あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

大雄山最乗寺へ初見参

2009年11月30日 06時18分25秒 | 紅葉散歩
お出かけ日は11月24日。
この日は朝から曇り。お出かけには今ひとつの空模様だったのですが、天気予報を各局チェックしたら、雨の降り出しは夜になってからとのことだったので、お出かけを決行しました。
念の為、バックには雨がっぱを入れて…。
さて、本日の目的地、「大雄山最乗寺」の所在地は?
実は始めて行く場所なんだよね。どこかの紅葉情報に『ただ今見頃」とあったので、行ってみることに!
まずは小田急線で小田原駅へ。その後、大雄山線で終点の大雄山へ(所要21分)。そこからバスに乗り換えておんり~ゆ~経由で終点の道了尊まで(所要20分)。このバスの本数が少ないので注意。
ちなみに、大雄山線の終点から道了尊まで徒歩で歩くことも可能。その場合、樹齢400~600年の立派な杉並木を抜けていくことになります。ただし、その道のりはほぼ全長に渡り上り坂です。
バスの中でどこかのおばさまが達の会話が聞こえて来ました。
「春にここへ来てねえ」
「へえ?」
「甥っこ達も一緒だったんだけど…」
「まあ、いいわね」
「それが甥っ子は花粉症なのよ」
げっ!と杉花粉症患者の私は耳をそば立ててしまいましたよ。
「もう花粉まみれになっちゃって~(笑い)」
笑うな~~!!
それ、しゃれになってないって!!
私は絶対春にここへはこまいと宣言しますよ。
そんなこんなでバスの終点に到着。
それがトップ画像の場所です。
人気の観光地だと思うんですが、今着いたバスの客以外に人がいないのはなぜ??
理由はすぐに判明しました。
ここ大雄山最乗寺はとても広いんですよ。
まず樹齢数百年の杉並木の中央に延びる参道を進みます。
ゆっくり歩くこと約10分位?すると見えて来たのが下の画像
●三門です。

オレンジのモミジがフォトジェニック!
このお寺へ参拝に来た客より、色づくモミジを目当てに来た客の方が今の時期多い。
思い思いに参道の途中で足を止め、だんだん客の数が少なくなる。
が!!
この三門を抜けると、やはり予想通り現れましたよ。
階段です。
マジか~~…。
既に泣きが入ってます。
今日のおでかけは思い立ったら吉日で出発しました。
いつもおでかけする日は遅くとも朝の6時にはその日の薬を飲み、目的地に到着する頃には副作用の時間も過ぎ去り、無理なく歩ける時間帯になっているのですよ。ですが…。今日薬を飲んだのは朝7時半。まだ副作用の残る時間帯なのね。
副作用の具体的な症状は、動悸、息切れ、めまいにひん脈。このひん脈がくせ者で、普通に安静にしていても、脈拍が大体100位に上昇してるんですよ。そんな状態で階段…。
ここは一つ、超ゆっくりペースで行こう。
と、どんどん客に抜かされていく。
でも、視界に移る秋の景色は美しい。

足下が本格的な階段に切り替わったのがネックですが、紅葉に誘われて足取りは軽いです。
ええ、例え階段はどんどん手強くなろうとも!!

この階段を登ると瑠璃門です。
そこから先は最乗寺の建物や回廊がある境内です。

ここに休憩出来るベンチや飲み物の自販機が並んでいるので、一服して先へ。
何しろ、まだお参りしてませんから!
本堂は更なる階段を登った先。
本堂の下を見下ろすと、赤く染まった紅葉の姿がありました。

あれ?
本堂の左側に道が続いている。
なんか、奥に鐘楼が見える。
…行ってみるかな?
と、心の趣くまま足を進めたのですが…。
(続く)


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太田道灌の所縁の地なの?

2009年11月29日 06時57分54秒 | 墓所巡り
東京&神奈川のお散歩を繰り返すようになったのは、去年の秋から。
目的地は設定して出かけますが、道々ふらふらと寄り道をするのもお散歩の醍醐味です。
と、何度も出合う名前があるんですよ。
その一人が「太田道灌」
ダンナ曰く、地方のスター。全国区の武将には名前が弱い。
でもさ~。今年の直江と比べたら、太田道灌の方が有名だよね。

さて、大山寺を後に、こま参道まで戻って来ました。
行きにはまだ開いてなかった参道の店も、ほぼ営業が始まってます。
道々冷やかしつつ、自分土産も買い込んで来た時に利用したバス停へ。
今度は座席確保出来まして、参道にあった伊勢原観光協会でいただいた伊勢原の観光名所の地図を見る。
う~ん、やっぱりここって…。
実は、来る時に気になるバス停があったんです。
その名前も『道灌塚』!
それってやっぱり「太田道灌」のことだよね?
そうだよね??
つーことで、押してしまいました~
「降りま~す!」
「ええっ!!奥さ~ん」と、道灌塚の場所も知らないのにバスを途中下車してしまいました。
取りあえず観光協会でいただいた地図をたよりにバス停を東へ。
途中で、目的が同じそうな旅人を発見し、場所を確認。
あったのがトップ画像。
田舎道に突然大きな杉の木がにょっきり生えているのですぐにわかりました。
でもこの塚には特別な建築物はない。
ただ、小さな石柱があるだけ。

でもこれが太田道灌のお墓なんですよね?そうですよね??
あれ?
なんか…。ここの塚の造りおかしいよね?
なぜにトップの入口から右手に参道らしきものがあるの?
お~やぁ?
参道の先にあるのは、お寺かな?
もしかして??
と、引かれるように行くと、

『太田道灌公霊廟』と書かれてます。
う~と?
ここはどこだ?
「洞昌院」というお寺でした。
疲れたので、お寺の石で出来たテーブルと椅子にこしかけて自分土産でおやつ。(昼食は大山阿夫利神社下社でいただき済み)

こうして本日のお散歩は終了です。
家から大山阿夫利神社まで思いの外近かったので、散歩も早めに終了しましたが、気になるのは「太田道灌」のこと。
なので、調べました~。
いつものWIKIで。
その前に。
だんなが道灌塚で「太田道灌って家康の家臣?」と尋ねるので
「生きていたらたぶんね。そうだったら、それこそ全国区だったと思うよ」と答えたのですよ。
「へえ。なんで死んだの?」
「う~ん。優秀過ぎて主君の嫉妬を買っちゃって暗殺されたんじゃなかったっけ?」
「…それって今TBSでやっている『JIN-仁』みたいな?」
「ああ。そうそうそんな感じ。あれ?殿誰だっけ?確か聞いたことある有名な感じの名前だったハズ??」と知ったかぶりをしたのですが、私、思いっきり太田道灌の生きていた時代を間違えてました。
だって太田道灌って言えば、江戸の街の基礎を作った人でしょう?
なら戦国時代の人だって思うじゃん!したら、思いっきり違ってましたよ。
ではWIKI調べで。
『道灌の生きた時代:室町時代
生誕と死没:永享4年(1432)-文明18年7月26日(1486.8.25)享年55歳。←これがどんな時代かと言うと、応仁の乱があったのが、1467-1477です。ちなみに、、室町時代は15代足利義昭が織田信長に京都から追放される1573年まで続きました。
へえ~。
マジに太田道灌って室町時代の人だったんだぁ…。
武蔵の国守護代。家系は清和源氏の一家系である摂津源氏の流れを汲み、源頼政の末子で鎌倉幕府門葉となった源広綱の子孫にあたる太田氏。
扇谷上杉家家宰太田道真の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。
江戸城を築城した武将として有名である』
へえ~へえ~へえ~~。
そうだ。確か、鎌倉散歩でも彼の名前をみかけたな。
wikiによりますと。
『扇谷上杉家は鎌倉公方を補佐する関東官領上杉氏の一族で、道灌の父は扇谷上杉家の家宰。道灌は鎌倉五山の一つ建長寺で学問を修め、足利学校)栃木県足利市)でも学んだ』
あ、やっぱり~。
あれ?でもなんで、道灌が江戸城作ってるの??
いや、調べましたら道灌が作ったのは江戸城のみならす、岩槻城と川越城も作ってましたよ。
でもこれが道灌の命を危険にさらしてました。
なんつーか関東管領をまかされていたのは上杉氏とは言え、4家あったんですね。
で、家はそれぞれ覇権を執るべく争っていたのです。
そこへ才気煥発な太田道灌が現れた訳だ。
これは上杉他家にすると脅威だった訳です。
なんとか、排除するべく知恵を絞り、妙案をひねり出したのが「道灌の殿への諫言」
つまり「道灌は殿の謀反をたくらんでいます」と。
それに乗せられ、殿は道灌を騙して謀殺したと。
それがここ伊勢原の地だったのですよ。
時は文明18年、道灌は主君上杉定正の招かれ上杉館へ。そして暗殺。道灌は最後に「当方滅亡(扇谷上杉家はこれで滅びる」と叫んだと言います。
確かに、阿呆の諫言に乗せられ、臣下をだまし討ちにした殿に未来はない訳だ。事実、道灌暗殺後、多くの家臣が主君を見限って他家へ移ってます。
やがて、扇谷上杉家は北条早雲の孫の氏康によって滅ぼされました。
まあ、昔の武将は美化されがちで、史実と異なる歴史もあれこれねつ造・勘違いされて残ってます。
道灌の逸話も虚実入り交じって残ってるので、上記のうち全てが本当ではないかもしれません。
でもロマンはあるよね。
そのうちNHKが大河でやってくれないかなあ~?

道灌塚はこの辺りに上杉定正の糟屋館があったから。




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赤く染まる大山寺

2009年11月28日 04時59分06秒 | 紅葉散歩
トップ画像はモミジが紅葉の盛りを迎え、真っ赤に燃え上がる大山寺の参道です。

大山ケーブル駅を下車して、いきなり歩道橋を登り、そのまま上に行く階段を見つけまして…。
や、見なかった!
見ませんでしたよ。私は
とパスしたんですが、先を行く道の途中に、「12面観音像」はこっちの矢印を見つけ、うっかり登ってしまいました。
それは、さっきパスした階段とゴールは同じで、しかも!パスした階段の方が全然緩やかだという…。

そこからの展望は素晴らしく、まあ、登って良かったよ…。

当日は視界が今一だったのが残念でしたが、それでもこま参道は中央奥に延びてるのが見えました。
おそらく、視界がいいと太平洋が望めるポイントだと思う。
さて、気を取り直し大山寺の参道へ戻ります。
ただこの参道は大山ケーブルが出来てから作られた新しいもの。
本来の参道は下から続く上り坂なのです。
大山寺が見えて来ました。
ここで旅人は左右どちらの道へ行くが選択することに。
右へ行くとラクチンで登れるなだらかな女坂の階段。
左へ行くと古来よりの参道の階段があります。
え~と…。
ハイ!
ヘタレの私はなだらかな女坂を選択しました。これを上がると、大山寺の本堂脇に出ます。
と!
視界がいきなり真っ赤!
それがこれ!トップ画像です。

この時、太陽は右側から当っていて、モミジ本来の『裏から見て透かして見る』のがベスト綺麗なのです。
でもそれをしないでも綺麗。
そん位綺麗。
あんまり参道のモミジが綺麗で、大山寺の写真を撮り忘れてしまいましたよ…。

それでも1枚だけ撮ってあったのが上の画像。
本堂へは上がって参拝が出来ます。でも道内を撮影するのはちょっと…。
当日、普段公開していない仏像が公開されていました。この仏像を見るには300円が別料金で必要。
え~と、私はお賽銭だけで…。(す、すまんっ!今月ピンチなのっ)

さて、真っ赤な参道へ戻ってきました。
今度はここを下ります。
と!
やっぱり、頭の上が燃え上がってます。
や、やっぱり記念撮影をせねばのう…。
でへへ~~
参道の両側にある仏像…。これ、上から見てるときは気づかなかったのですが、1体1体全部別の仏像なのですね。

みなさん、思い思いの仏像をモミジを背景に移してらっしゃいます。
私も参戦したかったのですが、足下が不安定な階段で、コンパクトカメラで仏像に接近して写すのはムリムリっ。
なんで、こんなに素晴らしいシチュエーションなのに涙を飲んでパスです。
ついでに参道を下から写した画像も掲載しておきますね。



さて、戻ろうか。
ここでまた選択を迫られる。
参道を右へ行けば古来の道を下ることに。
左へ行けば大山ケーブル駅が。
………。
く、くだるだけなら…。
だんなを誘ってみたのですが、「君の好きな方へ」と言いつつも、ならば坂道をと呼んでも来ない。参道下から動かない。
…まあね。自分の体力のなさ加減はわかってるもんね。
諦めてケーブル駅へ。
と、今まさにケーブルカーが出た所で1台見送ってしまいました。
しょうがないので、待とうと歩道橋を登ってると、だんなに止められた。
「そっちじゃないよ」
「え?なんで?だって今、あっちをケーブルカーが下ってったじゃん。なら下りはあっちじゃないの??」
「それが違うんだよ。ここのケーブルは2台が順番に来るから、今度は手前が下りになるんだよ」
???わからない。
やがて先程下ってった赤いケーブルカーが客を満載で上がって来ました。

乗っているのは200人なんだよね。
私も登る時に駅員さんがカウンター片手にお客の数を数えていたから知ってるんだよ。
ここ、大山寺駅で2台がすれ違います。




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大山阿夫利神社の歴史

2009年11月27日 05時39分51秒 | 神社・仏閣
トップ画像は神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社下社です。
祭神は大山祇大神、大雷神、高オ神。
創建は崇神天皇の時代(3世紀)だそうですが、752年には不動明王が祀られていたそうです。
が、ここが大きくなるのは武家の崇敬を受けてから。
徳川家光は18万両に巨費を投じて山全体にあれこれ社殿を作ったそうで、一大名所になっていたようです。
江戸時代には、ここへ参詣する講(大山講)が関東各地で組織され、多くの庶民が参詣した。
バスを降りた所からお土産屋さんが並んでいるこま参道には、大山講の参詣記念の石碑や石柱が連なっています。
が、安政年間の火災で全山焼失。灰燼に帰っすって奴ですね。
現在あるのはトップ画像の下社と、行かなかった(行けなかった)のですが上社くらいらしいです。
たいしたものは残らなかったようですね。
でも往事を偲ばせるものが実はあるんですよ。
それはケーブルカーがなかった時代のすり減った石のある上り道。
古い石を使って作られた道で、急な坂道や階段を庶民は登っていたのです。
昨今、エコから登山が流行で、好んで急な山道を登ってる人も多いです。
ここは、西へ向うヤビツ峠へ行くハイキングコースや東の日向薬師へ出るハイキングコースや大山山頂を目指すコースなど何本もあるんですね。
ハイキング初心者にはおすすめかも。
みなさん、辛くとも楽しそうに登ってます。
下りのケーブルカーが空っぽの訳がこれでわかった。皆さん、ハイキングへ行くのね。

さて。
なんで、上社にいかなかったの?という疑問にお答えしましょう~。

上の画像の左に、『頂上登山口 所要時間上り90分下り60分』という看板がありますね。
ええ…。
健脚の人でも90分かかるんだそうで…。
それでも時間はたっぷりあるし、休み休みいけばなんとかなるんじゃないかと思いまして、登山口へ向いましたら、そびえ立つ階段が「いらっしゃいませ~」と待ってました。

健脚の人が連れに話してる言葉が聞こえてきました。
「しばらくこういう階段が続くんだよ」
はい!
見なかった!
撤収~~!!
ということで、上社の画像はない。
上社は標高1253メートルの山頂にあるんですよ。
下の画像は大山阿夫利神社下社の狛犬です。

さ~て、次は途中にあったケーブル駅「大山寺」です。
楽しみ楽しみ~

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冬のグリーティング切手

2009年11月26日 10時15分06秒 | 雑記
冬のグリーティング切手が11月24日(火曜)に発売されました。
これ、便利なんだよね。
裏がシールなんだよ。
去年の夏に始めて裏がシールのハローキティ切手を購入しました。
で、その時シート買いをあまりしなかったので冬には足りなくなりまして…。その時タイミング良く発売になったのが冬のグリーティング切手です。
どうやら今年も発売になると楽しみにその日を待ってたのですが…。
11月24日に紅葉散歩に出かけてしまいまして、帰り道の雨に降られてしまい切手を当日買いしなかったのです。
それが…。
まさか…。
昨日11月25日、雨が午前中に上がり、早速近所の郵便局に冬のグリーティング切手を買い求めに行きましたら、なんと!!
売切れでした。
えっ!?
売出しは昨日ですよね??
思わず確認。
「ええ、そうです」
ううっ!
これは出遅れた予感がする。
すぐさま、近所の郵便局巡りへ。
しか~し!!
なんと、4局全て既に売切れてました~。
あ、あり得ん…。
つーか、昨今記念切手発行ラッシュなのに、なぜに発売から1日しか経ってないのに売切れなのか?
やはり、シール?
シールがポイントなのか?
確かにシールだと切手の裏を濡らさなくて済む。でも昨今、そんなにハガキを出す人が多いのか?
しかも官製はがきだと切手を貼る必要がないのに???
ならお前はどうなんだ?という皆様の疑問が聞こえてくる。
実はシール切手でないとダメな事情があるんですよ。
私はブログで使っている写真を焼き増して絵ハガキとして利用しています。
印画紙は水をはじくんですよ。普通の切手だともしや剥がれるんでは?と不安があって、もっぱらシール切手を愛用しています。
去年から。
なぜに去年から限定なのか?
それは去年私が入院したから。
私の住む神奈川と実家のある田舎と離れてて、滅多に顔を出せない私。
なら、今時携帯電話があるじゃない~。
電話嫌いなんだよ。私。
当然、携帯も不携帯。
なので、体調報告などは絵はがきで済ませてました。
それが今年の夏までのこと。
実は今年の秋口から母が体調を壊してまして、その体調うかがい&お見舞いを兼ねて毎日絵はがきを出すことにしたのですよ。
したら、夏のシール切手発売で買い溜めていた切手の在庫が…。
おかげさまで母の体調は無事に回復したんですが、シール式の切手はぜひとも必要です。
なので、ぜひとも冬のグリーティング切手をゲットしないといけないんですよ。
一端帰宅。
うち近辺の郵便局の地図が必要です。
ネットで検索。昼食後、再びグリーティング切手捜索へ。
5件目の郵便局も売切れでした。
6件目の郵便局は『谷口小学校前』の交差点で右折と地図で覚えて家を出たので、その道でないとダメなんですが、こことっても狭かったです。なのに対面通行。
自転車で車道を走っていたらたちまち大渋滞を引き起こしてしまいました。
なので普通の半分程の歩道を進んでたら、歩道の真ん中に標識が立ってたり、歩道がいきなり途絶えて段差が出現したりも、大変。なんとかかんとか「谷口小学校前」の信号に到着し、そこで右折。6件目の郵便局へ。
6件目の郵便局にある在庫全て8シートを買い占め、取り合えず40枚分の50円切手をゲット!これでしばらくもつ。
と、なんとか帰宅したんですが…。
夜になると声が出にくい。咽が痛い。
まさか…。
あり得んが…。
やはり!!
これは…。
風邪を引いてしまったようです。
なので、春にアレルギー科でいただいてきた風邪薬の残りを飲み、本日は紅葉狩り日和にもかかわらず、家で大人しくしています。
朝も残り1つの葛根湯を飲んでしまった…。
これで回復するといいんだけど…。
どうだかなあ~?
ここは、新型を引き込んでないのを祈るのみ!
頼むっ!!
そうでなくとも、市販薬の風邪薬は飲めない人なんだよ~~。
どんな成分が身体に合わないのか確定出来ないんですが、去年銀のベンザを飲んで酷い目に合っちゃったよ。
今日、一日様子見してみます…。
家でこもるから、今日はブログの書き溜めでいっ!
ぐっすん…。
追記:
まさか新型ではないと思いつつ、マスクをかけて買い物へ出かけたら、「ゴホン」とやったら周りの人が引いて空間が出来ました。
鼻が詰まってるので、マスクをすると息苦しいんですけど、これはエチケットなんで真面目にマスクしてます!
さすが、新型の恐怖。
お母さん方の会話は「予約が取れない」だとか「予約は取れたけど、いつ打ってもらえるかわからない」と。
いつどこで子どもに注射を打ってもらえるのか?ってそんな話をしてる人が多いなあ。このごろ。
コメント (4)
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大山阿夫利神社の紅葉

2009年11月26日 05時50分40秒 | 紅葉散歩
11月の3連休の初日、小田急線伊勢原駅からバスで20分。
そこからこま参道を15分。
む、無理です~。
参道と言いつつこれ、階段ばっかりじゃん!
訪問先の選定を誤った
後悔しつつ3度の休憩を挟んで着いた先は大山ケーブル駅。
元気な人は左脇の登山道へ。
無理っ!!
ムリムリムリムリ~!!
大人しくケーブル駅。
え…。
既に行列?
まだ早いのに。9時台だよ?
でもケーブルカーも本日はフル回転で頑張っています。
1回ケーブルカーがやって来ると、200人は乗せてしまうので、行列はサクサク進んでいきます。
途中、大山寺駅で上から来るケーブルカーとすれ違い。
あれ?
下りはたった2人しか乗っていない。
なんでじゃろ~~?
ちなみに、このケーブルカーは急角度です。

これでも水平が保たれてません。往復料金はそれなりにしますが、階段を登るのに比べるとなんぼのもんじゃ~~!
ケーブル駅を降りると、
え…?
『熊出没注意』の看板発見!
くくくくく、熊~~~~~!!!!
で、出るんかぁ~~~!
と、フリーズしていると、何度も大山登りをしているだんなが一言。
「出るよ」
「ほ、本当に?それって野生?」
「うんそう。前来た時にはシカが出た」
「し、しか~~~!それって野生??」
「うんそう」
へえ~~。
出るんだ…。
放心してたら同じケーブルカーで到着した客に、次々と抜かされた。
げ!
ま、また階段!!

階段が憎そい~~~
本日は『紅葉』とタイトルしてますので、階段を登った所から見た紅葉です。

11月23日に紹介した小石川植物園で見たススキと比べると、季節が進んでいます。
穂は白く輝き、カエデは視界を赤く染める。

あ、ちなみに…。
上の画像の右側をアップしたのがススキの画像です。
境内ですね。(明日も大山阿夫利神社下社です)

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平林寺の史跡

2009年11月25日 06時28分03秒 | 墓所巡り
昨日に続き、今日も埼玉県新座市にある平林寺です。
今日は紅葉紹介から離れ、歴史についてですね。
平林寺さんは臨済宗妙心寺派のお寺です。
本尊は釈迦如来様。
訪れた時、何人もの作務衣に坊主頭の男性がいらしたので、現在もお努めしている僧侶が何人もいる大きなお寺なんじゃないかなあ~。
さて平林寺の歴史は…。
「平林寺は今から約600年前、岩槻(埼玉県)に岩槻城主太田道真(道灌の父)が創建した。
その後、江戸前期に川越城主、松平信綱・輝綱父子によって現在の埼玉県新座市野火止の地に移された。
松平家の菩提寺です。かつてはお殿様が江戸に登る時にはここを宿坊として利用されていたとか。
寺域一帯は、野火止塚や松平家の墓所などの文化財をはじめ、天然記念物の雑木林など、武蔵野の面影を色濃く残している」
境内を奥へ行くと、川越の松平家の歴代(現大河内家)の墓所が並んでいます。

1基1基が石柱で囲い込んだ柵と、石で作った門を持っていて、とても立派です。先月紹介した池上本門寺にある紀伊徳川家の墓所や去年紹介した豪徳寺の井伊藩の墓所より立派です。そして数も多い。
墓所への参道はこんな感じ。
他に有名所のお墓は、

これ。●武田信玄の娘のお墓です。
他に、なぜか島原の乱の碑がありました。(写真撮ってないけど)
また、境内奥は武蔵野の原野が保存されていて、これがまるごと国の天然記念物となってました。
植物の植相が好きな人はたまらないんだろうけど、まだ炭焼きや柴に利用されていたブナやナラの木はさして黄葉してなく、感動は薄かったなあ。
でももう少しすると、散歩道にずっと植えられているカエデ類は紅葉してきれいだと思う。
昨日紹介したモミジとは種類が違うようで、こちらは延々青い葉っぱのままでしたが…。
この散歩道に「野火止塚」がありました。
そもそもこの塚はこのあたり(野比)の見張り台として使用されていたようです。平地にはこういう塚があちこちにあったんでしょうねえ。…時代はいつだ?そんでもって利用していたのは農民なのか??
どうしてもそれが気になる歴史オタクのサガですね。
さて、新座駅から平林寺を徒歩で訪れると、西側の縁を南下しがちです。
なぜなら、そこに緑道が整備されているから。
緑道は古風な川の流れに沿って延びています。
この川自体、歴史の遺産です。
その名も野火止用水。
有名な玉川上水が成功し、それを見てこの辺りの高台を選んで用水路を作ったんですって。その長さ25キロ。
この用水が完成して、水の確保が難しかった高台に田んぼを作れるようになり、大変貢献したそうで。
時折、用水に降りれる石段も残っていて、かつての庶民の生活が想像されます。
野火止用水を開削した指揮官は松平信綱の家臣で、彼のお墓も平林寺の境内に残っています。

本堂裏の長い長い散策路から境内へ戻ってきました。
入口にこんな昔風の建物が残され活用されていました。
フォトジェニックです。

ついでに、境内に湧き出る池から江戸時代に作られたお堂を望む。

ありゃ?
何かヘンなんついてる木があるな。

これは宿り木ですね。
今年の2月下旬、曽我梅林散歩をした時に、宗我神社の境内に一杯あったのと同じだ!
でもあるのが真っ赤なカエデだとフォトジェニック度が上がるなあ~。




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平林寺の紅葉

2009年11月24日 05時58分14秒 | 紅葉散歩
秋も深まり、ここ神奈川周辺でもようやく紅葉が観られるようになりました。
なので、今日は紅葉情報の紹介です。
第一弾は埼玉県新座市の「平林寺」です。
訪問日は11月20日。晴れのちくもりのお天気です。
まずはともあれ、平林寺の紅葉状況を紹介しますね。
お寺を訪問するには入山料が必要です。300円。
トップは入口からすぐの山門の処。
関東には多い、茅葺き屋根がわかるかな?
はっきり言って、カメラ愛好家には大人気のようで、ごっつい三脚持参のごっついカメラを構えた男女がつめかけています。
でも境内は広いので、そこは撮る人の感性一つ。

私が使っているのは今時フィルムカメラのコンパクトカメラなので、技はまず使えません。
それでもこれくらいは写せるの。
という程、ここは撮影ポイントで一杯。

ほらね。

んでもってこう。

更にこう。

それでもってこう…。

例え、カメラマンが沢山いても、それでも絵になってしまう…。
私はここをYAHOO!の紅葉情報を見て始めて訪れたのです。
最寄り駅はJR武蔵野線の新座駅。そこから徒歩で平林寺を目指したのですが、こんなに人がいるのに、駅を降りた時から人がいなくてね。おかしいなあ~?と思ったら、大概の人は平林寺までバスか自家用車でやってくるのですよ。その際の最寄り駅は朝霞か東久留米。
新座駅から平林寺の入口まで約3キロ弱歩くことになります。
…まさか、そんなにあるとは…。往復だと6キロですよ!!
ぐっすん。
ええ、後悔しましたよ。ここだけで1まん5せん歩超えですよ。
うう…。ここを早めに撤収して、武蔵野線の西国分寺駅で乗り換えて立川の昭和記念公園へ行く計画が…。
結局、平林寺だけでこの日は終ってしまいました…。損したような…。これだけの紅葉が今年の紅葉散歩の始まりなら、それはそれでお得だったような複雑な気分です。
と言うあたりで、明日は平林寺の歴史を紹介します。
ええ、やはり歴女としては、そこのチェックは外せません。
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小石川植物園それから

2009年11月23日 13時30分51秒 | 漫画の日々
思うに、運行寺の年配の女性は、こうなる事を見越してああ言う冷たい言い方をして私を突き放したのではないか??
見つからないのがわかっていたから、棗の木を探すのを諦めるように遠回しに言っていたのではないか?
坂を下りながら、つらつら考える。
それくらい空しい…。

成果のないまま小石川植物園を出る。
と、鳥居が目に飛び込んできた。
あれ?
こんな処に神社があったっけ??
参道の奥に石段が見える。
なんとなく招かれてるような…。気のせいのような…。
でも気になるから行くべし!
登った処には今時の神社がありました。(トップ画像)
地元の人には神社の境内というより、本殿の右脇に伸びる道路の通り道なのか、足早に行き過ぎています。
と、とりあえず、神社に来たならお参りを。
お賽銭と2礼2拍1礼のいつものお参りと、神社へ来たならお約束の狛犬を撮影し、丸ノ内線茗荷谷駅へ。
あれれ?
何コレ!

こ、公園です。
名前は『カイザースラウテルン広場』(ゲルノト・ルンプ氏作:平成5年10月21日タイトル『神話空間への招待』)
遊びにくいのか、公園にありがちの親子連れの姿はない。
丸の内線をお茶の水駅で下車。
そこで撮影したのが先日紹介した聖橋です。
千代田線の新御茶ノ水駅にここで乗換え。あ!その前にニコライ堂が公開時間かも~と寄ってみたのですが、そこで公開が15時30分を持って終了済みだと知る。本日はとことん着いてませんね。
ちなみに、千代田線新御茶ノ水駅のホームは東京の地下鉄の駅でも変ってます。
上り下りのホームそれぞれに違うタイル絵が12カ月描かれてましてね。

こんな感じです。
そんなこんなでさんざんなお散歩でしたが、その夜夢に見たんです…。
『夢の中でも私は小石川植物園で棗の木を探していました。
やはり見つからず…。諦め切れない私はフェンスの外に目をやると、見下ろした畑に今にも崩れそうな塚があって、そこの崖に引っかかるように半分根っこを剥き出しにした木がありました。
その光景を見て、ああ、私は夢を見てるんだと思ったのね。だって、本物の小石川植物園の外は住宅地でして、そんな畑なんかないんですよ。
それでも夢の中のことなんで、お話は私の意思を無視して進みます。
私は植物園を出てその木の元へ。
すると、さっきまでは木だったのに、その木は棗はナツメでも「ナツメヤシ」に変化していました。
で、何を思っているのか、夢の中で私は畑に畝を作りまして、それはそれはニコニコと笑顔全開でナツメヤシの実を1個づつ畝に植え始めたんですよ。そりゃもう、燦々と降り注ぐお日様にもニコニコ顔があってね。(さすが夢)泥だらけになっても満足です』
確かにそれは夢だったんだけど、私は目を醒した時にとっても幸せな気持ちになっていました。
つーか、どうやら、あのようなことをしたくて玄中寺の棗の木にこだわって探していたんではないかと思うんですよ。
これが所謂深層心理って奴ですかね?
でも満足しちゃったんです。
探している木には会えなかったけど。
なんだか、あんまり可哀想になって最後にお参りした神社の神様が見せてくれた幸せな夢だって気がしましたが…。
何ドリーム語ってるんでしょうねえ。
つーか、こういう話でこういう幸せなオチがつくとは思いも寄りませんでした。
一連の事柄を漫画にしようかとも思いましたが、需要は全くなさそうなので、ブログに書いて自己満足で完結することにしました。
本日3個も長い話におつきあいいただた皆様、お疲れさまです。
明日からまたいつものお散歩へ戻ります。




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小石川植物園その2

2009年11月23日 06時48分59秒 | 漫画の日々
小石川植物園の本館受付にやって来た。
スーハーと深呼吸。
前回、ここのパソコンのデーターベースに探している木が入力されていないのは確認済み。でもでも、何か手がかりだけでも~と、先行き暗い状況で質問せねばならないのよ。
私「あの~、所在の知りたい木があるんですが…」
と、これこれこういう木を探している旨主張する。
係員のおじさん「う~ん。棗の木ねえ。あったかなあ…」
パチパチとパソコンに向う。
案の定、出て来ない。
係員のおじさん「ないねえ。うちにある棗の木は分類標本園にある1本だけだよ」
私「いえ、あの木は探してる木じゃないんです。あれ、若い木ですよね。私の探してるのは、戦後すぐにここに移植されてるから、少なくとも50年前にここに入って来てます」
係員のおじさん「…50年前?」
ええ、それがネックなんです。
50年前に植えられた木ともなると、データー化されてないんですよ。
私「棗の木は中国原産なんで、それが集まってる区画を教えて下さい。後は自分で探しますから」
係員のおじさん「気の毒だけどねえ。昔はね、原産地や樹木の種類によって植える場所を決めて植栽してなかったんだよ」
私「ええっ!!」

そ、そんなあ~…。
最後の望みだったのに…。
係員のおじさん「もしかしたら、非公開の方にあるのか?そしたら、データーベースに出て来ないし…」
小石川植物園には、一般立ち入り禁止区域なあるのです。主に本館周辺と北側の温室とシダ園の周辺。それと分類標本園の南の斜面。
私「それはないと思います。運行寺の住職が以前訪れて見たっておっしゃってましたから…」
係員のおじさん「……もしかして、手入れしている職員さんに聞いたらわかるかも?」
!!本日始めての朗報です。
私「ほ、本当ですか!?」
係員のおじさん「彼等は日々この植物園を手入れしているからね」
私「ど、どどどこへいけばいいですか!」
係員のおじさん「いつもそのへんに…。あ、あそこ」
と、教えられたのは、剪定した木を荷台に積んだ軽トラックです。
私「ありがとうございました。尋ねてみます!」
いそいそと先を急ぐ。
私「すみませ~ん」
と、再びこれこれこういう云われのある棗の木を探している旨を説明し、植物園で見かけたことはないか尋ねる。
職員さんその1「棗の木?」
私「分類標本園に1本あります。こう小さい赤い実が今なってます。あれと同じ木があるハズなんですよ」
職員さんその1「う~ん。見た事ないなあ…。私まだここ浅いんだよねえ。古株の人なら知ってるかも?もう休憩時間だから、戻ってくるよ。ちょっと待っててね」
と、職員さんその1は古株の職員さんに尋ねるために控え室がある場所へ行ってしまいました。
うう、あんなに特徴的な木を覚えてないはずはない。
もしかして…。
もう、か、枯れてしまってるの?
嫌な考えが脳裏を霞める。
グルグルしていると、そのうち、古株の職員さんも戻って来た。
3度、これこれこういう云われのある棗の木を探してます。園内で見かけたことないですか?
古株の職員さん「棗の木ねえ~…」(沈黙)
うう…。やはり、や~は~り~、ないの??
古株の職員さん「ちょっと待ってて」
と、古株の職員さんは本館へ。そしてデーターベースに当る。
古株の職員さん「あ、B-5にサネブトナツメがあるけど」
私「それ、別の木です。あれって、吉宗の時代に入って来たやつですよね」
小石川植物園は8代将軍徳川吉宗の時代、小石川養生所が設置されてまして、植物園には旧養生所の井戸の跡があったり、青木昆陽が甘藷試作をしたりしたんですよ。
で、漢方として植えられたのがB-5にあるサネブトナツメでして、実物はこんな感じ。

一辺木は倒れてしまいましたが、頑張って生きています!って感じだよねつ
植えられた時はそんなことなかったのでしょうが、今や周囲は巨木に成長。お日様が充分に届いておらず、可哀想な感じです。
吉宗由来の木ですらこんな有様ですから、探している木がどんな状況で植えられているのか…。
確か住職は「周囲の木が立派で樹齢が50年以上経っていてもあまり大きくない」木だとおっしゃっていたような…。

結局、30分くらい粘って、結論は「うちに棗の木はない」しかし、「分類標本園にある木はだいたい園内で採取した種や挿し木で増やしたものだから、元々はあなたが探している木だったのかもしれない」とのことでした。
うう…。
色々予想していた中で、悪い予想が当ってしまいました…。
取りあえず、ひょっこりやって来た単なる客に30分も時間を割いて探していただいたお礼を言って本館を離れました。
がっくり…。
肩をかかとまで落とし、とぼとぼと向った先は分類標本園。

樹高約3.5メートル。
やっぱりこれは若木だ。とても樹齢50数年には見えない。第一、運行寺の住職が言っていた「日当りの悪い所に植えてある」に合致しない。…でも、もしかしたら、この樹は私が探している木の子どもかもしれないんだね…。
しばらく眺めてたらお腹が減って来た。そこで昼食に。
ええ、お昼はとっくに回ってますが、区切りが着くまで食べる気にもならなかったんですよ。
桜並木に並ぶベンチの一つに腰掛け、いつものパンとお茶で腹を満たす。
カアカアカアと、カラスがエサを奪い合って追いかけっこしている。
(ねえ、園内を自由に飛び回るアンタ達なら知ってるよね?棗の木を知らない?
赤くてね。梨とリンゴを足して2で割ったような味なんだよ。絶対知ってるよね。教えてくれたら、私のお昼ごはん全部あげてもいい…)
(知ってる?こういう実なんだけどね)

と、ドリームなことを考えてみたり…。

さて、小石川植物園にある有名な木を紹介しましょう。
撮影は2008年5月の訪問時。今回は落ち込みが激しくて、まともな写真がないの。
まずは●メンデルのぶどう

中学か高校の生物で一度は勉強したことがある。植物の優性遺伝。そこに登場するのがメンデル先生。
かのメンデル先生が実験に用いた由緒ある葡萄を分株したものです。
このぶどうは小石川植物園第2代園長の三好学教授が、大正2年(1913)にチェコスロバキアのブルーノにメンデルが在職したケーニギン修道院を訪ね、旧実験園に残っていたブドウの分譲を申し出、その翌年に送られて来たものです。
つまり、本物なんだね。
へえ~。
次。●ニュートンのリンゴ

ニュートンと言えば「万有引力の法則」です。
それはニュートン先生がりんごが木から落ちるところを見て発見したんですよ。
その木は接ぎ木され、世界の科学に関係ある施設に分譲されました。
小石川植物園にあるりんごは、その中のイギリスのものを日本の柴田雄次博士に贈られたものを接ぎ木したものです。
…木はいいよな。接ぎ木でどんどんコピー出来るから。偽物じゃないんだよ。だから「ニュートンのリンゴの木」は小石川植物園にもあります。
次。●明治29年に精子を発見したイチョウ
あれ?しゃ、写真はどこだ!写したと思ったのに…。な、な~い!
実はイチョウって植物学上では貴重な木なんだって。日本には大量にある普通の木なんですけどね。

それでもまだ諦め切れず、私はなんとなく気配を感じるC-5&C-6地点を中心に辺りをうろうろしてみる。
あるなら、この辺りの気がしきりとするんだ…。
手がかりがなにもないなら、勘に従ってもいいだろう?と、根拠なしで棗の木を探しまわったのですが、やはり簡単に発見出来るものではなく…。
ちっ!
今年も完敗だぜ。
と、敗北宣言をして帰宅すべく坂を下りました。

秋の夕暮れはつるべ落とし。
早く戻らないと、帰る頃には真っ暗な時間帯です。
でもススキは綺麗です。
へこたれた心を癒してくれます。


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小石川植物園

2009年11月23日 05時07分09秒 | 漫画の日々
丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩で小石川植物園へ。
前回は北側の白山駅で下車して、あまりの坂にすんごく大変だったので今度は南側の茗荷谷から行くことにした。
桜で有名な播磨坂を下り、植物園の入口へ。
『小石川植物園』
開園日時:1月4日~12月28日 午前9時~午後4時半(入園は午後4時まで)
温室公開は火曜~土曜 午前10時から午後3時(祝日は閉室)
休園日:月曜日(祝日の場合は、その翌日)
入園料:大人(中学生以上)330円、小人(6才以上)110円 団体割引あり

さて、ここが目的地だったのは、ある木を探すため。
これがこんなに大変だったとは…。
実は2度目の挑戦です。
まず、前回2008年5月27日の奮闘を確認して欲しい。
小石川植物園
という事で、前回は棗の木を探せなかったのです。
さすがにあれ程広い敷地の中で、1本の木を探す困難さは予想通りでして、しかも!
5月だと特徴的な実もついていない。だから実のなる秋に行こうと思っていたのですが、ええ、あの直後、2008年5月28日に脳梗塞を発症してぶっ倒れてしまいました。
今思えば、白山駅からの登り坂でギブアップ寸前まで辛かったのは、相当具合が悪かったためなのですが、まさか己の身体がそんな状態だとは思いも寄らず…。アホウにも病院へ行かずに倒れちゃったんですよ。
幸い症状は軽く、1ヶ月の入院で済んだのですが、1月もほぼベッドの住人だったおかげて体力が激減。とても去年の初秋の頃は園内に坂だらけの小石川植物園を再訪する体力は戻ってませんでした。
なので、今年の秋、改めて小石川植物園を再訪したのです。
その前に、運行寺の和尚さんに『棗の木の所在』を聞いてからでないと見つけることは出来ない。と、今度は小石川植物園で売っている大きめの地図を持参して始めに浅草の運行寺さんへ向ったのですよ。
が!
和尚さんは不在でした。
応対して下さったのは年配の女性。
私「中国の山西省の玄中寺の庭の棗の実をこちらの先代の住職が静岡の横山大観に育ててもらった木を探してるのですが…」
女性「あの木はもうこちらにないんですよ」
私「ええ、知ってます。前回、こちらの住職に伺いました。それで小石川植物園に移植したと伺いまして」
女性「ええ、そうです」
私「今日、小石川植物園の地図を持参しましたので、移植した場所を教えていただきたいんですが…」
女性「わからないんですよ」
私「はっ!?
女性「私も場所がわかれば見に行きたいんけどね」
まてまてまてまてまて!
確か以前お寺の住職は場所を知っている感じだったのに。
なんで~?
いや、どこかのブログに浄土宗の祖庭のお寺繋がりで運行寺に訪問した人が、住職と共に件の棗の木を見たと書いてあったし…。
運行寺さんは別名『なつめでら』と言って、それはこの棗の木に由来しているハズです。なのに、肝心の木の所在がお寺の人もわからないって…。
ぼうぜん…。
みたいなやり取りがあって、女性は地図も見てくれなかったのですよ。
あ~~。
念のため、この女性の弁明しときます。
(決して彼女に対し、私は悪意ある書き方をしてないです。いや、この日の夕方には、この女性は良心で私にああ言ったんだと思いました。でもこの時はただ突き放されたとしか思えず…。お寺がこんなに一般庶民に冷たい対応するんだ…とショックも受け…。どう書いていいのか、どう順番していいのかまだ消化しきれてないんだけどね)
続けます。

さて、困った…。
でも…。
木は確かに小石川植物園に移植されたのは確か。
というようなことがありまして…。
あまりのショックに自分を立て直すべく、かっぱ橋道具街をぶらついていたのです。
そんで、心落ち着いた頃…。
やはり…。
ここは一つ、実のなっている今の時期に再挑戦するしかないでしょう~!
と、気持ちを立て直し予定通り、小石川植物園を再訪しました。
まず、前回2008年5月の訪問時にはいかなかった場所へ。
前回は入口から坂を直進したので、入口を左へ。
まず現れたのはメタセコイア林。
メタセコイアは全国植樹祭で昭和天皇が植えまくったので、現在は日本中で観られますが、そもそもこの木は生きた化石と呼ばれる程世界的に珍しいのです。
ここ、小石川植物園は日本最古であり、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つで、珍しい木が沢山あります。なにしろ、今から309年前の1684年に徳川幕府がこの場所に設けた「小石川薬園」が前身ですから。
その後現れたのはハンノキ並木。
ハンノキ~~!!
私、これのレベル2のアレルギー患者なんですよ。レベル2と言ってもほぼレベル3よりの、杉花粉症よりレベルの高い患者です。なので、ハンノキが花粉を飛ばす3月中旬にはマスク付きでも注意しないとダメなのね。
今の時期、近寄っても大丈夫ですが、気持ちはとってもブルー。
あ、なんじゃこりゃ!

ラクウショウです。
これ、新宿御苑にもあるんだよ。ちなみに、メキシコ原産。
歩きながらくまなく、棗の赤い実を探します。
棗の葉も特徴がありますが、全ての木を1本1本確かめてたら、全く進めません。
あ、旧東京医学館本館が見えて来ちゃった~…。

あそこは出口です。
仕方ない。
坂を上るか。
園内は散策路が縦横に走っていて、坂も何本もあります。出来るだけ緩い坂を選んで上がると、そこにあったのは、

震災記念碑でした。
これは大正時代に関東一円を襲った関東大震災のもの。
ここ小石川植物園は、被災者の避難場所となったのです。

さすがに日没までに自力で1本の木を探すのは無理だ。
なにしろ、ここは敷地が161,588平方メートル(48.880坪)もありますから!
探している棗の木は中国原産の木です。
せめて植えた時に原産地や植生の似通った物をまとめ手植えてれば、その区画さえ特定出きれば…。
一縷の望みをかけ、本館の受付で尋ねることにしました。
(つづく)
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魅惑の食品サンプル

2009年11月22日 06時42分28秒 | ぶらぶら散歩
かっぱ橋道具街へ戻って来た。
むむむ??
あれは…何?
向かい側のビルに巨大なカブトムシが貼り付いている!
うわっなんじゃろ~
行くべし行くべし
西側の道具街はまだまだ続いているけど、心引かれて対岸へ。
その店は『食品サンプル』屋さんでした~。
う~む。
日本人って器用だよなあ…
食品サンプルって知ってる?
中華料理屋などの店先ショーケースにお店のメニューをアピールする為にある見本。

あ、こういうの
うう、これを見ているとお腹がすく~~
職人技を駆使すると、こんなんも出来ます~

あの~、作品の中にムンクの叫び君がいるんですけど~
し、職人技!
でもって一般客向けには、にぎり寿司のストラップや磁石が用意されています。

え~と…いくら…。

お、お高い!
やっぱ職人技だからね。
リモーネのおまけとは違うよね
散歩しつつ南下。
かっぱ橋道具街のゴールはここ。
東本願寺さんです。
あれ?
東本願寺って京都にあるんじゃ…。
…入ってみよう。

このお寺も鉄筋コンクリートです。
この界隈のお寺は大概鉄筋コンクリート製。有名な浅草寺も鉄筋コンクリート!大概燃えちゃったのね。
ちなみに、ここ田原町駅周辺にはお寺が沢山固まって点在しています。
なので!
御用達の店も集まって来る訳で…。

こんなん見つけてしまいました~。
田原駅周辺は仏具屋さんが軒を連ねています。
お寺に用事があるものの、場所を見失った地下鉄から出て来た人は、救いを求めて仏具屋さんに尋ねる。
「あの~、お寺さんなんですが、●●さんはどこでしょうか?」
お店の人も心得ていて、サッと界隈のお寺の地図を取り出し、テキパキと教えてくれます。
かくいう私も始めてこの街へ降り立った時にお世話になりました。
さて、気力回復です。
よ~し、本日のメインイベントへ向うぞ~!
おお~~!!!


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河童探索開始!

2009年11月21日 06時48分36秒 | ヒーロー&怪獣&妖怪
キッチン用品を見て廻るのも楽しいけど、うっかりお気に入りを見つけてしまったら、散財確実です。
そんな危険なことは避けたい~~。
か…かっぱならお金はかからないよね
かっぱ橋道具街にはあちこちにかっぱが潜んでいます。
まずトップ画像はかっぱ橋道具街誕生90周年を記念して制作された金色のカッパ像です。
次、行ってみよう~。
●足下のタイル

●カッパですが、何か?

そんなカッパのぼやきが聞こえてきそうです。
その際、声を充てるのは前楽天監督の野村監督がいいと思う。
いや~、このカッパいい味出してるなあ。これ、CMとかに使えばいいのに。
●曹源寺

上の画像は曹源寺境内にある河童堂です。通称「かっぱ寺」。
室内の天井には手塚治虫氏など漫画家によるカッパの絵が描かれてます。サイズは色紙大。それが天井一杯に整然と並んでます。見学は事前連絡が必要です。連絡してなかった私は、お堂の扉にへばりついて、中を眺めました。
ちなみに、かっぱ橋道具街のかっぱは、そもそも河童じゃないのね。
江戸時代に合羽川太郎という人がいて、この人は治水工事に私財をつぎ込み没頭したらしいのだ。んで、川太郎さんに感動した隅田川の河童が夜な夜な仕事を手伝った。以来、その河童を目撃した人は開運・商売繁盛したと言われているそうです。
あれ?
河童出てきたよ…。
………、く、詳しい所はわからない。
ちなみに、曹源寺の河童堂の軒裏はなぜが、河童じゃなくて竜がいます。

次行ってみよう~。
またまたかっぱ橋道具街へ戻る。
途中の商店街にはこんな楽しい旗が翻っています~。

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浅草かっぱ橋街道具街ぶらり

2009年11月20日 06時26分16秒 | ぶらぶら散歩
汐留から浅草へ。
目的地のお寺は田原町駅近くです。
そこでがが~~ん!なことがありまして…。詳細は又後で。
が、このままでは浮上出来ないので、近くにある「かっぱ橋道具街」へ向いました。
実は、ここへ来るの始めてなんだよね。
わ、わかるかなあ~。
という不安は無用でした。トップ画像のビルが道具街の入口にどど~んとありまして、行けば分かる図式となってます。
ここ、元気だなあ。
もう道の両側に延々プロ御用達の料理用具屋さんが連なってるのね。
道路が広く、間を車道が通ってるので、まずは西側を北上してみます。
ん?
あっちのビルも変ってる!

この街って何げに関西風味?
街歩きは楽しいです。
お料理やお菓子造りの好きな人ならきっと1日あっても時間が足りないでしょう~。

飲食店に必要なものなら何でもある!
つーか、要望に対応する店が必ずある!
商店街にはキッチン用品や飲食店相手の店が170軒以上あるんですって。
む?
上の画像の右上手前。
これ、なんじゃろう?
かっぱ?
河童だねっ。
そういえば、さっきからかっぱがあちこちにいるような~…。
あ、河童めっけ!

ふっふっふっ。
キッチン用品もいいが、かっぱ探しも面白そう~。



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アンパンマン

2009年11月19日 06時09分28秒 | ヒーロー&怪獣&妖怪
宮崎駿監督のからくり時計を後に、エスカレーターじゃなくビルの中へ。
そこの階段を降りるとアンパンマンがっ!ウエルカム。
楽しい車もありました!

運転席にもアンパンマン!
小さな子どもは大好きだよねアンパンマン
近くには。
日テレのお店がありました。

黄色いのは知ってるよ。
確かそらじろうって言うんだよね。
青いのも知ってる。
でも名前は知らない。
時は10月。
ショーウインドウはハロウィン仕様です。
こんなんもありました~。


楽しい日テレを後にして地下鉄の新橋駅へ戻る…。
ってうるさいなあ~。
何っ!?
なんか、頭にハチマキ巻いたサラリーマン達がたくさん集会中。マイクパフォーマンス付き。
何だって??富士通の●●さんの糾弾!?こ、こんな交差点の隅っこで、いい大人が大挙して叫ぶ??
う~ん。レトロ!
次。次!
あれ?
あの標識は…。
うおっ!
始めて見つけたわ~。

今年、運転免許の更新がありましてね。
免許は持っているだけのペーパードライバーなんですが、ゴールド免許なんですね。だから、更新の時にドライバー用の講習ビデオを観るだけで新しい免許証が交付されます。このビデオの講習の後、教官の簡単なレクチャーがありまして、それが「自転車は車道を走らないといけません。歩道を走っていいのは上の標識のある場所だけ」と法律が変りました。
というの、知ってます?私は知りませんでした。
普段、移動するのは公共交通。近場なら自転車。家から最寄りの近所は徒歩という人なので、走っちゃいけない歩道というのはどこだ?と日々この看板を探してました。
でもないんだよ。
それって大概の道路は歩道は、自転車が走っちゃダメなのね。
でもでもでも~~!
車道は危ないんだよね。
違法駐車をしている車があると、車道の真ん中へ出ないといけないし、自動車と自転車だとスピード違うし。歩道を行きたいよね。
うちの近所は道幅は狭いが自動車の通行量はとても多いです。
そのへんの区分をもっと緩めて欲しいよなあ。つーか、最近法律が変更になって自転車が歩道を走っていい場所なのに、新しい標識をつける予算が取れてないだけか?それって事故ったら責任の所在はどこになるの?
まあ大概、最近増えてる自転車に乗ってる人はそんなん考えもしないと思うけどね。
次々~。今日は大いなる目的があるんだよ。


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