あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

黒田記念館と上野公園

2019年10月14日 05時36分43秒 | 上野・根津・湯島・神田
2019/9/16訪問。黒田記念館の開館は、東京国立博物館の開館日と同じです。
黒田記念館は、日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝が大正13年(1924)に没する際、遺産の一部を美術の奨励に役立てるように遺言しました。これをうけて昭和3年(1928)に竣工しました。館内には遺族の方々から寄贈された遺作を展示して画家を顕彰するために黒田記念室が設けられました。昭和5年(1930)には同館に美術に関する学術研究と研究資料の収集目的として、現在の東京文化財研究所の前身である美術研究所が設置されました。
設計が岡田信一郎の作品であることから、創建当初の姿へ復元。平成13年(2001)に美術館として開館。重要文化財」
トップ画像入り口を抜けるとすぐ階段で2階へ。映像資料を見学し、展示室へ。
あれ?これだけなの?ショボすぎる〜。ってか、私が見たかった黒田清輝の代表作「湖畔」がない。おかしいなあ?前にここで見たことあるんだけども?学芸員さんに聞いてみた。すると、黒田清輝の代表作の「読書」(1891)「舞妓」(1893)「智・感・情」(1899)「湖畔」(1897)は年に3度各二週間のみ開館する特別室にしまってあるらしい。そうだったのかぁ〜〜!!残念です。ちなみに、次の特別室の開室日は、2019年10月29日(火曜)ー11月10日(日曜)になってます。

展示室にイーゼルが飾ってあった。説明文には「黒田清輝の遺品のイーゼル・椅子・絵の具箱ですって。このタイプのイーゼルは屋内だけでなく屋外でも使用可能な作りになってます」とある。さてと、時刻は14時半。天候もイマイチのままなので駅に向かおう。
あれ?面白い案内板があったわ。地図を兼ねてますね。バーの長いほどここから遠いんだ。
噴水広場では何か水道展をやっていたので、端を歩いてたらこんなのを見つけた。
わかりますかね?江戸時代は上野公園は東叡山寛永寺の境内でした。
説明板発見:寛永寺根本中堂跡
江戸時代、現上野公園の地は東叡山寛永寺境内で、堂塔伽藍が立ち並んでいた。いま噴水池のある一体を、俗に「竹の台」と呼ぶ。そこには廻廊がめぐらされ、勅額門を入ると根本中堂が建っていた。根本中堂は中堂ともいい、寛永寺の中心堂宇で、道内に本尊の薬師如来が奉安してあった。(中略)坂東第一ともいわれたほど、荘厳華麗であった。るりのように美しかったので瑠璃殿とも言われた。中堂前両側には、近江延暦寺中堂から根分けの竹が植えられ「竹の台(うてな)」と呼ばれていた。
慶応4年(1868)5月15日、彰義隊の戦争がこの地で起こり、寛永寺堂宇伽藍はほとんどが焼けた。」
以前、寛永寺の徳川将軍家霊廟見学ツアーに参加した時に、僧侶の解説を聞いたことがあります。てっきり彰義隊と官軍の戦争で寛永寺が焼けたと思ってたのですが、実は1日で戦争が終わった後、官軍により焼かれたのが真実らしい。
移動。上野の森美術館ではこんな展覧会が開催されてました。
いっつもちょっと変わった展覧会をやってるなあ。一瞥して東京メトロの上野駅に向かってると、お墓が見えたので寄ってみた。
説明板発見:天海僧正毛髪塔(都指定旧跡)
天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧で、諡号を慈眼大師という。天文5年(1536)に奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。11歳で出家。14歳で比叡山に登り実全に師事して天台教観を学び、さらに三井寺や奈良で諸教学を学んだといわれる。のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、川越喜多院(埼玉県川越市)などに在し、徳川家康の知遇を受けた。元和2年(1616)家康が没すると、その神格化にあたり権現号の勅許を計り、合わせて日光廟の基本的構想をたて造営を指導した。その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院建立を進言し、寛永2年(1625)に寛永寺を創建した。
寛永20年(1643)に子院の本覚院にて108歳で示寝。遺命により日光山に葬られ、この地(旧本覚院跡)には供養塔が建てられた。のちに本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになった」
時刻は既に15時。楽に下へ降りるべく、エレベーターに向かう。と?

スカイツリーの頭が雲の中に隠れていた。分かります〜?
で。まだ帰るには早いし、小田急メトロ1日券を持ってるので、東京オリンピックオフィシャルショップで買い物したい。父の法事の手土産にタオルとか買いたいんだよね〜。事前に調べてきたのは小田急新宿駅そばのハルク内のショップだったのですが、遠回りになるからとダンナがその場で検索してまずは赤坂見附店に行くことになったのですが〜〜。
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国立科学博物館の日本館

2017年12月30日 05時58分21秒 | 上野・根津・湯島・神田
11月3日文化の日の訪問。地球館見学の後日本館へ移動。まずは重要文化財の建物から鑑賞する。

ちなみに日本館の建物内は常設展示になってます。一部1階の北翼部分は企画展示室になってます。訪問時には「日本人画家が描いた日本の植物」展でした。ボタニカル画は見応えがありました。2016年9月から2017年3月にかけて英国キュー王立植物園で作品展をした時の作品からセレクト展示だそうです。ちなみに、企画展示室は毎回違うので科学博物館を訪問した際に立ち寄るのを楽しみにしてます。何しろ企画展示室の作品展は毎回観覧料は
建築家の入館料のみなのですよ。この日は文化の日なので、そもそも常設展は無料で観覧できたのです。
日本館は建物が重要文化財です。旧東京科学博物館本館でした。
関東大震災の復興事業で昭和6(1931)年9月に竣工。
ネオ・ルネサンス様式。設計は文部省大臣官房建築家の技師。
鉄筋コンクリート造り(一部鉄骨鉄筋コンクリート造り)地上3階(一部4階)、地下1階建て。飛行機形の平面を持ち、機首部分に車寄せ玄関、主翼と胴体の交差部分にドームを戴く3層吹き抜けの中央ホール、主翼部分に陳列室、尾翼部に講堂を配す。3階陳列室は窓を作らず、トップライトからの採光。平成20(2008)年6月重要文化財に指定。

1階中央ホールから見上げて撮影。ステンドグラスが見える。これは小川三知の主宰する小川スタジオの製作で、意匠は伊東忠太とされています。

近くから見たいから3階へ移動する。

北翼へ。フタバスズキリュウの骨格標本が出迎えてくれる。北翼の奥へ。

見下ろして撮影。
見上げて撮影。
凝った造りです。
さて、建物の紹介はこの辺にして、展示物を幾つか。2階北翼の展示物。
白い犬は忠犬ハチ公の剥製。右奥の黒い犬は南極の昭和基地に置き去りにされて生きのびたジロの剥製。
左からキコウジ・キコウジ白色突然変異株・クロコウジ・ベニコウジコウジカビ 日本ではコウジカビを使い味噌・醤油・日本酒を作っています。日本人の食とは切り離せないコウジカビ。
ええ。地球館で化石を見て「ドロップアイテム〜」とかで盛り上がってた私。コウジカビを見て「食品生産の必須アイテムね〜」とか。ええ加減ゲーム脳から離れたい。

左奥の石は「ブラタモリ」でよく出てくるチャートです。
チャートがどうやってできるか?チャートはどこにあるか?の図解です。ちなみに、チャートは火山の左海底にある長方形のオレンジと薄緑の石です。
同じく石の種類。画像上部中央のが安山岩。その左が流紋岩。右が玄武岩。

前回科学博物館を訪問したのは今年9月「深海展」でした。この時深海の生き物標本も多く展示してあったんだけどね。標本が干物みたいで色が抜けててガッカリでした。日本館に海の生き物を紹介してあって、ふと、メンダコを見つけてしまった。

深海400メートルの表示がある。展示物は剥製なんだろうか?それとも擬似剥製なんだろうか?でもこんなメンダコならば「深海展」でガッカリしなかったわ。

これは剥製になる前の標本でしょうか?上の段右から2つ目の標本はアオアオバトです。大磯の照が崎には夏の早朝に毎朝アオバトが群れてやってくる。いつか観に行こう!と日々のデーターを集めてる人のWEBページをブックマークしてます。朝6時には家を出ないと見れないから、まだ本物のアオバトを見たことないんだよね。
国立科学博物館基本情報
開館時間:9:00−17:00(金・土曜は20:00まで開館)
入館料:常設展620円(小中高生は無料)
休館日:毎週月曜・年末年始

さて11月3日のお散歩は、上野の西洋美術館→国立科学博物館→白金台の明治学園礼拝堂・インブリー館・記念館の文化財見学と続くのですが、実は3月に購入したMacが壊れました
仕方ないので緊急手段で前に使ってた古いMacBook Airで書き込んでます。でも新しいMacに読み込んだ画像は古いMacは容量が無過ぎて読み込めない〜。あ〜、年末も際の際になって壊れるな〜〜!!なんか、見た事ない道路標識にこんな18のないのが真っ黒の画面に出た〜〜。ナニこれ〜〜!!ってな状況でしばらく記事投稿出来そうにありません。
すんません。こんな所で。今年も私のブログをご覧いただきましてありがとうございます。来年もよろしくお願いします。Macがなおったら復活します。ごめんなさい。
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国立科学博物館の地球館

2017年12月29日 05時15分42秒 | 上野・根津・湯島・神田
2017.11/3訪問。上野の西洋美術館の常設展を鑑賞後、隣の国立科学博物館へ移動する。11月3日文化の日は、国立科学博物館の常設展の入館料が無料になるのです。
ちなみに、常設展は重要文化財になってる日本館の地下1階に入口があります。今日・明日と国立科学博物館を紹介します。今日は地球館を。地球館は地下3階・地上3階・屋上からなります。入館してまず最初に向かったのは日本館地下1階ラウンジ。ここで早めのお昼ご飯です。当日は入館無料ですから利用客が多い。でも回転も速いのでテーブル確保です。持参のパンとお茶で手早くいただいてから地球館へ。
まずは地下3階からスタート。見学者が多いので展示物一つ一つをじっくり見るのではなく、心の琴線に触れたものだけをじっくり見ることにする。

一つ目。アポロ11号が持ち帰った月の石など
まさか上野にアポロが持ち帰った月の石があるなんて知りませんでした!まあ、石のサイズはショボいんだけどね。上の画像の左上のガチャポンの容器に似てるのに入ってるのがアポロ11号の月の石。右の大きめのガチャポンのがアポロ17号。で、中央のメダルが時の首相佐藤栄作書の月に置いてきたメダルのレプリカです。
はやぶさ2が現在小惑星に向かって飛行中ですね。あれ、打ち上げる前に希望者は自分の名前をはやぶさに載せて一緒に飛びませんか?と言うイベントがありまして、小惑星に置いてくるか?地球に戻ってくるか?2択でした。私は置いてくる方を選択しましたよ。ええ。あ。在住の相模原にはJAXAがあって、イベントも多いんです。
で、大阪万博で月の石を見るために何時間も並んだ人は、上野の月の石がある!と知ったらそれ見たい!と思うよね?って事で選んでみた。
2つ目は同じく地下3階の日本の科学者コーナーから。ノーベル賞受賞者の実績紹介パネル
毎年秋になるとノーベル賞の発表があります。ここのところ例年のように受賞してるので、ありがたみが薄れてますが、どんな研究が評価されたのか?興味深く見ちゃいました。画像紹介は世界初のホルモン「アドレナリン」を発見した高峰譲吉氏です。私は降圧剤を日々飲んでるので、「アドレナリンとエフェドリン」と題されたパネルをつい選んじゃいました。難しくてパネルはよくわからんかったけどもな。アドレナリンとエフェドリンの分子構造が似てるのは理解したわ。
地下2階へ移動。
3つ目は放散虫です。
NHKの「ブラタモリ」でしょっちゅう出てくる放散虫です。毎回地層や石に強く興味を示すタモリさん。で何度も出てくる放散虫。それってどんなの??と思ってたので、つい写してしまいました。
地下2階は地球誕生から反映し絶滅した生き物の紹介フロアです。
サーベルタイガーとか聞いたことある。

絶滅した生き物なので、展示品は化石になります。石の中に埋もれてるかつての生き物の痕跡を掘り出してクリーングして組み立てて入館者に見せてくれる。撮影のチョイスはアルマジロっぽいの。一押しは鎧です。鎧の手前の化石が鎧の持ち主。中身です。
最近ゲームのRPGとかのジャンルのラノベにはまってたのですが。鎧見たら「あ。アイテム!」って思っちゃいました。ドロップ品にしか見えん。骨もそこらにあるし。この鎧ならいい盾が作れそう〜。
 
もう化石のツノがドロップアイテムにしか見えなくてね。化石見てニヤニヤしてる気持ち悪いオバハンになっちゃいました。ブハッ!イカンイカン。笑ってる場合じゃ〜〜。自重自重。
ちなみに、地下1階の恐竜の全身化石展示は入館者に大人気です。地下1階は建物の2/3が特別展示フロアになっていて、1/3が恐竜化石展示に当てられています。

1階へ移動。パンダのホアンホアンの剥製
ちょうど今月上野動物園で子パンダの公開が始まりましたね。実は上野で飼育されていたパンダで3頭の子パンダを産んだのがこのホアンホアンです。古いよ〜。1980年代だから日本はバブルど真ん中!ホアンホアンは1997年に老衰で死亡。で、今はここで見れます。
カージナルスの剥製。
剥製には和名と英語の名札がありまして、英語でカージナルス。とありました。
スポーツ好きですか?USAでカージナルスといえばどこのチームを思い出します?
野球好きならば、セントルイス・カージナルスですね。アメフト好きならば、アリゾナ・カージナルスです。ちなみに和名はショウジョウコウカンチョウ。どっちも赤と白のユニホームです。で、ついつい撮影しちゃいました。動物園や水族館でも大概名札がありますが、読むときは英語名も読んでみて。たまに和名とかけ離れてとっても笑える英名を持つ奴がいます。

ムシキング好き?私は昆虫好きです(蛾を除く)。甲虫はかっこいい。やっぱりカブトムシはいい。画像では全く伝わりませんが、標本になってるカブトムシは日本のカブトムシと比べでかいです。いや〜、生きてるカブトムシが見たい〜。ヘラクレスだっけ?や、アトラスかな?どっちもかっこいいわ〜。
2階へ移動。科学技術のフロアです。教科書で見たことのあるあれこればっかりです。

田中久重作、重要文化財万年時計(和時計)です。
TBSの日曜9時のドラマ『JIN』にも出演してましたね。JIN先生に豆電球をもらったり、手術中に手元を照らす無尽灯を作ったりしてました。で後に田中久重は「東芝」の創始者になるのです。天才です。JIN先生は現代から過去にタイムスリップした設定でしたが、田中久重も幕末に生きた人とは思えないオーパーツな作品を発明してます。万年時計を現在の技術で再現しようとして、「愛・地球博」では失敗したらしい。
伊能忠敬作日本地図です。え〜、日本史的には「大日本沿海輿地全図」です。伊能忠敬は足かけ17年かけて1816年に完成。ちなみに、出発時にすでに55歳。いつだったか、国立博物館の平成館1階の床に、伊能忠敬の地図を貼り出してたことがありまして、つい自分家を探してしまいました。当時の小田急相模原は街じゃなかったわ〜。鶴間とか見つけたけどな。確か、黒船のペリー提督が「我が技術で地図を作成しましょう」と言われた時の幕府は、伊能忠敬作の地図を見せ、「すでにあるからいいです」とぎゃふん!と言わせたんだよね。確か。いや〜、伊能忠敬の地図がなかったら、日本はアメリカの植民地になってたやもしれんね。地図測量してあげようと恩着せがましく言って絶対スパイしてたはず。あれこれ情報収集されてたら?と思うとゾクッとするわ。
江戸時代庶民の間で流行した変わり朝顔のスケッチ。確か変わり朝顔って基本突然変異だから世代交代しない。でも日本人って植物には変に情熱を注いでしまう人種なんですよ。何年前か、モロッコを旅した時に、マラケシュの日本語現地ガイドさんが「花の名前を聞くのは日本人だけ。ガイドのために勉強した。モロッコ人もフランス人も花の名前に興味ない」とぼやいてたのを思い出したわ。で、1回こっきりしか楽しめない突然変異の花は尊いけども来年も見たいのが植物を愛する日本人なのです。私らは突然変異を放置しない。品種改良に走るんだよね。とはいえ、朝顔ってあまりに咲いてる時間が短いので知識として変わり朝顔を知ってはいても、実際に咲いてる変わり朝顔はなかなか見ない。で、スケッチで残したんだね。まさか科学博物館で見られるとは思わなかったなあ〜。
からくり人形です。
からくり人形の最高峰は多分からくり儀右衛門こと田中久重作の作品でしょうが、上の画像は違うんじゃないかな?これはからくり人形としてはメジャーはお茶運び人形です。着物を剥いで中の構造が分かる形での展示です。現代ではともかく、江戸時代に作られたの。これ。すごいと思いません?
平賀源内作エレキテル
平賀源内さんは私の田舎、四国は香川県出身。高松藩に仕える藩士でした。だから讃岐の子は源内さんのあれこれを昔話で学ぶ。まあ子供向けなので、実は高松藩を止めた後、他家への再仕官ができなくなった末、発明三昧の道へ〜とかは昔話には入ってませんでしたが。ちなみに、エレキテルは源内さんの発明品ではない。もともとはオランダで発明されたものが、江戸に持ち込まれ、源内さんは壊れたエレキテルを修理したし復元したのだ。ちなみに、源内さんが死去した1779年は安永8年、10代将軍家治の治世です。
エレキテルの隣に旅行ようにコンパクトにした箱がありました。あれだ。東海道中膝栗毛とかで弥次さん喜多さんが胸から下げてる手荷物。あれですね。小さな箱に行灯・硯・筆・枕・そろばん・薬入れなんかがコンパクトにまとまってます。日本人って江戸の頃からすでにコンパクトにするの好きだったのね。

無尽灯。さっき出てきた田中久重の発明。そもそもろうそくの火はチラチラする。でも無尽灯は灯油なの。明るいの。科学博物館に展示してある無尽灯は思ったより大きくて驚き。

2階には大きな展示物も多い。零戦です。外装を剥がしての展示なので、内部がよく見える。周りには零戦の設計図も展示してあり、自由に閲覧できます。設計図は本ですわ。何枚も綴ってあるからね。周囲には車とかハヤブサのレプリカとか。興味を持つ男の子には何時間でもいられる場所なんでしょうねえ。
3階へ移動。3階はみっしりと動物の剥製が並んでます。
これさ、ハワイの日系の富豪のコレクションらしい。寄付してもらったんだって。だからですかね?展示物のアマサギの剥製は、アマサギの特徴的なオレンジ色の頭の個体でなく、一見コサギに見える白頭の個体を展示してあります。筑波に科学博物館の収蔵倉庫があって、時折特別展示に合わせ展示替えがあるとかなんとか。ザッと流し見する。つ、疲れた。休憩しよう!向かったのは屋上です。

屋上スカイデッキでおやつ休憩。ボ〜ッとトーハクの建物を眺めて疲れた脳みそをリセットしてから日本館へ移動します。ちなみに、書き洩らしましたが、訪問した11月3日は、各階に係員さんによる説明ブースが設置されてました。どこかの子連れのお母さんが恐竜フロアで「専門的な話を聞きたいわけじゃないのに」とぼやいてたのを覚えてます。説明は子供向けじゃなくてお母さんはがっかりだった模様。子供にはちょっと難しいことを聞くのも大切だと思うんだ。お母さんはがっかりだったけども。そこが面白い!と思う子だっていると思うの。うちの近所のJAXAでは毎年7月末に特別公開があるんだけども、子供らは専門的なことよく知っててたまげるよ?
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世界遺産の国立西洋美術館

2017年12月28日 05時12分30秒 | 上野・根津・湯島・神田
2017.11.3訪問。11月3日は文化の日ということで、上野の西洋美術館の常設展の観覧料が無料になると知り出かけました。
国立西洋美術館は、フランス近代の絵画・彫刻を中心とする「松方コレクション」の展示する場所として1959年に設立しました。
実業家松方幸次郎(1866-1950)は、日本最初の西洋美術館の建設を目指し、1916年から約10年かけてヨーロッパで美術品を収集しました。しかし第二次世界大戦中にフランス政府に接収され、戦後日本へ寄贈返還された約400点を除きコレクションは散逸しました。
常設展は中世末期から18世紀にかけての西洋絵画や19世紀後半の写実主義や印象派ぁら20世紀半ばまでの近代絵画、ロダンを中心とした近代彫刻などが見られます。」
複数回目の訪問でしたが、新しい収蔵物が増えてて楽しかったです。最近寄付収蔵された宝石コレクションは数が10点ほどと少なかったけども、コレクションとして質が高いと思えました。

西洋美術館の本館は、1959年に建てらてたもの。フランス近代建築の巨匠ル・コルビジェ(1887-1965)の設計です。収蔵作品が増えるのを前提で拡張する「無限成長美術館」のアイデアを基に建てられました。柱・床・階段という単純な構造を基本のユニットとする<メゾン・ドミノ>の建築形式・古い西欧の石造建築では実現できなかった建築の可能性をまとめた「新しい建築のための5つの要点」、建築と身体の調和を目指して彼が考案した尺度「モデュロール」などです。
2007年に国の重要文化財に指定。2016年7月にユネスコ世界遺産に登録」以上、頂いたパンフレットより抜粋。

上野に到着したらすごい人!どこへ向かってるんだろうか?西洋美術館にも観覧入場列がありました。てっきり地下の企画展示室の入場列だと思って、列をスルーして常設展入り口に向かったら、スタップに止められた。あれ?今日は無料公開日だよね??なんで?
スタッフさん曰く「無料入場券」を発券してます。受け取ってから入場してください。
そうなのか?で、その無料入場券はどこで手に入るのかな?
まさかまさかの企画展示入場列と同じでした!まじか〜!!行列は西洋美術館の敷地をはみ出し、外の外周にまで伸びてるんですけど〜??手際悪すぎ!無常入場券は別口で配布テーブルを設置すべきです!動線考えろや!年末に有明に行ってコミケスタッフの仕事見てこい!!
で。なんだかんだあってようやく入れた。で、スタッフさんに確認しましたら「本日は館内撮影禁止です」だって!
まじか〜。建物がル・コルビジェの作品なのです。建物を撮影したいのですよ。
でもダメなものはダメでした。建物を撮影したいならば、常設展の観覧料500円を支払い平日に入館すれば可能らしい。で、せっかく世界遺産の建物見学に来たならば、ボランティア・スタッフによる「建築ツアー」の参加をお勧めします。
●国立西洋美術館基本情報
開館時間:9:30-17:30 金曜日は常設展・企画展とも20:00まで 土曜日は常設展は20:00まで(企画展の入場時間は展覧会ごとに異なります)
休館日:毎週月曜日、年末年始 (12/28ー1/1)
常設展観覧料:500円 大学生250円 18歳以下・65歳以上無料
無料観覧日(常設展のみ)毎月第2・第4土曜日、国際博物館の日、文化の日
てな事で、世界遺産の建物を紹介しようと思ったのですが、館内撮影禁止であえなく企画倒れになってしまいました。

ちなみに、上の画像の階段は使用禁止です。本館2階は天井が低い。内部は暗め、よく言えば絵画鑑賞には差し支えない。
新館(1979)部分は一転明るい。天井に屋外の明かりを取り入れる工夫が素敵。確か天井の明かり取りの形が面白かったけども、新館部分はル・コルビジェ作品ではありません。それって、巨匠の構想を不採用にしたって事だよね?世界遺産作品全否定か?とか思っちゃったよ。でも建築ツアーに参加しないと詳しいところはわからないなあ〜。11月3日は建築ツアーをやってなかったけども。
ブログを書くにあたり調べたところ建築ツアーは予約制で西洋美術館のホームページで募集してます。
建築ツアー
開催日時:第2・第4水曜。日曜日 15:00~(約50分)
定員:各回20名(先着順)
料金:無料(常設展の観覧券が必要)
参加方法:事前申し込み ツアー実施日の2週間前、午前10時から申し込み可能。だそうです。
収蔵作品はロダンの作品とスケッチが大量です。ロダンといえば代表作は何と言っても「考える人です。しかし考える人は地獄門の一部なんだよね。実は。

西洋美術館の屋外に地獄門を展示してあります。上の画像の中央上部を見て欲しい。ここに考える人があるの。
この門耐震対策をしてある。

地獄の門には大量の彫刻があります。

この彫刻のスケッチや思いつきが常設展で見れます。新館の1室をすべてスケッチの展示に当ててあるので是非見て欲しいです。帰宅後たまたまテレビ番組でロダンの特集をやっていて、地獄門にどのようにどの彫刻を飾るか?結局ロダンが生きてるうちに決められなかった。死後友人は現在の形に配置したとか言ってましたね。ロダンの奥さんは長年未入籍のままロダンを支え、死亡する直前に正式に婚姻し、パトロンの未亡人に作品を勝手自由にされ、弟子の才能豊かなカミーユに結婚を迫られ拒否ったらカミーユが狂ってしまい大後悔とか。なんだろか?ダメ男じゃん?それで地獄門とか大それた作品作ろうとしたらそりゃあ煮詰まるよな。とか思いつつ番組をみました。ちなみに、ロダンは視力が悪くて画家を諦めて彫刻家になったとか。大分人間ぽい。でも作品は大人気で「考える人」などは世界中にある。これさ、1点ものじゃないんだね。
てな事で、西洋美術館の前庭には作品がいくつか展示してあります。

考える人

地獄の門の右に。

地獄の門の左に。
で、トップ画像はカレーの市民。これ、ロダンの代表作的な作品。元はフランスのカレー市の発注で、勇姿溢れる感じでと言われたのに、苦悩する作品作ったものだから、受け取り拒否られたとかなんとか。変な人ですよね。まあ芸術家だから波乱万丈上等!なのかしら?
おまけ:ブールデル作「弓を弾くヘラクレス」

なぜに1点だけロダンでない作品が、屋外展示になってるか謎です。
あ。モネの睡蓮の作品も数点あります。フランスの建築家が設計した建物に、近代フランス画家や彫刻家の作品を収蔵してるのが国立西洋美術館なのですね。ちなみにフジタ・ツグハルの絵画が最後の部屋に飾られていて、彼の作品は西洋絵画で堂々と展示される作品なんですね。少し嬉しい。
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谷中散歩その9

2017年11月09日 06時06分32秒 | 上野・根津・湯島・神田
上野の科学博物館の深海展を見て博物館を出発したのが午後2時で、谷中銀座商店街で谷中散歩の自分土産でやなかしっぽやさんのしっぽドーナツを買えたのが午後3時半。散歩内容が盛りだくさんだった割に時間があまり経ってない。見物ポイントを絞ったからの観光時間だったなあ〜。自分土産を買ったからにはあとは帰るだけ。
谷中銀座の入り口の夕焼けだんだん(トップ画像)を登りJR山手線日暮里駅へ向かいます。

駅までの道のりも通りは昭和レトロなお店が並んでます。

他にも店はあるんだけどね。撮影してるのはレトロな店ばかりです。谷中はそういう気分にさせてくれる場所ってことかな?

あ!あのお寺はもしや?
説明板発見:経王寺 大黒天
経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。
明暦元年(1655)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広く集めている。
慶応4年(1868)の上野戦争の時敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受けることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。 荒川区教育委員会」
うわ〜、ここって荒川区なんだ。
駅に向かってると、レトロなお店で佃煮を売っていた。
その先で見つけたのもまたレトロ。

レトロって言葉が大安売り。まだまだ歩きたい場所です。JR日暮里駅が見えてきた。時刻は午後4時ちょっと前。なんとか帰宅ラッシュ前に小田急線に乗れそうだ。
長々と連載してきた谷中散歩ですが、これにておしまいです。お付き合いありがとうございました。日展新会館の前でゲットした下谷おさんぽマップには、迷うほどに楽しい路地散策と書いてありました。目的地を定めずそぞろ歩くと面白い街ってことかしら?
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岡倉天心記念館とハギ寺 谷中散歩その7

2017年11月07日 05時43分29秒 | 上野・根津・湯島・神田
観音寺の築地塀鑑賞後、最短コースで谷中銀座へ行く道を浪漫ちっくマップを眺めて決めた。
西に向かうと突き当たりを右折れして一度足が止まる。坂道です。まさかの急な下り。うそ〜ん。しばし考えたものの、谷中墓地は台地の上にあるから、谷中銀座へ行くならどっちみち坂を下るので、このまま最短コースで!変更なしで!!
手元の浪漫ちっくマップには、進行方向に道沿いに岡倉天心記念公園がある。
岡倉天心といえば、明治期の日本文化を守った人です。歴史のテストではアメリカ人のフェロノサとセットで覚えた人だ。

すでに時刻は午後3時半近く。帰りの電車に乗るのがあんまり遅いと帰宅ラッシュに巻き込まれてしまう。急ぎたいけどちょっとだけ。と、ついつい寄り道する。
説明板発見:東京都指定旧跡岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡
日本美術院は明治31年(1898)岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその精神開発を図る」ことを目的として創設された民間団体で、当初院長は天心、主幹は橋本雅邦、評議員には横山大観、下村観山がいた。
活動は絵画が主で、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法を取り入れ、近代日本画に清斬の気を与えた。
この場所に建てられた美術院は明治31年9月に竣工した木造2階建で、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、付属建物も2.3あったと言われている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五湖に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。
昭和41年(1966)岡倉天心記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。
実は以前岡倉天心の生誕地を訪問したことがある。
ランチをとらねば(2010.11/8)の記事 こちらの記事に岡倉天心の生誕地の石碑の画像があります。実はここ、誰でも知ってる横浜三塔の一つでもある旧開港記念横浜会館なんですよ。岡倉天心は彼の父が生糸の輸出の仕事をしていた関係から、幼い頃より英語に慣れていて、東京大学の講師をしていたフェロノサの助手になった。フェロノサは海外に向けて日本美術を収集紹介し、日本人に国宝という考えを教えたのも彼。そして二人は東京美術学校を作るのです。


こちら岡倉天心記念公園の公衆トイレです。街歩き途中のトイレ休憩にも使えるので覚えておくと便利だよ?
公園前の道を北へ。と?何か緑のものが?
あ、これハギだ。谷中散歩は2017年9月14日に訪問しました。だからハギの見頃にはまだ早かったのですが。

つぼみがほとんどないっ。え?見頃にまだ早かったの??
白萩は少し咲いてた。でもピンク色のは??あるのか?今年のハギは8月の長雨で名所もあんまり花をつけないまま終わったという嘆きを、どなたかのブログで見たんですが。もし来年以降ハギの季節に谷中散歩をする機会があれば確かめたいなあ〜。
ちなみに谷中のハギ寺は宗林寺さんといいます。
小道をさらに北へ。もうすぐ谷中銀座に着くハズ何だけども?

突然の行列です!何の行列?ラーメン??にしては女性が多すぎだわ。列をたどって先頭へ。ひみつ堂さんだって。自然の寒さで育った天然氷を昔ながらの手動式で削ったかき氷屋さんでした。訪問日は9月14日ですから、半袖の人もいますね。うわ〜、唐突に行列が現れたからびっくりしたわ〜。(続く)
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笠森稲荷と築地塀 谷中散歩その6

2017年11月06日 06時00分25秒 | 上野・根津・湯島・神田
谷中霊園を出て谷中散歩に戻りました。根津権現かいわい浪漫ちっくマップによりますと、近所に笠森稲荷と築地塀がある。行ってみよう!
笠森稲荷といえば、江戸三大美人の一人笠森お仙です。期待して行ってみたところ、何コレッ!
トップ画像の屋敷稲荷ほどの小さいのが現在の笠森稲荷です。

説明板発見:でも期待に反して説明板が簡単だったので、帰宅後WIKIで調べた。
笠森稲荷は感応寺(1833年天王寺と改称)の塔頭・福泉院境内にあった稲荷社。
明治に入って福泉院は廃寺となり、稲荷社は養寿院へ遷座した。跡には明治26年(1893)に功徳林寺が建立され、境内に改めて笠森稲荷が祀られている。」(wikiより)
私が訪問したのがこちらのトップ画像です。
ちなみに、江戸三大美人とは、明和三美人で、谷中の笠森稲荷門前の水茶屋「鍵屋」の笠森お仙・浅草寺奥山の楊枝屋「柳屋」のお藤・二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」のおよしのこと。
笠森お仙を題材に、狂言や歌舞伎が作られるほど江戸を一世風靡し、笠森稲荷の参拝客も増え、手ぬぐいや絵草紙などのグッズも販売されてたそうで、江戸のアイドルだったとか。
人気が出るとグッズを作り、気軽に会えるアイドルというコンセプト。ン??どっかで聞いたね。平成も江戸も日本人は同じことしてるんですね。
さて、谷中霊園を出た細道に戻ってきた。次の目的地は〜??
地図を眺めてたら、目に見覚えのある観音像が飛び込んできた。

観音様の石像の画像を撮影しそびったんだけど、上の画像の左の門柱の奥に置いてあります。この観音様を見たことあるんだけど?
説明板発見:狩野芳崖のお墓 台東区史跡 長安寺境内
明治初期の日本画家で、文政11年(1828)長府藩御用絵師狩野晴くうの長男として、長門国長府(現山口県下関市)に生まれる。19歳の時江戸に出て、狩野勝川院雅信に師事。橋本雅邦とともに勝川院門下の龍虎と歌われた。
明治維新後、西洋画の流入により日本画の人気は凋落し、芳崖は窮乏に陥ったが、岡倉天心やアメリカ人フェロノサなどの日本画家復興運動に加わり、明治17年第2回内国絵画共進会で作品が褒状を受け、次第に当時の美術界を代表する画家として認められた。
芳崖は狩野派の伝統的な筆法を基礎としながら、室町時代の雪舟・雪村の水墨画にも傾倒。さらには西洋画の陰影法を取り入れるなどして、独自の画風を確立した。その代表作「悲母観音図・不動明王図(ともに東京芸大所蔵)は、いずれも重要文化財である。
明治21年、天心・雅邦等とともに東京芸術大学の創設に尽力したが、開校まじかの同年11月61歳で没した。
墓所は長安寺墓地の中ほどにあり、明治20年没の妻ヨシとともに眠る。また、本堂前面には芳崖の略歴・功績を刻んだ「狩野芳崖翁碑」(大正6年造立)がたつ。」
見覚えあったのは芳崖さんの悲母観音でしたか。あれを石像にしたのね。時間がなかったから、墓参は次回に。
長安寺さんの右手の細道へ。次の目的地の築地塀が見えてきた。

レトロな情緒たっぷりです。これ、唐突に登場したんだよね?かつては何だったんだろか?上の画像手前に見える青色の四角の中には登録有形文化財 文化庁と書いてある。
WIKIによりますと、築地塀とは、泥土をつき固めて作った塀のこと。と出てました。
この築地塀の正体は、観音寺の塀です。境内の南面を面する延長37、6メートルの練り塀で、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り、潜り戸を1箇所備える。江戸文政期の1830-1867に作られた。

絵になる塀です。画像では大きさがわかりにくいので。モデルを待つ。

江戸の時代より現代の人は身長が伸びたので、築地塀は低く感じられますね。

ちなみに、築地塀の前の細道を挟んである塀も素敵でした。築地塀が泥土をつき固めて作った塀のことならば、これだって時代の違う築地塀です。
足元の細道もここだけ洗い出しの玉砂利を固めて作ったような趣です。ここで着物を着て写真を撮ると素敵なんじゃないかな?

築地塀の奥に竹の塀が見えたので見に行く。いわゆる竹垣です。竹垣もいろんな形のがあるんだ。
さてと?またまた取り出す浪漫ちっくマップ。え〜と?築地塀から夕焼けだんだんの谷中銀座への近道は?このまま突き当たりを右か?行ってみよう(続く)
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谷中散歩その1

2017年11月01日 05時32分56秒 | 上野・根津・湯島・神田
2017.9.14訪問。上野の科学博物館で開催された深海展を楽しんだ後、上野桜木へ。目的は谷中墓地の15代将軍徳川慶喜のお墓です。早速トーハクから芸大方面へ移動です。トップ画像はトーハクこと国立博物館の旧因州池田屋敷表門です。江戸の趣のある門の向こうは博物館なんだよね。この門は常に閉まってます。開いてるところ見たことないよ。

2017.11.7画像追加しました。
11月7日にANDO建築スタンプラリーをやりまして、国際子ども図書館もスランプラリーにラインナップされてます。旧因州池田屋敷表門(黒門)の前を通ったら、門が開く日があるのを知りまして、画像追加します。
土日に門が開くから見たことなかったのか〜。

説明板発見:旧因州池田屋敷表門(黒門) 重要文化財
この門は、元因州池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。表門は昭和29年3月、さらにここに移建して修理を加えたものである。
創建年代は明らかでないが、形式と手法から見て、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い。
昭和26年9月、重要文化財に指定。

トーハクの西側の道の角に古い建造物。これ、なに〜だ?答え:かつてあった旧博物館動物園駅の出口です。現在は使われてません。道を挟んで西側には、国際子ども博物館と、黒田記念館があります。黒田清輝の作品が収納されてます。
黒田記念館(2010.12/23)の記事 こちらの記事の黒田記念館の外観と黒田清輝の代表作の画像があります。
旧帝国図書館(2010.12/22)の記事 こちらの記事に国際子ども博物館の外観の画像があります。この建物は帝国博物館として明治39年に建てられました。

さらに西へ。道の左右に東京芸術大学があります。芸大の博物館があるのもここ。ちなみに、上の画像は芸大の音楽学部の門です。風格あるよね。東京芸術大学赤レンガ1号館(2013.9/22)の記事 こちらの記事に上の画像にある正門奥にあるレトロ建築の画像があります。
道が突き当たる。右に見える細道を進むと?上野桜木の交差点に出る。細道は個性的な民家があって、玄関先の鉢を撮影。

これさ、中にホテイアオイを浮かべてましたが、壺の絵はニモ!関係ないんだけど、馴染んでるんだよね。ついつい撮影してしまったわ〜。

上野桜木の信号の道向こうに旧吉田屋酒店こと下町風俗資料館付設展示場です。
旧吉田酒店(2010年12月24日)の記事 こちらの記事に旧吉田酒店の屋内の画像があります。
もうこの辺りはちょっと進むと見所が!!という、レトロ好きには見所が多すぎて先に進めない。道の左手が有名な谷中です。ちなみに右手は上野桜木ね。
説明板発見:旧谷中町
天正から元禄(1589〜1703)にかけて、町屋の区域が武蔵国豊島郡谷中村より独立して、谷中町として起立した。
谷中という地名は江戸時代からあり、その由来は上野台(代山)と本郷台の谷間に立地していることにちなみ、下谷に対して付けられたと言われています。
本町の江戸時代の町屋は、言問通り(八軒町)と天王寺へ行く通りの面(総持院門前町まで)に形成されていた。明治初年、大雄寺を始めとする寺池が合併されて町域が定まった。
大雄寺には、勝海舟、山岡鉄舟とともに「維新の三舟」と言われた高橋泥舟が大クスの木の下に眠っている。この大クスの木は、東京都の保存樹木に指定されている。
大雄寺さんの入り口です。
説明板発見:高橋泥舟は幕末期の幕臣。槍術家。名は政晃。通称謙三郎。のち晴一。泥舟と号した。山岡鉄舟の義兄にあたる。
天保6年(1835)2月17日、山岡正業の次男として生まれ、高橋包承の養子となる。剣術の名人として世に賞賛され、21歳で幕府講武所教授、25歳の時同師範役となり、従五位下伊勢守に叙任された。(後略)

あ!個展やってる〜。せっかくだから見ていこう!
ここはK's Green Galleryさん。お邪魔した時は梨園染手ぬぐいの作家さんで磯崎真澄氏の仕事展 「グッと よぉござん寿」(2017.9/8~9/30)の個展をやってました。作品の手ぬぐいは買うこともできました。作家さんが会場にいて、説明してくださいました。
布物は私、大好きで、10年前なら即買いしてた!今も大分欲しかったのですが、布って集めてもしまい込みがちなもの。でもぼちぼち私の人生も四捨五入したら後半に入ってるのですよ。布を集めてしまいこんでてどうするの?と思いまして。できる限り自重してます。最近はしまうより使え!と思いまして、旅先で購入したハンカチやら布をふだん使いし始めました。布で座布団カバーや枕カバーを自作して楽しんでます。会社員時代あんまり忙しく休日は寝て過ごすのみ。買い物したい!欲は通販で解消してました。んで!使いもしないハンカチを毎月購入してた時代があったんですよ。フェリシモって今もあるんだろうか?最近男性でも使えそうなハンカチをダンナの普段使いに数枚。お散歩先で気に入って買ったいせ辰さんのハンカチってか小風呂敷?もダンナの普段使いに使ってます。
ってなことで、この時はみ〜る〜だ〜け〜~っ!で、我慢しました。この作家さんの和手ぬぐいは大分好みだったので、次に出会ったら我慢できないかも?

ギャラリーの前、道を挟んだ向こうにおせんべい屋さんがある!うわ〜〜!!
懐かしい店構えっ!うちの田舎ではこういう感じの店はほとんどなくなってしまいました。
あ〜ん??八十八ヶ所寺の近くには残ってたっけな?でも実家の近所の本山寺のそばのせんべい屋はもうない!と思う!いや、店の前の道が狭すぎて帰省した折も10年以上迂回路を通るようになったんで確認できんの。
話を戻して。谷中には昔ながらの〜とか昭和のかをり〜といった佇まいの建物やお店があちこちにあるんだね。そりゃあ、お手軽な街歩き観光にもピッタリ〜な訳です。

あ。またあった。あそこは和菓子屋さんです。豆大福が名物らしい。
愛玉子と書いてオーギョーチ。昔からここにあるそうです。
ショーケースに入ってるのがオーギョーチです。まるで黒糖寒天みたいだね。一回食べてみたいんだけども。今回は連れがいるのでパス。時間も科学博物館出発時ですでに午後2時だったから、寄り道はあんまりできんのですよ!
日展新会館さんの前に、谷中街歩きの地図が置いてあります。ゲットです!実は私が谷中の街歩き用に持ってきた地図は、何年か前に根津神社さんのつつじ祭りで配ってた根津権現かいわい浪漫ちっくマップでして、もしかしたら情報が古いやもしれんのです。だって谷中が「谷根千」として有名になる前にゲットした絵地図でして、歴史&寺の位置は変化ないと思うけども〜。ってなことで、最新の街歩き地図に持ち替えて〜??ん??観光客が日展新会館の脇の細道に吸い込まれていく。何かあるのか?
 
なんだ。猫か。そういえば、谷中って地域猫が多い町でもあったんだった!
む!猫の撮影してるのお姉さん一人だけ。他の観光客はどこへ行った??

何かあった〜〜!目的地の谷中墓地はまだ先なのに、みたい場所が次々現れてなかなか進みません。(谷中散歩その2へ続く)
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芸大祭のお神輿

2013年09月08日 05時13分15秒 | 上野・根津・湯島・神田
お久しぶりです。
8月の後半から体調不良でブログの更新を停止していました。
いかんいかん。つい愚痴ってしまいます。ま、それは後日別の記事にする事にして、一昨日(9月6日)に上野の科学博物館で「深海展」を見てきました。
興味深かったです。でも予想外に人が多かった~。ぐったりして当初予定の東京駅は見送ってしまいましたが、上野公園で何かやってたのです。
……何アレ??
大きな何かに吸い寄せられるが如く。
早速行ってみた!

コレ、いい

鳥はナマズを踏みつけてるのだね。
鳥も羽は経文で出来てたり、三味線がくっついてたり楽しいです。
私はこの鳥が気に入りましたが、何かは鳥だけではありません。
では行ってみよう~。



これ、発想はいいんだが、デザイン残念だねっ。せっかくのカジキの顔が見れない。どっから見ても素敵な撮影ポイントがない。





こりゃなんだ??ブタがラーメン食べてます。解説されると主張が分かるかもしれんが…。こういうのは第一印象が大事だよな~。
と~こ~ろ~で~、コレ何??
実はですね。芸大のお祭なんですよ。今日まで開催されています。普段気軽に入れない芸大の敷地に気軽に入れます。
ただ…。音楽部はコンサートが主流。あちこちで小さな音楽会が催されていますが、音楽会を聞くには整理券が必要です。
なのでおススメは絵画とか彫刻の方。建物内で学生の作品展示があります。
ちょっと見てみた。
全然ダメ。つーか、作品の検閲ってやってるの、コレ??まあ…興味のあるお年頃だよね~。
や。昨今作品の発表方法は様々だよな。期待が膨らんでただけに残念です。天下の芸大なんだから、もうちょっとレベルが高くてもいいのに。
上野公園内では学生の小物作品販売もやってました。出来は…。
馴染みのコミティアのクラフト作家さんの方がよっぽど良い。まあ学生さんは玉石混合ですよね。でも仮にも自分の作品を売ろうっていうならば、もうちょっと頑張ろうよ。

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「江」の菊人形

2012年01月06日 05時10分37秒 | 上野・根津・湯島・神田
東京メトロ千代田線お茶の水駅から湯島駅へ。これまた一駅の移動なので、15時も10分を過ぎずに到着。
ただし、湯島駅からだと湯島天神へ上がるには坂、もしくは石階段を上がらなきゃなんである!
ええ、変わらず階段嫌いです。もとより嫌いでしたが、脳梗塞をやって以来左足に軽い麻痺があって、今ひとつちゃんと上がってないことがあって、つまづき易く危険なので嫌いです。ま、長い距離じゃなきゃゆっくりそろそろ上がればいいんだけどね。ってなことで、私がチョイスしたのは女坂コース。
湯島駅からだとこの建物が目印。画像の中にも中央手前に立ち杭に「女坂」って書いてあるよね。
到着した湯島天神は参拝客で大にぎわいでした。なんでやっ??これこそ合格祈願なんかいっ??出来るだけ行列が入らないように撮影してるのでわかりにくいかもしれませんが、2列縦隊で行列は参道奥の青銅の鳥居まで伸びています。昇殿してお参りしてる人もいるので、行列の進みは遅い。ってか、行列してる人はみんな昇殿待ちなのか??わからん…。でも私の目的は別です。ええ、菊花展です。
 



 


携帯電話のカメラではこれが限界。

以前菊がマイブームだった時、都内の菊花展を巡ったのですが、菊人形があるのは湯島天神の菊花展だけなんだよね。んで、テーマは毎年NHKの大河ドラマ。今年はもちろん「江」です。

トップ画像は徳川秀忠一家。秀忠と江と家光です。ええ、今年の5月におでかけした川越の喜多院にあった「家光誕生の間」。あれです。
んでもって、上の浅井三姉妹そろい踏み。背景はコレ、安土城ですかねえ~?
湯島天神の菊まつりは毎回おすすめなんですが、今日はなんと!猿回しまでやってました~。出店屋台も並んでて、江戸の昔を彷彿とさせてくれます。湯島天神の境内は狭いんですが、色々あって楽しいんだよねえ~。
ってなことで、本日の散歩はここまで。撤収は15時23分だと携帯電話が記録しています。今日は出だしが遅かったけど、サクサク回ると結構回れるものなんですね。満足満足。   人気ブログランキングへ
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湯島聖堂へ

2012年01月05日 05時38分38秒 | 上野・根津・湯島・神田
本郷の東京大学のレトロ建物を楽しんで、14時半頃に東京メトロ丸ノ内線の本郷三丁目駅から乗車。下車したのはお隣のお茶の水駅です。
目的は湯島聖堂。本日11月3日は祝日ですので、もしかしたら大成殿が開いてるかもしれん…。と期待して。
ええ、そうなのです。以前の東京都文化財公開ウィークで上野、根津、湯島を巡った時も、神田、お茶の水レトロ建物散歩をした時も、閉まってたんですよ。敗因は大成殿が開くのは週末のみだから~。その時、扉が閉まっていた時の画像はこちらの記事で確認出来ます。湯島聖堂から神田明神へ2009年11月2日)の記事。

お茶の水駅到着。地上に出たものの、自分がどこに出たのかわからない~~。適当に歩いていたら、いか~~んっ!!
橋の下に出ちゃったよ~…。
上へ上がる場所はないか??うろうろしていたら、湯島聖堂のそもそもの入り口へ着いた。
まっ、いいか。こっちが正式な参拝道。
気を取り直し大成殿を目指す。
孔子像。楷書の木。
以前、修繕工事してて後にピカピカになった門が、時間が経ってピカピカが取れて場に馴染んでました。ピカピカの時の記事はこちら。湯島聖堂(2009年11月1日)の記事
おおっ!!開いてる~~っ!!期待通りっ!!
ん?でもなんか、人が多すぎないか??
なにやらお嬢さん方の回りに取材カメラマンがいるし。
庭には椅子を並べて楽器のリハーサル中の人もいるし??
や、初心貫徹! 
大成殿の中です。こうなっていたのか~?
いそいそいそーーーーー。ん?
あれっ?入るのにお金いるの?しかも200円!!
………。パスっ!念願だったんじゃないんかいっ!というツッコミは無しで願います。いつも閉まってたから開いたとこが見たかったのっ。だから中に入らなくても十分なのっ。
 
合格祈願するならば入った方がいいんだろうが。入学予定はないのでいいんだも~んっ!
さて次は…。
時刻は既に15時です。次第に日没が早くなって来た11月。せいぜいあと1カ所。
……ここからならば、湯島天神が近い。徒歩でも20分かからない。でも東京メトロ1日乗り放題切符があるので、お茶の水から千代田線で湯島へ向かいましょう。
ぼちぼち湯島天神で菊まつりが始まってるのよねえ~。   人気ブログランキングへ
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東大のレトロ建造物

2012年01月04日 05時38分16秒 | 上野・根津・湯島・神田

なんか、見えてきた。こりゃなんだ??
…調べたけどわかりませんでした。大学って建物多すぎ~。

赤門が見えて来ました。

一部だけ開けてありました。
ついでに大学の総合研究博物館を覗いてみるか?と赤門を出て懐徳門へ。
でもなっ、公開してるのは「うなぎ」だったんです。ちょっと好みじゃないね。と入るのを止めて懐徳門を眺めると、何か変わってます。

そもそも懐徳門の名前の由来は、東大の構内にはかつて前田侯爵の別邸があって、この煉瓦のかたまりはそこの西洋館の基礎の一部なんだって~。
んん?
加賀藩主前田侯爵家の名前には見覚えが??
鎌倉文学館って前田のお殿様の別荘だったんだよね?鎌倉文学館(2011年7月23日)の記事鎌倉文学館の略歴、画像を確認出来ます。
んで、目黒区の駒場東大に隣接してるのも前田侯爵邸だったよね??
旧前田侯爵邸

んん!
東大繋がりじゃないの~~~っ!
あ。説明板発見。
「この地区は、旧加賀藩主前田侯爵家の敷地であった。当主前田利嗣は明治天皇行幸のために屋敷、庭園の設備を企画し、明治40年に西洋館が竣工した。ルネッサンス風のデザインで地下2階、地上1階の大規模な建築であった。大正12年の関東大震災の後、建築と庭園は東京大学の迎賓施設「懐徳館」となったが、昭和20年3月10日の東京大空襲で炎上し、取り壊された。
重厚で頑丈な基礎は、かつての優れた西洋館の姿を偲ばせるわすかな遺物である。」
…炎上しちゃったんですね。もったいないなあ~。

さて、駅はどっちだ??
たぶんここを進むと、東京メトロの本郷三丁目駅へいけるハズ…。と、懐徳門の道なりに歩いてると、なんかコレ、ダメなんじゃないの??

や。我々は、去年大地震と大きな台風による水害なんかであれこれ敏感になってる訳だ。連日のニュースをどきどきして見た訳だ。中には、石垣の危険性を教えるニュースもあった訳で。そこには石垣の間から伸びる植物は、石垣の耐震性を下げるっていうのもあった訳だ。
…これ、植物はがっちり石垣の隙間に入り込んでいるよね??   人気ブログランキングへ

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東京大学のレトロ建築

2012年01月02日 05時22分32秒 | 上野・根津・湯島・神田
ってなことで、東大の正門をくぐって構内へ。今日は11月3日(祝日)なのですが、開いてます~。
まだ全然色づいていないイチョウ並木を進んでいくと、安田講堂が登場です。
トップ画像がそれ。
実は画像手前の広場の下には食堂があるのです。平日は遅くまで開いてるのですが、休日は14時で閉店なんですよ。

せっかくなので、入り口に近寄ってみた! 立て看板がある。中はどうなってるのだろう~。

伺っていたら、中から会に出席していた人が出て来ちゃった!当然私に気づいたようで「関係者以外立ち入り禁止の札を出しておかないといけませんね」と。こっちを見て吐き捨てたので退散です。
ちっ。ちょっと正面から中を見ていただけじゃん。扉に指紋もつけてないし、首も扉から中に突っ込んでないよっ。中に入ってないのにっ。私別にテロなんかしないよっ。といいつつも関係者じゃないのは確か。仕方ないね~。
でもな、安田講堂の入り口のポーチ部分、絶対に修理が必要なんじゃないの~?これ、いつ石が落ちて来ても不思議じゃない風化具合です。…君君、私なんかを警戒するより、頭の上を警戒しなさい!
安田講堂から右手へ向かう。
法文2号館です。
 
なにげに傾斜があるので、なにげに中がどうなっているのか興味ありますが、外観だけ鑑賞しました。
 
建物が建った時代、モデルとなったのは欧州。イギリスのオックスフォードの街を歩いてた時に見た大学の建物に雰囲気がそっくりだわ~。
 
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東大の扉模様

2012年01月01日 05時40分52秒 | 上野・根津・湯島・神田
府中本町大国魂神社。
まずはあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年は穏やかでいい年になるといいですねえ。願いはあってもどうだろうなあ~?去年があまりにも大変だったものなあ。
鎌倉本覚寺内えびす堂。(正月っぽい画像をピックアップしてみた)

ってな事で、今日から11月3日の東京都文化財公開ウィーク散歩の記事を再開します。や。やっぱり紅葉の記事は時事ネタっつーか、新鮮さが命みたいなものだからして、紅葉が見頃の時に載せとかなきゃでしょう~と『紅葉散歩』を書いていたら、12月下旬までかかっていました。危うく年越しで紅葉散歩が続きそうになって慌てました。ちなみに、この前までの東京都文化財公開ウィーク散歩は12月2日の「求道会館』の記事となってます。毎日記事をチェックしてる方はまずこちらの記事をチェックして思い出すのもアリかもしれません。求道会館(12月2日)の記事

トップ画像は東京大学の門についてるデザインです。
ってどこの東大やねんっ!と自分突っ込みをする。東大と言ってもあちこちにあるんだよな。
ちなみに、トップ画像は目黒区駒場の東京大学教養部の扉です。駒場東大の画像

 
んでもって、こっちは港区白金台の東京大学医学研究所の門についてたデザイン。

東京メトロ南北線の東大前駅を降りてすぐにある東京大学農学部の門です。3つとも微妙に意匠が違ってます。
ちなみに、文京区の東京大学はどうなんだ?といそいそ撮影に行く。

あれ?
…ありませんでした。この門を入った所には
銀杏並木があります。
訪問した11月3日には黄葉の気配すらなく…。色づくまでゆうにひと月は必要です。
イチョウ並木は場所はですね、ここを奥まで行きますと、安田講堂です。
…扉を見比べるプランは潰れましたが、大学ってレトロ建築物の宝庫だよなぁ。
よしっ!!
計画変更で、文京区の東京大学構内の校舎を撮影しちゃおう~。  人気ブログランキングへ 
コメント (2)
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求道会館

2011年12月02日 05時08分55秒 | 上野・根津・湯島・神田
東京メトロ南北線、東大前駅から徒歩数分。この辺りにあるハズなんだけど~??

おや、素敵な建物。日当りを考えて、でこぼこに作られてて、なのに建物は独立せずに繋がってる2階立て。中はどうなっているのか?これ、和館なのか??
この辺りにはかつては文豪の家や帝大生の下宿旅館なんかがあったんですかねえ~。今日が昨日なら、徳富秋声の旧宅の公開があったんです。原稿も見られたそうで。でも今日は昨日じゃないんだよねえ~。
さて、到着。時刻は13時46分。予定より46分遅れ。既に先客で一杯。勉強好きな日本人って多いよな。
あれ?正面から見たら、求道会館ってなにげにキリスト教会テイスト!
あ~れ~?求道会館って教会だったっけ??

違いましたっ!!
文化財公開事業の絵はがきによりますと「浄土真宗大谷派の僧侶であった近角常観(1870-1941)は、明治35年(1902)、若き日の欧州留学の体験をふまえ、青年学生と寝起きを共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場としての求道会館を本郷の地に開きました。
その彼が会館の設計を建築家武田五一に依頼し、大正4年(1915)11月に、広く公衆に向けて信仰を説く場として建設した建物が、この求道会館です。
れんが造りの2階建て、建築面積307.47平方メートル、延べ床面積508.03平方メートルです。
会館内部の正面には、純和風の檜造りで銅板葺屋根の六角堂が配置され、その後方丈夫壁面に大アーチの石膏レリーフが描かれています。会堂の1階は木製の長椅子式、2階はギャラリーで畳敷きに会衆は参列する形式です。
また、会堂後部の部屋は「床の間」つきの畳敷きの小会堂であり、洋式の内部に和式の要素を取り入れ、不思議に調和した独特の空間を作り出しています。」
なるほど、祭壇に位置にあるのは、十字架じゃなくて、仏教のお堂か?厨子か?というテイストの建物が鎮座してます。
奥には電話室もあります。明治の建物にはつきものの部屋ですね。
2階へ上がる。

かつては2階のギャラリーは畳敷きだったそうですが、今は木製の床です。なにげにホールのよう。でもここ、仏教の道場みたいなもんなんだよな。…自信なくなってきた。
石膏レリーフを近くで拝見。なにげにロシアなんか東欧の建物な彩色だわ。
トップ画像の建物に写っている5連アーチの窓。中から見ると、一部ステンドグラスなんですね。これ、オリジナルの窓なのかなあ~?解説文には入ってないなあ~。
ついでに2階のギャラリーから仏壇…つーか六角堂を見下ろしてみた。この角度からだと、仏教テイストです。
ふと、ギャラリーの柵に卍を発見!間違ってもナチスのハーケンクロイツじゃないですからっ!そこんとこ間違わないようにっ!!欧米の方々、誤認しないよーにっ!!
建物を見回って外に出たら13時57分でした。あんなに大騒ぎしたのに、見学はあっという間だった。公開時間は16時までなので、時間はたっぷりあったんだね。ま、初めて訪れた場所なので、事前のデーターは乏しいんだけどね。
…次、行ってみよう~。って次、どこへ行こうか~?
はい、そうなんです。今朝突然決めたお出かけだったので、珍しくお散歩コースを練り上げてないんです。明治学院と求道会館だけは決めてたんだけどな。

昨日から12月となり、冬の節電がスタートしたんですけど、時を同じくして関東地方には寒波到来です。もう最高気温が10度以下という突然の冬本番!そんなこんなで寒さに身体がびっくりですが、さっきね、12月2日の午後、このブログの左のバーに貼付けてある東京電力の使用状況が久々に90%を突破しちゃってました…。こういうのは分母もチェックしないと~。と見れば、分母の供給電力量もちゃんと増えてるんですが、それにしても90%超えは久々に見ました。
うん。節電頑張ろう~。なにせ冬は夏と違って、日が短いので照明は増えるの確実だからな~。震災前はオール電化が流行ってたから、電気コンロとか、電気給湯なんかも夏より冬の方がどうしても使用量が増えるんだろうね。さ~て、夏と冬、どっちが節電し易いんだろうなあ…。取りあえず関東地方在住の庶民は実験開始です。  人気ブログランキングへ
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