あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

ちょっと昔の乗り物

2011年05月31日 04時16分12秒 | 鉄道のりもの
江戸たてもの園に2つ。小金井公園に1つ。少し昔の乗り物が展示してある。
トップは少し昔に富士山辺りでかつて走っていたバスです。この画像ではわかりにくいと思いますが、今のバスよりタイヤとか大きいし、地面からバスの床面までも高い。……昔の道は凸凹だったから、これくらいで調度だったのかもね。

昔の都電です。7500形。中にも乗れます。

こちらは小金井公園にあるので、たてもの園に入らなくても見学出来ます。蒸気機関車の先頭部分ってあちこちに展示してありますが、ここのは運転車両。2両目がえ~と?石炭車?あれ??水を入れておく車両ってなかったっけ??3両目は客車です。

客車部分には乗れません。運転席は乗れるんですけど、男の子に大人気でおばさんの出番はない。

さて、小金井公園に到着したのは11時過ぎでした。たてもの園を楽しんで出たらもう14時を過ぎてました。
すると、入った時に比べると段違いに花見客が繰り出していたのです。
比べるとこんな感じ。
/午前11時ごろ。
/午後2時過ぎ。
………自粛しようと、所詮日本人は花見好き。自粛の一環なのか、飲んでバカ騒ぎするグループは1つもなかったけど。騒いでる感じもないけど。でもこんなに人で溢れてるなんて…。
今年の桜はなかなか咲かなくて、おまけに散歩前日の土曜日は雨。満開の桜の下で花見が出来るのはこの日限りとあっては、自粛する気持ちに鍵かけて公園へ駆けつけちゃった人々ってな感じ?でも賑わうのはいいことだ。
でも例え小金井公園内に3000本の桜が満開だとしても、この中を見上げて楽しめる強心臓を持ち合わせていない。
「帰りたいんだけど?」とダンナにお伺いをたて、JR中央線の武蔵小金井駅から西国分寺駅。JR武蔵野線で府中本町駅。JR南武線で…。
「ねえ、桜なら登戸から一駅先にある宿河原駅からすぐの所に二所ケ領用水があるんだけど…。そっから多摩川に用水が合流する辺りが桜並木が続いてるんだって。だから宿河原駅で降りて登戸まで歩いて戻るプランはいかが?」とダンナを誘ってみると…。
「今から行っても酔っぱらいしかいないっ」と彼が言い切るので、あえなく本日の桜散歩は終了となりました。
ん~。去年の桜散歩のプラン(朝8時に千鳥が淵に到着。押上駅に移動して建築中のスカイツリーを見物。隅田公園から浅草寺をぶらり)は桜づくしで楽しかったけど、今回は桜づくしじゃなかったなー。来年はコースを練り込もう。私は充分満足でしたが…。ダンナの満足度はいかがなものか?ちと不安…。
ところで、帰宅後、万歩計を見て驚きました!本日は24081歩。16、85キロメートル。消費カロリーは703キロカロリーでした。
突っ込みどころ満載なんですけど。
んでもって、井の頭公園にある雑木林の中に私のアレルゲンのハンノキ類の木が様々あったのか、翌々日、背中から腰、肩にかけ赤いブツブツがびっしりと出来てしまったのです。あんまり痒くてバリバリ掻きむしっていた痕跡を見つけたのが翌々日の風呂でだったんです。おそらく散歩の翌日の月曜には湿疹が発生していた模様…。反省じゃ。4月の雑木林には近づいてはイカン。1つ賢くなった私。
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江戸東京たてもの園その他

2011年05月30日 04時22分05秒 | 記念スタンプ
長々と紹介してきた4月10日の花見散歩ですが、江戸東京たてもの園は今日がラストです。
トップ画像はかつて神田川にかかっていた万世橋のたもとにあった交番です。おまわりさんがいたので記念撮影しちゃいました!
そういえば…。去年、神田散歩をした時に、万世橋にも行ったような…。渡れば秋葉原って場所で、外国人相手の免税店が建ち並んでいたような…。
検索。検索。神田界隈散歩(2009年10月28日)の記事。
この記事に万世橋交番が建っていた万世橋の画像が掲載されています。
なぜに天狗が?(2009年12月1日)の記事、伊勢原の大山寺へ行った時赤く染まる大山寺(2009年11月28日)の記事。大山寺の天狗は本堂の中で仁王様のようにいらっしゃったのですが、撮影禁止でした。。天狗のあれこれを見て楽しかったんですよ。

*記事の移動作業中に、肝心のスタンプの画像の部分を消去してしまった模様。あれ〜??確か宮﨑駿作の虫のスタンプだったのに。gooの画像フォルダを2万枚くらい遡ればフォルダにはあるハズなんですが。
大元の撮影データーは前の前のマックが壊れた時に消失しちゃいました。
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近代建築の個人宅

2011年05月29日 04時40分22秒 | レトロ建築
トップ画像は●前川国男邸 日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川国男の自邸として、品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。/品川区上大崎三丁目 1942年(昭和17)

昭和17年建築というと、戦争まっただなかです。今でも充分住めそうなデザイン。お一人様もしくは夫婦だけの生活ならこの建物いいですよ。上の画像奥右寄りに台所があって、カウンター対面で料理を出せるようになってます。んで、見えないけど台所に隣接して寝室が。写っていない左側に書斎が。

続きまして、田園調布の家。

1925年(大正14)校外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。また、当時としては珍しく全室洋間となっています。/大田区田園調布四丁目 1925年(大正14)

ここの照明器具はモダンでした。照明器具にも歴史ありなんですねえ。
今、節電節電とやっきになっているので、我が家の居間の照明も蛍光灯を1本消しています。と。やはり薄暗くなったので、照明のカバーを外したら、あ~ら不思議!!蛍光灯が2本ある時より明るいんですよ。見た目は悪いですが、節電にもなって明照度も確保出来るならアリでしょう…。
ちなみに、明治・大正期の商家の照明は、ほとんどの家で一部屋に白熱球1個でした。昼間に訪問したから気づきにくいけど、現代に生きる私は、昔の人は随分暗いなか生活していたんだなあと思いました。でも電球1個でも、その時代に生きた人には充分文明開化の光だったんだろうなあ。だって、数年前まで、行灯かろうそくかかまどの火しか夜の灯りってなかったんだものなあ…。節電節電って連呼してるけど、うちの窓から見えるマンションは、どこも夜通し通路を照らす灯り大量に使用されてます。街灯なども。あれがあるから、窓を開けてると、夜でも部屋の中がほんのり見えるんだよね。

あ~、笑かしてくれるぜ。
ある日本屋にいましたら、男子高校生らしき少年が店員に聞いてました。
「ポスター売ってないですか?」
「どういう種類のポスターですか?」
「…えーと。…ワンピースとか」とそこへ、少年の連れらしき少年が一言。
「違うだろ?正直に言えよ」
「………」踏ん切りがつかないのか口ごもる少年に、本屋の店員はピンときた。
「AKBですか?」
「そうです」
「うちには置いてないですね」
「そうですか…」
少年はすごすごと立ち去ってゆきました。
頑張れ少年!みんな通って来た道なのよ。んでも…。昨今アイドルポスターを売ってる店って見かけないよなあ。あれ?ああゆうのってどこで売っているんだろうか??
ワンピースのポスターだったら、売ってる所知ってるんだけどね。
ひと笑いいただきました!
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天明家では風車製作中

2011年05月28日 04時27分47秒 | レトロ建築
明治大正の商家が並ぶ東ゾーン。なぜかそこに江戸の農家の建物があった。
天明家(農家)<旧武蔵野郷土館収集>
江戸時代、鵜の木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた旧家です。正面に千鳥破風をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます。/大田区鵜の木一丁目 江戸時代後期

天明家の入口にある門。門の向こうに広場がある。

当日は主屋で風車作り体験が出来ました。小さな子が一生懸命に作ってるのは微笑ましかったです。

先日来、日本家屋と桜の取り合わせの画像を紹介していますが、天明家の庭にある桜越しに撮影していました。
こんな感じで。
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居酒屋

2011年05月27日 04時56分00秒 | レトロ建築
鍵屋(居酒屋) 旧武蔵野郷土館収集
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3)に建てられています。建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。/台東区下谷二丁目 1856年(安政3)

まるで「さらい屋伍葉」の世界だね。裏から見るとこんな感じ。

こちらは居酒屋。内部はこんな感じ。

やっぱり全てがコンパクト。

木製の日本家屋と桜。なんてメルヒェン。(うっとり)
ちなみに、左奥が居酒屋の鍵屋さんです。
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木製家屋と柳の木

2011年05月26日 04時51分32秒 | 歴史散歩
風呂屋の右隣に仕立屋がある。
トップ画像を見ると、仕立て屋に柳の木が寄り添っているみたいだ。とても良く似合っている。まるで絵画のようだ。波津さんの漫画のようだ。ん~?柳の前が土の道で、なおかつ水路があれば完璧だけど。ここのたてもの園は、明治・大正時代の東京のテイストを味わうことが出来て楽しいなあ。

仕立て屋の店先です。う~ん。着物ってこうやって吊るすのか…。
や。一昨年の秋、甥っ子が結婚しまして、その時に着物着たんだけどね。11月だというのに、初夏の陽気となりまして、も。汗だくになっちゃったのね。着物を脱いだものの、衣紋掛けに掛けてみると、すそを引きずってしまってね。そっか、もっと高い所から吊るすべきだったんだね。

店の裏にある作業場です。着物って巾が決まってるからこういう作業場になるんだね。着物の縫製って使う範囲がコンパクトだなあ。
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ばらが満開です

2011年05月25日 15時48分36秒 | バラ散歩
雨があがり、今日は五月晴れ。でも明日にはもう天候が崩れるとあって、慌てて駆けつけました。
場所は小田急線の向ケ丘遊園駅から徒歩約20分。里山の上に「生田緑地ばら苑」はあります。
満開でした。
残念ながら昨日の雨で痛んでしまった花もチラホラ。でも今年は花数が多いようで、まだまだ楽しめます。
 









 
一杯画像を載せてみました。こちらは期間限定で公開中です。月曜のみ閉苑。午前10時の公開時間を目指して訪問しました。大人気な来苑者数でした。2時間程滞在して帰宅しました。入苑料は基本無料。こちらは川崎市が運営してて、ばら苑は来苑者の募金で維持されてます。よい匂いでした。おすすめです。

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千と千尋の神隠しのモデル

2011年05月25日 04時52分14秒 | レトロ建築
宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」に出てくる風呂屋のモデルになった子宝湯です。
東京の銭湯を代表する建物です。神社仏閣を思わせる大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の格天井など贅をつくした造りとなっています。/足立区千住元町 1929年(昭和4)

大学生の時、下宿屋には風呂がなかったので、銭湯へ通ってました。下宿の近くには4つ銭湯があって、それぞれに特徴があって楽しかったです。少し遠かったので滅多に行かなかった銭湯が調度こんなレトロでした。夜に行くと明るいのに慣れた現代人には少し薄暗く感じたものです。

こちら男湯の壁絵。女湯には富士山がないっ。まあ、壁が繋がってるから仕方ないんですが…。
洗い場にそれぞれ2枚のタイル絵がありました。

男湯はこちら。源平合戦がテーマ。これって、屋島の戦いであった那須与一の的当ての場面だと思うのよ。
もう一枚は京都四条大橋の弁慶と牛若丸の場面。

女湯はこちら。日本昔話がテーマ。これはさるかに合戦かな?

んでもってこりゃなんだ?スズメのお宿かな??

男の子も大きな男の子もあこがれの場所だった番台。や。知らないおじさんがね、「座ってみたかった」って言ってたのだよ。

男湯の脱衣場に貼ってあったポスターです。これはどれくらい昔に作られたポスターなんじゃろう?

せっかくなので、風呂屋を横から見て見た。とても風呂屋に見えなかった。

正面で風呂屋を見上げたら、鳥の彫刻があった。昔の風呂屋ってお金かけて作っていたんだねえ。
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大正時代の建物

2011年05月24日 04時24分34秒 | レトロ建築
トップ画像に並ぶ2軒は、左が川野商店(和傘問屋) 傘作りが盛んであった江戸川区小岩に建てられた和傘問屋の建物です。内部は1930年(昭和5)ころの和傘問屋の店先の様子を再現しています。/江戸川区南小岩9丁目 1926年(大正15)
訪問した時、中で摺り布の実演をしていました。

型紙を何枚も重ねて図柄を完成させていく。
「やって見せましょうか?」と職人さんがおっしゃるのでお願いする。
「これね。型紙。目印があるんだよ。これさえ合えば、誰でも出来るよ」と簡単そうに職人さんは言うけれど、合わせた紙と布にある印が合わない。
「何で?」
「濡れた新聞紙の間に型紙を挟んで伸ばすんだよ」ですって!
さすが湿度の多い国日本。季節により湿度の変る日本の状況に合わせて型紙が伸び縮みするように出来てるんですね。
型紙には柿渋が塗ってあるんですって。だから何度でも再利用出来るんだそうです。
昔の職人は、型紙を小刀一本で切り出していたんですって。
職人技を披露してくれて、布に新しい色が載る。
「これって自然の染料ですか?」
「いや、化学染料。自然の染料は変色し易いんだよ」
「あ。なるほど。ツユクサとか変わり易いですよね」
ふと。人が増えてるのに気づく。何でじゃ!私が来た時は誰もいなかったのに、今や客が店の外にも溢れてる。
そそくさと退散。人が多過ぎるのダメなの~~~~っ。

建物を裏から見るとこんな感じ。

隣の小寺醤油店へ移動。
大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。庇の下の腕木とその上の桁が特徴の<出桁造り>の建物です。/港区白金5丁目 1933年(昭和8)

なんか、懐かしい感じです。フルーツ缶もなつかしい感じ。こういうの、葬式とか法事の時に見かける缶です。
む!あの缶詰はもしや…。
クジラの大和煮じゃないですかっ!!あったよなあ。この缶詰。

店内のホーローの看板もレトロ感たっぷりです。それにレジスターもレトロだ。

建物を横から見るとこんな感じ。
訪問したのは4月10日でした。桜が満開だったので、この2軒を裏から見た画像も追加です。


BS11って知ってる?
私、ついさっきまでNHKの衛星放送のBSプレミアムだと思ってました。
アニメの「タイガー&バニー」が見たくて、先週のことです。土曜の深夜を検索かけてもなんかないんで、「今週は放送ないんだな?」とたかをくくっていたら、ホームページにアクセスすると放送済みだって…。アレ?と思い、ようやくBS11がNHKのBSプレミアムじゃないって気づいたんですよ。
早よ気づけよ、自分…。
うちのマンションはある日を境に、全てケーブルテレビのJ-COM契約に強制的に切り替わったんですよ。
んで、NHKのBS1は101。BSプレミアムは103と言った具合にチャンネル番号が変化しました!
んでんで、BS11は、チャンネル番号が211だという実に中途半端な番号だというのにさっき気づきました!J-COMくんのホームページにアクセスしてFAQで検索かけて始めて~~~。
つ、疲れた…。
なんか、すんごく損してた気分…。
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看板建築

2011年05月23日 04時35分01秒 | レトロ建築
トップ画像は2軒が繋がっている看板建築です。
右側が花市生花店。 明治初期に建てられた<看板建築>の花屋です。建物の全面は花屋らしくデザインされています。…遠目に写し過ぎてわかりにくいけど。店内には造花を配置。昭和30年代の花屋を再現しています。/千代田区神田淡路町一丁目 1927年(昭和2)

左側が武井三省堂。 明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品のおろしをしていましたが、後に小売店に変りました。建物は震災後に建てられた<看板建築>で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。/千代田区神田須田町一丁目 1927年(昭和2)
内部はこんな感じ。

墨汁とか墨とか筆とか半紙とかとかとか。まるでタイムスリップしたような佇まい。トップ画像の右手の路地に入ると裏手はこんな感じ。

ついでに通りを挟んで向かいに建つ植村邸

建物の前面を銅板で覆った姿は<看板建築>の特徴をよく現しています。外観は、全体的に洋風にまとまっていますが、2階部分は和風のつくりとなっています。/中央区新富二丁目 1927年(昭和2)
ちなみに、WIKIで看板建築を検索すると「関東大震災後、商店などに用いられた建築様式。建築史家藤森照信が命名したもの」とあります。

建築年が近いのでもう一軒。

村上精華堂 台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧用品屋)です。昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていました。正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。/台東区池之端二丁目 1928年(昭和3)

建築年代が近いのでもしや…。と思って「関東大震災」をWIKIで検索。関東大震災は1923年(大正12)9月1日に発生してました。震源は相模湾の北西。地震の規模はマグニチュード7、9。発生したのが正午近かったので、火を使っていた家庭が多く、大火が発生したのです。だから看板建築は復興住宅だったんですね。耐火性を向上させるため、建物の外側をモルタルや銅板で覆われたんです。
以前、神田&お茶の水界隈を散歩した時に、神田須田町も散策したのですが、現地にはまだ現役の看板建築が現存してました。
  



 




たてもの園の建物と神田にあるお店を並べてみた。しっくり。違和感セロ。驚いた!
これらの建物の正体はこちら。神田須田町老舗めぐり(2009年10月29日)の記事です。必見やもしれん…。自画自賛。
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昔の荒物屋さん

2011年05月22日 04時08分42秒 | レトロ建築
江戸東京たてもの園の東ゾーンは、少し前の日本の商家・居酒屋、風呂屋もある下町を再現しています。屋内は復元した商品や仕事道具を配し、当時の暮らしに想像を巡らせることが出来ます。
まず一つ目のお店は『丸二商店』荒物屋さんです。

昭和の初期に建てられた建物。小さな銅板片を巧みに組み合わせて模様を形作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。今では銅が酸化して緑青色に変質してますが、出来立てはピカピカに輝いてたんだろうなあ。
銅板…。それはピカピカの10円玉のあの色です。ハデハデだよね。

荒物屋さんが取り扱っていた商品とはこんな感じです。店内は昭和10年代の様子を再現しているそうで。
私の田舎でもこういうお店がありました。四国八十八ヶ所のお寺本山寺のすぐ近所にあってね。荒物の他にほうき類も取り扱っていました。

荒物屋さんの裏手には長屋が移築。ついでに路地の様子も再現してあります。こんな感じで。/千代田区神田神保町3丁目(昭和初期)

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ここにも皇居の電燈がっ!!

2011年05月21日 04時25分26秒 | 歴史散歩
寛永寺の石灯籠の検索に失敗。
砧公園の隣に運動公園と上野の東照宮前で見た石灯籠の画像をファイルを600枚以上遡って探したんですが、見つけ切れませんでした。
それが数日前の記事。
したらですね。
「リベンジしなさい」と言われてるような皇居正門石橋飾電燈が江戸東京たてもの園にも展示してあったんですよ。
…これって?まさかまた検索に挑戦しろってことか??
…心当たりは既に3カ所。
ああ。やってやろうじゃないのっ!!
とヤケクソ気味にスタートです。さ~て…。どれがまず検索にひっかかるかな~?
 
皇居の二重橋の上。伏見櫓(2009年6月18日)の記事一昨年、皇居参観コースを申し込んだ時に、二重橋で撮影したもの。つまりこれは現役の電燈です。初代の電燈に比べると、すっきりしたデザインになってます。

上野の東京芸大にある電燈。こちらはお役ごめんになった皇居の電燈。東京芸大特別公開(2010年12月20日)の記事11月の第一週は東京都は文化財公開ウィークなのですよ。電燈の背後の建物を見学目的ででかけたら皇居の電燈が置いてあったのだ。
見比べると、芸大の電燈は皇居の二重橋で現役の電燈と同じかな?微妙に違ってる気もするが…。初代とは明らかに違うなコレ。

もう一つ皇居の電燈を見たのは皇居に隣接する東御苑。

よっしゃあ~~。コンプリートっ!!
画像は写しとくものだね。いつ必要になるかわからんもの。
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明日鎌倉へ行くならここ!

2011年05月20日 11時28分07秒 | 鎌倉
先日計画を立てた鎌倉散歩へ昨日出かけて来ました!
今週末に鎌倉訪問の計画を経ててる方に、気になるお花の咲き具合を画像で確認して下さい。
まずはトップ画像。こちらは大船駅から徒歩約10分程にある『龍宝寺』さんです。
以前ゴールデンウィークに龍宝寺さんを訪問した時はまだ咲いてなかったので、見頃にぜひと思ったので、友人との待ち合わせを大船駅前に指定したのでした。



お寺に南欧風味のお花畑がある風景~素敵でしょ?
お花が好きな方にはこの近くにフラワーセンター大船植物園(入園料350円)もあります。こちらでは現在、しゃくやくの他にバラが見頃です。私達はパスしましたが、綺麗なお花を目当てにフラワーセンターを目指す大勢のお客さんとすれ違いました。

大船駅から横須賀線の北鎌倉駅へ移動。そこで東慶寺へ移動。丁度見頃の花の谷間に当ってしまった~。まもなく、しょうぶ苑や岩タバコや岩がらみが見頃を迎えます。
北鎌倉から鎌倉方面へ。

浄智寺さんの左脇にある道を登るとそこが<真葛岡&裏大仏ハイキングコース>です。
看板発見。「あと5分歩くと、アスファルトの道は終了。そこから階段。しばらく行くと、土の道を上がったり下がったりの道になります」

鎌倉は観光地です。でもおしゃれ着で気軽にハイキングコースを選択すると後悔します。友人に「山登り用の靴を履いて来て」と前持って頼んでたのです。ハイキングコースでは今流行の山ガールの彼女達とすれ違いました。山歩きに自信のあるおじさんも、画像のような足元にうっかり転けてました!ハイキングコースはよそいき着も避けたほうがいいですね。
でも新緑は期待通り素晴らしいまるい木漏れ日が地面で踊り、ウグイスなどの野鳥の声と樹々を渡って行く風の音が楽しいんですよ。
あ…。
紫外線防止の為に帽子をかぶって坂を上ってましたらば、私ってば「ガン」と枝におでこをぶつけてしまいました…。今朝もまだぶつけたでこに触ると痛いです。たんこぶにならなかったのが幸い。鎌倉のハイキングコースはなかなかですので、足元だけでなくコース内に侵入している枝にもお気をつけ下さい。
お昼を源氏山公園でいただき、銭洗い弁天でお金を洗い、寄道したのは佐助稲荷。

こちらへ足を伸ばす観光客は少ない。でも新緑は綺麗だし、リスはうろうろしてるし。日本昔話の風景を静かな中で楽しむことが出来ます。
そして昨日、5月19日にバラ苑が7分咲きだった鎌倉文学館(入園料400円)。
こちらのバラ苑は鎌倉ゆかりのバラや日本名のついてるバラがいくつもあるのです。んでもって、最近古い洋館巡りをしてる私にはバラと洋館の一挙両得でたまらんシュチュエーションでした

今週末に鎌倉へと考えてる皆様、参考になったでしょうか?
あ。
つつじのシーズンはもう完璧に終ってました。つつじの名所へでかけても、花はもう残っていません。
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伊達家の門

2011年05月20日 04時03分14秒 | レトロ建築
伊達男という言葉。イメージすると金をかけた派手なイケメン。
この門もそう。

門の由来は「旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。<起り(むくり)屋根>の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅造りで、門柱の上に架けられた冠木には、宇和島藩伊達家の木彫の家紋が施されています。/港区白金2丁目(大正期)
年月が建って、既に門の装飾が何色だったのか判然としません。今では古い門で感動も薄いけど、生まれたての門の色を見てみたかったなあ…。でも門を正面から見ると、かつてはさぞ豪華だっただろうとうかがわせる装飾が残ってます。

姫路城で屋根瓦は普請もしくは修繕した大名の紋を使用していたと知ったので、伊達家の門の瓦もそうなのかしら?と写してみた。
…どうなんでしょうか?ぶめちゃん、正解かわかる??

ついでに…。

高橋是清邸の左手に続きで建つ建物です。これってば、てっきり是清さんの屋敷で立ち入り禁止部分だと思っていたのですが、どうも別物だったようです。
西川家別邸 北多摩屈指の製紙会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てたものです。多摩地域の養蚕・製紙業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、よく吟味された部材が使われています。/昭島市中神町二町目 1922年(大正11)

んでもって、画像も撮影しなかった「会水庵」。てっきり高橋是清邸へ車いすで入る人用の入口だと思い込み、撮影はおろか見学もしなかった場所。でもそこそこ由緒ある場所でした。
「宗偏流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた茶室です。1957年(昭和32)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。本畳3枚と台目畳1枚からなる三畳台目の小間の茶室です。/杉並区西荻北5丁目(大正期頃)
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高橋是清邸

2011年05月19日 04時22分02秒 | 歴史散歩
NHKのドラマ「坂の上の雲」で西田敏行が演じているのが高橋是清。秋山兄弟の先生です。
彼は青山通りの港区赤坂に屋敷を構えてました。高橋是清翁記念公園(2011年4月4日)の記事参照してね。
3月9日にでかけた乃木坂ー青山霊園ー高橋是清翁公園ー赤坂プリンスホテル散歩の時に立ち寄りました。そこは既にサラリーマンの憩いの公園となっていて、建物は残ってませんでした。建物はどこへ行ったか?
小金井公園内の江戸東京たてもの園の中あったんですね。
ここはたてもの園でも人気のポイントで、訪問した時もそこそこ見学者が多かったんですが、もっと多い時もあるらしく「30分待ち」の看板が入口脇に置いてありました。

見取図です。中に入ると…。

古い吹きガラスの歪んだ視界の向こうに日本庭園が見えます。
ん???
アレ??
これってもしや??

外へ回って確認。
これってアレですよね。赤坂の公園。そっくりなんですけど??
ね、念のためチェックだ。
検索検索。
上の画像が赤坂の高橋是清公園の画像です。
感じは似てる。細かい所は違うけど。似せる努力をしたんだなあ…。
内部公開もされていて、2階へ上がると、人々が足を止める部屋がある。平面図でいうと2階の八畳間。ここが高橋是清が書斎として普段使っていた場所であり、彼が死んだ場所です。
邸宅前にある説明板によりますと
『経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分である。是清は、赤坂の丹波篠山藩青山家の中屋敷跡地約6,600平方メートルを購入し、1902年(明治35)に屋敷を建てた。総栂普請の主屋は、複雑な屋根構成をもっており、また当時としては高価なガラス障子を縁周りに多量に使用している。赤坂にあったころは、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だった。
1936年(昭和11)、是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒れた(2、26事件)。敷地と屋敷はまもなく東京市に寄付され、記念公園となった。是清の眠る多摩霊園に移築され、休憩所として利用されていた主屋部分が、この場所に移築された。 建築年1902年(明治35) 旧所在地:港区赤坂7丁目』
そうか。赤坂から直接ここへ移築したんじゃなくて、一端多摩霊園に移築されていたんですね。
多摩霊園には高橋是清の眠るお墓があるので、そこで建物の余生を送るってのも良かったかもな。
外へ出て建物を庭から見上げてみた。

もっと寄ってみる。

なかなか含蓄のあるポイントでした。満足。
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