
長生きな盆栽です。
つーか、そんなに昔から盆栽ってあったのね。
五葉松は葉が五葉のものを総称して呼ばれています。

もみじ
樹齢:100年 盆鉢:宜興窯(中国)
盆栽は生きてるので、紅葉したり花が咲いたり実がなったりします。
面白いことに、盆栽は大きさが小さくなっているのに、花や実の大きさは元のままなんですよ。
カリンの実やリンゴの実は大きくてなんか変。
あ、あれに似ている。
レモンマンの巨大レモン!


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東御苑装束類特別展

2009年12月28日 05時29分14秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
トップ画像は
左:布衫(ふさん)火炬手(ひたき)
庭びの係が着用しました。古くは絹以外の麻、葛などの植物繊維で織ったものを布と呼びました。衫は裏地のない単衣のことを意味します。布衫装束にワラ靴姿。
(大嘗宮の儀で使用)
右:久米舞装束
大和地方の久米氏により歌い舞われたという我が国で最も起源の古い歌舞で、歌詞は神武天皇の御製と伝えられています。
(大餐の儀で使用)

上の画像はパンフレットに説明が書かれてなかったんですね。でもパンフレットの表紙の写真にはこの衣装をつけて舞っている姿が写ってました。

風俗舞(悠紀地方)

風俗舞(主基地方)

五節の舞姫装束
五節舞は、天武天皇が琴を奏でていると、雲とともに天女が降りてきて、それに合わせて袖を5回翻して舞ったという由来から、その名で呼ばれています。中絶の後、大正の即位式に再興されました。
大饗の儀で使用

左:太刀
全長102.6センチ。直刀造りで即位礼正殿の儀において庭上参役の威儀物捧持者が捧持しました。
中央:やなぐい
高さ48.5センチ。
右:盾
高さ90、1センチ。
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皇居東御苑の特別展

2009年12月27日 06時56分45秒 | 記念スタンプ
続きまして、今日から11月18日に行きました「皇居東御苑に於いて開催された『天皇陛下御即位20年記念特別展』のご紹介。
実は当初ここは11月12日に『赤坂迎賓館前庭一般公開』と合わせてここを訪問するハズでした。
というのも、記念事業の発表があった時は、赤坂迎賓館前庭公開と東御苑の特別展の日程が11月12日だったんですよ。
なのに、後に変更となったんですよ。
既に11月12日にお休みを取るように頼んでいた友人に計画変更を頼み、改めて11月18日にも休みを取ってもらうという……。非常に申し訳ない行程を経てのお出かけでした。

まずは三の尚蔵館にて御成婚50年・御即位20年記念特別展「両陛下思い出と絆の品々」を観賞。
テニスのラケットや皇后陛下が染めた絹糸などがありました。(8)

(1)の百人番所内で御即位20年記念の装束類ほか特別展を見る。

左端:束帯黒袍(男性供奉員用)
供奉員は儀式の際、天皇皇后両陛下近くに仕える男女職員。男性は、官職の地位によって黒、緋、縹色別の袍(上衣)を着用します。即位礼正殿の儀で使用
中央:五衣・唐衣・裳(女性供奉員用)
女性供奉員の正装。赤、萌葱、白色などを使った鮮やかな装束です。(十二単)即位礼正殿の儀で使用
右端:束帯(黒袍・威儀の者)

左:束帯(緋袍・威儀物(弓)捧持者)
右:束帯(縹袍・威儀物(鉾)捧持者)
儀式の威厳を示す威儀物を携えている文官。
即位礼正殿の儀で使用

左:束帯(縹袍・衛門)
御所の諸門を警護する役人の装束。
うちかけと呼ばれる鎧を象徴する貫頭衣を着用した姿。太刀を帯び弓矢を持っています。
即位礼正殿の儀で使用
右:釆女服(陪膳・後取)
釆女は、古代は天皇のそば近くに仕え、日常の配膳に携わりました。髪に白い日陰の絲を垂らしていますが、これは、もともと植物のヒカゲノカズラを用いたためにこの名称となりました。
大嘗宮の儀で使用


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新宿御苑旧洋館御休所見学

2009年12月26日 07時00分22秒 | レトロ建築
天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環で新宿御苑にある『旧洋館御休所』の特別公開が行われました。
ここは天皇や皇族が新宿御苑内の温室で植物を観賞する際の休憩所として明治29年(1896)に創建されました。
建物は宮内省内匠寮により設計され、アメリカの住宅を中心に流行したスティック・スタイルを基調に建てられています。
創建後、皇族の来苑が増えると共に4度にわたる増改築が行われ、大正後半からは主にスポーツ後のクラブハウスとして使用sれるようになりました。

見取り図のオレンジオレンジ部分が最後に増築された部分で、大正13年のこと。
妃殿下や婦人の浴室、トイレ、化粧室です。

上の画像は浴室。
大正11年に増築したもので、当時のバスタブや照明器具が残っています。

当初は外廊下でしたが、浴室を増築した時に通路が吹きさらしなると都合が悪いとガラス戸をはめ込み内廊下にしたそうです。

上の画像は建物正面玄関です。
確か内部見学の時は靴を脱いでスリッパに履き替えました。
解説もしていただき大満足。
内部は撮影禁止だったので、画像は配っていたパンフレットに掲載されていたものです。

脇出入口です。臣下の出入り口出入り口です。
 
上の画像は旧御食堂です。
料理は外のレストランから取り寄せてたんですって。

旧御居間。
新宿御苑はゴルフやテニスをする所。
昭和天皇は皇太子時代しばしばここでゴルフを楽しんでたんですって。
へえ~~。
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新宿御苑菊花壇展4

2009年12月25日 06時30分31秒 | 新宿御苑
トップ画像は一文字菊と管物菊花壇です。
一文字菊は、花びらの数が16枚前後の一重咲きの大輪菊です。
花の形から、御紋章菊とも呼ばれています。
管物菊は、筒状に伸びた花びらが放射状に咲く大輪菊で、糸菊ともよばれています。
作り始めは大正14年(1925)
他の菊花展でも上記の菊を見た事ありますが、管物菊にまでエリザベスカラーの如く台があるのはここだけ。
なんか、興ざめ。

●第二露地花壇です。

●大菊花壇
大菊は、菊の代表的な品種で、花びらが花の中央を包み込むように丸く咲くのが特徴的です。
一列ごとに名前がつけられています。これが風雅なものばかりで、源氏物語などにも散見します。

この並べ方も新宿御苑特有のもの。
確か、パレード。
…これもおいしそうな菊だよね。ソフトクリームかふわふわのマシュマロのおまんじゅうみたい。

12月13日の記事で紹介した「新宿御苑の秋」で出て来たイチョウと同じ木です。
イチョウって全体が黄色くなるまで2週間くらいかかるんですね。
さて、次は本日最後の目的地「旧洋館御休所」だね。
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新宿御苑の菊花壇展(3)

2009年12月24日 06時18分04秒 | 新宿御苑
一体何輪の菊があるのか?
つーか、これが1本の菊だって驚きだよねっ。
去年のNHKBSの番組でこの菊の作り方を見てなかったら、信じられなかったよ。
つーか、本当に1本の菊なのか、柵の前で座り込んで確かめましたよ。
マジで。
1本でしたよ。
で、これ前面は丸く円になってますが、後ろは絶壁なんですよ。
確かめたので本当です。

これって新宿御苑独特の仕立て方だとか。NHKBSで言ってました。
●大作り花壇と言います。
初冬に出て来る芽を1年がかりで枝数をふやし、1株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てて咲かせる技法を「大作り」と呼びます。
去年の秋、菊人形が見たくてあちこちの菊花展を探して回ったんですよ。それは湯島天神の菊花展で篤姫の菊人形を発見して望みは叶ったんだけど(2008年11月21日の記事『再リベンジ菊花展&念願達成』参照)、その時に『千輪咲き」という円形に仕立てた大作りの菊の展示をあちこちでみました。が、新宿御苑の大作りは格別素晴らしい。

トップ画像中央に小さな札があるでしょ?
そこに私の疑問の答えが書かれてました。
700輪を超えてました。
近くで観るとでかいです。

なんと!!
私の身長より大きいんですよ。
ホラね。

見物人がひけるのを待って写しました。
つーか、クリスマスまでに終らすつもりの記事が続きになってしまった~~。
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新宿御苑菊花展2

2009年12月23日 06時35分57秒 | 新宿御苑
昨日の記事で紹介した伊勢菊。そこは他に嵯峨菊と丁字菊もありました。
嵯峨菊はなんか茶筅を立てた形で、地味な菊だなあ~と写真を撮らなかったんですよ。
昨日謎が解けました。
あれはかつて京都の野菊を改良して出来た菊で、建物の外にぐるりとある廊下から、庭に咲く嵯峨菊を見下ろすものなのです。
だから背丈は2メートルが標準。
上から見て楽しむものを下から見上げてもそりゃ地味だよね。
下の画像は丁字菊。

花の中心部が盛り上がって咲く菊で、アネモネ咲きとも呼ばれる。
これらの菊は昭和30年ころから作られ始めました。
あれ?
この菊ってさっき見たアレ?
実は天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環で、御苑の菊花展の舞台裏も公開してくれてたんですよ。

上の画像が舞台裏の一角。
これは来年の菊花展の為に保存の為に育てられている菊なのです。
トップ画像は『懸崖作り花壇』です。
野菊が断崖の岩間から垂れ下がって咲いている姿を模して、1本の小菊を大きな株に仕立てる技法を「懸崖作り」とよびます。
作り始めは大正4年(1915)。
上の菊のお花畑は、懸崖用の小菊です。が、よ~く見ると奥に大きめの菊があるでしょ?これらも保存の為に育てられている菊です。アップ画像がないのは、訪れた前日まで雨でして、菊の花は雨に弱いようで大変残念な感じになってたの。
で、これはもう痛恨なんだけど、花畑の奥に現在新しい丁字菊を開発中だったんですよ。
菊は常に別の種類の菊の花粉を掛け合わせて新しい品種が作られてる花なんですって。NHKBSが言ってました。
で、出来た花からこれぞ!という花を固定化して新品種が誕生する。その開発中の丁字菊が展示されてとっても楽しかったんですよ。
新宿御苑発の新品種の菊もある。こうやって出来るのね。
さて、バックヤードから菊花壇展の会場に戻ります。
 
●江戸菊花壇
江戸菊は、江戸時代に江戸で発達した古典菊です。
花が咲いてから花びらが様々に変化し、色彩にとんでいるのが特徴で、「花の変化」を鑑賞する菊です。
新宿御苑ではもっとも古い歴史があります。

なんか…おいしそうだよね。
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新宿御苑菊花壇展

2009年12月22日 06時52分33秒 | 新宿御苑
上野駅でごはんして、JRで移動。
着いた先は新宿御苑。
名前からしておわかりの通り、新宿御苑は皇室ゆかりの場所です。
新宿御苑は、徳川家康の家臣内藤氏の江戸屋敷の一部がそのルーツと言われています。明治に入り、農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園となり、戦後昭和24年(1949)に国民公園として一般に公開されました。

上が御苑の全体図。
下が皇室ゆかりの伝統を受け継ぐ「菊花壇展」の開催場所です。
公開は11月1日から15日。
公開時間は9時から16時。

日本庭園を使っての展示です。
実は菊花壇展は毎年開催されているものの、訪れたのは始めて。
そもそもこの菊花壇展は去年NHKBSの「菊」の番組で知りました。NYの植物園で菊花展を開催するにあたり新宿御苑の栽培技術を勉強勉強してニューヨークで菊花展を成功させた云々…という内容を見たのです。
へえ~、でしょ?
で、今年はぜひ菊花壇展を見たいと前々から思っていたの。
そこへ天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環で、新宿御苑では特別展として11月12日を無料開園。またガイドウォーク。新宿御苑旧洋館御休所が特別に公開されます。
で、やってきました。

まずは第一露地花壇。
実はその前に中央入口並びに中央休憩所にも菊の展示があったのですが、今年は見頃が早めだったのかちょっと残念な状態になってましたので、写真は撮ってません。
さて、新宿御苑の菊花壇展についてもう少し語ります。
この菊花展が「皇室ゆかりの伝統を受け継ぐ」というあおりがついている訳は、ぶっちゃけ菊が皇室の紋章な所にあるわけです。
以下、菊花壇展のパンフレットから。
『日本に園芸品種の菊が渡来したのは、奈良時代から平安時代はじめといわれています。その後、室町、江戸時代と発達をとげ、明治元年(1868)に菊が皇室の紋章に定められました。
明治11年(1878)、宮内省は皇室を中心として菊を鑑賞する初めての『菊花拝観』を赤坂の仮皇居で催しました。展示用の菊は、当初は赤坂離宮内で栽培されていましたが、明治37年(1904)より新宿御苑でも菊の栽培が始まりました。
そして昭和4年(1929)からは、観菊会も御苑で行われるようになりました。
大正から昭和にかけては、観菊会の展示の規模、技術、デザインなどがもっとも充実した時期で、これらによって新宿御苑はパレスガーデンとして、広く海外に知られるようになりました』

●伊勢菊
伊勢菊は伊勢地方(三重県松坂)で発達した菊で、縮れた花びらが垂れ下がって咲きます。
おもしろい。


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ふんだりけったり

2009年12月21日 13時20分31秒 | 健康
先週の水曜日のこと。
公開間もない「ONE PIECE」の映画を見に行きまして…。
大概運が悪いので、少々のアクシデントではゆるぎません。
駅の階段を降りてる時に、予定の電車が出て行きまして、次の電車を待ってたら「線路内立ち入りがあり、10分程度遅れています」というアナウンス。でも10分程度なら開場時間には間に合うハズ。
無事トップ画像のONE PIECEの0巻もゲット出来、シートに座って待ってると、私の後ろに幼児と祖母と母の連れが来ました。
ヤナ予感。
ONE PIECEはアニメ映画ですが、上映時間は約2時間もあるんですよ。

予想通り、幼児は途中でぐずり出し、なき出し、祖母は幼児をあやし始めました。
席に座ったまま。
そのうち気づいたのですが、この幼児どうも風邪を引いてるようで、時々くしゃみをしてます。
昨今、新型インフルエンザが蔓延し皆が過敏になってるのに、動きの取れない映画館でこれはもうテロ行為に等しい。
周りも事態に気づいたようで、もう映画鑑賞どころではない。
私の隣の若者はおもむろに携帯電話を取り出し、メールを繰り返し、思い切ったのか席をたち映画館から出てゆきました。
正しい判断だと思います。
私は結局最後まで映画を見て帰宅したのですが、やっぱりというか当り前にも体調がどんどん悪くなってしまいまして…。

日曜日には腹が下りまして、トイレの住人に。
腹と背中にホッカイロを貼付け、暖房を入れて布団でうなってるという事態に…。

開けて月曜日、朝から病院へ。
本日は8時半に血液検査の予約が入ってます。
で、いつものように採血に失敗しまして漏れた血が皮膚と筋肉の間に打ち身のごとく青く固まってます。
それはまあいい。いつものことだ。
こんな体調で採血したせいか、やっぱり数値がよくない。
でもそれがなんで貧血に繋がるのか、またまた鉄剤剤を飲むハメに。
でも問題はソコではない。
診察予約は9時だったんですよ。
でも先生が血液検査の入力はしてましたが、診察の入力を忘れてたようで、延々待つハメに。
うがががが~~。
こちとら体調が悪いんじゃあ~。
腹がゆるいんじゃあ~。
でも体調悪いと、怒る気力もなくなりますね。
結局、予約してたのに当日診察扱いで、病院でたのが11時。そんで薬局よって帰宅したらお昼。
そうなんですよ。
また薬が増えました。
あ~、毎日14個か?
錠剤飲むの、大変じょうずになった私。
へこむわ~。
もう何がどうイカンのか。
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東京国立博物館庭園開放

2009年12月21日 06時32分13秒 | レトロ建築
11月12日は天皇陛下が即位した日でした。
で、日本全国あちらこちらで記念イベントが開催されました。
で。
いつも一緒にお出かけする友人の休日をこの日に合わせて取ってもらったのね。
数ある無料開放イベント施設から選んだ目的地は東京上野の国立博物館。
皇室の至宝が公開されてるのですが、11月12日は特別に無料開放になるのですよ。
混雑を予想して、いつもより早く待ち合わせ。10時には上野駅に到着到着したのですが…。
博物館に到着したら、入口で「ただ今90分待ち」って言われてしまいました。
えええ~~
はい、撤収~!
でもせっかくなので。
特別展の皇室の至宝展はパスですが、国立博物館は入場料無料の特別な日なので、春と秋だけ入れる国立博物館の庭園を見学することに。
秋の庭園開放は10月20日から11月29日まででした。
紅葉には少し早かったですが、この庭園に入るのは実は始めて

庭園には茶室が点在しています。

上の画像は「六窓庵」
慶安年間(17世紀中頃)奈良の興福寺慈眼院に建てられました。明治8年(1875)に博物館が購入。解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年ここに移設されました。
その後第二次大戦中再び解体疎開しましたが、昭和22年(1947)9月数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。入母屋造り、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584-1656)好み、水屋、寄付、腰掛けなどは明治14年に古筆了仲によって設計、増築されたものです。
トップ画像は「応挙館」の内部。
この建物は尾張の国の天台宗寺院、明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁1848-1938)邸内に移築、昭和8年(1933)ここに寄贈され、現在の位置に移されました。
室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(1733-1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に描いたものと伝えられています。

墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されていますが、2007年に最新のデジタル画像処理技術を駆使した複製の障壁画が設置され、応挙が描いた当時の空間が再現されてます。
木造平屋建て、入母屋造り、瓦葺き、間口15メートル、奥行き9メートル、2室、回廊下を巡らせてます。

さて、次です。
ここで特別展を見るつもりだったので、この後どうするか?
考えて本日常設展の無料観覧日の国立西洋美術館へ。
西洋美術館は今年長らく改装中でした。
久々にモネの睡蓮を見た~い

ここのモネ部屋は改装が終っても変らずに素敵
さて、上野動物園も無料開放中なのですが…。
どうすっかな~~。
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相国寺って知ってる?

2009年12月20日 06時42分05秒 | 歴史散歩
京都の相国寺を知ってますか?
大学時代にぶめちゃんがこの近くに住んでて、度々相国寺の境内を横切る道を突っ切って遊びに行ってたのです。
で、京都御所の見学に2時間の予定だったんだけど、90分で終了したのね。
で、このまま京都駅に戻っちゃうのはもったいなかったんで、京都御所の北側にある同志社大学の更に北にある相国寺に足を延ばしました。
つーか、なぜに時間にこだわってるかと言えば、13時38分観音寺着の特急しおかぜで田舎の香川へ戻らねばならんのです。
なので!!
11月6日は朝5時54分発の小田急線で自宅の神奈川県を出て出て8時29分京都駅到着。地下鉄に乗換え今出川駅へ。
なぜなら、京都御所の公開開始時刻が午前9時からだったので。
このスケジュールで行くと、遅くとも11時13分京都発の新幹線に乗らねばならんのです。
せっかく京都に寄るのに正味2時間44分しか滞在しないのはいかがなものか?というのは置いておいて、
ともかく京都御所を出たら30分時間が余ってたので寄道したのが相国寺でした。

したらね。
なんと、秋の特別公開中でした~。
わ~、ラッキー!!じゃなくて!!
30分の時間は地下鉄今出川駅出発の今出川駅到着での時間です。御所から徒歩で相国寺へ移動したら10分費やしてしまいました。駅までの戻り時間を計算して地下鉄の待ち時間も必要なので、相国寺に滞在出来るのは正味10分ほど。
無理無理無理!!
せっかくタイミングばっちりで相国寺を訪問出来ましたが、涙を飲んで見学をあきらめる。

ところで相国寺ですが、なぜか私のあやふやな記憶では織田信長が出てくるんですよ。
むむ??
どっかの漫画か小説が出展だと思うんだけどはっきりしないので相国寺のホームページを閲覧しました。
すると、あれ?
なぜに金閣寺と銀閣寺のホームページがくっついてるのか?
や、その前に信長だ。
え~と、「1574年織田信長、相国寺方丈に堺衆を集め名物披露の茶会を催す」
あれ?
これじゃない。
でも歴史では1582年には本能寺の変なんだよなあ。
何にひっかかってるのか?
囲碁…。ならヒカルの碁?あ~でもあの漫画もう手元にないや。
確認出来ないまま時間切れ。
さて、境内を西へ。

同志社大学は記憶の中の20年前に比べ、でかくなったような…。
や、感慨にふけっている時間はない。
急いで地下鉄へ向かい京都とお別れ。

あ~、写真の時間が…。あれ?
そうなんだよね。
京都駅に予定より早く着いたので、早い便に乗り、浮いた時間で岡山駅でさぬきうどんのお昼ごはんをしました~。
地下鉄の発着時間も調べておけば相国寺でもっと滞在出来たんだよなあ…。
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ここが源氏物語の藤壷

2009年12月19日 07時41分40秒 | お城&御所
源氏物語の名前を知っている日本人は多いが、源氏物語を読破している日本人は少数派です。
私も読破してません。
なぜって、長いんですよ。
でも藤壷は幸い源氏物語の最初の方に出て来るので名前くらいは知ってます~。
私は多数派!
なので、WIKIで検索かけました。
さっぱりでした。
取りあえず、だいたい60巻くらいある長編なのは確か。
さて、トップ画像です。
これがその!「藤壷」なんですよ。
正式には「飛香舎」
古制に則って建てられたもので、平安京の内裏の様子をよく伝えている。桧皮葺の寝殿造りの建物である。
女御入内の儀式が執り行われた建物であるが、元来は女御が日常過ごしていた所であった。中庭に植えられていた藤にちなんで藤壷と呼ばれていた。

源氏物語の主人公は誰でも知ってる光源氏。桐壺帝と桐壺更衣の子で第二皇子。臣籍降下して源氏姓を賜る。
藤壷は桐壺帝の先帝の内親王。桐壺の更衣に瓜二つであり、そのため更衣の死後後宮に上げられる。源氏と密通して冷泉帝を生む。
というようなお話が源氏物語の序盤の出来事です。
で、その舞台が上の画像の藤壷です。
私、お話を読んだ時にとても疑問だったんだよ~。
藤壷は「中宮」な訳。源氏と密通して生まれた子どもは後に冷泉帝に即位してるのね。
それって可能なの??
日本は男系相続な訳で、女性の身分でなく父方の身分が重要なのね。
なのに、仮にも天皇が不義の子ってあり得るのか?
でも、御所の見取り図を見ると結構可能だったのかな?と思いました。
光源氏は桐壺帝の第二皇子だから、身分からして御所をぐるりと囲む塀の外までは軽くフリーパスだよね。となると、関門は昨日紹介した朔平門のみ。これさえ通れたら、藤壷はもう目の前なんですよ。
まあ当時の警備については調べてないので、想像ですが。
こんなん考えつつ藤壷見学してる私は中世日本文学にロマンは感じてないってことですね。
さて、次の画像は飛香舎から続く若宮・姫宮御殿の庭にあった井戸です。

●若宮・姫宮御殿
皇子・皇女の御殿で、明治天皇が一時期お住まいになられた。
と、あれ?
下の画像は若宮御殿と思ってたけど、よ~く見たらこれ皇后宮御殿ですね。

天皇陛下ご在位20年記念の一環でしょうか?束帯姿と十二単姿の人形が2体ありました。



数日に渡って紹介してきた京都御所特別公開は本日で終了。
紹介文は主に入口で配っていたパンフレットから。
ところで、肝心の御所の紹介を忘れてたような…。
今更なのですが、京都御所は14世紀以来500年以上の永きにわたり連綿として皇居であったところです。
現在の建物はおおむね安政2年(1855)の再建ですが、平安時代を始めとする様式が展開し、伝統的な内裏の世界を見ることが出来ます。
明治天皇が1869年に東京に遷るまでここが皇居でした。

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朔平門と皇后宮常御殿

2009年12月18日 08時34分02秒 | お城&御所
トップの豪華な門は朔平門。
京都御所の最も北側にあり、南の建礼門と対峙している。
桧皮ぶきの門で、女御入内の儀式の際に用いられた。
とっても綺麗な門です。
ちなみに、上の画像で左上に黒く三角に横切る影。これは玄輝門です。
玄輝門は承明門など紫宸殿を囲む回廊の各門と同じように、古制に則って造られた本瓦葺きの門で、女御入内の儀式の際に用いられた。

よ~く見るとね、瓦に菊の御紋があるのね。
ここ、綺麗な着物の女の子にぴったりだよね。

実は参観ルートは朔平門より、この皇后宮常御殿を先に見ることになります。
上の画像の白壁の建物ではなく、その奥の大きな建物がそれ。
大概京都御所特別公開の建物をあれこれ見てて、この辺りに着いたらもう疲れちゃってたんですよね。
肝心の写真を撮り忘れ撮り忘れてしまいました
あ、あり得ん。
ここがメインなのに~~
皇后宮常御殿は、16世紀の終り頃から、女御あるいは皇后の日常のお住まいとして造営された御殿。
現在の建物は、入母屋桧皮ぶきの書院造りで、内部は13室からなる。
この建物の東側にも水が流れる庭がある。

どこからこの流れが?
京都市内の地図を見ても京都御所の北は現在同志社大学があって、川はない。
おかしいな~?と思ってたら、御所内の川の流れの長方形の水源が北の玄輝門の東にあるのを見つけてしまいました。
見学コースから外れてるのが残念無念。
どういう仕組みになっているのか実に興味深い。

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